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16.絵師は挑戦する

 PC作業室は、重苦しい空気に包まれていた。

 対戦式コンテストの結果は、漫画研究部に軍配が上がった。

 デジタルイラスト研究会はこれまでの活動場所であるこの部屋を、漫画研究部へ早急に明け渡さなくてはならない。

 しかしPC作業室の他に、デジタルイラスト制作が可能な部屋はどこにも空いていない。

 美術室は美術部の部活部屋に指定されているし、情報処理学習室は漫画研究部の第一部室となっている。

 つまり、現時点でデジタルイラスト研究会がイラスト制作の為に使える部屋はどこにも無いという訳であり、今後の同好会活動は事実上の停止に追い込まれることになる。

 これは、デジタルイラスト研究会の解散を意味していた。


「皆、ありがとう……本当によく、頑張ってくれたよ」


 田嶋会長は努めて明るく振る舞っている様子だった。が、飯塚副会長も杏奈も、そして磨鈴も、その表情は暗く沈んだままだった。


(こればっかりは、どうしようも無いよな……)


 凛空だけはひとり冷静に、結果を結果として受け止めている。

 いい方は悪いかも知れないが、高校の同好会がひとつ失われたぐらいでは、S-Rickとしての活動には何ら影響を与えないのである。

 田嶋会長らには、この結果はもう潔く受け入れて貰うしかない。

 その一方で気がかりなのは、磨鈴の今後と彼女の精神状態だ。

 磨鈴は大好きなブラッドスローンの為に、イラスト技術を是非身につけたいと意気込んでいた。従弟に上手くなった絵を披露したいと、僅かな喜色を滲ませて静かに語っていた。

 しかし今、彼女のそのささやかな望みは絶たれてしまった。磨鈴は相変わらずいつもの無表情な鉄仮面ではあるが、その瞳には失意の色が見え隠れしている。

 自分の所為で負けたという責任感も、少なからず彼女の心を蝕んでいるかも知れない。

 それだけが、凛空の心残りであった。

 と、そこへ桜庭部長率いる漫画研究部員が数名、PC作業室へと姿を現した。部屋の引き渡し手続きを進める為であろう。


「やぁ、皆さんお揃いだね。じゃあ早速、この部屋の引き渡し手続きを進めていこうか」


 これに対し田嶋会長が、既に記入済みの利用届けと部屋の鍵を卓上に並べた。

 後は桜庭会長が自筆でサインし、鍵を受け取れば手続き完了である。

 この時、凛空はちらりと磨鈴の美貌を横目で盗み見た。

 磨鈴は沈痛な面持ちで唇を強く噛んでいる。彼女がここまでの感情をあらわにするところを、凛空は今まで見たことが無かった。

 そしてその瞬間、凛空は半ば衝動的に声を上げていた。


「あの……ちょっと良いでしょうか」

「ん? まだ何かあるのかい?」


 利用届けに引き継ぎ者としてのサインを書き込もうとしていた桜庭部長の手が止まった。彼は、凛空に面を巡らせて不思議そうに小首を傾げている。


「あの……対戦式コンテストって、確か個人と団体間でも成立するんでしたよね?」

「うん、それはそうだけど……何か勝負したいことでもあるのかな?」


 ここで凛空はごくりと息を呑んだ。

 自分からこんなことをいい出すなんて馬鹿げているし、何のメリットも無い――だが、磨鈴のあの辛そうな顔を見ていると、この衝動はどうにも抑えようが無かった。


「じゃあ、僕が今ここで、ブラッドスローン遊戯会っていう同好会を立ち上げますので、この部屋の使用権を賭けて対戦式コンテストに応じて頂けないでしょうか?」


 そして凛空が勝てば、PC作業室を新しい同好会に使わせて欲しいと申し入れた。

 これに対して桜庭部長は、しばし腕を組んで考え込む仕草を見せた。


「……君が勝てばこの部屋を使えるというメリットはあるんだろうけど、うちが勝った場合のメリットは?」


 桜庭部長からの反問に、凛空は言葉が詰まってしまった。いわれてみれば、こちらから差し出せるものが何も無い。

 さて、どうしたものかと考え始めたその時、不意に磨鈴が声を上げた。


「もし南城くんが負けたら……その時はわたしが、漫研に入ります」


 思わずぎょっとしてしまった凛空。

 何故ここで磨鈴が、自らの立場を漫画研究部側へのメリットとして差し出そうなどと考えたのか。

 すると磨鈴は、ほんの僅かに表情を和らげて凛空に面を向けた。


「南城くんが頑張ってくれるなら、わたしも彼に協力したいと思いました。不足でしょうか?」

「……いや、とても魅力的な提案だね……良いよ、受けるとしよう」


 桜庭部長はペンを置いて立ち上がった。

 その面には自信満々の笑みが溢れている。もう既に勝負あったという顔つきだった。


「対戦方法は、そうだね……ライブドローイングはどうかな?」


 これは衆目の前で、イラスト制作過程を公開する対決方法だ。講堂のスクリーン上にふたりがイラストを描く画面を投影し、制限時間内でどこまで仕上げられるかを競う方式だった。


「制限時間は30分。その時間内に、より完成度の高いイラストを描いた方が勝利。勿論ジャッジはギャラリーに任せるから、完全に第三者による採点ということになるね」

「ありがとうございます。是非それで、お願いします」


 凛空は深々と頭を下げたが、桜庭部長は余裕の笑みを浮かべてかぶりを振った。


「いやいや、感謝するのはこっちの方だよ。そちらから鋼の姫を差し出してくれるんだから、これ以上に美味しい話は無いね」


 桜庭部長は現時点で既に勝利を確信している様子だった。

 それも、無理からぬ話であろう。彼はブラッドスローンの二次創作同人誌界隈では、相当な実力者だ。自分が負ける筈はないという確固たる自信を抱いていても、おかしな話ではない。


「では、対戦は明日の放課後で良いかな?」

「はい。是非宜しくお願いします」


 ここで凛空はもう一度頭を下げた。

 そんな彼に余裕の笑みを返しながら、桜庭部長はPC作業室を辞していった。

 それからややあって、田嶋会長や飯塚副会長、更には杏奈までが驚き慌てて詰め寄ってきた。


「南城クン……キミ、本当に良いのか? このままじゃ帝塚さんが漫研に入ることになるよ?」

「そうだよ……今からでもすぐに追いかけて、取り下げて貰った方が良いんじゃない?」


 口々に心配そうな台詞を並べたてる先輩三人。

 しかし凛空はそれらの声には答えず、ただ磨鈴の美貌にだけ視線を流した。

 磨鈴は、力強く頷き返してきた。

 彼女はどうやら、凛空の勝利を信じてくれているらしい。


(正直、デジタルイラスト研究会の存続についてはどうでも良いんだけど……でも、帝塚さんの為なら、僕も一肌脱がせて貰うよ)


 凛空にとって磨鈴は、高校生活始まって以降最大の恩人だ。

 その彼女の為にも、絶対にこのPC作業室は取り戻したいと願った。

 これはいわば、大恩ある磨鈴への忠義だった。

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