第22話
オルドヴァンの森での一件は、エクス、ライラ、そしてカイルの三人に、世界の「歪み」がもたらす脅威を改めて認識させると同時に、その謎を解き明かしたいという渇望をより一層強いものにしていた。森で発見した黒い鉱石の欠片は、エクスの解析によって、学園地下で遭遇した紫色の水晶と極めて類似した、負のエネルギー特性を持つことが判明した。それは、点と点だった謎が、徐々に線として繋がり始める予兆でもあった。
「オルドヴァンの森の魔力汚染、そしてあの黒い鉱石…これらは、学園地下の祭壇で感知したエネルギーと、本質的に同種のものである可能性が高いと結論付けました」
数日後、いつものように放課後の教室に集まった三人に、エクスは自身の解析結果を告げた。彼の机の上には、オルドヴァンの森の地図、採取した植物のサンプル、そして黒い鉱石のスケッチなどが広げられている。
「つまり、あの気味の悪い力が、森にまで広がってきてるってことか?」カイルが腕を組み、険しい表情で呟いた。「だとしたら、放ってはおけねえな」
「ええ。しかし、その力の根源や、拡散のメカニズムについては、依然として不明な点が多い。より広範な知識…特に、過去の大規模な魔力災害や、封印された古代の魔術、あるいは異質なエネルギーに関する記録が必要です」エクスは視線を上げ、窓の向こうに見える、学園の誇る巨大な図書館の尖塔を見つめた。
「また図書館で調べるの?」ライラが少し顔をしかめた。「うーん、難しい本ばっかりで、私、すぐ眠くなっちゃうんだよね…」
「あなたの直感や、人々の間での情報収集能力は、文献調査とは異なる側面で役立つ可能性があります」エクスはライラを宥めるように言った。「カイル君も、あなたの視点からの意見や、あるいは万一の際の護衛として、同行していただけると助かります」
「へっ、護衛ねえ…まあ、お前ら二人だけじゃ、また変なことに首を突っ込みそうだからな」カイルはそっぽを向きながらも、まんざらでもないといった表情を浮かべた。彼にとっても、エクスの探求は退屈な学園生活における数少ない刺激となりつつあった。
三人は再び、静寂と古書の香りに満ちた学園の大図書館へと足を運んだ。広大な閲覧室の奥、一般生徒はあまり立ち入らない専門書や古文書が並ぶ書架エリアで、エクスは黙々と文献の山と格闘を始めた。彼の指先が、羊皮紙のページを驚異的な速度でめくり、その瞳は常人には解読不能な古代文字や複雑な魔法陣の図解を正確に捉え、脳内で情報を処理していく。過去の「大いなる災厄」に関する異聞、忘れ去られた魔法王国の興亡史、異界の存在を示唆する禁断の魔導書。それらの記述の断片から、彼は現在の「歪み」との関連性を見つけ出そうと試みていた。
一方、ライラは、エクスの隣で分厚い歴史書を広げてはみたものの、やはり数ページで集中力が途切れてしまった。「うーん、やっぱりダメだぁ…文字ばっかり見てると、目が回っちゃう…」
彼女はそっと席を立ち、気分転換に図書館の中を歩き始めた。司書であるアルバス先生の姿は見当たらない。普段は厳格な雰囲気の漂う古書エリアも、今は生徒の姿はまばらで、静かな時間が流れている。ライラは、書架の間の薄暗い通路をあてもなく進むうちに、年季の入った革装の本が並ぶ一角にたどり着いた。そこは、他の書架とは少し離れた、図書館の最も奥まった場所だった。
(なんだろう、この場所…ちょっとだけ、空気が違う気がする…)
ふと、彼女は近くでひそひそと話す上級生らしき女子生徒たちの声に気づいた。興味を引かれ、そっと物陰から聞き耳を立てる。
「…だから言ったでしょ?あの『禁書庫』には、本当にヤバい本が隠されてるんだって!」
「でも、先生たちも絶対教えてくれないし、場所だって誰も知らないじゃない…」
「噂だとね、世界の本当の歴史とか、神様が隠してる秘密とか、そういうのが全部書いてあるらしいよ。下手に触ると呪われるって話もあるけど…」
(禁書庫…!)ライラの目が、好奇心にきらりと輝いた。以前にも耳にしたことのある、学園の七不思議の一つとも囁かれるその場所。そこには、エクスの探している情報があるかもしれない。
「ねえ、あの…!」ライラは思わず声をかけようとしたが、女子生徒たちはすぐにどこかへ行ってしまった。
(禁書庫かぁ…エクスに教えてあげなくっちゃ!)
