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鴉の騎士  作者: 詩から歌詞
4/43

【4話】 サロメ・クロウディア

 

「頭が高いぞ」


 ぐしゃ、と音がしてアイシスの頭が踏みつぶされた。

 ゴリゴリと地面に頬骨が擦れ、鈍い痛みが襲う。


「今一度聞く。愚弟よ、お前は今日どこで何をしていた?」

「……アドの森で魔物狩りをしていました」


 アイシスを足蹴にしているのはサロメ・クロウディア。

 クロウディア家の現当主にして、アイシスの実兄だ。


 なぜこんな状況になっているのかというと。

 コールザインと別れ急いで家に戻ったアイシス。ランスロットは不在、サロメは三日は帰らないと聞いていたので完全に油断していたアイシスは満面の笑みで家の扉を開けてしまったのだが。

 開いた瞬間、そこいたのはサロメ・クロウディアだった。


 運悪く、忘れ物を取りに帰宅していたらしい。

 サロメはアイシスの血塗れの姿を見るなり地べたに這いつくばらせ……今に至る。


「一週間前、俺が何と言ったか忘れたか? 忘れたのならもう一度言ってやる。敷地の外で剣は握るな。お前のような才能無き人間がクロウディアの血筋にいると知られては一族の恥。愚者は愚者らしく、家にこもっていればいい。違うか?」


「はい……おっしゃる通りです。申し訳ございません」


「謝るくらいなら最初からするな。それよりなぜ約束を破ったのか聞かせて見せろ。さぞかし滑稽な理由なのだろう?」


「僕は……僕は、期待してしまうのです。みじめで愚かな僕でも、練習さえすれば兄様のような優秀な剣士になれるのではないかと」


「無理だ。才能がないお前では、いくらあがいても俺のようにはなれん。

 諦めろと何度も言って聞かせたはずだが、まだ教えが足らんようだな」


 サロメはそう言うとアイシスの頭から足をどけ、腰に差した剣を抜いた。


「どれ、久しぶりに俺が稽古をつけてやろう。お前も剣を抜け」


 アイシスは言われるがまま剣を抜き『戦気』を限界まで高めた。

 戦気は自身の防御力を高める効果があり、刃物でも受け止めることができる。

 逆に言えば戦気を出せなくなった瞬間、待ち受けているのは死だ。


「ほら、どこからでもかかって来い」


 だらんと無防備な構えで手招きをするサロメ。

 それでもアイシスは動けない。

 心臓がばくばくと脈打ち、息が大きく乱れる。

 体に、脳に、記憶に刻まれた恐怖が、まるで鎖のように彼の体を縛るのだ。


(死にたくない、死にたくない、死にたくない……)


 震える体を抑え込む様に唇を強く嚙む。

 静かな殺気を前にして、アイシスにできるのはただ祈ることだけ。


「来ないのか? ならば俺から行こう」


 サロメが構えた次の瞬間。喉に焼けるような痛みが走り、体がふっとんだ。

 目に見えない速さの突きが喉を貫いたのだ。


「ガァ、ゴホッゴホッ……!」


 息が止まり血の混じった咳をするアイシスの腹を、サロメはさらに蹴り上げた。

 ゴロゴロと力なく転がり壁にぶつかる。


「どうした、強くなりたいのだろう? ならば立て。虫のように地べたを這うだけでは何も変わらんぞ」


 アイシスは再び立ち上がり、剣を構えた。

 小鹿のように震える足を前に出し、何とか一矢報いようと立ち向かうが。


「話にならんな」


 アイシスの攻撃はサロメに一蹴されてしまう。

 当たり前だ、実力が違いすぎる。


 冒険者を始めて僅か一年でS級ダンジョンを攻略した異常者(てんさい)

