【36話】 深紅の雷 ー後編ー
両腕を犠牲にする自戒律。
シリウスが初めて見せた本気は、文字通りその場を震撼させた。
轟々と、黒い戦気が音を立てて立ち昇る。
値にして【3000】
普段の彼の本気が【500】だとするなら、実にその6倍の戦気量である。
黒々とした彼の戦気を前に、シャーレはとても嬉しそうな顔をした。
「……いいわ、とてもいい。やっぱり、戦いってのはこうじゃないと。自分より格上の相手をねじ伏せてこそ、私の欲は満たされる。貴方ならこの気持ち、わかってくれるでしょう?」
「気持ちはわかりますが、残念ながら貴方の欲が満ちることは無いでしょうね。
なぜならその前に、私が貴方を殺してしまいますから」
その言葉を最後に、シリウスの顔から笑みが消えた。
トッ。
軽い音がした。
次の瞬間、シャーレの身体が凄まじい勢いで吹き飛んだ。
その場に残ったのは、足を蹴り上げた状態で止まっているシリウス。
軽い音はシリウスが地を蹴った音だった。
─────ドゴォ!
凄まじい音がして、洞穴の壁が破壊される。
傍観者で飛んでいくシャーレを視認できたものは一人もいない。
腕を捨ててまで手にした速さは、神童シリウス・ダーライツ最大の武器である。
ばらばらと崩れた瓦礫の中から、頭から血を流すシャーレが顔を出した。
「……不意打ちとは、卑怯な真似してくれるじゃない!」
「心外ですね。私は正面から堂々と蹴っただけですよ。不意打ちなんて卑怯なことをしたつもりはありませんが」
「……言われてみると、確かにそうね。油断していた私の落ち度だわ。でも、もう油断してあげない。だから貴方の速さ、もっと味合わせて!」
「……お望みどおりに!」
狂気的な笑みを浮かべて、手招きをするシャーレ。
その顔面に、再びシリウスの膝蹴りが炸裂する。
「っっ!?」
油断は一切なかった。
それでもなお、神童の蹴りは見切れない。
再び吹き飛ぶシャーレの体。
静止した片足立ちのシリウスが、見たこともないほど恐ろしい顔でそこに立っていた。
「ザイン君、ネルさん─────」
「「はい!」」
静かな洞穴。
鋭い目をした圧倒的強者は、弟子二人に向けて言葉を投げかける。
「この戦いを、よく見ておいてください。これが私の辿り着いた境地。シンプルな速さと力が、結局は一番強いのだと。私が姉弟子から教わったすべてを、今からお見せします」
ごくり、二人の生唾をのむ音が洞穴に響く。
とはいえ、もう既に決着はついたはずだ。
圧倒的な戦力差をもって、シリウスの勝ちで勝負はついたと。
少なくとも、ネクターを含め傍観する三人はそう感じていた。
だが、シリウスだけは知っていた。
目の前で仰向けに倒れる少女の底力。
彼女がまだ、本気のホの字も出していないことを。
「─────発」
少女の口からこぼれた、自戒律発動の合図。
眠っていた修羅が今、地獄の淵から蘇る。
「あはははっ……もっと、もっと私を楽しませて!」
両腕を失うというわかりやすいシリウスの自戒律と違い、少女の自戒律は一見して特に体の変化は見られない。
それもそのはず。
彼女の自戒律は【発動中、耐えがたい激痛が体を襲う】というものだった。
ズキズキ、ズキズキと。
骨の神経を直接突き刺すような痛みが、シャーレを襲う。
だが彼女は、その痛みすら心地いいと感じてしまっている。
脳内にドバドバとあふれ出るアドレナリン。
笑みを浮かべた修羅が、自分の頭から流れる血液をぺろりと舐めとった。
「ここから本気。付き合ってくれるわよね?」
「もちろんです。貴方が死ぬまで、お付き合いしますよ」
笑みを交わした二人の本気が、遂に交錯する。
─────ドドォン!
