【41話】 虚穴
「さて、残るはお前ひとりだ」
生物全てを威圧するような鋭い眼光で、彼女はサロメの前に立ちはだかった。
逃げ出したくなる本能を理性で抑え込み、神殿の外へと歩み出たサロメは彼女に対峙する。
「……随分と惨たらしい殺し方をするな。あんなことをして、良心は痛まないのか?」
「今更一人殺したくらいで、心が痛んだりするものか。むしろ清々したくらいだぜ。お前もあのゴミのように惨たらしく殺せば、少しは今の陰鬱な気持ちも晴れるかもしれんな」
人間、いかな悪人といえども、人を殺せばそれなりの罪悪感を感じるものだが。
言葉の通り、彼女の冷たい瞳からはそれを感じなかった。
いったいどれだけの人間を殺めれば、そこまでの領域に至るのか。
生まれて二十そこそこの若輩には、到底わからぬ話だ。
「……何に対して怒っているのかは知らんが、お前の弟を殺したのは俺ではない。俺を殺すのは勝手だが、見当違いの恨みをぶつけられるのはごめんこうむる」
「……やはりお前は蛇ではないのか。ではこうしよう。蛇の本名とその所在を吐けば、お前の命はだけ助けてやる。悪い話ではないはずだが?」
口の軽いフッカとは違い、言鍵の呪いのかかっていないサロメは、シャーレの本名を明かすことができる。
ここで彼女に情報を漏らせば、生きていられるかもしれないが。
それは彼のプライドが許さなかった。
「仲間の情報は死んでも吐かんさ……だが、待っていればいずれ奴もここへ来るはず。仲間を見捨てて逃げるほど、薄情な奴ではないはずだからな」
「そうか。ではお前の言うとおり、蛇とやらが来るのをここで待つとしよう。貴様らを殺して築いた、死体の山の上でな」
天使が剣を抜き、構えた。
白い翼が生え、最後の殺戮が始まる─────はずだった。
「待ってくれ」
右手を前に突き出し、サロメが彼女の殺気に待ったをかけた。
命乞いかとも思われたが、サロメの目に諦めの色はない。
スピカは剣を構えたまま、彼の言葉に耳を傾けた。
「最強を名乗るお前にひとつ、個人的な頼みがある」
「……言ってみろ」
「死ぬ前に、俺とお前の間にどれほどの差があるのか知っておきたいんだ。
互いに戦気を一切使わずに、剣術だけで立ち合わせてはさせては貰えないだろうか?」
サロメはまっすぐに、一人の剣士として、彼女に語り掛ける。
時間稼ぎの意味も、もちろんあった。
あまりの衝撃で忘れかけていたが、サロメをはじめとした彼らの目的は『逢魔の姫』の復活だ。
シャーレが戻って来るまで、姫を内包した卵を壊されるわけにはいかない。
そのためには、少しでも時間を稼ぐ必要がある。
だが、それ以上にサロメは知りたかったのだ。
最強との間にある、深い深い溝の大きさを。
そんな彼の本気が伝わったのか、彼女は眩い光を放つ翼を納めた。
「いいだろう。冥途の土産に、稽古をつけてやる」
「……恩に着る」
短い言葉を交わし、サロメも構えた。
「かかってこい」
寒気のする殺気は隠さないまま、スピカは彼を挑発する。
初太刀は愚直な一刀だった。
短い呼吸とともに、深く踏み込む。
初心に戻ったような、まっすぐな太刀。
当然のように弾かれはしたが、スピカの目に少しの驚きが浮かぶ。
それから、数回刃が交わった。
金属音が響くが、お互いの身体に剣が触れることは無い。
「惜しいな……」
それは、彼の持つ天性のセンスに気付いたスピカの言葉だった。
サロメの剣技は誰よりもまっすぐで癖のない、美しい剣技。
ひねくれた性格とは裏腹に、芯のぶれない力強さを秘めている。
例えるなら、ダイヤモンドの原石。
今はまだ汚れて霞んでいるが、磨けばシリウスをも凌ぐ強さになる。
「お前、師はいるのか?」
「いや、特にはいないが?」
「そうか。独学でここまで……面白い。少し、本気で行くぞ」
