【42話】 神殺しの聖槍
嵐は過ぎ去った。
その場にいた戦律の簒奪者の全員を殺したことで、
スピカの烈火のような怒りは、徐々に勢いを弱めつつある。
まだ本命を殺せてはいないが、その仲間を全滅させたとあれば、奴も心に傷を負うはずだ。
今の自分と同じように、深い悲しみに暮れるといい。
そんな想像が、彼女の怒りを風化させている。
けれどその怒りに代わるように、彼女の心には虚しさが満ちていった。
「スピカ……大丈夫か?」
立ち尽くすスピカに、真っ先に声をかけたのはジークだった。
リレイズによって回復したネルとアイシスも、その後ろで心配そうな視線を送っている。
スピカはジークの目を見た後、血で真っ赤に染まった自分の身体を見る。
それらはすべて敵である彼らの返り血で、スピカの身体に一切の傷はない。
当然だ。彼女は最強なのだから。
「ああ、心配ない。少し汚れただけだ」
スピカはそう言って、視線をそらした。
言葉通り、彼女は平気だった。
少なくとも彼女自身は、そう思っていた。
それでも───────
(私には、ちっとも、大丈夫そうには見えないよ……)
長年、スピカを見ていたジークにはわかってしまう。
アイシスやネルは知らないが、スピカは時々こんな顔をするのだ。
孤独に押しつぶされてしまいそうな、寂しい顔を。
でも、そんな時は、決まってシリウスが彼女を抱きしめていた。
優しく暖かく、彼女の孤独を癒すように。
『大丈夫ですよ姉弟子、私がついていますから』
なんてキザなセリフを言いながら、小さな小さな彼女の身体を愛おしそうに抱きしめていた。
その時のスピカは少し恥ずかしそうにしつつも、彼の身体に腕を回して、頬を赤く染めるのだ。
でも今はもう、彼女を抱きしめてあげる人はいない。
スピカの唯一のよすがであったシリウスはもう─────
(彼の代わりに誰かが、君を抱きしめてあげないと……)
ジークはそう思い、ゆっくりとスピカに近づき、手を伸ばす。
あと少しで届きそうなところで、それはやってきた。
「─────ッ!?」
スピカが何かに気付き、顔を上げた。
不穏な風が吹いている。
ざわざわと心が揺らぐような、不思議な風だった。
スピカの目に再び怒りの炎がともり、ジークは思わず伸ばした手を引いてしまう。
「お前らは先に帰っておけ。俺もやることが終わればすぐに向かう」
スピカはそう言うと、風が吹いてくる方角へと歩き始めた。
アイシスとネルは頷いて、この場を離れようと歩き出したが、
ただ一人、ジークはそれを拒んだ。
「……嫌だよスピカ、私はここで見てるからな」
怒ったような声が出た。
昔からそうだ。
スピカは強いから、一人で戦おうとする。
寂しくても、それを取り繕って戦おうとする。
最強の騎士である彼女にとっては、それが最善の選択肢で……
恐らくそれは正しい。
だが、正しいからこそ、ジークは不安なのだ。
彼女一人に責任を押し付けた結果、いつか後悔する日が必ず来る。
そんな気がしてならなかった。
シリウスが死んだ今、それを言うのは自分の役目だと思ったのだ。
スピカは背中を向けたまま、それに答える。
「今回は相手が相手だ。お前らを徹底して狙われたら、俺も守り切れる自信がない。わかるだろう? ここに残られると、迷惑なんだよ」
「でも……」
「ジーク。これ以上、俺を困らせるな」
諭すように、彼女はそう言った。
迷惑だと、はっきりそう言われては、ジークも引き下がらずを得ない。
悔しそうにした唇をかむジークの肩に、ネルの手が触れた。
「ジーク、スピカの言う通りよ。ここは危険だわ。今は離れましょう」
「……ああ」
ネルの言葉を受けて、ジークも踵を返す。
だが、このままではいけない気がするのだ。
だから、彼女は最後にもう一度振り返って、
「スピカ……君は、君は死ぬなよ!」
そう、声をかけた。
最強は答えず、来たる何かに向かって歩いていった。
不穏な風が吹く。
それは終わりか、始まりか。
命運を握る一羽の天使の後姿が、ジークにはやけに小さく見えた。
*
暗闇の中。
スピカの視線の先から、悠々と一つの影がこちらに向かっているのが見えた。
夜目を凝らしてその正体を探る。
真っ黒なローブ。
体躯はそれほど大きくはないが、それに見合わぬ威圧感を持ち合わせている。
夜に溶け込むその姿は、スピカを殺すために月から送られてきた刺客のようにも見えた。
そして、何よりスピカの目を引いたのは。
月明かりを浴びて神秘的に輝く、蛇の仮面であった。
明らかにこれまでのメンバーとは違う、異質な空気。
一目見ただけで、スピカは確信した。
(こいつが、俺の弟を……)
震える拳と、彼女の心。
暗闇に光る赤い目が、まっすぐにそいつを睨みつけた。
風化したはずの怒りが、めらめらと燃え上がるのを感じている。
「初めましてだな、スピカ・フォートリカ。会えてうれしいぜ」
蛇……シャーレは男勝りな口調で挨拶をする。
その声はいつもの可愛らしいものではなく、低くも重い男の声だった。
それはこの場にいるであろうアイシスに、万が一にも身バレしてしまわないよう、彼女なりに配慮した結果である。
「お前の仲間なら、俺が全員殺したぞ」
「……ああ、そのようだな」
あっけらかんとそう言われ、スピカの眉が吊り上がった。
「悲しくはないのか? 仲間を、殺されたんだぞ?」
その質問は、いわばスピカのエゴだ。
仲間を殺され、悔恨にむせび泣く仇を殺せば、気が晴れる気がしたのだ。
けれど仇は悲しむどころか、それを嘲るように笑う。
「自分以外の人間の生き死になんてどうでもいいだろう。いや、君は違うのか?