戦気がぶつかり合う音。
爆発的な熱量同士が交わり、洞穴に風を生む。
シリウスの戦い方は、極めてシンプルなものだった。
蹴り、蹴り、蹴り、蹴り。
両腕がないことがハンデにすら思えないほどの猛攻で、シャーレの体に着実に攻撃を当てていく。
それに対し、シャーレは受けを主体とした、反撃の型で勝負を挑む。
シリウスの素早い攻撃を超人的な反射神経をもって見切り、彼の力を利用しての反撃を試みた。
だが、彼の言葉の通り、結局はシンプルな戦い方が一番強い。
反撃すら許さない彼の蹴りが、徐々にシャーレの身体を破壊していく。
「す、すっげぇ……あれが、最強の弟か……!」
傍観していたコールザインが、興奮した様子でつぶやいた。
一生を鍛錬に費やしても、決して届かないほどの領域。
いったい、どれほどの犠牲を払えば、そこへ辿り着けるのか。
それほどの人物を師匠と呼べることが、嬉しくもあり、恐ろしくもある。
「……畜生がッ」
反撃が決まらないことへのイラつきか。
シャーレの口から思わず暴言がこぼれた。
自棄になった彼女は受けに回るのをやめ、攻撃主体の型に移行する。
だが、それがこの勝負における彼女の敗着となった。
「あっ……」
「─────終わりです」
焦りから、空ぶったシャーレの攻撃。
それを見越したように、シリウスは戦気を溜めていた。
防御不能、回避不能。
それはまさに、不可避の一撃。
圧倒的攻撃力で放たれたその蹴りは、彼女の頭部に見事直撃した。
白目をむいた彼女の頭が、凄まじい勢いで地面に叩きつけられる。
「……勝負あったわね」
腕を組んで勝負の行方を見守っていたネルが、静かに呟く。
「さて、貴方も地獄に送って差し上げましょうか?」
「……いえ、遠慮します。それに、お言葉ですが、まだ彼女は死んでいませんよ」
苦笑いを浮かべて否定したネクターは、倒れているシャーレを指さした。
ふらふらと頭を抱えたまま、血まみれのシャーレが起き上がる。
「いったぁ……レディに対して、何てことすんのよ。流石に死んだかと思ったわ」
「なっ……まだ起き上がれるのか!」
コールザインが驚きの声を上げたが、シリウスは落ち着いた声でこう言った。
「何度起きあがっても同じこと。返り討ちにするだけですよ。
それに、私との力量差がわからないほど、貴方も愚かではないはずです」
自信に満ちた発言。それは確かな事実だった。
事実だったのだが、
「確かに、今のままでは貴方に勝てないわ。そう、今のままならね……」
不気味な発言。
シャーレは袖口から、真っ黒な宝石を取り出した。
それはジークがアイシスに渡した【戦神の宝珠】によく似ている。
ただし、ジークが持っていた宝珠の色は白。
こちらの宝珠は黒色で、ギラギラと危ない光を放っていた。
「できれば、これは使わずに倒したかったのだけれど。
ちょっとそれは難しそうだものね」
─────パキン
石の砕ける音。彼女が宝珠を握りつぶす。
その瞬間、石から漏れ出した何かが、彼女の体に取り込まれた。
「……?」
シリウスが彼女の言動に首を傾げる。
一見して、彼女に変化は見られない。
異変が起こったのは、次に彼女が言葉を発した時だった。
「─────神成」
彼女の戦気、その性質が。
深紅の雷へと変質した。
「なっ……! 赤い雷、だとッ!?」
それを見たシリウスの顔に、明らかな動揺が走る。
ネルやコールザインにはわからない。
彼女が纏う深紅の雷が、どれほど恐ろしいものなのか。
【雷の性質変化】
それは戦気の頂点に君臨する、『性質変化の王』とも呼ばれる能力。
その性質変化を扱えるのは、シリウスの知る限り、歴史上でたった二人しか存在しない。
【白の戦神】アダムと、【黒の戦神】イヴ。
およそ千年前。
時代の覇者として君臨していた二人の神が使ったとされる、幻の性質変化。
それが今、彼の目の前ににいる少女が使った雷の正体だ。
「褒めてあげる。この能力を使うのは、この世界では貴方が初めてよ」
「……それは、光栄なことですね」
乾いた喉。
べったりと張り付くような嫌な予感に、シリウスの胸がざわめく。
得体のしれない女が見に纏う、深紅の雷。
もし、それが本当に神の力だとするなら……
「じゃあ、今度は私から行くわね」
返事をする暇は与えられなかった。
刹那、彼女の身体は消え、深紅の雷が空間を走る。
「─────ッ!!」
音速を超える、彼女の蹴りが炸裂した。
かろうじて間に合ったシリウスの右足が、間一髪のタイミングで攻撃を受け止める。
ビリビリッ!