感心したような言葉を契機に、彼女の目の色が変わった。
それまでは受けに徹していた彼女の剣が、攻めの姿勢を見せる。
「……ッ!!」
彼に向けられた、超速の剣。
驚いたのはサロメだけではない。
スピカもまた、サロメの剣に無限の可能性を感じていた。
剣を交えるたび、彼の剣は順応し、速度を増していく。
目視できないほど鋭い太刀筋に対し、常に最適解に近い対応を見せるサロメ。
彼の戦闘センスはスピカがこれまで戦った猛者と比べても、群を抜いている。
(まるで、あいつみたいな剣を振るう……)
スピカは怒りも忘れて、微かに笑った。
仲のいい昔の友と再会した時のような、柔らかな笑みだった。
「……やはり兄弟だな。お前の剣はアイシスによく似ている」
「ハッ、俺の剣があの愚弟と? 冗談だろう」
「冗談ではない。だが、純粋な戦闘のセンスでいうなら、お前の方が遥かに勝っているな」
「……は?」
突如としてかけられた讃辞の言葉に、サロメの剣が止まった。
「どうした?」
首をかしげるスピカ。
「いや、すまない……聞き間違いでなければ、今、もしかして、お前は俺を褒めたのか?」
我ながら、間抜けな質問であったと思う。
けれどそれほどに、衝撃的な言葉だった。
呆けている彼に向けて、スピカはこう答えた。
「ああ。俺はどうやら、敵としてここでお前を葬るのが惜しくてたまらないらしい。
できることならアイシスではなく、お前に剣を継がせたいくらいだ」
「……は、はは。なんだ、そりゃ……は、ははははは。な、なんだよ、それ……」
乾いた笑い。
まるでパズルの穴がピタリと埋まったような、不思議な感覚。
それは不覚にも、サロメがずっと求めていた言葉だった。
(ああ、そうか……俺はあいつに……)
ここにきて、サロメは思いがけず自覚してしまった。
彼がずっと抱えていた心の闇。晴れない心の靄。
彼をここまで連れてきた、妄執のような不可解な感情。
─────その正体は、アイシスに対する強烈な劣等感だったのだ。
『アイシス、お前の剣は才能に満ちているな』
親父が褒めたのは、いつも年の離れた弟だった。
剣の才能も、戦気の量も、努力の量も、すべて自分の方が上のはずなのに。
親父が認めていたのは俺ではなく、不出来な弟の方だ。
不満だった。
だから、潰した。
親父も弟も、二度と俺より優れていると思いあがらないように。
気分は晴れなかった。
胸の中にあるしこりのような劣等感は、日に日に大きくなっていくばかりだった。
『戦律の簒奪者』に勧誘されたのは、そんな時だ。
彼らが目指していたのは、逢魔の姫が統治する『強さ』だけが正しい世界。
初めて聞いた時、これだと思った。
強さだけが指標になる世界。
それが実現すれば、誰もが俺を認めてくれるはずだ。
弟ではなく、俺を─────
そう思っていた矢先、サロメは一人の女剣士と出会う。
嵐のようなそいつは突然アジトへやってきて「私をメンバーに加えろ」と上から目線で言ってきたのだ。
入団試験として、サロメはシャーレと名乗る女剣士と対峙した。
そして、完膚なきまでに叩きのめされた。
正直、そこまで悔しさは感じなかった。
サロメは強き者が好きだ。
圧倒的な実力をみせつけたシャーレに、彼は憧れにも似た感情を抱いていた。
剣士として、圧倒的なまでの強さを見せたシャーレ。
だが、そんな彼女が期待を向けていたのは、またしても不出来な弟の方だった。
(─────またか)
彼の心の中の闇が、再び大きく膨れ上がった瞬間だった。
強烈なコンプレックスは弟に対する憎悪となって、彼の身を焼いた。
いっそ殺してしまおうと、何度思ったことか。
親父もシャーレも、俺を見てはくれなかった。
誰か、誰でもいい……俺をッ!
弟ではなく、俺を見てくれッ!