なら安心するといい。すぐに同じ場所へ送ってやる」
「ほざけ。殺されるのは貴様だ……覚悟は良いな」
答えを聞くより前に、スピカは構えた。
行き場のない怒りを込めた、居合の型。
腰にしまった剣の柄を握りしめ、彼女の背中の翼が大きくなる。
「相変わらず、寒気がする戦気だ……
でも、今は受けて立とう─────神成」
シャーレが静かにそう唱えると、
彼女の身体に赤き雷が宿った。
その雷は、スピカの目には映らない。
戦気と共に大きくなる殺意が、まっすぐシャーレにぶつけられる。
最強の放つ、掛け値なしの最大火力。
一見、冷静そうに構えているシャーレだが、
仮面の下は冷や汗と焦りで満ちていた。
(この戦気……ヤバすぎる。いくら『神成』状態とはいえ、まともに食らったら死は免れないか……)
性質変化の王『雷』の力を使っても、スピカの一撃を受けきるのは難しい。
それがシャーレの判断だった。
その読みは当たっている。
今のままの彼女では、一瞬で塵芥にされてしまうだろう。
(仕方ないわね。少し惜しいけど、背に腹は代えられないわ)
シャーレは懐から黒い宝玉を二つ取り出し、力を込めて砕いた。
不思議な戦気が彼女を包み、それは赤い雷へと変化する。
彼女が砕いた宝石の正体は、『黒戦神の宝珠』。
黒の戦神イヴの戦気を込めて作られたそれは、適合者が使うと一時的ではあるが彼女の戦気が扱える。
スピカとの戦闘前に砕いた一つと合わせて、全部で三つ。
ここまでしてようやく、シャーレとスピカの戦気の大きさが並んだ。
─────だが、それも一瞬のこと。
スピカの戦気は今この瞬間も、どんどんと膨れ上がっている。
最初ほどではないものの、最終的には二人の戦力差は大きく開いてしまった。
「バケモノめ。希少なアイテムをこんなに使わせやがって……何としても、一矢報いてやるわ」
自分が格下であることを認識しつつも、彼女は引かない。
にやりと嬉しそうに口角を上げ、彼女は目を見開いた。
(集中集中集中集中集中集中……集中ッ!!!)
狙うは一瞬。
二つの刃が交わる瞬間、そこに彼女は全てをかける。
「─────死ね、撃滅の剣」
「集中ゥウウウウウウウーーーーーーーーッッ!!!」
シャーレは全身の戦気を一か所に集中させた。
剣の先、僅か一センチの幅に、莫大なエネルギーが収束する。
─────キュィィィィィィイイインッ!!
二つの力は交わり、霧散した。
スピカが放った渾身の一刀が不発に終わり、彼女の顔に驚きが浮かぶ。
「俺の撃滅の剣を、相殺しただと?」
「ふふっ……いいね、その顔が見たかった!」
ガキィンッ!!
