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鴉の騎士  作者: 詩から歌詞
31/43

【31話】 貴方の騎士


「気をつけろ、アイシス。この鴉、相当手強いぞ」

「はい。こうして対峙するだけで、かなりの戦気を感じますね……」


 鴉の仮面をした男の放つ、膨大ともいえる戦気。

 スピカともシリウスとも違う薄暗い戦気は、底知れぬ恐怖を感じさせる。

 強大な敵を前に剣を構えたアイシスの腕は、微かに震えていた。


「……大丈夫。私と君、二人の力を合わせれば、適わない敵ではないさ」


 アイシスの僅かな震えに気付いたジークは、強張っている彼の背中を軽く叩き、肩を引っ付けるように並び立つ。

 肩を通して伝わる、暖かな体温。

 僅かに触れた肩から、勇気が流れ込むような気がした。


(そうだ。ジークさんと一緒なら、どんな敵が来たって……)


 アイシスの中に満ち溢れた希望。

 しかし─────

 彼の胸中に渦巻いた幸福な感情は、思いもよらぬ形で断ち切られることになった。


「アイシスと聞いてまさかと思ったが。ランスロットの言う通り、運命とは数奇なものだな」

「……え?」


 驚いたような声で呟いた鴉の言葉に。

 懐かしさと恐怖が入り混じったような、気持ちの悪い感情がアイシスを襲う。

  

「実の兄に刃を向けるとは。まったく、どこまでも愚かな弟だ」


 それは聞き覚えのある、冷たい声だった。

 底の見えない深淵からせり上がってくるような、おぞましさを孕んだ鴉の声に。

 アイシスの心に満ちていた希望が、一気に絶望へと変わる。


「その声……う、嘘だ……」


 がちがちと合わない歯の根を鳴らして、アイシスは体を震わせた。

 異常なまでに上がった心拍数。

 心配したジークが「どうした?」と声をかけるが、彼の耳には届かない。


 鴉は仮面に手をかけ、ゆっくりとそれを引きはがす。

 ついに、ずっと隠していた彼の素顔が露わになった。


 奇妙な仮面の下から現れたのは。

 アイシスと同じ、血のように赤い瞳と女のように整った美しい顔。

 忘れたくても忘れられない、アイシスにとって恐怖そのものでもあるその男の正体は。


「サロメ、兄様……?」


 アイシスの呼びかけに、サロメは狂気的な笑みで応える。

 鴉の仮面を被った謎の男。 

 その正体は死んだはずのアイシスの兄、サロメクロウディアであった。

 

「なぜ貴方が……し、死んだはずじゃあ!」


「ああ……あの死体なら別人だぞ。ちなみに、ランスロットを殺したのも俺だ。

 あれしきの偽装も見破れんとは。相変わらず、愚鈍なようで安心したよ」


「そ、そんな……」


 兄の口から告げられた真実に、アイシスの震えが大きくなった。

 がくがくと膝が笑い、立っているのもやっとの状況。

 長年の奴隷生活で彼の心に染みついた兄への畏怖が、アイシスから正気を奪う。


「さぁ愚弟よ。その剣を今すぐに下ろし、地面に膝をつけ。

 嫌というなら別に構わないが、それ相応の罰を受けてもらうぞ。

 俺の命令に逆らえばどうなるのか、まさか忘れたわけではあるまいな?」

「は、はい……」


 アイシスは兄の言葉に素直に従い、構えた剣を下ろし、膝を地につけた。

 真っ白になった頭の中で、どうすれば兄を怒らせずに済むかを考えてしまっている。

 

