【30話】 襲撃
多くの観客に見守られる中、式典は幕を開けた。
コロシアムに設置された白いステージ。
その中央に立つジークレインを囲うように、近衛兵が並んでいる。
「騎士、入場!」
ステージに立つ近衛兵の一人が声を上げ、入場口から黒い鎧に身を包んだアイシスが現れた。
アイシスは真っ赤なカーペットが引かれた道を歩きにくそうに歩む。
その脇道にはスピカやシリウス、コールザインやネルの姿もあった。
アイシスはまっすぐ歩み、ジークレインのもとにたどり着く。
式典用の真っ赤なドレスに身を包んだ彼女の姿は、会場にいるほぼ全員の目を釘付けにしてしまうほどの美しさだった。
「なかなか似合ってるじゃないか」
「そうですか? 慣れない格好をすると、緊張しますね……」
「ははは、私の騎士になったからには、今後こういった式典は山のようにあるぞ。早いとこ慣れてもらわないとな」
「頑張ります」
「うん。最後に確認するが、本当に私の騎士になってくれるんだよな?」
「はい。今はまだ未熟な僕ですけど、いつかは胸を張ってジークさんの隣に立てるような騎士になってみせます」
素直な気持ちを吐露すると、ジークは柔らかな笑みでほほ笑んだ。
「それでは、制約の儀を行う。ジークレイン・アースディア、彼に剣の首に剣を」
近衛兵の言葉に頷いたジークレインが、腰に差した剣を抜く。
真っ黒な刀身を持つその剣は、異様な雰囲気を放っていた。
「この剣……もしかして、鴉の黒剣ですか?」
「おっ、よく知っているな。これは正真正銘、本物の鴉の黒剣だよ」
「凄い……まさか、この目で実物を見る日が来るなんて……」
【鴉の黒剣】とは、かの英雄ジークレインが扱ったとされる伝説の剣である。
英雄が実際に使っていた剣を目前にしたアイシスの目が、わかりやすく輝く。
「ちなみに君が今着ている黒鎧も、ジークレインが実際に使っていたとされている代物だぞ」
「……ええっ!? そんな貴重なものを、僕が着ていいものなのでしょうか?」
衝撃的な事実に、アイシスが素っ頓狂な声を上げる。
真っ黒な鎧に、真っ黒な剣。
英雄ジークレインはその容姿から、【鴉の騎士】の異名を持つ。
世界規模で見ても高名な彼の鎧は、言うまでもなく国宝級の品だ。
「それだけ重みのある仕事というわけだ。私が言うのもなんだが、王女の騎士は生半可な覚悟じゃ務まらない。やめるというなら今の内だが?」
「覚悟ならできています。貴方の騎士として、命を賭す覚悟が」
「……その言葉を待っていた。それじゃあ、儀式を始めようか」
ジークレインは抜いた剣を彼の首に当てる。
冷たい刀身が、鎧の隙間から覗く皮膚に優しく触れた。
「汝、ジークレインの騎士となり、彼女にすべてを捧げると誓うか?」
「……誓います」
「よろしい。それでは、誓いの儀を……」
アイシスはジークレインに向けて右手を差し出す。
ジークレインはその手を取り、反対の手で従者からオレンジ色の魔石を受け取った。
パキン─────
涼やかな音を立てて割れる魔石。
すると、ジークとアイシス、二人の右手の甲に真っ赤な魔法陣が浮かび上がった。
【ラディカルータの誓約石】
神話に出てくる女神の名を冠したそれは、国を統べる者に与えられる特殊な魔石だ。
王となる人物は自らの騎士となる人物にこれを与え、主従の契約を結ぶ。
契約を結んだ二人は一心同体となり、どちらか片方が死ねばもう片方も死に至る。
今この瞬間からアイシスの命は、ジークレインの命と繋がったのだ。
まさしく命懸けの契約を終えたアイシスは、どこか誇らしげに見えた。
「……これで儀式は終わりです。皆様、新たな騎士の誕生に、盛大な拍手を!」
近衛兵の言葉に、会場の全員が惜しみない拍手を送る。
「それと、これも君に預けておこう」
ジークはそう言うと、自らの首にかかっている白い宝石の付いたネックレスをアイシスに手渡した。
「これは……宝石ですか?」
「ああ。スピカから貰った、【戦神の宝珠】と呼ばれるものだ。中には戦神の戦気が込められてるらしい。お守り代わりに持っておくといい」
アイシスは受け取った白い宝石を眺める。
いわゆるオーバルカットと呼ばれる楕円形に整えられた宝石は、太陽の光を反射してキラキラと輝いていた。