油断した一瞬のスキをついて、シャーレがスピカの剣を弾き飛ばした。
彼女の剣は弧を書き、宙を舞う。
状況は一変したように思えた。
この戦いに傍観者がいたとしたら、誰もがシャーレの優勢を確信しただろう。
けれど、そうではなかった。
剣を奪われた─────その事実はスピカにとって、何の意味もなさないのだと。
シャーレはすぐに思い知ることになる。
反撃はノータイムで行われた。
撃滅の剣が相殺されたとみるや、スピカはすぐに武器を拳に切り替える。
殴る、殴る、蹴る、殴る。
シリウスと似通った戦闘スタイルだが、その威力は比べるに値しない。
一発一発が核弾頭のような彼女の攻撃に、シャーレは引かざるを得なかった。
引いた彼女を、スピカは逃がさない。
即座に追いつき、乱戦に持ち込む。
そして始まる、ゼロ距離のインファイト。
「クッ!!」
シャーレは最強の拳を避け続ける。
どうしても避けられないものだけ、戦気による相殺を図った。
拳が当たった場所に、バチバチと赤い雷が弾ける。
一瞬たりとも気を抜けない戦い。
神経をがりがりと削って、彼女は避け続けた。
けれど、それも長くは続かない。
「ッ!!」
スピカの拳が、突然その重みを増した。
攻撃をいなしたシャーレの手が、ビリビリと痺れる。
「思い出してきたよ。本気の出し方ってやつを」
その言葉に、シャーレは心の底から震えた。
このバケモノ、本当に底が知れない。
「紅の閃光ッ!」
これ以上受け手に回るのはまずいと判断したシャーレが、
デコピンの要領で指先から雷光を放つが、
「効かん」
スピカは素手でそれを弾き飛ばした。
並の攻撃では彼女は止まらない。
加速する連撃に気圧され、シャーレの鉄壁の防御に、ついに穴が開いた。
「あう!?」
ぐらりとよろめいた身体。
視線を外したのは十分の一秒にも満たないわずかな時間だったが、
トップギアに到達した最強の拳が、目前まで来ていた。
「避けてみろ、避けられるものならな」
一瞬の溜めの後、最強は拳を撃ち抜いた。
かろうじて間に合った二本の腕が、最強の拳を正面から受け止める。
バキバギゴキッ!
「─────ぐあぁああッ!」
シャーレの両腕は、彼女の拳に触れた瞬間に折れた。
身体は吹き飛ばされつつも、空中で戦気による自己回復を試みる。
全身の戦気を腕に集中させ、応急処置ではあるが骨がくっついた。
「このじゃじゃ馬が……とっておきを、喰らいやがれッ!」
シャーレは口の中に滲む血の味を噛み締め、必死の抵抗を試みる。
激しく痛む腕に宿る、熱を持った赤い雷。
螺旋を描く二本の雷が交わり、長い一本の槍が出来上がった。
「熱月の雷槍ッ!!!!」
右手に握りこんだ槍を、全速力で投擲する。
シリウスを殺した熱い雷が、スピカへとまっすぐに向かっていった。
(流石にこれは、無傷では受けきれないはず……え?)
槍が手から離れた瞬間、シャーレはあることに気が付いた。
まるで鏡のように、スピカが自分と全く同じ動きをしていたのだ。
彼女もまた、こちらに向かって戦気の槍を投げていた。
雷でもなく、光でもない。
不思議な力を持ったそれは、かつてスピカが編み出した、神を殺すための力。
例えるなら、『聖の性質変化』とでもいうべきか。
『光の性質変化』を極めた先にある、幻の戦気を纏ったその槍を、
白の戦神アダムは敬意をこめて、こう名付けた。
─────神殺しの聖槍と。
シャーレの放った赤い雷の槍は、
神殺しの聖槍に触れると一瞬にしてその姿を消した。
(神の力が、かき消された!?)
