2.絵師は離脱する
やがて、お待ちかねのロングホームルームの時間がやってきた。
まずは担任教師の自己紹介から始まり、次いで生徒各個人の自己紹介タイムへと流れてゆく。
所謂陽キャと呼ばれる連中は明るくて大きな声音で名乗りを上げ、更にはウケを取ったり、拍手喝采を浴びる様な素晴らしい口上で教室内を大いに盛り上げていった。
そんな中で凛空は、低い声と陰気な表情でぼそぼそと語るのみで、この時だけは妙に室内がしーんと静まり返っていた。
(うん、そうだよね。知ってた。僕の時はみーんな、盛り下がるよね)
内心で自虐の笑みを漏らしつつ、それでも何とかやり過ごすことが出来たと静かに胸を撫で下ろした。
こういう場では、自分の様な陰キャは下手に目立とうとしない方が良い。迂闊な真似をすれば、冷ややかな視線の集中砲火を浴びるだけである。
陰キャは陰キャらしく、陽キャ連中の隙間に小さく潜んでいれば、それで良いのだ。
ともあれ、ひとつの苦難を乗り越えたところでいよいよお楽しみのお絵描きタイムだ。
凛空は、ほとんど誰も自分には視線を流していないのを良いことに、無地のルーズリーフを取り出して音も無くペン先を走らせ始めた。
時折、前を向いて座っている磨鈴の美貌をちらちらと見遣り、密かにデッサンを進めてゆく。
そうしておよそ10分、無心に描き続けて遂に完成させた。
ほとんどラフといって良い雑な代物ではあったが、これはこれで十分に一枚のイラストだと胸を張っていえるだけの価値がある。
それ程に、磨鈴をモデルとしたこのイラストの出来は、自分の中では秀逸だった。
(よし……家に帰ったらもっと良いものに仕上げてやろう……)
凛空はひとりほくほく顔で、晴れやかな気分を満喫していた。
その後、ロングホームルームはお開きとなり、この日は午前中で下校時間を迎えた。
ほとんどのクラスメイト達は互いに誘い合って、カラオケに行くなりファミリーレストランでお喋りするなどの時間を楽しむのだろう。
しかし凛空はさっさと帰宅し、先程仕上げた絵を更にブラッシュアップさせて、デジタルの世界に降臨させたいと願った。
(きっと、良い絵になるぞ……)
そんなことを思いながら一旦トイレへと向かい、用を足してから教室へと戻った。
後は帰り支度を済ませて、すぐにでも帰路に就くばかりである。
ところがここで、思わぬ事態に遭遇した。
「おー、すげぇなコレ。誰が描いたんだろ?」
「うわ、マジか、めっちゃ上手ぇじゃん。プロ並みじゃね?」
そんな声が、ちらほらと聞こえてくる。
この時凛空は、何故か嫌な予感に見舞われていた。
教室の一部で何人かの男女が固まって、わいわい騒いでいる。
その姿を横目に見遣りながら凛空はノートや配布された教科書を次々と通学鞄の中へと突っ込んでいったのだが、途中で思わず手が止まった。
あの絵が、無かった。
確かにノートの間に挟んでおいた筈の、会心の出来のラフスケッチが姿を消していたのである。
「なぁ、この絵ってさぁ、帝塚に似てね?」
騒いでいる集団の中でひとりの男子が、凛空の肝を冷やす様なひと言を放った。
まさかと思ったが、しかし恐らく間違い無い。
今、彼らが騒いでいるのは、凛空が描いたあの絵に対してであろう。
これは拙いことになった――しかし凛空には、それは自分が描いたものだと胸を張って声をかける自信が無かった。
あんな陽キャ連中にこちらから声をかけるなど、恐ろし過ぎて考えたくもなかった。
ところがそんな凛空の恐怖心を嘲笑うかの様に、男子のひとりが不意に凛空の席へと面を向けた。
「もしかして、あの南城って奴が描いたんじゃね? ほら、あいつ見た目からしてオタクっぽいじゃん」
その瞬間、凛空は全身が凍り付いた。
面には不自然な程の強張った色が張り付き、恐怖に彩られた目を大きく見開いてしまった。
(拙い……拙い拙い拙い! このままじゃ、僕……絶対、吊るし上げられるよ!)
中学の時のあの絶望感が蘇ってきた。
まさか高校に入ってまで、再び地獄を味わうことになるのか。
心臓がばくばくと高鳴り、今にも全身から冷や汗が噴き出しそうになっている。
ところが別の男子が、そりゃあねぇだろうと嘲る様な笑みを漏らした。
「こんだけ上手いんなら、描いた奴はもっと自信たっぷりなんじゃね? あんなオタク野郎みてぇに、ビビりまくりでキョドってる奴なんかじゃねぇと思うよ」
すると他の男子らも、確かにその通りだと納得して頷き、興味を失った様子で凛空から視線を外した。
凛空としては結果的に助かったものの、何だか凄く悲しい気分でもあった。
何だか、もう居たたまれない気持ちが込み上げてきた。凛空は悔しさを押し殺しながら、手早く帰り支度を進めた。
残念だが、あの絵はもう諦めよう。どうせ持ち帰っても、デジタルで新たに描き起こした時点で破棄するつもりだったのだ。
若干惜しい気もするが、また描き直せば良い。
そう自分にいい聞かせて、兎に角一刻も早くこの教室から去ろうと思った。
ところが――。
(……え?)
どういう訳か、件の集団のすぐ傍らの席で静かに腰を下ろしていた鋼の姫――磨鈴が、じぃっとこちらを見つめてきていたのである。
その氷の如き視線には、何かの意思が感じられた。
凛空は背筋に冷たいものを感じて、慌てて目を逸らせた。そして、わいわいと盛り上がっている陽キャ連中の声を背に受けながら、そそくさと教室を飛び出していった。
どうして磨鈴が、あんな目つきで自分なんかに視線を送っていたのか。
或いは、もしかするとバレてしまっていたのか。
(いや……違う。絶対に、そんなことは、ない。僕は根暗で陰キャなぼっちだ……あんな綺麗なひとが、僕に何かの意思を向けるなんて絶対、あり得ないから……)
そう自らにいい聞かせて、凛空はひたすら足を急がせた。




