【27話】 告白
そして、三か月が過ぎた。
長いようであっという間の時間。
季節は再び春を迎え、丘のサクラも綺麗な花を咲かせている。
春の風がサクラを舞い上げるこの日は、ある人物にとって特別な日だ。
ジークレイン・アースディア。
今日は未来の王女である彼女の、十七歳の誕生日である。
アースディアでは十七歳以降は成人として扱われるため、彼女にとっては大きな節目の年になる。
そんな彼女の成人を祝おうと、王城のメインホールではパーティが開かれていた。
「今日は私の為に集まってくれてありがとう。存分に楽しんでいってくれ」
ジークの簡素な挨拶で、パーティは幕を開けた。
今日の彼女は一段と美しい。
蒼と黒の入り混じるシンプルなドレス。
大きなサファイアがはめ込まれた指輪に、ダイヤのネックレス。
けれどどれだけ高価な宝石も、彼女の美しさを引き立てる飾りに過ぎない。
白く長い髪、そして吸い込まれそうなほど澄んだ蒼の瞳。
アースディア家の血筋特有の容姿は、否応なく人目を引きつける。
パーティが始まってすぐ。
ジークは彼女に近づこうという貴族に囲まれ、見えなくなってしまった。
彼女に一言「おめでとうございます」と言おうと思っていたアイシスだが。
この様子だとその一言を言うのに夜までかかってしまいそうだ。
改めて彼女との身分の違いを感じたアイシスは、諦めてパーティを楽しむことにした。
「流石はお城のパーティね! 見たことのない料理がたくさん!
アイシスもたくさん食べておきなさいよ!」
ネルは目をキラキラと輝かせて料理を皿に盛っている。
皿の上では色々な食材が混ざっており、とても上品とは言えない。
「……なんか、いつも通りのネルで安心したよ」
「いつも通りって、どういう事?」
「いや、今日のネルはとても大人っぽいから……別人みたいだなって、さっきザインさんと話してたんだ」
「え……そうかしら?」
アイシスは改めて彼女の姿を見る。
向日葵のような黄色いドレスに、彼女の栗色の長い髪がよく馴染んでいる。
薄く塗られた口紅、キラキラと輝くネックレスに真珠のピアスが妖艶さを醸し出していた。
綺麗だと、アイシスは心の底からそう思う。
彼女の皿に山盛りの料理が盛られていなければ、きっと男たちがこぞって声をかけてきただろう。
もったいないような、安心したような。
彼女を見つめていると、なぜだか頬が熱くなってしまう。
アイシスはネルから目を逸らすように視線を彷徨わせた。
すると、いつもの無表情でプリンを食べているスピカを発見した。
プリンとスピカ。
普通の人が見ると年端もいかない少女がスイーツを食べている微笑ましい光景だが。
彼女の中身を知っているアイシスにとってその二つの組み合わせは、異質そのものであった。
傍で見ていたコールザインもよほど意外だったのか、それを見るなりアイシスの下へやってきて耳打ちした。
「おいおい、見ろよアイシス。スピカの姉御がプリン食ってるぜ……」
「あれほど似合わない組み合わせは、初めて見ましたよ。師匠、ああ見えて甘いもの好きなんですかね?」
「あの性格でスイーツ好きは、意外が過ぎる。獣の肉を素手で貪り食ってるほうが絶対しっくりくるよな」
「まったくもってその通りです」
「ちょっと二人とも! あれでも一応スピカも女子なんだから、スイーツぐらい食べるわよ!」
フォローしたネルも含めて失礼な発言のオンパレードだ。
幸いスピカには聞こえていないようで、プリンを食べ終えた彼女は続いてガトーショコラとチーズケーキを皿に盛りつけていた。本当に甘いものが好きらしい。
教養のないアイシスやネルと違い、スピカの食べ方はとても上品だ。
テーブルマナーも熟知しており、動作だけならいっぱしの令嬢のように見えなくもない。
現に先ほども知らないご令嬢から、「お嬢ちゃん、小さいのに偉いわね~」とお褒めの言葉をいただいていた。もちろん彼女は無視していたが。
ひらひらと揺れる金色のツインテールにぶかぶかの騎士礼装。