 それが世間のサロメに対する評価だった。

 ここら一帯のギルドでサロメ・クロウディアの名を知らぬ者はいない。

 性格の悪さが故、人気はないが。実力だけならコールザインよりも上だ。


 冒険者としても剣士としても既に完成の域にあるサロメにとって、アイシスをいたぶることは赤子の手を捻るように簡単なこと。

 天と地がひっくり返っても、今のアイシスが勝つことは無いだろう。


 稽古とは名ばかりの拷問は一時間以上続いた。

 この一時間の間にアイシスは何度も致命傷を負ったが、その度にサロメは魔法で治癒を行った。

 いっそ死ねば楽になれるのに。それすらも許されずアイシスは兄の剣を体で受け続ける。


 一体、何度死線を彷徨っただろう。

 もう動けない。指の一本すら動かないのは、体ではなく心が折れてしまったからだろうか。

 サロメは剣を納めると、仰向けに寝転がるアイシスの上に腰を下ろした。


「やはりお前には才能がない。そんなことは自分が一番よくわかっているはずだが、それでもまだ期待してしまうのか?」


 アイシスは答えない。

 けれど目はしっかりとサロメを見ていた。

 これほどの目に合っても、彼の瞳は死んでいない。

 そうさせるのは、きっとコールザインがくれた期待の言葉のせいだ。

 サロメはそれを肯定と受け取ったのか、深い深いため息をついた。


「はぁ……愚かだな。ならばもう何も言わん。勝手にしろ。ただし二度とクロウディアの名は口にするな。貴様のようなゴミに俺と同じ血が通っていると思うと虫唾が走る」


 吐き捨てるようにそう呟くと、彼はゆっくりと立ち上がった。


「ゴミの血で家が汚れた。掃除しておけ」

「はい、かしこまりました」


 べっちょりと血の付いたコートを床に投げ捨て、サロメは奥へと消えた。

 従者の一人は心配そうな視線を送りながらも、アイシスに触れることはせず淡々と周りを掃除する。

 薄情だと思うだろうか。しかしそうしなければ今度は彼女が同じ目に合う。

 それはアイシスにとっても望まぬことだ。だから彼は助けを求めない。


 アイシスはあらゆる感情を押し殺すように目を閉じた。

 何も見えぬよう、暗闇だけを見つめるのだ。

 悔しさも悲しさも感じなくていいように。

 


 *


 かつてアイシスには父がいた。

 名はローガン・クロウディア。


 優しく、時に厳しく。そして偉大だった父。

 今は息苦しく辛いだけの場所だが、彼が生きていた頃の家は悪くなかったように思う。


「アイシス、弱くてもいい。けれど誰かを守れる勇気だけは持っていなさい」


 父は口癖のようにいつもそう言っていた。

 強さの内に優しさを秘めた、暖かな人だった。


 思えば父と兄は正反対の人間だった。

 ()()()()()()父と、()()()()()()()()兄。

 両者がぶつかるのは必然だったのかもしれない。


「決闘しろ親父。勝てば俺が当主だ」


 剣を抜きそう言ったサロメは冷徹な目をしていた。

 その冷たい瞳が、アイシスは怖かった。


「穏やかじゃないな、サロメ。だがお前も思うことがあるのだろう。導いてやるのも、親としての責務か」


 この時ローガンは旅先でアイシスを庇い、右腕に怪我を負っていた。

 サロメはそのことを知らない。知っているのはアイシスだけだ。


「父様、ダメです。戦ってはいけません!」

「心配するなアイシス。よくある親子喧嘩だ、すぐに終わる」


 止めるアイシスの頭をぽんぽんと叩き、父は左手で剣を抜く。


「その決闘、受けて立つ」


 そしてクロウディア家の命運を分かつ勝負は始まった。

 彼が万全の状態だったなら決して負けはしなかっただろう。

 だが利き腕が満足に使えない状態で勝負を受けた父は───敗北した。


「ハハハッ……俺の、俺の勝ちだローガンッ!!」


 思想の違いから窮屈な思いをしていたサロメは溜まった鬱憤を晴らすように、倒れ伏した父に向けて執拗に刃を振り続けた。

 兄が父を嬲る、異常な光景。

 憎しみを込めた刃で父を切り裂く兄を、アイシスはただ見ていることしかできなかった。


 父が負けてしまったのは自分のせいだ。


 だから助けに行かなければならないのに。

 恐怖で足が動かない。

 恐ろしくて、恐ろしくて。

 ひたすらに兄が怖かった。


(僕は、臆病者だ─────)