 自分の言葉に従ったアイシスを見下ろして。

 サロメは心底楽しそうに笑った。


「クハハッ!……そうだ、それでいい。

 貴様はそうやって、馬鹿みたいに俺の言葉に従っていればいいんだ。

 それが才能のかけらもない、貴様にできる唯一の……ッ!?」


 突如飛んできた斬撃に、サロメの言葉が中断される。

 斬撃を放ったのは他でもない。

 隣で一部始終を聞いていたジークだ。


「さっきから聞いていれば、愚鈍だの愚かだの……愚かなのは貴様の方だ、サロメ・クロウディア。

 私の騎士をこれ以上侮辱するというのなら、私がそのよく喋る舌を引きちぎってやる!」


 剣先をサロメに向けたジークの瞳に、先ほどまでの冷静さは無い。

 うっすらと涙が浮かぶ彼女の瞳には、悔しさがにじみ出ている。


 自分の騎士を侮辱され、黙っていられる彼女ではなかった。

 彼女はうずくまる少年の代わりに激昂する。


「アイシス! こんな奴の言う事を聞くな! 怖くてもいい、私がいる! 

 君が望むなら、私が君を守る盾にもなろう! だから、立ち上がって私と共に戦え!」


 闇を照らす太陽のような彼女の言葉に。

 アイシスの恐怖心が、僅かに薄れた。

 

 アイシスは立ち上がり、震える手でもう一度剣を構える。

 そのへっぴり腰の構えは無様もいいところだったが、ジークは満足そうに頷いた。


「それでいい。君はもうかつての臆病者のアイシスじゃない!

 強くなった今の君を、愚かな兄に見せつけてやろうじゃないか!」

「は、はい……!」


 なんとも歯切れの悪い返事だったが、ジークは彼に笑顔を向けた。

 

「……くだらん茶番だ。まぁいい。弱者が一人増えたところで、俺のすべきことは変わらない」


 サロメは傲岸不遜な態度で、二人を迎え撃つ。

 彼は一歩一歩、覇道を進む様に前へ出ると、剣先をアイシスに向けて宣戦布告する。


「まずは貴様からだ、愚かな弟よ。この兄に逆らった事、一生かけて後悔させてやる」

「アイシス、来るぞッ!」


 この時、ジークの忠告すら聞こえないほどに、アイシスはサロメの言葉に脅えていた。

 サロメの何が、そこまで彼を恐れさせるのか。

 彼に恐怖を与えるように、ゆっくりと近づいたサロメは。

 戦気を込めた足で、アイシスの腹を力強く蹴り飛ばした。


「ぐぅっ!」

 

 腹を蹴られたアイシスは勢いよく飛ばされ、コロシアムの壁に身体を打ち付けてしまう。

 背中に衝撃が走り、ずるずるとその場にへたり込んでしまった。


(やはり、呪いはまだ消えていないようだな……)


 無抵抗で蹴られたアイシスを見て、サロメは確信した。

 頭にかぶった黒い兜の下。

 アイシスの額には、サロメだけに見える真っ赤な印が付いている。


 それは『服従の呪紋』と呼ばれる、呪いの紋章。

 

 まだ幼かった頃にサロメがアイシスに刻んだ、恐怖を植え付ける呪いである。

 アイシスが異常にサロメを恐れるのは、この紋章が彼の感情を支配するからだ。


「貴様はそこで大人しくしていろ。用があるのは、お姫様だけだ」

「アイシ……ッ!?」


 サロメの攻撃で、今度はジークの言葉が遮られる。

 力強く押し込まれる刃。

 ジークもそれを押し返そうと奮闘するが、力及ばずじりじりと追い込まれていく。

 やはり一人では適わない。

 そう判断したジークは倒れているアイシスに向けて、言葉を投げかける。


「立ち上がれ私の騎士! 君はッ、君はまだ戦えるはずだ!」

「……無駄だ。貴様の騎士はもう立ち上がれない。

 貴様も知っての通り、奴は根からの臆病者だからなぁ」

「うるさい黙れッ! アイシス、聞こえているんだろう! 私一人じゃダメなんだ! 

