4.絵師は所望される
翌日、凛空は指定されたイラスト一式を全て完璧に仕上げた上で、わざわざプリントアウトして学校へと持参した。
しかし、一体どうやって磨鈴に渡せば良いのだろうか。
朝のショートホームルーム前の休み時間、教室に辿り着いた凛空は戦々恐々とした面持ちで室内へと足を踏み入れた。
教室内のそこかしこにはいつもの如く、仲良しグループが輪を作って雑談に興じている。
磨鈴の周囲にも結構な人数が寄り集まっていたが、磨鈴は凛空が登校してきた瞬間に、その美貌をちらりと凛空の方へと向けてきた。
凛空はしかし、他の誰にも悟られぬ程度に会釈を送るのみで、それ以上は何もせずに自席へと向かった。
対する磨鈴も凛空に何かのモーションを送ることもせず、周囲の友人らとの談笑に興じたままである。
(どこかでタイミングを見つけて、さっと渡す方が良いのかな……)
そんなことを考えながら、今日の時間割に目を通した。
(あ、そうか……移動教室があるんだった。その時に、机の中にこっそり忍び込ませておけば良いか)
他のクラスメイトに見られるリスクも多少あるにはあったが、しかし今考えられる方法の中では、これが一番手堅いだろう。
凛空は柄物のクリアファイルに挟んだ完成品のイラスト数枚を、自身の机の中へと仕舞い込んだ。
そして、作戦実行の時はすぐに訪れた。
二限目が、化学室への移動教室となっていたのである。
他のクラスメイトらが次々と一年D組の教室を出て行く中、凛空は準備に手間取っている風を装いながらひたすらチャンスを待った。
やがて凛空以外の全員が教室から去っていたところで、彼は行動に出た。
自席の中からクリアファイルを抜き出し、そのまま一気に磨鈴の席へと急行して、彼女の席の中へと手早く突っ込んだ。
磨鈴に対しては事前に何の連絡もしていなかったが、きっと彼女ならすぐに気づくだろう。
これで無事にひと仕事終えることが出来た凛空は自由の身となって、化学室へと続く廊下を歩いていった。
後は磨鈴が上納品を受け取ってハイ終わり、となる筈だ。
スクールカースト最上位の超絶美少女が、凛空の如き最底辺のぼっちと関わることなど、本来ならばあり得ない筈なのだ。
それが今回はたまたま例外的に、彼女の気まぐれか何かでちょっとした奇跡が起きた様なものである。
これから先は再び、何の変哲もない静かで孤独なぼっちライフが再開されることとなるだろう。
少しばかり残念な気分ではあったが、しかし決して惜しいなどと思ってはならない。そんな感情を抱くことすら許されないのが、凛空の立ち位置だ。
(まぁ……あんな綺麗なひとに何かをお願いされたことがあるってだけでも、僕の人生、少しはマシなものになるんじゃないかな……)
ほんのささやかな幸福を、僅かに堪能することが出来た。
それで十分だろう。
そんなことを思いながら、化学室での授業を終えて一年D組の教室へと引き返した凛空。
残りの時間割は全て同教室内での授業ばかりだから、後はずっと自席に張り付いて放課後になるのを待てば良い。
この日の凛空は、午前中の早い段階で最大のミッションを終えた。
もうこれ以上は非日常のスリルを味わうことも無いだろう。
そう信じ切っていた凛空だったが、この日も彼は想定外の事態に見舞われることとなった。
無事に六限目を終えて帰宅準備を進めていた凛空だったが、ふと誰かからの視線を感じて面を上げると、同じく帰り支度を整えていた磨鈴と目が合った。
そして彼女は他の面々には悟られぬ様にと気を遣ったのか、動きを抑えた手つきで廊下を指差してきた。どう見ても、凛空に対する指示だった。
(え……嘘……まだ何かあんの……?)
凛空は全身に冷や汗が噴き出すのを感じながら、磨鈴の後を追う形で誰も居ない渡り廊下へと足を急がせていった。
(もしかして……望んでたクオリティじゃなかったのかな)
しかし凛空は昨晩、自身が持ち得る最高の技術を駆使して指定されたイラストを仕上げた。
もっといえば、今回磨鈴がイラストを依頼してきたキャラクターは全て、凛空自身がデザインを担当したものばかりだった。
それ故、出来栄えには絶対の自信があった。
にも関わらず、磨鈴は敢えて凛空を個別に呼び出してきた。
何か、粗相をやらかしてしまったのだろうか――凛空は恐怖に震えながら、渡り廊下で待っていた磨鈴と対峙せざるを得なかった。
先に到着していた磨鈴は、周囲に他者の気配が無いことを確認してから、音も無く凛空との間合いを詰めてきた。
(ヤバい……僕、もしかしてここでブチのめされる?)
この時ばかりは覚悟を決めた凛空。
ところが磨鈴がその直後に見せた反応は、全く予想外のものだった。
「南城くん……どうも、ありがとう。あんなに凄いイラストをひと晩で描いてくれるなんて、わたし、凄くびっくりしたよ」
能面の様に無表情ながら、磨鈴の瞳の中には僅かながら喜色が伺えた。
彼女がこんな反応を示すなど、正直かなり意外だった。
てっきり、この場でボコボコに叩きのめされるとばかり思っていた凛空は、全身から力が抜けてしまう様な想いだった。
「南城くんって、本当に絵が上手いんだね……まるで、プロみたい」
凛空は一瞬だけ顔面蒼白になったが、すぐに安堵の吐息を漏らした。
プロであることがバレてしまうかもと警戒していたのだが、磨鈴は上手く勘違いしてくれた様だ。
しかしこの直後、更に思わぬ事態が生じた。何を思ったのか、磨鈴はいきなり自身のスマートフォンを取り出して、凛空の目の前に突き出してきたのである。
何が何だかさっぱり分からない凛空は、目の前の超絶美少女の面を唖然と見つめるばかりだった。
「……ほら、早く出してよ。きみ、ラインぐらい、やってるんでしょ?」
「……え? 僕の、ID、ですか?」
信じられない話だった。
磨鈴は凛空と、ラインのID交換を望んでいるらしいのだ。
到底、あり得ない話だった。