 この時ほど自分に絶望したことは無い。

 全てが終わり、サロメが去った後。

 アイシスは涙を流して、倒れ伏す父に必死に謝った。


「ごめんなさい父様、ごめんなさい……!」


 自分は弱くて臆病で。

 ()()()()()()()()はおろか、()()()()()()()()()()()すら持っていなかったのだ。


 敗れた父は回復魔法を使う事すら許されず、サロメしか知らない場所に幽閉されてしまった。

 今となってはサロメに聞くことでしか彼に会うことはできない。

 だがそんな勇気がアイシスにあるはずもなく。

 この出来事が今も呪いのように彼を縛っているのだ。


 *


(僕は……あの日から何も変わらない、臆病者のままだ)


 窓に映った自分の姿に、深いため息をつく。

 目を覚ました時、彼は自室のベッドの上にいた。

 廊下で力尽きて眠った後、エールが部屋まで運んでくれたのだろう。

 こういう時、エールは必ずアイシスの看病を買って出てくれる。

 徹夜で看病してくれていたのか、疲れ果てた彼女はベッドに伏して眠っていた。


「ん、んん……」


 身じろぎをしてエールが顔を上げる。


「おはよう、よく眠れた?」


 寝ぼけ眼がゆっくりと覚醒するにつれ、彼女の顔は蒼白になっていった。


「も、申し訳ありませんアイシス様! 私、私、その……!」

「大丈夫だから落ち着いて。ここは僕の部屋で、兄さんたちは家にいないよ」


 辺りを見渡して状況を把握したのか、エールは安堵のため息をついた。

 これが兄の部屋だったら、エールの首は確実に飛んでいただろう。

 奴隷上がりだからという理由で、人として最低限の尊厳すらない彼女たちの気苦労は想像に難くない。

 死と隣り合わせの生活で彼女たちはよくやってくれている。


(せめて僕に守れるだけの力があれば……)


 理不尽な兄たちの暴力に真正面から立ち向かう勇気と力があれば、彼女たちに辛い思いをさせないで済む。


「ごめんねエール」

「アイシス様……?」


 何故彼が謝ったのか、エールはわからない。

 不思議そうな顔をする彼女にむけてアイシスはこう続けた。


「僕にもっと勇気があれば、こんな思いはさせないで済むのに。僕が兄さんたちより強ければ、守ってあげられるのに……ごめんね、僕が臆病だから。君たちに窮屈な思いをさせてしまう……」

「それは……違います!」


 アイシスの自虐の言葉を、エールはこれまでに出したことのないくらい大きな声で力強く否定した。

 初めてのことだったので、アイシスは驚きの表情を浮かべている。

 黒い目隠しを取り、アイシスの手をがしっと手を掴んだ彼女は熱く語り始めた。


「アイシス様はこんなにもお優しいではありませんか! 本来、奴隷に生まれた私たちはいつ死んでもない境遇だったのです。それを考えると生きているだけで幸せというもの。これ以上を望むのは贅沢だと思い、今までを生きてきました」


 奴隷の大半はアースディアより遥か遠く、ガルガンド大陸と呼ばれる魔物の巣窟の出身者だ。

 彼女も例に漏れず、生まれながら死と隣り合わせの環境で生きてきた。

 この屋敷での生活が救いに見えるほどに。


「死なないよう、殺されないよう。精一杯生きるだけの苦しいだけの日々。でも、そんな無価値な日々に意味をくれたのは他でもないアイシス様でした。少し恥ずかしいですが、その証拠をお見せします」


 エールはそう言うと礼服の内側から小さなノートを取り出した。

 使い込まれた表紙には『希望の記録』と書いてある。

 彼女が細い指先で表紙をめくると、そこには覚えたての拙い字でこう綴られていた。


    ─────●月●日


  失敗した。

  死んだと思った。死んで当然だと思った。

  でもアイシス様が救ってくれた。

  どんくさくて愚図な私を救ってくださった。

  この恩を忘れてはいけない。

  私は一生を賭して、彼にお仕えしよう。



「アイシス様、覚えておいでですか。私が初めてここへ来た日のことを」


 アイシスは言われて思い出す。

 三年前、エールが屋敷に来た日。

 彼女は緊張のあまり、熱々のスープをサロメの膝に零してしまったのだ。


 サロメは即座に剣を抜き、エールを斬り殺そうとした。

 だが、エールは死ななかった。

 アイシスが庇ったからだ。

 

