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鴉の騎士  作者: 詩から歌詞
7/43

【7話】 大事な話

 

 ペースを上げてから三十分くらいたっただろうか。

 ダンジョンの敵もだんだん強くなり始めた頃、脇道の奥に少し広い部屋を見つけた。

 敵はおらず、閑散としている。

 恐らくここが目的としていた安全な部屋だろう。


「……ここなら、大丈夫そうね。アイシス、魔法で封じるから、中へはいって」


 そう言うとネルは剣をしまい、ポケットから小さな魔石を取り出した。

 魔石には簡易的な魔法陣が刻まれている。


「光よ、隠して守れ」


 短めの詠唱。

 すると光の壁が現れ、部屋の出入り口を遮断した。


 これは【ハイド】という、耐久性のある光の壁を産みモンスターから部屋を見つかりづらくする魔法だ。

 ダンジョンに長く滞在するなら必須級の魔法で、価格も安く冒険者からは重宝されていた。

 防音の機能もあるので、密談をするときにも使われたりする何かと便利な魔法である。


「さて、それじゃ休憩にしましょうか」

「うん、そうしよう」


 二人は部屋の中央に腰を下ろした。

 ふぅーと一息を着いてリラックス。緊張の糸は緩み、安堵が胸に広がった。

 まるで実家のような安心感が二人を包む。

 緩みきった空気に流され、このまま有耶無耶になってしまわぬよう、アイシスはさっそく話を切り出した。


「それで、さっきの話なんだけど」

「……あ! ああ、大事な話ね! うん、わかった。ちゃんと聞くわ!」


 しゅばばっ。

 ネルは崩していた姿勢を正してその場に正座した。

 朱色に染まった頬は、何を期待しているのか。


「今からするのは僕の家族。僕の兄さんの話なんだけどね……」

「……ふぇっ? お兄さん?」


 思っていたのと違うセリフに、ネルは間抜けな声を上げた。


「うん、僕の兄さんの事でちょっとネルに話したいことがあるんだ。最後まで、聞いてくれると嬉しいんだけど」

「あ、そうよね! 家族の話よね! わわっ、わかったわ! どうぞ話して!」

「うん、それじゃ。まず、僕の家の事から話そうかな……」


 勘違いに気づいて狼狽えるネルに向けて、アイシスはぽつりぽつりと話し始めた。

 自分が隠してきた秘密、その全てを。


 クロウディア家の事情。

 二人の兄の強さが群を抜いていることや、自分が二人に比べ明らかに劣っていること。

 そして、それを理由に兄たちから虐げられてきたこと。

 自分が抱えている不安や、本当は兄のように強くなりたいと思っていること。

 ネルや兄たちのように強くない自分が恥ずかしい、そう思っていること。

 弱いお前は生きる価値のない人間だと、兄から言われたこと。


「僕は、本当は生まれてくるべきじゃなかったのかもしれない……」


 そんな言葉が、アイシスの口からぽろりと零れる。

 今まで黙っていた心の奥底の部分を全て吐露し、洗いざらい全てを語った。

 普段は見せず、ずっと隠してきた心の黒い部分。アイシスの本当の心。

 兄たちに毒され、歪んでしまった彼の全てを。


 どれくらい時が経っただろう。

 全てを話し終えた時。

 黙って聞いていたネルの一言目は、心の底から漏れたような静かな怒りの言葉だった。


「……最低だわ」


 眉間に皺を寄せ、虚空を睨みつけ。放ったセリフはトゲのように鋭い。

 アイシスはそれが自分に向けられた言葉だと思い、下を向いてしまう。


(やっぱり、話すべきじゃなかったかな……)


 人に弱さを見せることは、時に嫌われる原因にもなり得る。

 アイシスはネルの言った言葉が自分に向けられたものだと思った。


 だけどそれは違う。

 ネルが怒っているのはアイシスではなく彼の兄に対してだ。

 自分の好きな人を愚弄され、あまつさえ自分に生きる価値が無いとさえ言わせた彼の肉親に、少女は激昴した。


「さいっっていの、兄貴じゃないッ!」


 ヒステリックな叫び声が部屋に木霊する。怒りで興奮している彼女は泣きそうな顔をしているアイシスに、まくし立てるように続けた。


「アイシス、よく聞きなさいよ? あんたは才能が無い人間なんかじゃないわ! 誰よりも輝くべき、美しい人間のはずなの! それを生きる価値が無いなんて、そんな馬鹿なことがあるわけないでしょ!」