「……お前は、俺を、弟より優れていると、認めてくれるのか?」
「ああ。流石は兄というだけのことはある。努力と研鑽の跡が見える、良い剣だな」
「……そうか」
その一言だけで、充分だった。
たった一言で、彼の心は満たされた。
(できることなら、もっと早く出会いたかった……)
彼女ともっと早く出会えていたら、親父とも弟とも仲良くあれただろうか。
彼女ともっと早く出会えていたら、道を間違えずにすんだだろうか。
彼女ともっと早く出会えていたら、こんなところで命を落とさずに済んだだろうか。
(……こんなことを思うとは、とうとう俺も焼きが回ったか)
後悔を押し殺すように、彼は剣を握った。
後悔するのは、唯一の勝ち筋を試してからでも遅くない。
あとは隙を見て、この技を出せれば……
「……隠さなくていい」
そう言った彼女の顔は穏やかだった。
まるで愛らしい我が子の悪戯を見つけた時のような、優しい目つきをしていた。
「お前の中で渦を巻く戦気に気付けぬほど、俺は間抜けではないさ。
あるんだろう……奥の手ってやつが。
俺はいつでも構わん。好きなタイミングで来い」
「……まったく、適わんな」
秘境も姑息も、正面から受け止める。
そんな気概に満ちた彼女の目を見て、サロメは寂しそうな笑みを浮かべた。
剣を納め、まるで見えない扉に手をかけるように、半身を引いて右手を伸ばした。
黒い闇を纏った戦気が立ち込め、彼の右手に集中する。
「一応、忠告しておく。この奥の手が果たしてお前に通じるのか、俺にはわからない。
だが、殺せる可能性は高いと、あくまでも俺は踏んでいる。だから……」
それはサロメなりの最強への敬意であった。
だが、彼女は意に介さずといった風に、それを鼻で笑う。
「はっ、俺の心配をするなど、千年早いぞ小僧。
断言しよう、お前に俺は殺せない。だから遠慮せず、全力で撃って来い」
「……そうか。それを聞いて安心したよ。じゃあ、行くぜ」
手に集まった戦気が収束し、真っ黒な球体となった。
ビー玉ほどの大きさの球体は、彼の手を離れ……
「顕現しろ、すべてを呑み込む虚の穴」
彼の後ろに、深淵が現れた。
「これは……何だ?」
幾千との敵と戦ってきたスピカですら初めて見る、不可解な現象。
それもそのはず。
この業を生み出したのは、他でもないサロメ・クロウディア当人なのだから。
彼が天から与えられた才能。
戦気を極限まで高め、闇の性質を完全に理解したことによって生み出される深淵の扉が、
今、その姿を現す。
「開け─────『虚穴』」
彼の言葉を契機に、
虎穴と呼ばれた深淵が、大きくその口を開けた。
すると次の瞬間、荒野に嵐が巻き起こった。
深淵の奥から、すべてを呑み込む風が吹いている。
がらがらと崩れる大岩が、次々と深淵の奥へと消えていった。
この穴の前には、どれほど強大な戦気も等しく無力だ。
炎も風も水も、光ですら、その穴の強大な引力に吸い寄せられて消える。
そしてこの門が開いている間、サロメの身体は門に同化する。
どれほど彼の身体を切り裂こうと、彼の身体に一切の傷を与えることはできない。
絶大な戦気を消費する代わりに、最強の攻撃力と無敵の防御力を手にする、まさに彼の奥の手であった。
「幾星槍」
スピカは吹きすさぶ嵐の中、高らかに剣を掲げ、戦気を打ち消す光の槍を放つが、
「……ほう」
彼女の放った槍は、音もなく闇に吸い込まれた。
光すら飲み込む彼の深淵。
それを見た時、サロメの中に確かな手ごたえがあった。
「やはり、この技なら、お前を……ッ!?」
殺せる─────そう言い切れなかったのは、
嵐の中で余裕そうな彼女の姿を見てしまったからだ。
並の人間なら、深淵の重力に逆らえず、既に穴の中へと入っているはずだ。
だが、どういうわけか、彼女は平然とそこに立っていた。
どれだけ戦気を込めても、彼女と彼女が立つ地面だけは、
まるで何事も起きていないかのような静けさを保っている。
不動。その現状が、改めて彼女の異常さを認識させた。
「闇の性質変化を応用して……なるほど。やはり、センスがあるな。
オリジナルでここまでの技を作り出せるとは、大した奴だ」
一人、納得したような顔で呟くスピカ。
彼女の背中に再び、白い翼が浮かび上がる。
「叶うなら、違う形で会いたかったよ」
最期にそう零したスピカは、サロメと同じように右手を後ろに突き出した。
見えない扉に、手をかけるようなそのポーズ。
まさか─────嫌な予感が、サロメの脳裏によぎる。
そしてその予感は、あろうことか的中してしまった。
スピカの手の先に生まれた黒く小さな球体が、彼女の手を離れ、
「顕現しろ、すべてを呑み込む虚の穴─────だったか?」
次の瞬間、荒野は闇に包まれた。
スピカが発現した虚穴の大きさは、サロメのものとはもはや比べるまでもなく。
質も大きさも、すべてが上回っていた。
