【35話】 深紅の雷 ー前編ー
スピカが王城へ戻ってきたのは、連絡が来て一時間後の事だった。
「師匠!」
王城、入り口近くの庭でスピカの帰りを待っていたアイシスが走ってくる。
「師匠、その腕は……?」
「ああ、少し油断しただけだ。それより状況を詳しく説明しろ」
「は、はい。夜が明けたあと……」
アイシスはジークが攫われるに至った経緯を順を追って説明する。
突然現れた、死霊戦気を纏った死体。
戦律の簒奪者の襲撃。
鴉の仮面をつけた男の正体が、実の兄サロメであったこと。
幼い子供を人質に取られ、ジークが攫われてしまったこと。
そして、最後に彼女が残したスピカ宛の伝言。
懸命に話すアイシスの言葉を、スピカは終始黙って聞いていた。
「……そうか。起きてしまったことは仕方がない。あとは俺とシリウスに任せろ。
それで、シリウスと連絡はついたのか?」
「いえ、それが……何度もかけているのですが、繋がらなくて……」
「ふむ。あいつもてこずっているのやもしれんな」
「まさか、シリウスさんも……?」
「いや、それはない。あの程度の相手なら、油断していても負けはしないさ」
「……そうでしょうか」
「ああ。あいつは俺の弟だ。何も心配いらん」
スピカははっきりとそう言い切った。
シリウスが彼女を厚く信頼しているように、スピカもまたシリウスを厚く信頼しているようだ。
「それよりも、今はジークの居場所だ。一応、羅針の魔石が大まかな方角を教えてはくれるが、詳しい位置まではわからない。虱潰しに探すしかないか……」
羅針の魔石は、設定した人物の戦気に反応して、その人のいる方角を教えてくれる便利な道具だ。
羅針の先は、ここより南の方角を示している。
スピカが彼女の行先に思案を巡らせていると、がちゃがちゃと音を立てて近衛兵が走ってきた。
「スピカ殿! こ、コールザインさんが!」
「戻って来たか」
「は、はい! とにかく、城の外へ!」
何やら焦った様子の近衛兵が、コールザインの帰還を告げる。
二人は顔を見合わせ、城の外へと急ぐ。
城へとかかる橋。
その中央に、コールザインはいた。
よく見ると、彼の周りには血が流れている。
「ざ、ザインさん……?」
心配して駆け寄ったアイシスの目に映りこんだのは。
橋の中心で絶望的な目をしてへたりこんでいる、片腕を無くしたコールザインの姿だった。
*
時は襲撃があった直後にさかのぼる。
暗闇になった瞬間。咄嗟にネルとコールザインの手を掴んだシリウスは、二人と共に辺境へと飛ばされてしまっていた。
目を開けると、そこは美しい洞穴のような場所であった。
キラキラと光る海、さらさらの白い砂場。
周りは真っ黒な岩で覆われているが、天井は青い空が広がっていた。
こんな状況でなければ、この秘境の美しさに感嘆していたところだろう。
「お二人とも、おけがはないですか?」
「ああ、俺は大丈夫です」
「私も、大丈夫よ」
ひとまず同行者の無事を確認したシリウスは、冷静に状況を分析する。
何者かが悪意を持ってシリウスをここへ飛ばしたのは間違いない。
問題は、それが誰かという事だが。
シリウスは、犯人におおよその見当がついている。
彼はこの秘境のどこかにいるであろうその人物に向かって、こう語りかけた。
「戦律の簒奪者。いるのはわかっています。さっさと姿を見せたらいかがですか?」
そんなシリウスの呼びかけに答えるように、岩陰から一人の男が姿を現した。
「神童シリウス・ダーライツ。お初にお目にかかります。私は戦律の簒奪者を統括しているネクターというものです。以後、お見知りおきを……といったものの、貴方にはここで死んでもらう予定ですので。別に覚えなくても構いませんよ」
ネクター。
そう名乗ったのは、紫髪のオールバックが目立つ病的な雰囲気の青年だ。
「これはどうもご丁寧に。でも安心してください。私もここで死ぬ犯罪者の顔を、いちいち覚えたりはしませんから」
煽り返したシリウスは、即座に剣を抜いた。
戦律の簒奪者が殺した人間は数知れず。
今ここでシリウスに殺されても、何の文句も言えないだろう。
「戦律解放」
漆黒の戦気が、シリウスの身体を包む。
彼からあふれ出る戦気が、空気を震わせた。