もはやそれが恐怖の対象に思えてしまう二人にとっては考えられないことだが。
周りにとってスピカはただの可愛らしい少女なのだと思うと、途端に面白く見えてしまう。
「そういえば、師匠って通り名とかあるんですかね?」
「いや、姉御はあまり目立つようなことはしたがらないからな。師匠の対になるような通り名があればいいんだが」
「神童の対になるような、かっこいい通り名かぁ」
コールザインは顎に手を当てて、暫く思案する。
そして、ぼそっとこう言った。
「……神幼女?」
「ブフォッ!」
ぼそっとコールザインの口から漏れたネーミングに耐えきれず、アイシスが吹き出した。
それを見たコールザインも吹き出し、辺りに二人の笑い声が響く。
「キシシッ、我ながら良い名づけだったと思うぜ」
「ああ~どうしよう。しばらくは師匠の顔直視できないですよ……」
「近くで見たら確実に吹くな」
「吹いたら抹殺されますからね?」
そんな会話をしていると、スピカがすたすたとこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
まずいと思った二人は若干不自然ながらも、それぞれテーブルに並んだ料理を取る振りをする。
ちらりとコールザインを見ると、肩を震わせていた。
つかつかと、ヒールの音が後ろを通り過ぎる。
なびくツインテールが視界から消えたのを見て、二人は肩を降ろす。
だが、安心したのも束の間。
いつの間にか戻ってきていたスピカが、二人にだけ聞こえる声で……
「全部聞こえてるからな」
ボトボトボト。
二人の皿に盛られた料理がすべて床に落ちた。
神幼女の耳は地獄耳だったのだ。
ちなみにその後、二人はパーティ会場のど真ん中で土下座をすることで何とか許してもらえたという。
笑いものになるのは彼らの番だったというわけだ。
*
その日の夜。
アイシスは一人、中庭のベンチに座って星を眺めていた。
結局、一日中ジークレインと話すことはできなかった。
かくいう今も、彼女はどこぞの貴族様とお話ししている。
ここで待っていれば彼女が来てくれるのではないか、そんな淡い期待を胸に待っていたアイシスだが。
「やはり、夜はまだ少し冷えますね」
声がして振り返る。
残念ながら、声の主はシリウスだった。
「シリウスさん……」
「隣、失礼しますよ」
ゆっくりと腰を下ろしたシリウス。
二人の間に緊張が走る。
ジークの騎士を決める、騎士選抜大会は明日行われる。
アイシスが優勝するための最大の障害が、シリウスだ。
ついに、この時が来てしまった。
「いよいよ明日ですね。自信のほどはいかがですか?」
「……正直な話、僕がシリウスさんに勝てるとは少しも思っていません」
「おや、そうなんですか? 私はそうは思いませんが」
意外にも、否定してくれたシリウスの言葉に、アイシスは顔を上げる。
「アイシス君は強くなりましたからね。最近は稽古でも危ないと思わされる場面も多い。
それに私にはハンデもありますし、かなりいい勝負になると思っています」
ハンデとは、流石に本気同志であれば勝負にならないと判断したスピカがシリウスに課した、条件の事である。
アイシスもハンデの内容は聞かされているが、それだけで彼に勝てるとは到底思えなかった。
「そりゃあ去年の僕に比べれば、多少は強くなりましたが。それでもまだ貴方の強さには程遠い。
多少のハンデがあっても、きっと貴方には適わない。負けるのは必然だ……と、半年前の僕なら諦めていたでしょうね」
「……今は違うと?」
「はい。ジークさんが『私の騎士になれ』と言ってくれましたから」
この場所で彼女がくれた言葉。
それを思い出す度、アイシスの胸は高鳴り、心の焔が揺らぐ。
「彼女がそう言ってくれたから、何の取柄もないこんな僕でも、自分の力を信じてここまでやってこれた。
今はどんな手を使ってでも、彼女の期待に応えたいんです。その為に、僕は貴方に勝たなければならない」
まるで自分に言い聞かせるようにアイシスはそう呟いた。
