7.絵師は期待する
明らかに、その一角の空気だけがぴんと張りつめる程に凍り付いていた。
凛空に席を替われと迫った陽キャ男子も、そしてその陽キャ男子を応援する構えを見せていた磨鈴席周辺の連中も、磨鈴が放ったひと言に驚きの色を浮かべている。
これに対し磨鈴は、凛空席の傍らで愕然と佇んでいる陽キャ野郎に、鋭い眼光を投げかけた。
「わたし、そういうことするひと、大嫌い。そんな嫌いなひとに、隣に座って欲しくない」
「え……あ、いや、オレは別に……」
陽キャ野郎はしどろもどろになりながら、何とかこの場を誤魔化そうしている様子が伺えたが、しかし磨鈴の鉄仮面には僅かに不機嫌な色が張り付いたままだった。
一方、磨鈴の右隣に陣取っている長身のイケメン男子――神里亮輔が、どうして凛空に味方するのかという意味合いの遠回しな台詞を放ってきたが、これに対しても磨鈴は冷たい視線を容赦無く返した。
「だってさ……そいつ、どう見てもぼっちのオタク野郎だぜ? オレ達とウマ合う訳ねーじゃん」
「わたしが誰と友達になろうと、わたしの自由でしょ? どうしてあなたに、指図されなきゃいけないの? わたしが誰とウマが合うのかは、わたしが決めるわ。あなた達に、勝手に決めて欲しくないんだけど」
そこまでいい放つと、磨鈴は尚もぼーっと突っ立っている陽キャ野郎に再び視線を戻した。
まだここに居座るつもりかという強烈な非難の色が、その黒い瞳の中に宿っている。
耐えられなくなった感を漂わせ始めた件の陽キャ野郎は、悔し紛れと思しき台詞を返した。
「ちっ……わぁったよ。その代わり、後悔しても知らねえぞ。後になって、やっぱりオレの隣が良かったなんていってきても、替わってやんねぇからな」
「安心して。わたし、一度嫌いになったひとはそう簡単に好きになることはないから」
陽キャ野郎は尚も何かをいいかけたが、亮輔に諫められると、ぶつぶつ文句を垂れ流しながら自席へと去っていった。
一方、他の面々は何とも気まずそうな様子で、強張った笑みを磨鈴に向けていた。
「あ、あのさ、帝塚さん……その、気ぃ悪くしちゃったんなら、御免ね? その、あたしもさ、折角席が近いんなら、皆でわいわい楽しく出来た方がイイかな、なんて思っただけだから」
「そうね。じゃあ、皆で楽しくやりましょ」
磨鈴席の前に座る女子――中森由貴からの弁明に対し、磨鈴は眉ひとつ動かさずに、淡々と答えた。
すると今度は、凛空の前の席に座っている明るい髪色のギャル系女子が慌てて振り向いて、呆然としている凛空の顔を横から覗き込んできた。
「じゃあ改めて宜しくだね、南城。まぁ、アレだよね。案外、上手くいくかもだしね」
まだ幾分ぎこちない調子が残っているものの、前席のギャル女子――紅林美都奈は大きく目尻を垂れて、凛空の肩をぽんぽんと軽く叩いてきた。
凛空は、はぁどうもと会釈を返すしか出来ない。
正直なところ、美都奈と本当に仲良くやっていけるのかどうかについては、全く自信がない。少なくとも彼女はついさっきまでは、あの嫌な陽キャ野郎に味方していたのだ。
幾ら磨鈴にガツンとキツくいわれたからといって、こうも簡単に掌返しをしてくる様な相手を、おいそれと信じて良いものなのだろうか。
当分は、様子見しながら警戒するのが吉かも知れない。
(でも……やっぱり帝塚さんって、凄いんだな……)
凛空は教室全体から飛んでくる嫌な感じの視線を無視しつつ、磨鈴に向けてちらりと視線を送った。
彼女は凛空を救ってくれはしたが、しかし決して恩着せがましく振る舞う様なことはしなかった。その美貌は依然として表情の無い鉄仮面のままで、してやったりという雰囲気など微塵も感じさせない。
そんな磨鈴と一瞬、目が合った。
凛空は庇ってくれた礼として小さく会釈を送ったが、磨鈴は気にするなといわんばかりに小さく肩を竦めて、再び正面に視線を戻した。
これ程の無表情な彼女が、昨晩のラインではあんなにも大量のハートマークを連発させていた。
そう考えると、磨鈴は表の顔とは別の一面を持っているのかも知れない。
(……そういえば帝塚さん、やけにブラッドスローンにも詳しかったりするんだよな)
もしかすると、彼女は隠れファンなのか。
一部のキャラクターデザインを担当している凛空としては、磨鈴がプレイしている姿を想像しただけで、何となく晴れやかな気分になってきた。
(僕を助けてくれたひとの為にも……もっともっと魅力的なキャラクターを沢山デザインして、楽しんで貰いたいよなぁ)
磨鈴がブラッドスローン愛好家であるなどと勝手に位置づけながら、凛空はにやけそうになるのを必死に堪えた。
◆ ◇ ◆
そして、その夜。
凛空は自室に戻ったところで、またもや届いた磨鈴からの着信メッセージに思わず目を剥いてしまった。
席替えの際に助けてくれただけでも相当な感謝を覚えていた凛空だったが、よもや彼女の方から、
「大丈夫だった? あんなの、気にしないでね」
などとメッセージを寄越してくれようとは、全く思ってもみなかった。
通学鞄を放り出し、スマートフォンを両手で大事そうに目の前へと掲げた凛空。勿論、すぐにでも感謝の言葉を送らなければ失礼に値する。
「今日は、本当にありがとうございました。とても嬉しかったです」
今までの凛空ならば、こんな返事を送ってキモがられやしないかとビクビクしていただろうが、今回は素直に送信ボタンを押すことが出来た。
相手がスクールカースト最上位の美少女だろうが何だろうが関係ない。今の凛空は素直に、ただ感謝の念を伝えたいだけだった。
「本当に御免ね。今日のことは或る意味、わたしにも責任の一端はあるから」
磨鈴の隣にならなければ、あんな風に凄まれることも無かった、と彼女はいう。
しかしそれは磨鈴自身に責任がある訳ではない。
それでもこんな風に気を遣ってくれるというその優しさに、凛空はただただ嬉しさだけが込み上げてきた。
自分みたいな陰キャなぼっち野郎をここまで気遣ってくれるなんて――そう思うと、磨鈴の美貌が本物の天使の様に思えてきた。
今までの凛空の学生生活は、何かと暗いことが多かった。
しかし、今回は少しばかり期待しても良いかも知れない。
勿論、裏切られた時のことを考えれば怖い気がしないでも無かったが、しかしあの磨鈴だけは、絶対に凛空を突き放す様なことはしないのではないかと、そんな風に思わせる何かがあった。




