【40話】 星が堕つ
「生まれ変わり……つまり神話の時代からの転生者ということですか。なるほど道理で、馬鹿げた強さのわけだ」
地獄耳のネクターが、アイシスとジークの会話を盗み聞いて納得したように呟いた。
「祈りは終えたようだな、不死身の男。次は、お前の番だ」
龍を足蹴にしたままのスピカは、手に持った生首をネクターに投げつけた。
魔力が抜け、人間の顔に戻りかかっている彼女の顔を、ネクターは片手で受け止める。
まだ温かい血液が、彼の頬を濡らした。
まずい、という表情を浮かべた彼は、小声でヲズワルドに語り掛ける。
「出来るだけ神殿から離れます。シャーレが戻ってくるまで少しでも時間を稼ぎましょう。分身の魔法を私にかけてください」
「了解ですわ」
ヲズワルドはポケットから取り出した魔石を砕き、彼に魔法をかける。
するとネクターの身体が幾重にも分裂した。
【アバターズ】と呼ばれるその魔法は、対象者の分身を作り出し、相手を困惑させる。
荒野を散り散りに逃げるネクターの分身を見て、スピカが呆れたような声音でこう告げた。
「そんなもので、俺の目をごまかせると思ったのか? まぁいい、折角の機会だ。
本当に強いとはどういうことか。無知なお前らに教えてやろう」
自戒律で目が見えないはずのスピカはそう言うと、空に向かってその剣を掲げる。
すると、彼女の戦気がシュウシュウと音を立てて立ち昇り、
夜の空に、光り輝く戦気の球体が現れた。
「バケモノめ……」
震える声で、吐き捨てるようにそうこぼしたのは、神殿の中からその様子を見ていたサロメだ。
可憐な少女に向けるにはいささか不向きな呼び名ではあるが、
彼女の強さを表すのに、それほど相応しい言葉もないだろう。
空に現れた球体は、【光の性質変化】の塊であった。
それは戦気の性質変化を打ち消す効果を持つ、極めて希少な性質変化。
『性質変化など必要ない』というのは他でもない彼女のセリフだったはずだが。
それでも彼女がそうしたのには、理由があった。
「降り注げ───幾星槍」
彼女がまるで指揮を執るように、その剣を軽く振り下ろした瞬間。
光の玉が割れ、荒野に無数の光槍が降り注いだ。
───ドドドドドドドドドッ!
凄まじい量の戦気を纏った光の槍は、ネクターの分身を片っ端から潰していく。
ド派手な攻撃に、性質変化までつけて。
いったい、どれほど膨大な戦気を纏えば、これほどの攻撃が放てるのか。
彼女が性質変化を使った理由は一つ。
最強の力を、雑魚にもわかりやすく、誇示するために他ならなかった。
そして、荒野にはただ一人の彼だけが残った。
他でもない、分身ではない本物のネクターだけが。
スピカには最初から本物がどれかなどという事はわかりきっていた。
わかりきってなお、分身をすべて潰したのは……ただの憂さ晴らしだ。
彼女は怒っていた。
愛する弟を殺され、正気を失い、冷静さを欠いていた。
煮えくり返りそうなはらわたを抱え。
このどうしようもないほど膨らんだ怒りを、振り下ろす場所を探していた。
「……っっ!」
絶望的な光景を前に、ネクターは尻もちをついた。
腰が抜けて動けない彼に、スピカはゆっくりと近づいていく。
「さて、お前には聞きたいことがある。俺の質問に答えてもらおう」
破壊兵器のような剣先を彼の瞳に向け、スピカは問う。
およそ可愛らしい少女の喉から出たとは思えないほど、ドスの利いた声で、
「───誰が殺した?」
主語はなくとも、その質問の意図は明確に伝わった。
神童殺し。その主犯となった人物は……
「生憎と、仲間の情報は売れないもので」
「そうか」
一際冷たい声とともに、彼女の紅い瞳が色を失った。
ネクターは犯人ではない。
それが分かった時点で、もう彼を殺す理由はない。
だが、生かしておく理由もなかった。
「───堕星」
すっかり夜になった荒野の空に、天使の身体が舞い上がる。
重力すら感じさせないほど軽く飛び上がった彼女は雲を超え、成層圏でぴたりと制止した。