ジーク曰く、戦神の戦気が込められているという話だったが。
言われてみると、不思議な力を感じる気がする。
アイシスは「ありがとうございます」と感謝を述べ、大事にポケットにしまった。
「それじゃあアイシス。改めてよろしく─────なんだ?」
ジークレインがアイシスに握手を求めたその時。
突如、辺りが暗くなった。
会場であるコロシアムに天井はなく、先ほどまで青々とした空が広がっていたのだが。
それが一瞬で夜が訪れたかのように暗くなったのだ。
「……まさか、襲撃か?」
冷静なジークレインの声が、アイシスの耳元で聞こえる。
「ジークさん、僕から離れないでください!」
アイシスはジークの手を、離れないよう力強く握った。
ざわざわと、会場の困惑が大きくなる。
「スピカ! スピカはいるか!」
ジークは暗がりに向かって叫ぶが、返事はない。
ジークが諦めてシリウスの名を呼ぼうとした時、突然夜が明けた。
戻ってきた明るい日差しに、思わず顔をしかめる。
明るさに目が慣れた二人が急いで周囲を見渡すと。
そこにいたはずのスピカ、シリウス、ネル、コールザインの四人の姿が消えていた。
「……ジークさん! し、師匠たちが!」
「ああ。わかっているから、まずは落ち着け。焦りは余計に事態を悪化させるだけだぞ」
あわあわと慌てるアイシスを、ジークがいさめる。
こういった事態に慣れているのか、彼女は至って冷静だった。
ふと、警戒するジークの懐がぶるぶると震える。
ジークは繋いでいない方の手で、懐から魔石を取り出した。
『……ジーク。無事か』
魔石から聞こえたのはスピカの声。
この魔石は『伝達石』といい、対応した魔石同士の通信を可能にする。
貴重な魔石を使用するため、これ一つで家が買えるほどの高級品だ。
「ああ。今のところ大丈夫だ。でも、まずいことになってるのは確かだな。
可能な限り、早く帰ってきてくれ」
『善処しよう』
スピカが淡々とした声音でそう言うと、通信は切れてしまった。
観客に近衛兵が拡声石で『落ち着いてください』と呼びかけた。
ざわざわと聞こえる不安そうな声に混じって、子供の泣き声も聞こえる。
警戒するジークとアイシスを、どこからともなく現れたアースディア騎士団の面々が囲った。
動揺を見せず、淡々と不測の事態に備える彼らは頼りになる。
流石は国民の憧れの的であるアースディア騎士団といったところか。
「さて、どうしたものかな。アイシス、警戒は怠るなよ」
「は、はい……」
ジークの手を握る手に、思わず力が入る。
暗闇の中で握る彼女の手は、じっとりと汗で湿っていた。
「きゃああああああああああ!」
突如、会場から悲鳴のようなものが聞こえる。
悲鳴のした方を見ると、観客席から血が飛び散るのが見えた。
剣を持った魔物のような何かが、観客を斬りつけている。
目の前で人が殺された観客たちはパニックに陥り、式典会場はあっというまに混沌に包まれた。
「まずいッ! 騎士団は観客たちの避難を優先させろ! アイシスは奴らを狩れ!」
「で、ですがッ!」
「今は人命が最優先だ! 私なら大丈夫。君は君の為すべきことをしろ!」
「は……はい!」
ジークの鋭い目つきに彼女の実力を思い出したアイシスが、手を離して大きく頷いた。
語気は荒いが、努めて冷静なジークが救いだ。
アイシスは即座に剣を抜き、魔物のいる方角へと急ぐ。
コロシアムの外壁を乗り越え、観客席を駆けのぼる。
アイシスが魔物のもとへたどり着いた時、魔物は女性に刃を突き立てていた。
「やめろッ!」
制止を促す声とともに、アイシスは魔物に向けて剣を振るう。
魔物の腕が宙を舞い、奴は大きく後ろに飛びのいた。
アイシスは急いで、倒れている女性に駆け寄る。
「……遅かったか」
取り急ぎ女性の安否を確認したアイシスだが、彼女は既に事切れていた。
逃げ遅れた観客をかばうように立ったアイシスは、改めて魔物と対峙する。
錆びた鉄鎧に身を包んだ、人型の魔物。
兜の隙間から覗いた魔物の虚ろな目を見て、アイシスはハッとした。
魔物が放つ嫌な感じは、かつてネルとダンジョンの奥底で出会った動く死体によく似ていたのだ。
(この感じ。死霊戦気……ってやつか?)