攻撃を受けた箇所に、痺れるような痛みが伝わった。
百戦錬磨のシリウスは、この一撃を受けただけで分かってしまった。
(……この雷、やはり本物か!)
彼女の雷は見た目だけの偽物でなく、戦神の力そのもの。
理由はわからないが、今この少女は確かに戦神の力を纏っている。
まずい。
シリウスは嫌な予感が的中したことを悟り、最悪のケースを想定する。
ここで言う最悪のケースとは、シリウスがシャーレの手によって殺されるという事態だ。
「ザインく……ッ!」
「余所見厳禁」
何とか二人だけでも逃がそうと、シリウスがコールザインに声をかけようとした瞬間。
したり顔のシャーレが、シリウスの横腹を蹴飛ばした。
「ちょっと、今は殺し合いの最中よ。私だけを見てくれなきゃ、いやっ!」
「……可愛くねぇよ」
頬を膨らませてぶりっこをするシャーレに、腹を抑えるシリウスが苦言を呈した。
力の差は明確。彼女から目を離せば、今度は確実に殺られるだろう。
形勢は逆転し、シリウスは狩られる側になっていた。
二人を助けるためには、意地でもこの勝負に勝つしかない。
シリウスはシャーレに勝つための、最後の賭けに出る。
「破壊律」
刹那、彼の胸に刻まれた六芒星が、白い光を伴って弾けた。
【破壊律】は戦律の欠片を持つすべての者が使う事の出来る、最後の奥義。
使用者は二度と【戦律の解放】が使用できなくなる代わりに、一時的に膨大な戦気を得ることができる。
窮地に追い込まれたシリウスが選んだ苦肉の策。
彼の決意を目の当たりにして、シャーレがひゅ~と口笛を吹いた。
「決死の覚悟ってやつね。いいわ。その覚悟、真正面から受けてあげる」
余裕の表情は崩れない。
彼女は知っているのだ。
自分が未だ、圧倒的に優位な立場にいることを。
「ウォォォオオオオオオッ!」
けたたましい咆哮とともに、シリウスの戦気が上昇していく。
─────ぼふっ。
黒い煙とともに、彼の両腕が元に戻った。
自戒律に頼らずとも、既に十分な量の戦気が彼を覆っている。
破壊律の制限時間は持って1分がいいところ。
対するシャーレの雷も、刻々と制限時間が近づいていた。
お互い、一歩も引けない状況の中。
先に仕掛けたのはシリウスだった。
彼は取り戻した腕で居合の構えをとると、戦気を手元に集中させる。
それは最強直伝の必殺技。
溜める戦気の量が上がれば上がるほど、比例して威力と速さが上がるその技は。
『性質変化など必要ない』と言い切った彼女を象徴するような、シンプルな一撃である。
「撃滅の剣ッ!」
迫真の声と共に、放たれた一撃。
まさに彼の全身全霊をかけた一太刀が、シャーレに襲い掛かる。
弧を描いた剣の軌道は光速となり、彼の刃は彼女の首を断ち切る……はずだった。
「……やるな、神童」
シャーレの口から思わず漏れた称賛の言葉。
彼が放った最後の一刀は、雷を纏った彼女の剣をへし折り、首をガードした右腕に半分ほど食い込んでいる。
だが、刃はそこで止まっていた。
彼の刃は、彼女の首を狩るには至らず。
負けを悟ったシリウスの顎を、深紅の雷が打ち抜いた。
─────轟音。
腕を斬られた少女がお返しとばかりに放った、下からの蹴り。
蒼穹の空に、シリウスの身体が軽々と打ちあがった。
雷によって痺れた全身の筋肉。
もはや彼の身体に、落下にあらがうほどの力は残っていない。
下へ、下へ。
風を全身で受けながら、彼はシャーレの待つ場所へと落ちていく。
バチ、バチバチッ!