「ネル……?」


 がしっ。ネルは力強くアイシスの手を握り、願うように額に近づけた。

 そして、熱く輝く最大限の肯定を彼に向けて語りかける。


「あんたはね、私の光なの。弱いなんて嘘。あんたはずっと私の憧れだわ。誰かがあんたを否定しても、私がその何百倍も肯定してあげる。あんたはそれぐらい価値のある人間なの。だから、生まれてくるべきじゃなかったなんて。そんな悲しいこと、言わないでよ……」


 ─────ぽと。


 彼女の目から一筋の涙が伝って零れた。

 自分の為ではなく、アイシスの為に流した涙が。

 床に落ちた一雫。

 彼が彼自身を否定することがネルには許せない。

 なにより好きな人がこんな思いを抱えていたのに、何もしてやれなかった自分が。

 彼女は許せなかった。


「……」


 涙を流す女の子を前に、アイシスはただただ驚いていた。

 彼女が泣いているその訳を、目の前で聞かされたから。


(君は僕の為に、泣いてくれるの?)


 悲しむことなんてもう辞めた。罵倒と恐怖に耐えるために感情など押し殺したはずなのに。

 とっくの昔に枯れ果てたはずの涙を、彼女が代わりに流してくれたのだ。


 これ以上嬉しいことがあるだろうか。

 胸に暖かい感情が飽和し溢れた。ボロボロと崩れ落ちる喜びは、心の器を満たして零れる。

 気がついたら、アイシスはネルを。

 目の前で自分の為に涙を流す彼女を、強く抱きしめていた。


「えっ、アアアアア、アイシスッ!?」

「……ありがとう、ネル……ありがとう……」


 にやけてしまう頬を隠すように、ネルの首元で感謝の言葉を囁く。

 ぎゅっと首に回した腕に力を込めて、彼が今伝えられる精一杯の感謝を示した。


 言うまでもなく、急に抱きつかれたネルの思考回路はショート。

 ぶっ壊れた機械のように頭から煙を吹いていた。


 しばらくして、アイシスが身体を離した後も、彼女は放心して動かない。

 よっぽど衝撃的な感触だったのだろう。

 アイシスは改めて、そんな彼女に感謝を伝える。


「ネル、本当にありがとう。あと、今まで黙っててごめん。ネルに嫌われるのが怖くて、言えなかったんだ……」

「ばっ、馬鹿ね。私があんたを嫌いになるなんて、例え天地がひっくり返っても有り得ないわよ」

「うん、ありがとう」


 嘘偽り無い言葉にアイシスは、本当に話してよかった、そう思った。

 ネルは涙を拭いて立ち上がる。そしてグイッとアイシスに顔を近づけて。


「アイシス、これから言うことをよく覚えておいて。私はあんたの友達なんだから。悩みがあるなら話して欲しいし、苦しい時は助けてって言って欲しい。どんなくだらないと思うことでも、必ずあんたの力になるわ」


 誰よりも男らしくそう言った。


「……うん、わかった。その言葉、忘れないよ」


 アイシスの返答に満足そうに頷くネル。部屋の中は静寂に包まれる。

 その言葉はアイシスにとってどれほどの力になっただろう。


 彼の心を覆う殻に今、一筋の亀裂が入った。

 少しづつ、近づいている。彼が自分のことを信じられる日が。

 彼が大事なものを護るために刃を抜く日が。

 それをアイシス自身も、どこかで感じていた。


 今はただ、彼女から貰った言葉を大事に抱えていたい。

 アイシスはその思いを胸に留め、少しはにかむのだった。


「……よしっ、じゃ気合い入れて最深部まで行くわよ!えい、えい、おー!」

「お、おー?」


 充分に休憩をしたあと。

 妙にテンションの高いネルの一声で、探索は再開された。


 ハイドを解除し、元の通路へ戻る。

 モンスターは見当たらず辺りは閑散としていた。ダンジョンに二人の足音が響く。

 しばらく歩くとモンスターがまたちらほらと出てきたが、目新しいものはおらず。


 ネルとアイシスはモンスターたちを楽々と薙ぎ払っていく。

 結局、二人が満足出来るようなモンスターは出てこないまま、ダンジョンに入って約二時間半が経過した。


「あとどれぐらいで最下層にたどり着くかな?」

「うーん、もうそろそろ着いてもおかしくないはずなんだけど……あ、着いたみたいね!」


 ネルがそう言って指さしたのは、円形のだだっ広い部屋だった。

 ダンジョンの最下層、その最深部にあたる場所。


 ここには元々、守護者と呼ばれる宝を守る大型モンスターがいたのだが。

 他のモンスターと違い守護者は蘇ったりしないため、一度倒したらそれっきり。このダンジョンの開拓者が倒してしまえば、たとえ二番目にここへ到達したとしても、守護者はおらず、ただもぬけの殻になった部屋があるだけ。