こいつは魔物ではなく人間の死体だ。
目を凝らして見てみると、胸には大きな穴が開いている。
今回の襲撃は、ギルド狩りと同一の集団による犯行とみるべきだろう。
(とにかく、急いでこいつらを片付けてジークさんのもとへ戻らないと!)
アイシスは「戦律解放」と呟き、魔物に向けて斬りかかる。
魔物は反撃の意思を見せたが、シリウスの動きに比べれば止まっているようなものだ。
アイシスの剣が届き、魔物の首が飛ぶ。
頭を無くした魔物は、あっさりと地に伏した。
「ここは危険です。急いで外へ!」
「あ、ありがとう!」
逃げ遅れた人々にそう告げ、アイシスは次に向かうべき場所を目で探した。
A級以上の冒険者と同等の戦気を持つ魔物だったが、あっさりと倒すことができた。
アイシスは改めて、自分が成長していることを実感する。
だが、今は感傷に浸っている暇はない。
「次は……向こうか!」
素早くあたりを見回し、騒ぎの中心になっている場所へ急ぐ。
会場の魔物は残り数十体。
アイシスは民衆を一人でも多く助けるため、一心不乱にそれらを狩り続けるのだった。
*
騎士団と新しい騎士を人命の救助に向かわせたジークレイン。
一人になった彼女の前に、ある人物が姿を現した。
奇怪な鴉の面を被った男。
不気味な雰囲気を漂わせるその男は、無言で彼女の前に立ちはだかった。
「君は……戦律の簒奪者のメンバーか」
「そうだ。此度は貴様をさらいに参上した。大人しくしていれば、悪いようにはしない」
鴉の仮面をつけた男は、低く渋い声でそう告げる。
宣戦布告を受けたジークは慌てることなく、堂々たる態度で対峙した。
「はは、悪いようにはできない……の間違いだろう? 私を殺せば『逢魔の姫』の復活は、叶わぬ夢となり消え失せる。君は抵抗する私を、殺さずにさらうことができるのかな?」
ジークは鴉に向けて挑発的な言葉を吐いた。
焦る内面を隠すように、腕を組んでわざと生意気な態度をとる。
「仕方ない……女を痛ぶる趣味は無いのだがな。死なない程度には痛めつけさせてもらうぞ」
チャキ。
金属の擦れる音がして、鴉は腰に差した剣を抜いた。
軽く傷をつけるだけ。
そんな鴉の優しさすら感じる攻撃を。
ジークは羽虫を振り払うようにいなし、彼の身体に流れるような反撃を叩きこんだ。
「……ッ!?」
ドッと鈍い音がして、鴉のみぞおちに深い一撃が入った。
仮面で見えない鴉の顔が、驚きに染まる。
彼は反撃を受けた個所を抑え、後ろへと下がった。
「鴉の男。私をおとぎ話に出てくるようなか弱いお姫様だと思っているなら、それは大きな間違いだよ」
ビリビリと高級な赤いドレスを剣で引き裂き、動きやすいように改良すると。
自信に満ちた表情のジークは、流麗な動きで剣を抜いた。
静かな瞳に炎が灯る。
噛み締めるような「戦律解放」の声と共に、ジークの戦気が大きく膨れ上がった。
「痛い目を見るのは、果たしてどちらか……試してみるかい?」
構えた彼女の戦気の大きさに、鴉が「ほぅ」と感嘆の声を上げる。
ジークの戦気の大きさは値にして【100】を超えていた。
彼女もまた、最強の弟子の一人。
仕事や勉学が忙しく、剣を握っていなかったとはいえ。
王女として自分の身を守るには、十分な戦力だった。
だが、それを見た鴉に焦ったような様子はなく。
それどころか、彼はどこか楽しそうな声音でこう言った。
「この展開は聞いていないぞ……と、後で仲間に愚痴をこぼすとしよう。
半殺しの貴様を手土産に持ってな」
威圧的な声音で「戦律解放」と言い放った彼の戦気もまた、常人の域をはるかに超えたものである。
値にして【200】にも届く彼の戦気は、底冷えするような冷たさを感じさせた。
「なっ!?」
予想より遥かに強大な戦気を前にして、ジークの目に明らかな動揺が走る。
動揺した彼女を挑発するように、勝気な声で鴉が挑発した。
「やはりか弱いお姫様には、少し刺激が強すぎたかな?」
「……戦気の大きさだけが、強さだと思うなよ!」
意気込みと共に、先に仕掛けたジークが果敢に攻め立てる。