震える掌を握りしめ、彼はシリウスに宣戦布告をする。
「明日、絶対に負けませんから」
静かな夜に、彼の声はよく響く。
いつになく強気な彼の思いは、まっすぐにシリウスへ届いた。
「師匠として君を勇気づけようかと思ってきたのですが……どうやら杞憂だったようですね」
アイシスの迷いない瞳を見て、シリウスは複雑そうに笑う。
師としては嬉しい限りだが、敵としては恐ろしい。そんな感情の込められた笑みだ。
「……でもねアイシス君。期待に応えたいのは、何も君だけじゃないんですよ」
言葉の意味が分からず、アイシスは首を傾げた。
シリウスは空を見上げ、こう続ける。
「君はまだ知らないでしょうが、姉弟子はとても魅力的な人なんです。
ああ見えて甘いものが大好きで、一日一回はお菓子を食べなければ気が済まなかったり。実は凄く仲間想いな一面があったり。私の事をまるで本当の弟のように可愛がってくれていたり。
……そして何より、彼女は誰にも負けない強さを持っている」
シリウスの言葉からは、彼女への尊敬の念がひしひしと感じられた。
彼はスピカの強さに絶対的な自信を持っている。
そしてそれはスピカも同じ。
シリウスの強さを信頼している彼女もまた、アイシスが勝つとは毛ほども思っていないのだ。
アイシスは三か月の稽古の中で、二人の絆を嫌というほど思い知らされてきた。
「人生で一番尊敬している人はと聞かれれば、私は真っ先に彼女の名を上げるでしょう。
そんな彼女が、私に『負けるなよ』と言ったんです。そんなの、死んでも負けるわけにはいかないじゃないですか」
優しくも、狂信的な何かを感じる笑み。
前から思っていたのだが、シリウスはスピカを神格化している節がある。
よほど彼女のことが好きなのだろう。
「アイシス君。そういうわけで明日、私が負けることは絶対にありません。残念ですが、ジーク様の騎士になるのは諦めてください」
アイシスの宣言に、彼もまた強気な発言を返す。
「じゃあ、どっちの絶対宣言が正しいか。勝負ですね」
「……ええ。明日は師弟ではなく、敵として。貴方を迎え撃ちます」
二人は固い握手を交わし、互いの誓いを胸に刻んだ。
勝負の行方は誰も知らぬまま。
「では、私はこの辺で失礼します。どうやら次のお客もいるみたいですしね……」
「次のお客……?」
疑問符を浮かべるアイシスに、シリウスは彼の後ろに視線を送る。
振り返ると、ネルが壁越しにこちらを覗いていた。
シリウスは「邪魔者はこれで消えます」と呟いて去っていった。
それを見たネルが入れ替わるようにアイシスの下へやってくる。
「……何、話してたの?」
「ちょっと、明日のことをね。お互いに負けられないなって……そんな感じ」
「ふーん。シリウスはジークの騎士になりたいわけじゃないんだから。負けてくれてもいいのにね!」
「いや、そうもいかないみたいだよ。シリウスさんにも、僕と同じで負けられない理由があるんだって……お互い、本気なんだ」
真剣な表情。
一年前と比べると、だいぶ男らしくなった。
十代の一年というのは、なぜこうも人を変えてしまうのか。
より一層たくましくなったアイシスを見て、ネルの思いは強まるばかりだ。
「……アイシス、最近変わったわね」
「そう?」
「なんていうか、か……かかっ、かっこよくなった! かな……」
詰まりながらも、ネルは見事言い切った。
顔を真っ赤にして、視線も下を向いたままだが、
それを言えただけ、彼女も成長したのだろう。
アイシスはその言葉に、照れながらお礼を返す。
「ありがとう……その、ネルも綺麗になったよね」
「えッ!? そ、そそ、そうかしらッ!?」
「うん。一年前に比べると、だいぶ大人っぽくなった気がする。ドレスを着てるせいかな。
今日のネルを見てると、なんだか胸がドキドキするよ」
それはお世辞でもなんでもなく。
思わずこぼれてしまった、素直な感想だった。
真っ赤になったネルの顔を見て、自分が口説いてしまったことに気付いたアイシスは、慌ててフォローを入れる。