 だから、探索が終わったダンジョンというのは何とも呆気なく終わってしまう。もちろん宝もなく、あるのはただ登りつめたという満足感だけだ。


「明日の稽古の準備運動にはなったわね。アイシスも楽しかったでしょ?」

「うん、結構面白い戦い方が出来たよね。久しぶりにネルの剣も見れたし、満足だよ」

「やっぱり誘ってよかったわ。まぁ、アイシスも色々あるだろうけど、本当に苦しくなったらいつでも頼りなさいよ!」

「うん、ネル。本当に頼りにしてるからね?」

「ま、任せなさいっ!」


 胸に手を当て、自信を表明するネル。

 アイシスは頼りにしてると言った反面、彼女に無理で危ないことはさせられないなとそう思った。


 ネルは熱くなると周りが見えなくなり、一人で突っ走ってしまうことが多々ある。

 それをアイシスは良く知っていた。

 もしサロメと彼女が出会い、自分が一言助けてと言えば彼女は戦うだろう。

 己が傷つくのも顧みず、自分を助けようと無謀な勝負にも挑むだろう。


 ネルは確かに強い。だが、サロメはさらにその数段上にいる。

 戦えば、彼女の敗北は免れない。


(もしそうなったら、僕はどうするんだろう)


 アイシスはその場面を想像してみたが、ネル共々ぶっ飛ばされる運命が浮かび、すぐに頭を横に振った。そんな日が来ないことを願うばかりだ。


「さてさて。お宝も無いことがわかったし、さっそくポータルで外に出るわよ」


 ネルはそう言って部屋の奥へと歩みを進めた。

 ダンジョンの最深部、その奥にはポータルと呼ばれる特殊な扉が存在している。

 この扉は魔力によってで開通する不思議な通路で、その出口はダンジョンの入口へと繋がっている。魔石をはめ込むと起動するようになっており、ここを開通したということはダンジョンを制覇したことにもなる、言わば到達の証のようなものだ。