 君が、君の力が必要なんだよ! お願いだ、私と共に戦ってくれ!」


 ジークの必死の呼びかけも虚しく、アイシスは俯いたままピクリとも動かない。


「クハハッ、滑稽だな。信じた騎士に裏切られる気分はどうだ、お姫さまッ!」

「まだ言うか貴様……ッ!!」


 激昂し、力任せで押し返した剣。

 それに合わせるように、冷静なサロメがすっと剣を引いた。

 支えを失ったジークの身体が、前のめりで倒れる。


(しまっ……!)

 

 サロメの膝蹴りが、ジークの下あごを打ち抜いた。

 攻撃がクリーンヒットして、脳みそが揺れる。

 平行感覚を失った彼女の身体を、サロメの剣が追撃した。

 

「ぐぁああああっ!」


 鞭のようにしなる剣が、彼女の体に傷をつける。

 そこから先は、無残なものだった。

 ジークがふらふらと立ち上がる度、ねっとりと痛ぶるようなサロメの斬撃が彼女を襲う。

 女を相手にしているとは思えない、えげつない戦い方でサロメは彼女の心を折りにかかった。

 

「クハハハハハッ! ほらほら、もっと逃げ惑え。貴様が無様に逃げ回るほど、俺の心は満たされる。もっと醜く、抗って見せろ!」


 生粋のサディストであるサロメの高笑いが、コロシアムに響く。

 サロメは逃げまどう彼女の背中を剣で切り付け、傷口のできた場所を蹴り飛ばした。

 血を流す彼女の身体が、アイシスの前に転がる。


「あ、アイシス……」


 ジークは助けを求めるように、俯いたままのアイシスに向けて手を伸ばした。

 それでもなお、アイシスは動かない。

 呪いと恐怖に蝕まれた彼の目はもう、ジークの姿は映っていなかった。


「無駄だというのがわからん奴だな」


 ドカッと、ジークの腹をサロメが蹴り上げる。

 ゴロゴロと転がった身体。

 満身創痍の彼女の前に、一人の男が立ちはだかった。

 

「騎士団長バルド。市民全員の避難を終え、遅ればせながらはせ参じました」


 サロメの前に現れたのは、アースディア騎士団の制服に身を包んだ大柄の男であった。

 男の名はバルド。

 会場にいた全員の避難を終えた彼は、ジークが戦闘しているのを見て駆け付けたのだ。

 アースディア騎士団の彼らは、ジークを守るための壁を作る。


 彼らは『戦律の欠片』を有していない。

 バリアで防御を固めてはいるが、サロメの足止めすら満足にできないだろう。


「お前らわかっているな。ジーク様のため、死ぬ気でそいつを足止めしろ!」


 ジークの満身創痍の身体に、バルドが『レイズ』の魔石を使う。

 緑色の光が彼女を包み、瀕死状態であった彼女の意識が戻った。

 

「ジーク様、大丈夫ですか!?」


 うっすらを目を開けたジークに、バルドが心配そうに声をかける。

 ジークは痛みに顔歪めながら起き上がると、バルドに向かってこう言った。


「……バルド、1分でいい。私がアイシスと話す時間を作ってくれないか?」

「……承知しました。この騎士団長バルド、死に物狂いで時間を稼ぎましょう。行くぞお前ら!」


 彼の一声に、騎士団が「おぅっ!」と声を上げる。

 実力不足だと知っていながら、彼らは主の為にサロメへと立ち向かっていく。

 彼らに向けて「すまない」と呟いたジークは、痛む身体を引きずりながら、コロシアムの壁に寄りかかるアイシスのもとへと急いだ。


「ジーク様のためなら、たとえ地獄の底でも喜んで飛び込もう!」

「無駄なあがきを……!」


 王女としてのジークは、皆から愛されているらしい。

 彼らはやられることをものともせず、ただひたすらサロメに向かって突っ込んでいく。

 サロメの攻撃により、騎士団の猛者たちが次々とやられていく中。

 ジークは片膝をつき、動かないアイシスに語り掛ける。


「アイシス、そのままでいい。どうか私の話を聞いてくれ」


 彼女は彼を責めるでもなく、愛しさすら感じる手つきで彼の顔を隠す兜を取った。

 虚ろな瞳をした、アイシスの素顔が露わになる。

 ぼろぼろになった血まみれの手で、ジークは脅えるアイシスの頬に触れた。

 

