5.絵師は迫られる
その日の夜、凛空は夕食を終え、入浴を済ませた段になっても変な緊張と興奮が全く収まらなかった。
日中、彼は鋼の姫からラインのID交換を申し入れられた為、全身から冷や汗を噴き出しながらも応じることにした。
そして現在。
自室の学習机に就いた状態で、凛空はスマートフォンを手にしたままじっと凝り固まっていた。
画面上には、磨鈴とのチャットスペースが表示されている。
ID交換直後に、彼女から、
「宜しくね」
という短いひと言が打ち込まれていた。これに対し凛空はまだ、返答を入力していない。
そもそも、自分なんかが気軽に鋼の姫とチャットで会話して良いものかどうか、大いに悩んでいた。
ここで下手に、
「こちらこそ宜しく」
なんて返そうものなら、後で他の陽キャ連中に知られて吊るし上げを喰らうかも知れない。
磨鈴は自クラス内のみならず、校内全体を見渡しても色々な学年、色々なクラスで相当に人気が高い。その、誰にも媚びない凛とした立ち居振る舞いが、多くの生徒らから支持を集めているらしいのだ。
そんな彼女に対し、自分なんかが個別チャットで馴れ馴れしくしていることが明るみに出てしまうと、もうその時点で凛空の高校生活は詰んだも同然であろう。
だから、ちょっとした挨拶ですら今の凛空には恐ろしくハードルが高かった。
かといって、何も返さずにシカトをかましてしまうのも、リスクが高い。それならそれで、鋼の姫を無視するなど何事かと罵声を浴びることになりかねない。
(あー、もう~……どうしたら良いんだよぉ……)
凛空は、泣き出したい気分だった。
そもそも磨鈴は、自分なんかとは絶対に関わりを持つことは無い相手だと思っていた。それだけに、ラインのIDを交換した後の対応など、全く何も考えていなかったのである。
(そ、そうだ……何か無難なリアクションだけ返しとけば……)
文字を打ち込むのではなく、絵文字や何かのスタンプで反応さえしておけば、無視したことにはならないし、馴れ馴れしく言葉を投げかけたことにもならない。
凛空は入力欄を開き、何か良さげなスタンプは無いかと手早く検索した。
が、どれも今ひとつピンとこない。既成の何かを送っても、馬鹿にしてるのかと思われる様な気がしてならなかった。
そこで、ひとつアイデアが浮かんだ。
(そうだ……僕が作ったオリジナルを返そう……)
凛空はブラッドスローンの登場キャラクターの中で、自身がデザインした某キャラクターのデフォルメイラストをスタンプ化したものを送り返した。
(これで、何とか誤魔化せたかな……)
自分の中で、ミッション完了の安堵感が漂って来た。
ひとつ大きな仕事を成し遂げたという気分が込み上げてきて、これで今夜はぐっすり眠れると思った。
ところが、信じられないことが起きた。
いきなりスマートフォンから、ラインのメッセージ着信メロディーが鳴り響いたのである。何事かと思って手に取ると、まさかの磨鈴からの着信だった。
自分でもびっくりする程に大きく目を見開いて、磨鈴とのチャット欄を慌てて開いた。
「さっきのスタンプ、どこで買えるの?」
予想外の反応だった。
鋼の姫が、あんなオタク丸出しなデザインのスタンプにこれ程の速さで食いついてくるなど、全く思いもしなかった。
が、どう答えれば良いのか分からない凛空。
あれは自分で作ったオリジナルで、ブラッドスローンを運営するゲーム会社で特別にスタンプ化して貰ったものだとは、流石にいえない。
実は他にも、凛空は幾つかのオリジナルスタンプを所持していた。今まで全く使う機会が無かったから完全に宝の持ち腐れと化していたが、出来栄えそのものは非常に秀逸だと自負している。
しかし今は、そんなことはどうでも良い。
磨鈴からの追及を如何にして躱すのかを、まず考えなければならなかった。
凛空はあれこれ考えた挙句、知り合いから特別に譲って貰ったという体で押し通すことにした。
「ちょっとした伝手があって、特別に頂きました」
取り敢えずこれで様子見だ――変な汗をかきながらスマートフォンをベッド上に放り出した凛空。
ところが十数秒もしないうちに、再びの着信音。
凛空は喉から心臓が飛び出る程に仰天した。
相手は矢張り、磨鈴だった。
「それ、わたしも貰える?」
思わず目を見張ってしまった凛空。何故彼女がここまでぐいぐい迫ってくるのか、全く分からなかった。
とはいえ、悪い気分ではなかった。
折角作ったオリジナルスタンプが、思わぬ形で日の目を見ることが出来そうだったからだ。
「良かったら、差し上げましょうか? 他にも幾つか持ってて、全部僕が頒布の権利を持ってますので」
と、ここまで返してみたところで急に不安になってきた。
もしかすると磨鈴は今頃、オタク如きが調子に乗るなと気分を害しているかも知れない。
やっぱりやめときゃ良かった――即座に後悔の波が押し寄せてきた。すぐにでもメッセージを削除してやろうかと思ったが、しかし生憎、既に既読が付いてしまっていた。
しかるに、磨鈴がこの後に示した反応は凛空の想定を遥かに上回るものであった。
「欲しい。是非、欲しい。全部、送ってくれる?」
何だか、物凄く見てはいけないものを見てしまった様な気分の凛空。彼は喉がからからに渇くのを感じながらも、頒布可能なオリジナルスタンプを片っ端から転送してやった。
(ど……どうなるんだろう、これ……)
もう生きた心地がしなかった。
あの鋼の姫と個別にやり取りしているという事実だけでも綱渡りな状況だというのに、まさかのオリジナルスタンプ贈呈。
自分は明日、学校から生きて帰れるのだろうかという強烈な不安が押し寄せてきた。
それからしばらく、磨鈴からの反応は無かった。
流石に呆れられたか、或いはオタクの本性がバレてキモがられているかのいずれかだろう。
これでもう、彼女とは完全に縁が切れただろうなと思いつつ、凛空はごろりとベッド上に寝転んだ。
それならそれで構わない。ぼっちながらも平穏なオタク人生に舞い戻ることが出来るのだから。
しかし、更に十数分が経過したところで、またもや磨鈴からの着信。
凛空は恐怖に青ざめながら、チャット欄を開いた。
そしてそこに、信じられない一文を見た。
「ありがとう」
文言自体は、シンプルな感謝のフレーズ。
だが、その最後に凛空は信じられないものを見た。
まさかのハートマークが、幾つも連続していたのである。
あの鉄仮面の美貌からは到底想像出来ない様な反応だった。