 ネルは魔石をはめて、ポータルの開通を試みる……が。


「あれ、おかしいわね。開通しないわ……」


 魔力を送り込むも、ポータルは一切の反応を見せず、何故か起動しない。

 アイシスと二人で何回か試してみたが結果は変わらない。灰色の扉は黙りこくったままだ。


「仕方ない、使えないんじゃ歩いて帰るしかなさそうね。アイシス、体力は大丈夫?」

「うん、行きと同じ時間なら持ちそうだよ。それにしても、なんで使えないんだろうね。ポータルが壊れるなんて、聞いたことないけど」

「……アイシスッ!」

「ん?」


 がしっと、ネルはアイシスの手を掴んだ。

 それは反射的なものだったのか、それとも意図的に掴んだのか。

 それはわからないが、警戒の意思表示にはなっただろう。

 ネルの険しい表情を見て、アイシスにも緊張が走る。


 彼女は振り返った瞬間、確かに違和感を感じたのだ。

 初めは得体の知れない違和感だったが、冷静に部屋を見渡すとその正体はすぐにわかった。


「来た道が、無くなってるわ……」


 この部屋に入った時の通路、その入口が完全に封鎖されていたのだ。

 音もなく現れた壁が二人をこの空間に閉じ込めた。

 動かないポータル、塞がれた出口。

 言い表せない恐怖が、二人の胸中に渦巻く。

 だが、閉じ込められた理由はすぐに明かされることとなった。


「ネル、あれ!」


 アイシスが指さしたのは部屋の中央。

 そこがボコボコと、まるで水のように波打ち始めたのだ。

 それはダンジョンがモンスターの死骸を食らう時の現象によく似ている。

 そしてまるで食べたものを吐き出すかのように、波打つ場所から一本の大きな腕が姿を現した。


「誰かの悪戯……ってわけでもなさそうね。アイシス、戦う準備はいい?」

「うん、僕は大丈夫。やっぱりあれ、魔物だよね?」


 黒い鎧に身を包んだ、まるで騎士のような風貌。

 右手に持った大剣はアイシスの身長程ある。

 あれを喰らえば一溜りもないだろう。


 黒騎士の全身が露わになった時。

 二人が感じたのは、明確な恐怖だった。


「……ッ!?」


 アイシスの全身が、悲鳴を上げて危険信号を放った。

 ぞわぞわと得体の知れない何かが肌の下を這うような、そんな感覚。

 アイシスがそうなってしまうのも無理はない。


 地面から這い出た謎の黒騎士は。

 見ただけでわかるような、()()()()()()を纏っていたのだから。


 ネルでさえ、奴の持つ膨大な力に自分の目を疑った。

 カルドリザードなど話にならない。

 B級、もしくはA級の魔物と言われても納得がいく、それほどの強さだ。

 深淵から這い出た、底冷えするような視線が二人を捉える。


「……嘘でしょ?」


 対峙するまでもなく分かってしまう敵の強さに唖然とする二人。


 このダンジョンに並々ならぬ異常事態が起こっていることは明確だ。


「ネル、コイツ! どうみてもD級の魔物じゃないよ!」

「下がって! コイツは……私ひとりで何とかする!」


 たらり、ネルの額から一筋の汗が垂れた。彼女から先程までの余裕は感じられない。

 剣を持つ右手に力が入り、血管が浮き出ている。


 いつもは師匠が戦うような強敵を一人で倒そうと言うのだから当然か。

 死の恐怖が、彼女の身を震わせる。


 戦いとは、いつも死と隣り合わせだと、師匠が教えてくれた。

 その意味を身体で実感している。

 遠足気分は一転、D級ダンジョンが一瞬にして戦場へと変貌した。


 恐怖が身を支配し、心はグラグラと揺れ始める。

 だが、少女は逃げない。

 守るべきものと、譲れないもの。

 二つの要が彼女の心を繋ぎ止めるのだ。


「……アイシス、これを持ってなさい」


 そう言ってネルはポケットから、緑色に光る石を取り出した。内側からかなりの魔力が感じられるその石をアイシスは受け取る。


「これって、魔石?」

「テレポートの魔石よ。一人分のね」


 【テレポ―ト】という魔法は魔法陣に書き込まれた地名の場所に、瞬間移動ができるという効力を持っている。

 これがあれば、一瞬でこのダンジョンから抜け出すことができるのだが。


「ネル、君もこれを?」


 その質問にネルは答えない。ただ黙ってアイシスの目を見つめている。

 この魔石はエグリードが有事の際に使うようネルに持たせていたものだが、非常に高価でエグリードでも一つ買うのが精一杯だった。

 今アイシスが持っているものがそれだ。


 つまり、この場から逃げることが出来るのは一人だけ。

 街へ戻って助けを呼んでも、ここに来るまでに二時間はかかるだろう。

 適わなかったとしても助けてもらうのは絶望的だ。


「私がもし、アイツに殺されたときは……あんたはそれを使って一人で逃げなさい」


 その言葉を聞いたアイシスが納得するはずもなく。


「そんなの嫌だ! ネルが戦うなら、僕も戦うよ!」


 そう言って剣を抜いた。それを見たネルは優しい顔で彼を諭す。


「大丈夫。あくまで保険よ、保険。悪いけどアイシスがいたら足でまといになる。それに、私が簡単に負けると思う?」

「それは、思わないけど……」

「でしょ? 安心して。私はこんなところでくたばるタマじゃないわ。必ずアイツに勝って二人で帰る……約束よ」


 ネルはそう言って、小指を差し出した。アイシスも差し出された小指に、自分の小指を絡める。

 固く結ばれた小指、それは気休め程度の誓いだろう。


「絶対、死んじゃダメだよ」

「百も承知よ」


 指を解いたネルはニヒルに笑った。そして、勇ましく奴の元へ歩き始める。


「さぁ、かかって来なさいよ……!」


 抜いた大剣を構え、斜に構える黒騎士に向かってネルが吠えた。

 そして、それに応えるように奴も大剣を振り上げる。

 D級ダンジョン、その奥地。

 一人の少女が挑む死闘の火蓋は今、切って落とされた。



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