夜空に浮かぶ明星に紛れ、金色の髪がふわりと揺らぐ。
天使の翼など無くとも、彼女は飛べるのだ。
やがて、星の重力に従い、彼女の身体は下へ下へと落ちていく。
彼女を包む、常識外れの白い戦気。
徐々に熱くなる足の先と、加速しながら落ちていく身体。
それらが意味することは……
下から見ていた二人の目に映る頃には、それは完成していた。
堕ちてきたのは少女ではなく───流星のように巨大な戦気の塊だった。
「を……ヲズワルド! 防御に徹しますッ!」
「了解! プロテクションを三重でかけますわッ!」
わずかの間、呆気に取られて空を眺めた二人だが、迫る死の脅威を前に正気に戻された。
ヲズワルドは急いで彼の下に駆け寄ると、大きな魔石を続けて三つ砕く。
三重の防壁は大きく広がり、二人を巨大な防壁が包んだ。
プロテクションは長い長い魔法の歴史の中でも、最強の硬度を誇る防御魔法である。
黒竜の炎すら通さない無敵の魔法が、こんなにも心もとなく感じたのは初めての事だった。
ネクターとヲズワルドはそれぞれ両手を上に掲げ、防壁を戦気の膜で補強する。
だが、その努力も虚しく。
───パリィィン!
一枚目の防壁は、一秒を待たずに破られた。
「はは……これは流石に、死ぬかもしれませんね」
「ふふ、面白い冗談ですわ」
不死身であるはずの彼が零した本気の弱音に、ヲズワルドが笑みを浮かべる。
そして、二枚目の防壁もあっけなく破られた。
圧倒的すぎる力を前に、受けきるのは無理だと悟りながらも、二人はその場を動けない。
彼らにできるのは、目前に迫った死を受け入れることだけだった。
「無駄なあがきだったな」
怒りの篭った真っ赤な瞳が、二人を見下す。
流星と化した彼女はもう止まらない。
ノータイムで破られた、三枚目の防壁。
最強を前に足止めにもならなかった魔法。
紅い欠片となった防壁を、ヲズワルドは愛おしそうに眺めていた。
「ここまで、ですわね」
諦めたように零したヲズワルドの笑顔。
それがネクターの見た、最後の景色。
不死身の男と、天才魔術師。
ふたりの頭上に、赫灼烈火の星が堕つ─────
「……死なないなんて、とんだ嘘つきもいたものだ」
じゅうううううう……
焼け焦げた地面にこびり付いた、黒い血液。
肉片の一つも残さずに、二人は塵になった。
いくら不死身といえども、こうなってはもう再生できないだろう。
「そんな、馬鹿な……」
サロメは戦慄した。
最強がここに到着してから、まだ五分も経っていない。
その短い時間の間に、組織の半数が殺されたのだ。
サロメは彼らを仲間として認めていた。
それは、彼らがそう認めるに値する強さを持っていたからだ。
一人一人が、敵として対峙したくない、そう思わせるほどの強さを。
ゆえに彼はメンバーの全員を尊敬していた。
彼は強者が好きだったから。
だから、そんな彼らが為す術なく倒れていくこの光景は、
到底信じられるものではなかった。
自分が白昼夢を見ているのではないか。
そんな気持ちに苛まれ、彼は助けを求めるように、残された唯一の仲間に声をかける。
「おいフッカ……フッカ?」
掠れた声で彼女を呼ぶが、返事はない。
サロメが彼女の姿を探すと、神殿のはるか向こう。
最強とは逆の方向へ逃走する、小さなフッカの後姿が微かに見えた。
「あいつ、こんな時に何をッ……!」
ふと、地面を見ると、白い一枚の紙に何か文字が書かれている。
サロメが手に取ると、それはフッカの書置きだった。
『死ぬのはごめんなので、逃げます。足止めよろしく』
ぐしゃ。
サロメは怒りに任せてその紙を握りつぶした。
あの女、死ぬ前に一発ぶん殴ってやる。
そんな衝動に駆られ彼女を追いかけようとしたが、その必要は無かった。
「どこへいくつもりだ」
「びゃっ!」
恐怖の根源のような女が、逃げるフッカの前に立ちはだかったのだ。
突如目の前に現れた脅威に、フッカはごろごろと三回ほど後ろにでんぐり返しをして、流れるように土下座のポーズをとった。
