【5話】 友と好意
アイシスがサロメに殺されかけた夜から二日後。
前回と同じテーブルで、アイシスとダリスはオレンジジュースを飲んでいた。
別に相談事がある訳では無いので両者自腹だ。
ギルドは相変わらず、依頼を受けに来た冒険者で溢れており。
賑やかな喧騒の中でのんびりとお茶する二人はかなり浮いて見えた。
二人にとってはいつもの事なので、人の視線は気にせずリラックス出来ている。
朝の時間、アイシスは家にいたくないのでダリスの稽古がない日はここでこうして時間を潰すのだ。
余談だがネルは毎日稽古の前にギルドを覗き、アイシスがいたら偶然を装って現れる。
いない日は、がっくりとわかりやすく肩を落として帰っていくのだった。
もちろんダリスはそれに気づいており、嬉嬉としてこちらにやってくるネルをニヤニヤと眺めるのがひとつの楽しみになっていた。
今日もそれを楽しみに、ネルが来るのを入口をちらちら見て待っている。
「ねぇ、ダリス」
「んー、なんだー?」
「…………ダリスはさ、僕のこと好き?」
「ブブフォッ!!」
ダリスの口からオレンジジュースが盛大に吹き出した。
霧状の果汁がギルドに美しい虹を描く。
アイシスは一昨日、コールザインに言われたことをそのまま質問したのだが、圧倒的に質問の仕方を間違えていた。
だが、その事にアイシスは全く気づいていない。
一昨日のコールザインがおかした失敗を、繰り返していることに。
ダリスは混乱した。
目の前の中性的な……見方によっては美人とも取れなくない顔立ちの友が真剣な顔で「愛の告白」をしてきたのだ。
ダリスはモテない訳では無い。紳士的な性格で顔も中々の男前な彼は十三歳にして既に五回の交際経験を経ており、同年代の男たちに比べれば精神年齢はだいぶ上だと自負している。
恋愛に関しては滅多に取り乱さない彼だが、流石にこれにはド肝を抜かれたようだ。
咳が収まった後も、真剣な目をしているアイシスを見て目をぱちくりさせていた。
「なっ、ななっ、なっななな、なんだよいきなり!」
「一昨日ね、ザインさんが教えてくれたんだ。自分の価値を知るには、よく知る人に自分のことを好きか聞けばいいよって。そうやって人は自分の価値を知るんだって」
「……あ、ああ。そゆことね。流石はザインさん。ホント、いいこと言うよなー」
ドクドクと高鳴る胸を抑え、ダリスは額の汗を拭った。よほど焦ったのだろう。
吹き出したオレンジジュースを拭きながら目を泳がせていた。
「……それで、どうなの?」
上目遣いの追撃。これがネル相手なら、多分鼻血を出してぶっ倒れていた。
それほどの破壊力を持っている。今日のアイシスは珍しく積極的だ。
だいぶ落ち着きを取り戻したダリスは、答える前に少し考えた。無論、アイシスのことは大好きだ。
友として、誇りにすら思っている。
問題はそれを茶化して伝えるのがいいのか、それとも真剣に答えるべきなのかだ。
コールザインに憧れるダリスは分かっていた。
こういう時茶化してしまうのは男ではないと、彼は知っていた。
たとえ死ぬほど恥ずかしくても、好意の言葉を濁してはいけない。
それが本物の紳士だとダリスはコールザインから教わってきたから。
だから彼は立ちあがり、拳を振り上げ声高らかに宣言する。
「あのな、アイシスよく聞けよ。俺はな、お前のことが……だいっ好きだァァァアッッ!!」
好きだー、好きだー、好きだー、好きだー(エコー)。
そのあまりに大きな声の告白に静まり返るギルド。
鶴の一声とでも言うのだろうか。
あれだけ賑やかだったギルドが一瞬にして静かになった。
ダリスのよく通る声がギルドに響き渡る。
(な、なんで急に静かになるんだよ!)と心の中で突っ込んだが、ここで止めるのは違う気がしてダリスは顔を赤くしたまま続ける。