値にして【500】を超えるその戦気は、流石最強の弟といったところか。
「す、すごい……これが神童の本気?」
彼の戦気を間近で食らったネルが、思わずそう呟く。
「ネルは見るの初めてだったか。師匠の本気は怖えぞ~? なんたってあの黒龍を一撃でドカンだからな。並みの人間じゃあ、手も出せんさ」
コールザインは嬉しそうに、神童の本当の強さを語った。
彼は冒険者時代、一度だけ彼の本気を見たことがある。
町を襲った黒龍の頭をたったの一撃で粉砕したのだ。
「ザイン君、ぼーっと見てないで。危険ですので離れていてください」
「あ、そうか。ネルちゃん、避難するぞ」
「え、ええ……」
彼の強さを前に、足手まといにしかならない二人は急いでその場を離れる。
とはいっても、ここは逃げ場のない洞穴の中。
できるだけ隅の方に行くことしかできない。
「……噂以上の力ですね。折角ですし、私も少しだけお手合わせ願おうかな」
「少しと言わず、貴方が死ぬまで味あわせてあげましょう」
お互い敬語で話す二人が対峙する。
その勝負は、すぐに幕を開けた。
「アリアドネの糸剣」
ネクターの歪な形の剣が糸のように分かれ、戦気を纏った一本一本が神童に襲い掛かる。
「真・夜斬り」
対する神童は、その場で真一文字に剣を振るう。
すると、彼の剣の軌道上に真っ白な空間が生まれ、その直線状にあるすべてを分断した。
糸のような剣も、背景にある岩も、そしてネクターの身体も。
ぐしゃ。
ネクターの身体が、音を立てて崩れ落ちる。
「師匠の勝ちだな」
コールザインがにやりと笑い、神童の勝利をたたえる。
あっけなく勝負は終わりを告げた。
一仕事終えたシリウスが剣をしまい、二人の下へとやってくる。
「さて、ジーク様のことが心配ですし。できるだけ早めに王城へ……」
「……まさか、これで終わったとお思いですか?」
ネクターの声が洞窟に響き、三人は驚いた顔で声の方へ振り返った。
切ったはずの彼の身体はくっついており、血の一滴も流れてはいない。
そんな彼の姿を見たシリウスが、さも珍しいものを見たという顔で呟く。
「なるほど、不死身ですか。これは厄介ですね……」
「ええ!? 不死身って、師匠倒せるんですか?」
「まぁ一応。これでも最強の弟ですから。時間はかかりますが、殺せないことは無いかと」
コールザインの疑問を受け、シリウスは飄々と答えた。
その言葉に偽りはない。
だが、意外にも不死身の男は焦った様子で戦意の喪失を表明した。
「おっと。今の立ち合いで私が貴方に適わないことはよくわかりました。これ以上私が戦うことはありませんよ」
「……目的は時間稼ぎですか? それなら遠慮なく無視させてもらいますが」
「まさか。あくまでも私の目的は神童の殺害です。もっとも、殺すのは私ではないですけどね。蛇、出番ですよ!」
そんな彼の言葉に呼応するように、岩陰からもう一人のメンバーが現れた。
「なっ……あんたは!?」
岩陰から姿を現した人影の姿を見て、コールザインが驚きの声を上げる。
コールザインが指さした影の正体は。
謎の美少女剣士こと、シャーレだった。
「ザイン君、知り合いですか?」
「はい。こいつがこの前、剣士大会に出ていた謎の美少女剣士ですよ」
「……ああ。戦律の簒奪者のメンバーだとは聞いていましたが。まさかこれほどの美女だとは」
シャーレの姿を見たシリウスが感嘆の声を上げる。
青みがかった絹のような長髪に、病的なほど白い肌。
彼女の最大の特徴でもある切れ長の三白眼が、洞窟の中で異様なほど光っていた。
「よっ、コールザインだっけ。お久しぶり、元気してたぁ?」
手をひらひらとさせて、シャーレはコールザインに声をかける。
そのあまりの可愛さに、思わずコールザインの警戒が緩む。
その気のゆるみを感じ取ったのか、神童が剣を抜いて彼の前に出た。
「失礼。あまり人の弟子を誑かさないで貰えますか? それに、貴方の目的は私の命でしょう?」
「ええ、そうね。神童シリウス。今日は貴方を─────殺しに来たわ」
明確な殺気を出し、シャーレはそう言った。
ビクッ、神童とネクターを除く二人の身体が否応なく殺気に反応してしまう。
