第14話
寮で両親を見送った翌朝、エクスは新しい制服に身を包み、指定された場所へ向かった。朝靄が晴れ始めたばかりの校庭には、既に大勢の生徒と、彼らを見送りに来た保護者らしき人々の姿がある。昨日入学手続きをしたばかりの、真新しい制服に身を包んだ新入生たちは老若男女揃っているが、期待と緊張、そして僅かな不安を混ぜ合わせた独特の雰囲気を放っている。上級生らしき生徒たちは、より落ち着いており、慣れた様子で友人たちと談笑している。
式典が行われるのは、本校舎の奥にある大講堂だ。広大な石造りの空間で、高く組まれた天井には緻密な魔法陣が描かれ、壁面には歴代の偉大な魔法士たちの肖像画が飾られている。ひんやりとした空気に、多くの人間の体温と、真新しい制服の糊の匂い、そして微かな魔術的な香りが混じり合っている。
エクスは、指示された新入生席に静かに座った。周囲には、自分と同じ年頃の子供はほとんど見えないようにみえる。彼らの緊張や興奮、ざわめきは、空気の振動として肌に伝わってくる。エクスは、この膨大な数の人間の集団を、一つの複雑な生態系として認識する。多様な感情の波長、異なる思考の型。解析すべき情報の塊だ。
席に着いてほどなく、周囲が僅かにざわめいた。エクスが視線を向けると、数メートル離れた席に、見覚えのある顔があった。街の市場で魔法具が暴走した際に、彼が指示を与えたあの少女だ。彼女もまた、真新しい制服に身を包んでいる。彼女は他の新入生たちと共に座っている。エクスは、あの時の少女がこの場にいることを認識した。
あの少女は、周囲を見回す中でエクスと目が合った。彼女の瞳は、エクスを認識した瞬間に驚きに見開かれ、次いで強い好奇心と、僅かな戸惑いの色を浮かべた。まるで、予想外の場所で再会した「謎」を前にしたような顔だ。エクスは、彼女の驚きの表情と、瞳に宿る探求心の波長を静かに観測した。彼は彼女に向けて、特に感情を示すことなく、しかし認識したことを示すように、わずかに頭部を動かした。少女は、エクスの反応にまた僅かに戸惑った様子だったが、すぐに意思の強さを感じる視線をエクスに向け直した。
やがて、式典が始まった。荘厳な音楽が流れ、壇上に学校長が現れた。彼は単なる老齢の魔法士ではない。長い白髭を蓄え、深く刻まれた皺がその知識の深さと年輪を物語っている。身に纏うローブは、夜空の色のように深く、無数の星屑のような輝きを放つ刺繍が施されており、その威厳を一層際立たせている。彼が壇上に立つと、大講堂全体を包む魔力の場が、彼の強大な魔力に呼応するように、わずかに高揚したのを感じた。彼の瞳の奥には、世界の真理を見通すかのような静かで鋭い光が宿っている。学校長という地位だけではない、この学び舎の、そしてこの世界の理を知る「権威」そのものが、そこに立っていた。
彼の存在が放つ魔力の構造は、これまでのエクスの観測情報とは比較にならないほど洗練され、広大だった。それは、単なる個人の魔力量を超えた、世界の法則そのものを御しているかのような力を感じさせた。解析対象として、そして世界の法則を体現する存在として、エクスの内面に静かな尊崇の念が生まれた。
学校長は壇上の中央に進み出ると、ゆっくりと口を開いた。彼の声は、年齢を感じさせない力強さと、大講堂全体に響き渡る明確さを持っていた。
「新入生の諸君、ようこそ、この学び舎へ」
「君たちは、王国、そしてこの世界の希望である。魔法とは、神聖なる恩寵であり、我々人類に与えられた、この世界の理を紡ぐ力である」
「君たちの責務は、その力を磨き、王国が、そして世界が、揺るぎない秩序の下に保たれるよう、献身することにある」
「遥か過去に、我々の先人たちが体験した大いなる災厄…それは、世界の理が大きく乱れた、悲しき時代であった。その悲劇を二度と繰り返さぬため、我々魔法士は、神々の定めた法則を守り、世界の安定に寄与せねばならない」
「時に、この世界の理には、我々の理解を超える異常が見られることがある。しかし、それは神々の深い思慮によるもの、あるいは未だ我々が解明しきれていない法則の一端に過ぎない。決して、世界の秩序そのものが揺らいでいるのではないと、我々はこの理の揺るぎなさを信じている」
「君たちには、この学び舎で、真の魔法の知識を学び、己を律し、世界の秩序を守る献身の精神を養ってもらいたい」
エクスの頭の中の解析機関が、これらの言葉に含まれる特定のキーワードに強く反応する。「秩序」「大いなる災厄」「異常」「神々の深い思慮」「理の揺るぎなさ」「献身」。これらの概念は、彼の過去のフラッシュバックや、村で読んだ古い記録、そして魔法具暴走事件で感じた世界の不自然さと直接関連している。学校長の演説は、これらの断片的な情報を、世界の公式な見解として、エクスの解析体系に統合するための重要な情報源となった。
「異常」という言葉を聞いた瞬間、エクスの脳裏に、過去のフラッシュバックの断片が強くよぎった。それは、ノイズに満ちた、理解不能な信号の奔流のような光景だ。 エクスは、その瞬間の感情的な波長を解析する。不快感、混乱、そしてそれを無理矢理抑制しようとする内部的な制御。
その時、大講堂全体を包む魔力の場が、僅かに、しかし確実に揺らいだのをエクスは感知した。それは、学校長の言葉、特に「大いなる災厄」「異常」「神々の深い思慮」といった概念に連動した、非常に微細なエネルギーの変化だった。その揺らぎは、魔法具暴走事件で経験した魔力の場の不安定化とは異なる種類のものだが、明らかに世界のエネルギー形式に組み込まれた、人工的な、意図的な反応のように感じられた。まるで、特定の言葉が、世界の裏側にある「システム」に直接信号を送っているかのようだ。
エクス以外の誰も、この微細な魔力の揺らぎに気づいた様子はない。周囲の生徒や保護者は、学校長の荘厳な演説に聞き入っているか、あるいは緊張しているだけだ。あの少女だけが、演説の特定のフレーズが述べられた時に、僅かに眉を顰めたように見えたが、それが魔力の揺らぎを感知した結果なのか、単に内容に疑問を持っただけなのかは、現時点では判断できない。
演説は滞りなく終了した。式典後、新入生たちはそれぞれのクラスに分かれ、簡単なオリエンテーションが行われた。エクスは指示に従い、指定された教室へ移動する。教室には既に他の新入生が集まっており、そこにはあの少女の姿もあった。
教室の中は、式典の厳かな雰囲気とは異なり、新しい環境への戸惑いと、互いを観察する好奇心に満ちた視線が交錯する、微かなざわめきに満ちていた。あの少女はエクスの姿を見つけると、期待と興味に満ちた瞳でこちらを見ている。彼女は他の新入生たちと共に、微かにざわめく教室の空気に馴染もうとしているようだった。