シャーレの両手に、シリウスにとどめを刺すための戦気が宿った。
生み出された二本の雷は、螺旋を描きながら歪な槍を作り上げる。
彼女はその雷槍を片手で握り、落ちてくる彼の身体に狙いを定めた。
「さよなら神童……いや、最後くらいシリウスくんと呼ぶべきかな」
シャーレが親しげに呼んだ、彼の名前。
その懐かしさを帯びた響きに、シリウスの顔が驚きに染まる。
「その呼び方……まさか、まさか貴方はッ!!」
「─────貫け、熱月の雷槍」
深紅の雷槍は、熱く熱く。
シリウスを死に至らしめるには十分な熱をもって、彼女の手を離れた。
迫りくる深紅の雷を前に、神童が思い出したのは誰の事だったのか。
熱月の雷槍。
【黒の戦神】イヴの代名詞ともいえるその技が。
自由落下に身をゆだねるシリウスの腹部を、確実に貫いた。
─────どちゃ。
臓物をぶちまけながら、シリウスの身体が地に落ちる。
美しい真っ白な砂浜が、彼の真っ赤な血で深紅に染まっていく。
澄んだ彼の瞳から、徐々に彩が消え……
神童シリウス・ダーライツが、死んだ。
「う、うわぁぁぁああああああああああッ!」
「ネルちゃん、ダメだッ!」
神童の死を前に、剣を抜き飛び出したのは半狂乱のネルだった。
コールザインが止めるのも聞かず、牙をむき出しにしてシャーレに斬りかかる。
「……愚かね」
「!?」
ネルの全力の攻撃を、彼女はたった二本の指で止めて見せた。
そのままねじるように動かすと、ネルの剣が容易く折れる。
「うらぁッ!」
剣がダメと見るや否や、ネルは武器を拳に切り替えた。
戦気を込めた彼女の拳が、シャーレに襲い掛かるが。
─────バキッ!
「ッッ!!」
痛みに顔をゆがめたネルの腕が、逆の方向に曲がった。
シャーレは視認できないほどの速さで、ネルの腕をへし折ったのだ。
神童を葬った彼女にとって、それは赤子の手をひねるように簡単なことだった。
「ぐぁあぁあああっ!」
「うるさいわよ。すこし黙ってて」
シャーレは痛みにもだえるネルの首に手刀を浴びせ気絶させると、栗色の髪を掴んでネクターの足元にぶん投げた。
「ネクター、そいつは人質としてアジトへ連れていくわ。
それから、コールザインには伝言を頼みたいのだけれど……まぁ、そう来るわよね」
ネクターに向かって話していたシャーレの背後に、コールザインの刃が迫る。
彼女は見向きもせずにそれを避けると、シリウスに折られた剣を軽く振った。
すると次の瞬間、剣を持ったコールザインの腕が切れ、宙に飛んだ。
ぴっ─────と、シャーレが折れた刃についた血を払う。
まざまざと見せつけられた戦力差に、コールザインはただただ絶望することしかできない。
失われた希望。
愕然とその場に座り込んだ彼に、シャーレは一枚の手紙を手渡した。
「これを、アイシス・クロウディアに届けなさい。
王都は洞窟を出てひたすらまっすぐ行けば着くわ。お使いが上手にできたら、あのネルって子は殺さないでいてあげる」
何の保証もない、彼女の言葉に。
コールザインは頷くことしかできなかった。