「俺はな、アイシス。お前の優しい性格も、女みたいに可愛い顔も、剣の才能ないとか言って軽々と俺に狩れないモンスター狩っちまうとこも。アホみたいに素直で、直ぐに人の事信じちゃう馬鹿正直なとこも!お前の全部が好きだッ!俺は好きだからなァッ!」
最後はかなり早口になったが、彼は言い切った。
顔から火が出そうなセリフを、大衆の面前で言い切ってしまった。
その勇気に、ギルドの誰かが拍手を送る。パチパチ。
次第にそれは大きくなり、気づけばギルドの皆が彼を称えていた。
「よく言った!いいぞダリス!」
「お前にそんな趣味があったとはな、俺は応援するぞ!」
「ヒューヒュー!お熱いねぇお二人さん!」
そんな野次が飛び交う。明らかに誤解だが、訂正するのも疲れるのでそういうことにしておいた。
コールザインがギルドの奥で満足そうに頷いており。
タイミング悪く、ちょうどギルドにやってきたネルは……
「ダリス、あんた。そうだったのね……」
何かを納得したような顔で頷いていた。
「ね、ネルさん?」
ガシッと手を握られるダリス。
その眼差しは真っ直ぐで、どこか不安そうだ。
それでも、ネルはニヤッと笑ってこう言った。
「今まで全然気づかなかったわ。アンタがアイシスのことをそんな風に思っていたなんて。つまり、アンタと私はライバルってわけね。アイシスは渡さないけど、その勇気には賞賛を送るわ。お互い、頑張りましょ!」
「違うよっ!? 違うからねっ!?」
「何も言わなくていいわ。ちゃんと分かってるから」
「違うって言ってんでしょぉぉおッ!!!」
朝のギルドに悲壮な叫びが響き渡ったが、その実彼は本当の気持ちがアイシスに伝えられたことを嬉しく思っていた。赤い顔で笑っているアイシスも同じく。
その後、ダリスが男色家という噂は瞬く間に町中に知れ渡り、彼の事を好きだと言っていた女の子は何も言わず身を引いたという。南無三。
*
「……なんだ、そういう事だったの。じゃあ最初からそう言いなさいよ」
「俺、ちゃんと言ったよね?」
二人で何とかネルの誤解を解き、ダリスの男色疑惑は晴れた(一部のみ)。
あまり衝撃的な出来事にネルも腰を据え、三人でオレンジジュースを飲むという珍しい状況が生まれている。乾杯とアイシスが短く音頭をとり、朝のティータイムが始まった。
「かぁーっ。やっぱりここのオレンジジュースは最っ高だぜ!」
「……うん、まぁまぁね。悪くないわ」
ダリスはいつものように豪快に、ネルは恐る恐るオレンジジュースを喉に流し込む。
その様子が性格とは対照的で何となくおかしい。
「あれ、もしかしてネル。ここのオレンジジュース飲むの初めて?」
「そうね、いつもこいつが飲んでるのは知ってたけど。ここのというより、オレンジジュース自体が初めてよ。なかなかフレッシュで美味しいのね」
そう言って舌づつみを打つネル。ダリスは今の彼女の発言に驚きを隠せていない。
身体の半分はオレンジジュースできている彼にとって、オレンジジュースの無い人生は花の無い花屋同然。
何よりオレンジジュースを飲んだことの無い子供がいたことが信じられなかった。
「いやいやいや。オレンジジュース飲んだことないってマジか。お前人生の半分は損してるぞ?」
「今飲んだからいいじゃない」
「いいや良くない。俺は赤ん坊の時からここのオレンジジュースを飲んでたぜ。ネルと違って俺はちゃんと損せず生きてるんだよ」
「嘘ばっかり。赤ん坊がオレンジジュースなんて飲むわけないでしょバカね。そんなんだから間違えて男を好きになっちゃうのよ」
「やだな、ほんの冗談じゃないか。あと、それは本当に誤解だから……」
ダリスは本気で焦っていた。この噂が広まったら女の子が寄り付かなくなってしまうと、思っているのだろう。まぁ、もう遅いのだが。
「そういえばネル、稽古はどうしたの?」