「ひぎぃぃぃぃぃいいいい! ごめんなさいごめんなさい、フッカはなんにも悪いことしてないです! 嘘じゃないです! あのへんてこりんな組織に人質にされてた哀れな一般民衆Aなんですぅぅぅうううう!」
みっともなく命乞いをはじめたフッカだが、そんな嘘がスピカに通じるはずもなく。
スピカは地を這う彼女の頭の上に足を置き、無言で力を込めはじめた。
「え? 話聞いてました? フッカは違いますよ? 悪いことしたことないですよ? 痛いですやめてください! やめてください! 一般市民に手を上げるなんてこの外道恥を知れ!」
「……嘘つきには相応しい死に様だな」
「いぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ! ごめんなさい嘘です嘘でした! 私は戦律の簒奪者でした! だからやめて殺さないでお願いです何でもしますからぁ!」
ピーピーギャーギャー泣きわめくフッカ。
なりふり構わない全力の命乞いの甲斐あってか、スピカの足の力が少しだけ弱まった。
「……今、ここでお前が俺の問いに偽りなく答えるというのなら、俺はお前を殺さない」
「フッカが話せることなら、何でもお話します!」
一切の迷いなく、フッカは肯定の意を示した。
その答えを聞いて、スピカは彼女の頭から足をどける。
フッカは素早くその場に正座し、仁王立ちのスピカに服従のポーズをとった。
「まず一つ目の質問。死霊戦気を使えるのはお前か?」
「はいぃ、フッカですぅ……」
「やって見せろ」
「はいぃ……」
フッカは頷いて、地面に手を置いた。
そのまま戦気を地面に流すと、ずもももも……と死体がゾンビのように土から這い上がる。
全部で9体の動く死体が、二人を取り囲むように現れた。
もともと彼らは『月の踊り子』と呼ばれていた伝説的な義賊であった。
シャーレの手によって殺された彼らの死体を、フッカが兵器として再利用したのだ。
彼らは当然のように『戦律の欠片』をその身に宿しており、
死体の一体一体が、街一つを簡単に殲滅できるほどの戦闘力を持っている。
だが、それでもスピカには大きく及ばない。
全員をけしかけても即殺されるであろうことはわかっていたので、フッカは全員をスピカの前に傅かせた。
「二つ目の質問。俺の弟に死霊戦気をかけたのはお前か?」
「え、っとぉ……弟さん? 失礼ですけど、弟さんのお名前をお伺いしてもぉ……」
「……神童、シリウス・ダーライツだ」
その名前を聞いたフッカの目に、明らかな動揺が走った。
まるで悪戯がばれた時の子供のような反応。
それを見たスピカの髪が、ぶわりと逆立つ。
「やはり、お前か。お前が、俺の弟を手にかけたのか?」
「ひぐぅっ! 違います! 確かに弟さんに死霊戦気をかけたのはフッカですけど! でも殺したのは違う人です! これは嘘じゃないです信じてください!」
「言え。誰が殺した?」
「それはぁ……えっとぉ……ひぐっ!?」
───────ズバァンッ!
スピカの放った斬撃により、月の踊り子の一体が灰燼と化した。
煮え切らない彼女に、脅しをかける。
「次は貴様がこうなる番だ」
「蛇です! 弟さんを殺したのは蛇という女です!」
フッカは命惜しさに、あっさりと薄情した。
仇の名を知ったスピカの目に、静かな怒りの炎が宿る。
「蛇……そいつがシリウスを……」
「あ、でも蛇というのは本名じゃなくて……本名は……本名はぁ……ぎゃあああああああああ!」
シャーレの名前を口にしようとしたフッカの口から、ぼうっと火が吹き出た。
フッカの額に浮かんだ紫色の紋章は、コールザインに施されていたものと同じ、口封じの呪いを示すものだった。
「言鍵の呪い……口止めされているのか」
「ぅぅぅぅぅうううう……喉が、のどがぁぁぁぁ」
喉を抑えて苦しむフッカを見て、
スピカは用済みだと判断したのか、無言ですたすたと神殿の方へと歩いていく。
(や、やった……助かった……早く、早くここから逃げないと!)
