6.絵師は試される
あのラインでの一連のやり取りを受けて全く眠れなくなってしまった凛空は、ほとんど完徹に近しい状態で朝を迎え、のろのろと蠢くゾンビの様な体で登校した。
ただでさえ陰気で根暗な顔は寝不足の所為か、一層青白い死人面と化している。
クラスメイトはおろか、廊下を行き交う他クラスの生徒までもが不気味なものを見る様な顔つきを示し、アンデッド凛空を避ける態度や仕草を全く隠そうともしなかった。
一方の凛空も、自分がその様に忌み嫌われている状態であることなどまるで気にせず、そのまま自教室へと辿り着いた。
流石に何人かのクラスメイトは凛空の異変に気付いた様子を伺わせてはいたものの、しかし敢えて声をかけてくる様な猛者は居ない。
そういう意味では、凛空が死んでいようが生きていようが全く関係の無い一年D組の教室は、何ら変わらぬ平常運転だといえるだろう。
ところがそんな中で、磨鈴だけは少しいつもとは違った。
彼女は凛空が教室内に足を踏み入れると、その美貌には相変わらずの無表情が張り付いてはいるが、しかし視線は彼の動きを密かに追い続けている様子だった。
凛空の方はというと、磨鈴が自分を目で追っているなどとは露とも知らず、眠たい目をこすりながら漸く自席へと辿り着いた。
「そういえばさぁ、今日って席替えだよね。帝塚さん、どこに行っちゃうんだろうなー」
磨鈴を囲んでいるクラスメイト女子のひとりが、そんな台詞を口走っているのが聞こえてきた。
しかし凛空には全く、どうでも良い話だ。
例え席替えがあろうがなかろうが、凛空を取り囲む状況には何の変化も無いだろう。彼はいつでもぼっちで、周囲から浮き、常に孤立している。
その席位置が変わったところで、今までの状況に変化が起こる筈もない。
(兎に角今日は、居眠りだけはしない様に頑張らないと……)
凛空は通学路の途中にあるコンビニで買って来たドリンク剤をまず一本、空けた。他にあと数本、まとめ買いしてある。
この日は何とか睡魔を耐え抜き、無事に放課後を迎えることだけが唯一のミッションだ。
それ以外には特に、問題らしい問題は何も無い筈であった。
ところがこの日もまた、凛空の想定を遥かに上回る脅威が最後の最後で待ち受けていた。
六限目のロングホームルームで実施された、席替えである。
この席替えは完全なるくじ引き制で、誰がどの位置へ移るのかは須らく運だけに任されていた。
くじが入った箱は担任の教師が抱えて、ランダムに各列を廻ってゆく運びとなった。凛空は比較的最後の方で残り数枚となったくじのひとつを引いた。
(ふーん……窓際かぁ。ちょっとラッキーかも)
隅っこの席で、しかも一番後ろだ。これは上手くすれば、授業中でもイラストのラフ描きなどの内職が出来るかも知れない。
そんなことを思いながら、自分の机の上にひっくり返した椅子を乗せて、指定の場所へと移動してゆく。
他のクラスメイトらも一斉に動き出した為、教室内はいつも以上に騒がしい空気に包まれた。
やがて、大多数が新しい席位置に机と椅子を据えて落ち着き始めたところで、凛空は自身の隣の席に腰を据えた相手に愕然たる視線を向けた。
凛空の左隣は窓だが、逆の右隣には、鋼の姫が移動してきたのである。
最初は何かの冗談かと思った。
或いは、磨鈴が新しい席位置へ移動する為に、一時的にそこへ退避してきているのかも知れないと思った。
ところが実際は違った。彼女は間違い無く、凛空の隣の席がくじ引き結果による指定場所だったのである。
凛空は思わず、喉を鳴らした。
(は……はは……な、何で、こんな、ことに……)
数秒程度、頭の中が真っ白になった。
自分は試されているのだ――凛空は不意に、そんな神の啓示を聞いた様な気がした。
しかし、人生を諦めるのはまだ早い。磨鈴が隣の席になったからといって、今すぐにどうこうなる話ではないだろう。
少なくとも磨鈴自身から見れば、凛空は単に左隣に座っているクラスメイト男子という位置づけに過ぎない筈だ。彼女の視点では右隣にクラスでも屈指のイケメン男子が移ってきたし、更にいえば前や斜め前方にも陽キャ連中が陣取っている。
いわば、凛空はエアポケットの様なものだ。
凛空席と他の席の間には目に見えない壁が立ちはだかることになるだろう。
と、その様に必死こいて自分にいい聞かせた凛空。
そうでもしないと、頭が破裂しそうな気分だった。
「よぉ帝塚! 宜しく! オマエの隣だなんて、超ラッキーだわ」
「やったー、帝塚さんの近くだー。うれしー」
磨鈴の周囲では、明るい声が幾つも連鎖した。逆に磨鈴から離れてしまった他のクラスメイトらは、羨望や怨嗟の声をそこかしこで撒き散らしている。
凛空は、それら周辺の空気には一切触れず、ただ俯いて机の中の整理だけを進めようとしていた。
ところがそこに、別の席からひとりの男子生徒が近づいてきた。
「よぉ南城。おめぇ、そこでイイの? オレが替わってやろうか?」
明らかに磨鈴の隣の席狙いの陽キャ男子が、上から目線で見下す様な態度をちらつかせながら傍らに佇んでいた。
恩着せがましい口ぶりだが、これは明らかに、場所を替われという脅しだった。
「あ……えっと……」
凛空は、すぐには答えられなかった。
相手の顔が恐ろしい程に威圧的で、馬鹿にした様な嘲笑を浮かべている。この様な手合いに対し、どう対処すべきかが分からない。
一方、磨鈴の周囲に新たな席位置を得た他の面々は、にやにやと笑いながらこの光景をじっと眺めている。誰もが凛空の如き陰キャなぼっちが磨鈴の隣に居ることを、良しとしないと考えているのだろう。
この場の空気はもう完全に、凛空がハイと頷く以外に無い方向へと転がり始めていた。
ところが――。
「南城くん。動く必要、無いから」
磨鈴が艶やかな声を響かせ、周囲からの期待を真正面からぶった切った。