闇を殺すのは光ではなく、さらに大きな闇。
彼が膨大な時間と努力を積み重ねてたどり着いたその技を、
彼女は一目見ただけで模倣……そして『完成』させてしまったのだ。
「クハハッ、なるほど……これは確かに、最強だ」
サロメは笑った。
諦めたというより、諦めがついた……そんな意味を孕んだ笑みだった。
「─────開け、虚穴」
穴が開いたのは、ほんの数秒だった。
彼女の生み出した深淵は、延長線上にある全てのものを片端から食らって行く。
彼女の身体が神殿の方を向いていなかったのが、唯一の救いだった。
(……シャーレ、あとは頼む)
サロメは希望を託し、まっすぐに死を受け入れる。
出し尽くした戦気。
抗う術を無くしたサロメは、自らの意思でその穴に足を踏み入れて。
「……閉じろ」
文言と共に巨大な闇が収縮し、サロメを呑み込んだ深淵は再び小さな球体へ戻っていく。
バキバキと人体が壊れる音がして、
ビー玉ほどの大きさになった球体から、ぼたぼたと一人分の血液が流れ出た。
悲鳴は聞こえない。
彼は黙って死んだのだ。
プライドの高い彼に相応しい、気高い最後だった。
「来世では、真っ当に生きろ。サロメ・クロウディア」
スピカは最後にそう零し、黒い球体を掴む様にかき消した。
サロメを殺めた彼女は、少しだけ寂しそうな横顔をしていたように思う。
こうして、最後の希望であるシャーレの到着を待たず、戦律の簒奪者は全滅した。
彼女が到着してから、わずか20分の出来事だった。
*
「何とか、間に合ったみたいね」
荒れ地の一角。
神殿からそう遠くない丘陵の上で、見下ろすシャーレはそう呟いた。
神殿では今まさに、サロメが自らの足で深淵へと踏み入れようとしている場面である。
シャーレはサロメが死ぬのを、助けるでもなくただ見ていた。
まるで『助ける義理はない』とでも言いたげな。
冷たい目で彼が死ぬのを見ていた。
「……これは、間に合ったといえるのでしょうか?」
思わずそう零したのは、シャーレの傍らに立つ女性だ。
仲間は全滅。お世辞にもうまくいっているとは言えない状況だが、
シャーレは余裕の笑みを浮かべてこう言うのだ。
「予定調和ってやつよ。どのみち姫が復活すれば、全滅は免れなかったでしょうし。それを見越してお前たちを呼んだのだから……テオリカ、スイ。姫のことは頼んだわよ」
「「御意」」
真っ黒な衣装に身を包んだ二人の従者は、その場に傅く。
深くかぶったフードに、真っ黒な目隠し。
夜の闇に紛れて姿は見えないが、圧倒的強者の雰囲気を放っている。
テオリカ、スイ。そう呼ばれた彼女たちは、シャーレとどんな繋がりがあるのだろうか。
「それにしてもイヴ様、まさかあの化け物女がこっちの時代に来ていたなんて。とんだ誤算でしたねぇ」
「そうね……まぁ起きてしまったことは仕方が無いわ。それとスイ、私の事はシャーレと呼ぶようにって、何度言ったらわかるの?」
「あ、いっけね……つい昔の名残で、すみません」
ぽりぽりと頬をかいて、スイと呼ばれた女が謝った。
注意を受けた彼女を見て、今度はテオリカが口を開く。
「まったく、貴方は昔からちっとも変わっていませんね。そのおっちょこちょいな性格が、いつか致命的なミスを生むのではないかと。私は気が気でなりません」
「……その嫌味ったらしい性格。お前も相変わらずだなぁテオリカ。その減らず口、今ここで矯正してやってもいいんだぜ?」
「望むところです……」
犬猿の仲というやつなのか、仲間であるはずの二人の間に火花が散る。
あわや一触即発の事態に思われたが……
「「いだっ!」」
シャーレの振り下ろしたげんこつが、喧嘩を強制的に止めた。
涙目の二人を見下ろす形で、シャーレが忠告する。
「あんまりふざけてると、二人共おろすわよ?」
「「も、申し訳ありませんでした……」」
主の恐ろしい剣幕を前に、二人は犬のように縮こまった。
「頼むから、この作戦の間だけでも仲良くしてちょうだい。ほら、二人とも握手!」
二人は互いをジト目で睨みながらも、
大人しくシャーレの言葉に従い、握手を交わす。
「よろしい。じゃあ作戦通り、私がスピカちゃんの相手をするから。テオリカは『逢魔の姫』復活の準備を、スイは『器』の捕獲を。くれぐれも仲間割れしないようにね」
最期にそう念を押すと、彼女は顔を隠すための蛇の仮面をつけ、
先んじてスピカの待つ場所へと向かった。
残された二人は顔を見合わせ、互いに不本意そうな顔をする。
「というわけだ。くれぐれも失敗するんじゃねぇぞ、テオリカ」
「あら、それはこっちのセリフですよ。くだらないミスでシャーレ様の計画に水を差したら、ただじゃおきませんからね」
黒い影が二つ、荒野の闇に消える。
こうして、舞台は整った。
最強の騎士スピカと、シャーレに従う二人の刺客。
荒野の不気味な白い月だけが、この戦いの行方を知っている。