師匠譲りの剣技は基本に忠実で隙の無い、とても綺麗な剣だった。
だがその綺麗さが、今回は裏目に出てしまう。
対する鴉の剣技は、相手の技を受け流すことを中心とした、いわば受け身の型。
勇猛果敢に攻め立てるジークの剣技に対して、めっぽう強く立ち回れる攻め方である。
戦いが長引くにつれ、ジークの不利は明確になっていく。
幾度となく交わる刃。
冷や汗を垂らし、鴉の反撃を正面から受けるジークは、次第に壁際へと追い込まれていった。
「ほらほらどうしたお姫様。先生に習った綺麗な戦い方だけでは、俺に一撃すら浴びせられないぞ」
「……犯罪者は戦い方が汚くて困るな。自分の剣にプライドがないのか?」
ジークの自尊心を刺激するような煽りに、鴉はくつくつとおかしそうに笑った。
「戦いに綺麗も汚いもないだろう。あるのは純粋な勝敗だけだ」
「はっ、悪人がいう事にしては、なかなかどうして的を得ている。確かに、君の言う通りかもなっ!」
ジークはコロシアムの地面を蹴り上げ、鴉の顔に砂をかけた。
汚いやり方だったが、鴉の視界が奪われ絶好の好機が生まれる。
すかさずジークの剣が鴉に振りかかるが。
突如、鴉の前にぶわっと黒い雲のようなものが現れ、ジークの剣が闇に呑み込まれた。
「なっ……闇の性質変化だと!?」
ジークの驚きの声が、コロシアムに響く。
彼女が驚いてしまうのも無理はない。
今しがた鴉が使った闇の性質変化は、百年に一人使える者が現れるかどうかという、とても希少な能力である。
歴戦の英雄が使ったとされる、その特殊極まりない性質変化を目の当たりにして、ジークの焦りが大きくなった。
「その力、悪人にはもったいないほどの才能だな」
闇から剣を引き抜いたジークが、冷や汗を流してそうこぼす。
「……先ほどから、貴様は俺が悪だと決めつけているようだが。なぜそう思う?」
「バカなことを聞くな。現行犯で私をさらおうとしているお前が、正義なわけがないだろう」
それは至極真っ当な意見だ。
彼の行為は重大な国家反逆罪となり、捕まれば一生を牢獄で暮らすことになる。
百人に効けば百人が彼を悪だというだろう。
だが、鴉は彼女の答えをあざ笑い、それは違うと首を振った。
「……素直で哀れな箱入り娘に、一つ良いことを教えてやろう。
正義とは、それ即ち強さだ。戦いに勝ったものだけが、すべてを奪い上に立つ権利を得る。
つまりこの場では、俺が正義でお前が悪というわけだ」
強さは正義である。
サロメの根幹にある強烈な思想がそのまま表れたようなセリフに、ジークは呆れたように笑った。
「まるで子供だな。そんな無茶苦茶な道理が、現代社会でまかり通ると本気で思っているのか?」
「いや、今は無理だろうな。でも、だからこそ。
この一見歪んだ道理を押し通すために、お前のその戦律の核が必要なのさ」
鴉はそう言って、ジークの左胸を指さした。
彼女の胸に刻まれた真っ白な六芒星。
ジークは戦律の欠片によく似たその紋章を隠すように胸を抑える。
「なるほど、それが貴様らの望みというわけか」
納得したように、ジークは呟いた。
「さて、無駄話はここまでだ。あまり時間をかけていると、面倒な奴らが来てしまいそうだからな。
そろそろ一緒に来てもらうぞ」
「断ると言ったら?」
「無理やりにでも連れていくさ。その為に手にした力だ」
鴉は再び戦気を滾らせ、壁際のジークをゆっくりと追いつめていく。
彼の剣に禍々しい戦気が宿り、
万事休すと思われたその時─────
「!?」
突如、上空から飛来した黒い影が、その刃をはじき返した。
「すみません、遅くなりました!」
舞い降りた黒い影は、ジークに向けて謝罪の言葉を口にする。
「まったく。遅いぞ、アイシス。まぁ今回は間に合ったから良しとするが、次遅れたらお仕置きだからな!」
「……肝に銘じます!」
ぷんすかと笑顔で憤慨するジークを守るように、アイシスが鴉の男の前に立ちはだかった。
対峙する鴉と鴉。
コロシアムに、不穏な風が吹く。
それはこれから起こる少年の苛烈な運命を、暗示しているようであった。