「エールからすべて聞いたよ。君の父上のこと、サロメのこと。

 君がずっと兄に脅えて暮らしてきたことも。

 彼女の話を聞くに、本当の君は案外臆病なのかもしれないな……」


 そうだ。

 あの日から何も変わらない、臆病者の僕。

 父が兄に負けた時と同じ。

 主であるジークが目の前でやられていても、この足はピクリとも動かない。

 臆病で情けない、自分が嫌になる。


 深い自己嫌悪に陥るアイシスに、優しい声音でジークはこう続けた。

 

「……でも、私は知っているんだ。

 君がシリウスに勝つために、あの恐ろしいスピカに必死で食らいついていたことを。神童を前にして、一歩も引かずに戦った君の勇気を」


 ……そんなものは詭弁だ。

 ジークの騎士になるために装った、偽りの僕。

 一時の幻想にすぎない。

 本当の僕は臆病で、何もできない、愚かな弟なんだ。


「確かに、臆病者の君がいるのも本当だけど。

 困難に勇気をもって立ち向かえる君もまた、本当の君なのだと私は思う。

 あまり自分を責めるな。誰しも、心の中に弱い自分を持っているものだよ」


 ……。


「大丈夫。今の君なら、きっと兄への恐れに打ち勝ち、もう一度立ちあがれるはずだ。スピカに教えを乞い、シリウスに立ち向かった、今の強い君ならね」


 ……。

 ……どうして。


「どうして貴方は、そこまで僕を……」

「信じるさ。それが、主の務めというものだ」


 アイシスの言葉を遮って、ジークは毅然と言った。

 一切の迷いがない肯定の言葉に、アイシスはようやくその暗い顔を上げる。

 あの夜と同じ、青色の瞳がまっすぐにアイシスを見つめた。


「そういえば、まだあの問いの答えを聞いていなかったな。もう一度だけ聞くよ。

 アイシス、君は……君は何者だ?」


 最後に問いかけを残して。

 何者でもなかった少年に、生きる意味を与えた少女は立ち上がった。


 後ろで、騎士団を率いる長として最後まで戦ったバルドが倒される。

 どさっ……と大男が地に伏し、サロメが欄々とした目で標的(ジーク)を見た。


「終わりだ、ジークレイン・アースディア。これを最後の一撃としよう」


 サロメの剣に、戦気が集中する。

 

 

(信じてるぞ、私の騎士……)


 彼女は剣を納め、戦気を完全に消した。

 無防備になった身体で、彼女は凛然と腕を組んだ。

 それがジークの、彼に対する最大限の信頼の示し方であった。

 そして、そんな彼女の信頼に応えるように。


 ()()()()が、空を舞う。


 ─────キンッ


 涼やかな音が響き、サロメの剣が弾かれた。

 上空から舞い降りたアイシスが、サロメの攻撃を捌いたのだ。


「……馬鹿な。呪いの紋章が、消えただと!?」


 サロメが、ジークの前に降り立った少年の額を見てそう呟く。

 少年は迷いのない目で兄を睨みつけると、力強く剣を薙ぎ払った。

 

「ジーク、ありがとう。おかげで目が覚めたよ」

「……答えは見つかったようだな」


 アイシスはジークの問いに、頷いて答える。

 鴉の騎士は、精悍な顔つきで彼女の前に立ち。

 ずっと自分を虐げてきた兄に向けて、こう言い放った。


「僕の名はアイシス・クロウディア。

 他でもない、ジークレイン。

 世界でただ一人の、貴方の騎士だ!」


 決意の灯った赤い瞳が、敵となった兄を見据える。

 額に会った忌々しい紋章と共に、兄に対する恐れは消えていた。

 

 何者でもなかった少年が、生きる意味を見つけた時。

 少年はきっと、何者にも負けない剣士になる。


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