カイルは、エクスの集中を邪魔しないよう、少し離れた場所で壁に寄りかかり、腕を組んで周囲を観察していた。彼にとって、図書館は退屈な場所でしかなかったが、エクスの常人離れした知識欲と、ライラの天真爛漫な行動は、見ていて飽きない部分もある。それに、この二人に関わっていると、何かしら厄介事が起きるが、同時に退屈からは縁遠くなるのも事実だった。
(それにしても、あのメガネ野郎…一体何をそんなに必死に調べてやがるんだ?異常アノマリーだか何だか知らねえが、そんなもん、俺の拳でぶっ飛ばせば済む話だろうに…)
カイルはそう思いながらも、エクスの瞳に宿る、真実を渇望するような強い光には、どこか無視できないものを感じていた。
その時、エクスが顔を上げ、カイルに視線を向けた。
「カイル君、少しよろしいですか」
「あ?なんだよ」
「以前、あなたが『別の古代遺跡』について何か知っているような口ぶりだったことを記憶しています。オルドヴァンの森の一件で、我々の探求は新たな局面を迎えました。あなたの知っている情報が、今後の指針となるかもしれません」
カイルは一瞬眉をひそめたが、やがて諦めたように息を吐いた。「…ああ、そういや、そんなことも言ったな。大した話じゃねえぞ。ガキの頃、じいさんから聞かされた、ただの古い言い伝えだ」
「どのような内容か、お聞かせいただけますか」エクスの声は平坦だったが、その瞳には強い期待が込められていた。
カイルは少し躊躇うように視線を彷徨わせた後、ぽつりぽつりと語り始めた。「…王都からずっと北、険しい山脈を越えた先によ、かつて『アストラル』って呼ばれる、そりゃあ見事な古都があったそうだ。空に届くみてえな白い塔が何本も建ってて、夜になると街中が星みてえにキラキラ輝いてたって話だ」
「アストラル…『星の都』という意味ですか」エクスが呟く。
「ああ。そこには、星の運行を読み解き、未来を予知する賢者たちが住んでてな。世界のあらゆる知識が集まる『星詠みの図書館』ってのがあったらしい。だが、ある時、空から『災厄の星』が降ってきて、都は一夜にして滅びちまった。生き残った者はほとんどいなくて、都はその後、禁足地として森の奥深くに忘れ去られた…じいさんの話じゃ、そこには今も、滅びた文明の知識や、星の力が眠ってるってことだったがな」
カイルの話は、子供の頃に聞かされたおとぎ話のような素朴さがあったが、その内容はエクスの探求と奇妙に符合する部分があった。「星の知識」「滅びた古都」「災厄」。これらは、エクスの過去のフラッシュバックや、禁書庫で見た断片的な記述とも重なるキーワードだった。
「その古都アストラルは、現在も存在するのでしょうか」
「さあな。ただの伝説かもしれねえし、本当にあったとしても、今じゃどこにあるのかも分からねえだろう。じいさんも、もう昔の話だって笑ってたしな」カイルは肩をすくめた。
しかし、エクスはその情報を聞き逃さなかった。彼の脳内では、カイルの語った伝説と、これまでに集めた情報が繋がり、新たな可能性が形成されつつあった。
「興味深い情報です。感謝します、カイル君」
「…別に、礼を言われるようなことじゃねえよ」
ちょうどその時、ライラが興奮した様子で二人の元へ駆け寄ってきた。
「エクス!カイル君!大変だよ!私、すごい噂を聞いちゃった!」
ライラは、先ほど上級生たちが話していた「禁書庫」の噂を、目を輝かせながら二人に語った。世界の真実、神々の秘密、そして触れると呪われるという不気味な言い伝え。
「禁書庫…」エクスはその言葉を反芻した。彼の解析によれば、学園の図書館にそのような区画が存在する可能性は低いとされていた。しかし、ライラがもたらした情報は、彼の論理的な予測を覆すものだった。
「胡散臭え噂だな」カイルは腕を組んだまま言った。「だが、もし本当にそんな場所があるなら、お前みたいなヤツが真っ先に首を突っ込みたがるような代物が眠ってそうではあるな、エクス」
「肯定も否定もできません。しかし、検証する価値はあるでしょう」エクスの瞳に、新たな探求の光が灯った。「オルドヴァンの森の魔力汚染、カイル君の語った古都アストラルの伝説、そしてライラが掴んだ禁書庫の噂…これらは、一見バラバラに見えて、どこかで繋がっているのかもしれない」
エクスは、カイルが語った古都アストラルについて、より詳細な情報を集める必要があると判断した。それは、直接的な調査だけでなく、間接的な情報収集も含まれる。
「カイル君、その古都アストラルについて、何か手掛かりになるような物は残っていませんか。例えば、お祖父様が持っていた古い地図や、言い伝えを記したメモなど」
「さあな…じいさんの遺品なんて、ほとんど処分しちまったし…ただ、確か、やけに星の模様が描かれた、古い革袋みたいなのは見た覚えがあるような、ねえような…」カイルは曖昧に答えた。
「それです」エクスは即座に反応した。「もし心当たりがあるなら、確認していただけると助かります。それと並行して、私は学園の外部にも情報収集の網を広げます。幸い、私の養父母は、古代史や魔法考古学に詳しい研究者と多少の繋がりがあります。彼らを通じて、古都アストラルに関する情報や、あるいは同様の『忘れられた場所』に関する伝承がないか、問い合わせてみるつもりです」
エクスはそう言うと、懐から羊皮紙と羽根ペンを取り出し、手紙を書き始めた。その宛名は、彼の養父アルデンの旧友であり、王立アカデミーで古代文明を研究しているという老教授の名前だった。彼のペンは、迷いなく、しかし慎重に言葉を紡いでいく。それは、アナログで時間のかかる方法だったが、時に最も確実な情報を手繰り寄せる手段でもあった。
禁書庫の謎、滅びた古都の伝説、そして世界の歪みの根源。三人の前には、解き明かすべき多くの謎が横たわっている。そして、その謎の中心には、エクスの失われた過去が深く関わっていることを、彼は予感し始めていた。図書館の静寂の中、三人の新たな探求が、静かに始まろうとしていた。
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