「師匠が遠くのダンジョンにいくから、今日はお休み」
「ふーん、珍しいね。てっきりネルは毎日稽古してるものだと思ってたよ」
「ま、たまには息抜きも必要よね……と、ところでアイシス。今日これから予定ある?」
さり気なくを装ってネルが尋ねる。相変わらず、アイシスと話す時は耳が赤い。
「今日は……多分大丈夫だと思うよ」
「そう。ちょっと久しぶりにダンジョンに潜ろうと思うんだけど、一緒にどうかなと思って……」
「ダンジョンって、D級の?」
「ええ、そうよ。ちょっと物足りない気もするけど、師匠の許可がないとC級には潜れないし。ね、どう?」
本当は騎士選抜大会に向けて剣の練習をしようかと思っていたのだが。
ネルと冒険に行くのはいい修行になるかもしれない、そう思ったアイシスは首を縦に振る。
「うん、一緒に行くよ。僕も身体を動かしたい気分だし」
「よしっ、じゃあ決まりね!十一時にギルド集合でいいかしら?」
「それでいいよ。ダリスも来る?」
「……いや、俺は遠慮するよ。二人で行っといで」
ガッツポーズをして喜ぶネルを見て、ついていけるほどダリスの神経は図太くない。
そう、これはつまりデートである。少なくともネルの方はそう思っている。D級ダンジョンは彼女にとってのデートスポットなのだ。
彼女の師匠はA級冒険者であり、ネルは師匠の付き添いでC級やB級に着いていくこともある。
そんな彼女が今更D級で何を学ぶというのか。動機の九割はアイシスにいい所を見せたいからだろう。頼れる所を見せて、アイシスに好かれたい。そんな魂胆が丸見えだ。
アイシスに守ってもらおうではなくアイシスを守ってあげようと考えているところが彼女らしい。実際、彼女が一緒ならなんの問題も無いだろう。
龍殺しの名は伊達ではない。
「私は取り敢えず帰るわ。十一時になったらまた来る。じゃね」
「あ、うん。またあとで!」
オレンジジュースを飲みきって、バタバタと慌ただしくネルは去っていった。
「そんなに慌てなくても。折角のティータイムなんだし、ゆっくりしていけばいいのにね」
「女には準備が必要なのさ。冒険の準備だけじゃなくてな。だから例え遅れてきても、文句は言うんじゃねぇぞ?」
「うん、わかってる。前から思ってたけど、ダリスって女の子に優しいよね」
「心外だな、俺は男にも優しいぜ」
「ふふっ、確かに。さっきは僕のこと好きって言ってくれてありがとう。すっごく嬉しかった」
「お前の自信になったなら、俺も嬉しいよ。さ、俺もそろそろ行くわ。稽古もあるしデートもあるし。あー忙しい忙しい」
アイシスに背を向けてそう言ったダリスの顔は赤い。
ネルの熱が移ったのか、はたまた本当に男が好きになってしまったのか。
なんにせよ、二人は友として、その絆を深め合ったようだ。
「あ、いけない忘れてた。ダリス!」
アイシスはダリスの去り行く背中を引き留めた。
不思議そうな顔でこちらを見るダリスに向けて、アイシスは大きな声で告げる。
「僕、やっぱりジークレインさんのこと諦めないよ! 誰よりも強くなって、きっとあの人の騎士になってみせるから!」
「……おう、お前ならきっとなれる。頑張れよ!」
彼は振り返らず、天に向かって拳を振り上げた。
顔を見せなかったのは、にやけた面を見せると格好がつかないから。
友の力に慣れたことが、嬉しくてしょうがないのだろう。
「いい友を持ったな、アイシス」
コールザインはそんな二人の青春ををつまみに麦酒を流し込む。
これをきっかけに卑屈な性格が治れば、アイシスは優秀な剣士になる。彼はそう確信していた。
兄達への劣等感こそが、彼の最大の枷であると。その枷が外れた時、アイシスはきっと。
「キシシッ、これからどうなるか。楽しみだ」
強くなった将来の彼の姿を思い浮かべ、コールザインは静かに笑うのだった。