焼けたのどの痛みを感じながら、フッカは起き上がろうと試みたが、
「フギャッ!」
立ち上がった瞬間、ぐらりと視界がゆがんで転んでしまった。
後ろを見ると、体から離れた場所に自分の足がある。
恐怖で気付かなかったが、逃げられないようにと、いつの間にか斬られていたのだ。
じわじわと、輪切りになった太ももが痛みを訴え始める。
それでも、そんな痛みなど気にならないほどに、フッカはスピカを恐れていた。
一刻も早くここから去らないと、奴の気が変わって殺されるかもしれない。
フッカの命は、彼女の機嫌一つで簡単に終わってしまうのだ。
「おい、誰か、誰でもいい! フッカを、フッカを遠くに運べぇっ!」
フッカは強い命令口調で、自分の玩具に命令を出した。
だが、それに反応する人形は一人もいない。
「あ、れ? なんで……?」
「そいつはもう用済みだ。好きなように殺せ」
立ち止まってこちらを見たスピカの一言に、
傅いていた人形たちがぞろぞろとフッカを取り囲んだ。
フッカの命令に従わず、スピカの命令には従う人形たち。
考えられる可能性はひとつ。
(まさか、上書きされた……!?)
フッカの推測通り、スピカは月の踊り子たちに死霊戦気を上からかけ直し、彼女の傀儡としたのだ。
死霊戦気という極めて特殊な戦気の模倣でさえ、彼女にとっては造作もないことだった。
どんな戦気でも自在に操る彼女は、まさに万能の存在。
もはや神そのもののような彼女の存在が、傍観するサロメに深い絶望を植え付けた。
「……ろさないって、殺さないって言ったじゃん! 嘘つき! うそつきぃぃぃぃいいい!」
憎しみを込めたありったけの咆哮に、
スピカは冷たい声で答えた。
「嘘ではないさ。俺は殺さない……確かにそう言ったはずだが。
お前を殺すのは俺ではなく、お前自身が育てた人形たちだ」
「そ、そんな屁理屈……いや、死にたくない。フッカは死にたくない……誰か、誰か助けて……いや、いやだぁぁぁぁああああああ!」
泣き叫ぶフッカを取り囲んだ死霊たちの目に、復讐の炎が宿る。
無念を抱えたまま殺された彼らの怒りは、図らずも目の前の少女に向けられた。
「や、やめ、やめてぇぇえええええええええ!!!!!」
顔面をぐちゃぐちゃにして泣き叫ぶ彼女の身体を、死霊たちが力づくで押さえつける。
彼らははすぐに彼女を殺そうとはせず、まるで溜まった鬱憤を晴らすように、
少しづつ、少しづつフッカの肉を削いでいった。
「※あ※※あああ※※、※※※ああ※、※※※や※───ッ!!!」
生きたまま肉を削がれる痛みは、想像を絶する。
身体を襲う熱鉄を押し付けられたような激痛に、人間らしさなど欠片も残してはおけない。
フッカは何度も逃げようと試みたが、そのたびに髪を掴まれ、輪の中に引きずり戻されてしまう。
肉が裂け、死霊たちの隙間から肉片と血しぶきが舞う。
死にたくないあまり、自分の身体を丈夫に改造したのが裏目に出た。
命を弄んだ少女に相応しい最後。
フッカの獣のような凄絶な断末魔が、真っ暗な荒野に轟いた。
「俺の弟を玩具にした報いだ。甘んじて受けるがいい」
少女の無惨な結末を横目で見届けたスピカは、再び神殿へと戻っていく。
残るは一人。
アイシスの兄である、サロメ・クロウディアだけだ。
フッカ虐待回……略して、フカ虐(不可逆)回でした。