「な、なーんて! ……こういうこと言うのって照れるね! ダリスみたいにうまくいかないや!」
誤魔化そうとしたアイシスだが、ネルは赤い顔でうつむいたまま。
二人の間には、いつもと違う空気が流れていた。
ネルはぎゅっとアイシスの手を握ると、上目遣いでこう尋ねる。
「じゃ、じゃあ。アイシスから見て、今日の私は魅力的に見える……ってこと?」
「……う、うん。そう、なるね」
赤く染まった頬をぽりぽりとかきながら、アイシスは答えた。
その言葉に、少女の胸は痛いくらいに満たされる。
ネルはにやけが止まらない顔を隠すように、彼の胸に顔をうずめた。
そして─────
「……私ね、アイシスが好き」
ついに、言ってしまった。
彼と出会って数年、ずっと胸の内にしまっていた思いを。
幼い頃から友達として接する間に芽生えた、恋する気持ち。
ずっと言いたかった。けれど勇気が出なくて諦めていた、この思いが。
夜に絆され、零れてしまった。
一瞬の静寂が訪れ、ネルはギュッと目を瞑る。
答えを待つが、返事はない。
沈黙が余程不安だったのか、ネルはガバッと顔を上げて釈明を始めた。
「ごめんね! 明日は大事な試合なのに、こんなこと言われても困るわよね! でも、今言わなきゃ後悔する気がして……本当にごめん。迷惑……だよね」
「困るなんて。そんなこと……あるわけないよ」
アイシスがくれた言葉にときめいたのも束の間、
震えるネルの身体を、アイシスの腕がぎゅっと抱きしめた。
「ふぇっ!?あ、アイシス!?」
「ネルの気持ち、すごく嬉しい。僕、好きだって言われたの初めてだから……どう言えばいいのかわからないけど。すごく嬉しいんだ。多分、今の君と同じくらい」
「嬉しいって……ほ、本当に?」
「僕が君に嘘をついたことある? 本当だよ、本当に嬉しいんだ。ありがとう……」
しみじみといった言葉。
どれだけ嬉しかったのだろう。
ネルの熱い涙が、アイシスの胸に染み込んでいく。
「明日、試合が終わったら。君の告白に返事をするよ。試合には余計な感情を持ち込みたくないんだ。だから、それまで待っていてくれる?」
「……うん……うん」
ネルはその言葉に何度も頷いた。
もうほとんどOKしたようなものだが、それは改めて彼女の気持ちに応えたいというアイシスなりの誠意だった。
ふとアイシスの脳裏にジークの顔が浮かぶが、すぐに消えてしまう。
今彼の中にあるジークへの思いは恋とは違う、憧れだ。
アイシスは城での生活の中で、自身のジークへの感情が変わってしまった事に気が付いていた。
そうなってしまったのにはいくつか要因があるが、一番大きかったのは身分の違いだろう。
彼女は仮にも王女になろうという人物だ。
毎日勉強に仕事と忙しそうにしている彼女を見て、単純に自分では釣り合わないなと思ってしまったのだ。
ジークは依然としてアイシスの大きな支えになっているのは確かだが。
それは恋心とは別のものだ。
それよりも気になっていたのは、共に稽古に励むネルだった。
日に日に女らしさを増していく親友に、気付けば虜になっていた。
「……シリウスとの試合、絶対勝ちなさいよ!」
「もちろん、勝つよ。夢の為にも、君の為にも」
背負った期待は二つ。
憧れの人と、出来たばかりの恋人。
最強の期待は得られずとも、彼の心は自信に満ちていた。
ネルにはそんな彼の顔が、眩しく見えて。
ふと、熱くて柔らかいものが、アイシスの頬に触れる。
「今のは……?」
「……勝てるためのおまじない。明日、頑張りなさいね!」
可愛らしくえへへと笑った彼女は、恥ずかしさを隠すように走り去ってしまった。
残されたアイシスは、茫然と頬に触れる。
熱い何かが触れた場所は、少し湿っていた。
「これは、本気で負けられなくなったな……」
言葉とは裏腹に、表情は期待に満ちている。
滾る気持ちを抑えきれず、アイシスは剣を振るった。
調子は抜群に良い。
(相手はシリウス・ダーライツ。勝つのは僕だ)
春の星に剣を向け、改めて勝利を誓った。
そして、運命の日は来たる。