驚いたのもつかの間、雷を貫いた槍は光の速度でシャーレへと襲い掛かる。
「─────グゥッ!!」
間一髪。
身体を後ろにそらして、シャーレは槍を躱した。
じゅうう……と音がして、触れてすらいない蛇の仮面の一部が焼け焦げた。
「あっぶねぇぇぇええええええ……」
露わになった口元から、安堵の声が漏れる。
わずかでも当たっていれば、彼女の身体は再起不能の傷を負っていただろう。
最強が放った槍は、それほどの破壊力を秘めている。
「ぬるい雷だ。転生して随分と衰えたな……黒の戦神、イヴ」
スピカの口から出た、シャーレの真名。
彼女はいつから気付いていたのだろうか。
今となっては遠い昔、神の時代を生きたふたりが再び出会った。
「なーんだ、ばれてたのかぁ……スピカちゃんは相変わらずだね。相変わらず強くて、嫉妬しちゃうよ」
正体を見破られた彼女は魔法を解き、普段の可愛らしい少女の声へと戻った。
スピカも自戒律を解き、目の前に立つ古い知り合いの姿を拝む。
仮面の下の素顔は見えないが、所作や振る舞いは間違いなく黒の戦神のものだ。
「答えろイヴ。なぜだ、なぜ俺の弟を殺した?」
「うーん……それはちょっと、教えられないかなぁ。乙女の秘密ってやつ?」
欠けた仮面から覗いた口元に、人差し指を当てる。
スピカは怒りを堪えるように、もう一度ゆっくりと問いかけた。
「何か理由があるのなら、頼むから教えてくれ。シリウスを殺さなければならない、やむを得ない理由があったのか?」
それは懇願のようにも聞こえた。
スピカは今にも泣きそうな顔をしている。
その表情の意味を、シャーレは知っているのだろう。
けれど、彼女はその懇願を突っぱねた。
「理由なんてないよ。もったいぶってみただけ。シリウス君は、殺したいから殺したんだ」
「……本当に、理由はないのか?」
「しつこいなぁ。スピカちゃんが思っているより、私は傲慢なんだよ。ここで君も殺しておこうかなって思うくらいにはね」
ガチャっ。
会話の中で自己回復を行ったシャーレが、再び戦闘態勢に入る。
それを見たスピカは震える唇を力いっぱい噛み締め、
「もういい。俺は弟の為に、ここでお前を殺す。それだけだ」
「自分の為、の間違いでしょ」
「……かもな」
スピカの背中に再び翼が宿り、戦闘が再開された。
そこから先は長くはなかった。
六手か、七手。
交わった拳の数だけなら、もっと少ない。
圧倒的な力で、スピカは彼女をねじ伏せた。
─────ドシャッ
ボロボロになったシャーレの身体が、地面に横たわる。
黒戦神の宝珠で得た戦気が切れたのか、自己回復の速度も大幅に落ちていた。
もう彼女は、立ち上がることも出来ない。
「終わりだイヴ……懺悔するなら、するがいい。到底許されるわけもないが。
貴様の死をもって、せめてもの贖罪としよう」
スピカは地面に寝転ぶシャーレの首を掴み、その体をゆっくりと持ち上げた。
宙に浮かぶ、シャーレの体。
燃え盛る怒りに任せ、その細くもたくましい首を折ろうと力を籠めるが、
「……ふっ」
欠けた蛇の仮面から、剥き出しになった口元が微かに持ちあがる。
死を前にして、彼女は笑っていた。
「何がおかしい」
「いやぁ……悪いねぇスピカちゃん。この勝負、どうやら私の勝ちみたいだ」
苦しそうな笑みと共に出た、高らかな勝利宣言。
負け惜しみだと判断したスピカが、彼女を殺そうと手刀を構えた─────その時。
ピカッ!!!!!
突如、眩い光が荒野を包んだ。
光の発生源は、神殿。
「まさか……この光はッ!!」
スピカの顔に、かつてないほどの驚きが浮かんだ。
茫然と光を眺める彼女に、シャーレが声をかける。
「……今更気付いても、もう遅いよ。わかるでしょスピカちゃん。
この懐かしくも忌々しい戦気、君にも覚えがあるはずだよ」
「─────っ!!」
ドサッ。
スピカはシャーレの身体を放り捨て、神殿へと全力で走った。
もう手遅れだと頭では理解していても、心がそれを拒んだのだ。
神殿に現れた圧倒的な戦気と、傍らにある二つの戦気。
スイとテオリカ。神殿内部にある二人の戦気を、スピカはあろうことかここで初めて感知した。
普段の彼女なら、見逃すことなどありえなかったであろうふたつの戦気。
しかし、彼女は気付けなかった。
(どうして……どうして気付かなかった!)
走りながら、スピカは自分の愚かさを責めた。
怒りで我を忘れ、ジークに忍び寄る影に気付けなかった。
蛇が単体だと勝手に決めつけ、感知を怠った。
シャーレには端から戦う気など無く、時間が稼げればそれでよかったのだ。
それを見抜けなかった、スピカの負けである。
スピカは試合には勝ったが、勝負では完全にシャーレに負けていたというわけだ。
「スイ、テオリカ……二人とも、首尾よくやってくれたみたいね。ようやく、この時が来たわ……」
仮面をとり、勝者たるシャーレは微笑んだ。
目的は達成された。
戦律の簒奪者が、求めていたもの。
彼らにとっての救世主が、この世界に君臨する。
「さぁ、思う存分暴れなさい─────逢魔の姫」
眩い光が暗闇を照らし、魔神の復活を知らせた。
月明かりに似た、青白い光があたりを包む。
彼女は逢魔の姫。またの名をヴィオラ。
美しい花の名を冠した、混沌の獣である。