「ほぅ、それは面白い。やれるものなら、どうぞやってみてください」
「ふふ。君がどれだけ謝っても逃がすつもりはないから。覚悟して頂戴ね」
ニッコリ笑顔で恐ろしいことを言うシャーレ。
宣戦布告を受けた神童も、余裕のある笑みでそれに応える。
「師匠、気を付けてください。前に戦って感じましたが、こいつは師匠の本気にも匹敵する強者です」
「ええ。こうして向き合っているだけでも、嫌な感じをひしひしと感じますね……でも大丈夫。私もかなり強い方ですから。お二人は何も気にせず、後ろで見ていてください」
シリウスは自信満々にそう言い放ち、前へと出る。
「「戦律解放」」
シンクロする二人の声。
ビリビリと空気が振動し、二つの巨大な戦気がぶつかり合った。
(この女……やはり相当の使い手か。戦気の質と量が、先のネクターという男とは比較にならない)
シリウスは努めて冷静な視線で、目の前の女を観察する。
ゆらりゆらりと柳のように揺れる体。
一見落ち着きがないようにも見えるが、攻撃できそうな隙が無い。
「うふふふ……こうして本気を出すのはいつぶりかしら。心躍る戦いにしましょうね」
「悪いですが、貴方の道楽に付き合っている暇はないので。とっとと決めさせてもらいますよッ!」
シリウスは構え、先ほどネクターに放ったものと同じ技を繰り出す。
『真・夜斬り』
剣先に集中させた戦気を飛ばし、剣の軌道上にあるすべてを分断する。
時空を歪ませるほど強力なその技は、アイシスが黒騎士に放った『夜斬り』の強化版である。
通常なら、触れただけで致命傷になるその技を。
シャーレは一歩も動かず、真正面から受け止めた。
「……いい技ね、でも」
「ッ!?」
彼女は剣を縦に構え、下に向けて振り下ろす。
すると凄まじい風圧とともに、シリウスが放った戦気がかき消された。
「その程度で、私を殺せると思わないでくれる?」
不敵な笑みを浮かべ、シャーレはぷらぷらと手を振るった。
それは強者の余裕か。
「……これは失礼。私も少々、貴方を侮っていたようです。好みの美女が相手だと、殺してしまわないようつい手加減してしまう。私の悪い癖ですね」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない。でも残念ね。私の頭はある人のことでいっぱいなの」
「その人とは……アイシス君の事ですか?」
シリウスの鋭い指摘に、シャーレが驚いた顔を見せる。
「ご明察。流石は神童、貴方もあの子の才能に気付いたのね」
「……ええ、彼はとても優秀ですから。でも、あの子を仲間に引き込もうとしているなら無駄ですよ。彼の心には正義が宿っている。間違っても、悪である貴方の味方になることは無い」
シリウスの発言に、シャーレは口元を隠し上品に笑った。
「そんなの、最初からわかってるわ。私の目的は彼を仲間にすることじゃない。むしろその逆よ」
「逆……ですか?」
「ええ……少しおしゃべりが過ぎたわね。さ、そろそろ本気で来てもらってもいいかしら?」
「言われなくとも、そのつもりです」
シリウスは頷き、両手をだらんと下に下げた。
「発─────」
その言葉は【自戒律】発動時の、共通の合図である。
最強の弟が見せる自戒律は、どんなものなのか。
場に緊張が走る。
警戒するシャーレの目に、信じられないものが映った。
自戒律が発動した瞬間。
ぼふっ─────と音がして。
彼の両腕が煙となって消えた。
「師匠の腕が……消えた?」
傍観していたコールザインも、驚いたようにそれを見ている。
ぱたぱたと空になった彼の服の袖が、潮風になびいた。
「噂には聞いていたけれど。まさか本当に、腕を消す自戒律だなんて……素敵だわぁ」
一時的とはいえ、強さの為に腕を犠牲にした彼の奇怪な姿に。
シャーレは頬に手を当て、うっとりとした顔で称賛を浴びせる。
「この姿になるのは本当に久方ぶりです。こうなってはもう、貴方がいくら美人でも手加減はできませんので。死を覚悟してくださいね」
にこっと、さわやかな笑顔を浮かべ、神童はそう言った。
片足を上げた構え。
強さの為に腕も剣も捨てた、彼の本当の強さ。
最強の弟と底知れぬ力を持った美少女の対決が、ついに幕を開ける。