 アイシスは自分が食べる予定だった食事を差し出し、彼女の代わりに罰を受けた。

 

「あの時アイシス様が庇ってくれなければ今の私はありません。でも、それだけじゃないんです。他にも貴方はにたくさんのものをくださいました。続きをご覧ください」


 アイシスは彼女からノートを受け取り、ページをめくった。


    ─────●月●日


  今日はアイシス様がお茶会に呼んでくださった。彼の話はいつも輝いていて希望にあふれている。

  私もいつか外の世界を自由に歩けるようになれば、彼と同じ世界を見てみたい。


    ─────●月●日     

        

  アイシス様がお茶の味を褒めてくださった。すごくすごく嬉しい。

  あの人の言葉が私に勇気をくれる。大丈夫、明日もきっと頑張れる。


    ─────●月●日


  アイシス様の笑顔はいつも暖かい。荒んだ世界でも私が元気でいられるのは彼のおかげだ。

  いつかこの恩を返せるよう、努力を怠ってはいけない。明日も頑張ろう。



 ページをめくるたび、そこには必ずアイシスの名前が書かれている。

 話しかけてくれた。助けてくれた。庇ってくれた。笑顔をくれた。

 どれもアイシスにとっては覚えてもいないほど些細な出来事だったのだが。

 エールにとっては違ったようだ。


 アイシスは彼女がここへ来た時からずっと彼女を気にかけてきた。

 兄たちがいないところでは積極的に声をかけたし、粗相をしたときは庇ってあげた。


 もちろんそれはエールだけではない。

 従者全員のことを思いやってきた彼が、彼女たちに与えた希望は計り知れない。

 エールはノートを通して伝えたかったのだ。

 彼が何度彼女を救ってきたのかを。


 真っ赤な顔でページをめくる彼女の手は震えていた。

 目には涙がたまっている。


「気付かなかったでしょう? アイシス様の言葉にどれだけ私が救われてきたか。貴方がかけてくれた優しい言葉。その一つ一つが私にとっては宝物なんです」


 これまでの思いを吐き出すかのように。

 エールはまっすぐな言葉をぶつけた。


「アイシス様は決して臆病なんかじゃありません。貴方の優しさは、確かに私を救ってくださいました。貴方は誰よりも心が強い、勇敢な人です」


 言葉はまっすぐ、アイシスの心に突き刺さる。

 誰かに必要とされることが、こんなにも嬉しいことだったなんて。


(我ながら、なんて単純なんだ)


 さっきまでの憂鬱が嘘のように、すがすがしい気持ちだ。

 感謝の言葉というのは時に大きな救いとなる。


「……すみません。従者として出過ぎたことを言いました。そろそろ仕事に戻りますね」


 赤面してしまった顔を隠すように、彼女は足早に去ろうとする。


「エール待って!」


 引き留めたアイシスはこのあふれる感謝をどう伝えるか迷って。


「ありがとう」


 シンプルな言葉と心からの笑顔を送った。

 感謝の気持ちはそれだけで十分伝わったのだろう。

 エールは嬉しそうにはにかんで。


「ノートに書くこと、また増えちゃったじゃないですか」


 そう呟くと、大事そうにノートを抱えたまま部屋を後にした。


 部屋に一人残されたアイシスは考える。

 どうすれば彼女たちを守れるだろうか。

 どうすればサロメに自分を認めさせることができるだろうか。


 傲岸不遜なサロメだが、彼は誰にでもそういう態度をとるわけではない。

 唯一、彼が強いと認めた相手には対等に接する。

 現に次男であるランスロットはサロメに気に入られていた。

 それは彼には剣の才能があり、強さを認められていたからだ。

 

 つまり、アイシスの強さを証明できれば─────


 ふと、机の上に置いてある紙が目に入った。

 ジークレイン・アースディア。その騎士を選抜する大会。


 国内から屈指の強豪が集まる、由緒正しき大会だ。

 ここで優勝すれば、サロメも認めてくれるかもしれない。


(諦めるのは、まだ早いか)


 大会まであと一年。

 希望は薄いが、できるだけのことはやってみよう。

 アイシスは剣を握り、静かに誓うのだった。



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