【26話】 追随
「アイシス君、何かありましたか?」
翌日、剣を振るう手を止めたシリウスが、唐突にそんなことを聞いてきた。
「え……何かって、何ですか?」
「……いえ、昨日と随分顔つきが違うようなので。昨日の夜に何かあったのかと」
そう言われ、アイシスは自分の頬を抑えた。
そこまでわかりやすい顔をしていただろうか。
「実はずっと抱えていた悩みを、ある人に解決してもらいまして……」
「ああ、なるほど……」
(これは、ジーク様が何かしましたね……)
頬を赤らめるアイシスを見て、シリウスは察したようだ。
「解決したのならよかったです。では、そろそろ稽古にも慣れてきた頃でしょうし、少しレベルを上げてみましょう」
「はい! よろしくお願いします!」
アイシスの快活な返事で、稽古は再開された。
彼は猛烈な剣劇の中で、的確なアドバイスをおくる。
「アイシス君! フェイントを入れるときは、少なからず自分に隙が出来ることを念頭においてください。隙を突かれた場合は即座に防御にシフトする。臨機応変さが重要です!」
「はい!」
シリウスの稽古はスピカのものと比べて、極めて合理的だった。
スピカは稽古中あまり多くを語らず、あくまでも頭ではなく体で覚えろというのが彼女のスタンス。
だが、シリウスはなぜ・どうしてを突き詰めて、わかりやすく言葉で伝えてくれる。
スピカを完全な感覚派だとするなら、シリウスは完全な論理派だ。
生まれ持った天性の勘で物事を判断するネルと違い、何事も考えてから理性で判断するアイシスにとって、彼は最適な教師だといえる。
そんな彼の指導が功を奏したのか、アイシスの剣の腕は格段に上達していった。
そしてシリウスの指導が始まって二週間。
遂にその日は訪れた。
(何だ、これ……?)
アイシスがいつも通り戦気を高める訓練をしていた時のこと。
まるでお湯が沸騰するときのような感覚がアイシスを襲う。
体の中の何かがぼこぼこと音を立て始めたのも一瞬。
突如、それは怒涛のように押し寄せた。
「──────────ッ!!」
体の中で爆弾が爆発したかのような衝撃が走り、熱が這いずり回る。
戦気の暴走が、遂にアイシスの身に起こったのだ。
この脳が焼き切れるような痛みに、皆最初は我を失ってしまう。
あのネルでさえ、あまりの痛みに気を失ってしまったほどだ。
だが、アイシスはこの痛みに耐えていた。
激しく声を上げてはいるものの、意識ははっきりとある。
ちかちかと眩む視線の先に、必死に叫ぶシリウスの顔が見えた。
「……! ……!」
声は聞こえない。
だが、言っていることはなんとなくわかる。
ネルが暴走していた時、スピカがいつもかけていた言葉だ。
(大きく、深呼吸! ゆっくり戦気を中に押し込む!)
イメージはいつも練習してきた。
劣等感を感じながらも、すべてはこの時のために。
アイシスは毎日、戦気の練習を欠かさなかった。
思い浮かべるのはいつも一人。
夢をくれ、欲しい言葉をくれ、価値を教えてくれた人。
ジークの騎士になりたい。
その一心が、ここにきて彼を天才へと昇華させる。
「これは……!」
シリウスが驚きの声を上げたのも束の間。
アイシスの身体がすっと軽くなった。
(あれ、痛みが……消えていく?)
彼自身、自分の身に何が起こったのか把握できておらず。
冷静に自分の掌を見つめる。
膨大な量の戦気は収束し、彼の体に纏わりついた。
暴走していた戦気は今、完全に彼のコントロール下にある。
たった一度。
まさかの初回の暴走で、アイシスは戦気の解放を身に着けてしまったのだ。
「……す、凄い……素晴らしいですアイシス君!」
一部始終を見ていたシリウスが思わず感嘆の声を上げて、ようやくアイシスは自分の成功を理解した。
「で、出来た……シリウスさん……僕、出来てますよね!?」
「ええ! 信じがたいことですが、ちゃんと制御できています! 今の感覚、忘れてはいけませんよ!」
「はい! 死んでも忘れません!」
信じがたい、と彼が表現したのも無理はない。
なぜならたった一度で戦気の解放を習得したのは、シリウスの知る限りスピカ以外では初めてだったからだ。
*
「そうか、成功したか」
夕食後の客間にて。
アイシスの戦気の解放習得の知らせを聞いたスピカは、驚きもせず淡々とそう言った。
「姉弟子、もっと驚いてあげたらどうですか。彼は戦律の解放にたった一度で成功したんですよ?」
「……別に驚くほどの事じゃない。こいつが戦気のコントロールが上手いことは知っていたからな。一度暴走を経験すれば、すぐにコツをつかむだろうと思っていた。
むしろこれまでにかかった時間を考えれば、当然の結果といえる。これしきの事でぬか喜びするな」
ビシッと指をさしながら、スピカはそう言い切った。
浮かれていた気持ちに釘を刺されてしまったアイシスだが、以前のように落ち込んだりはしない。
(一歩一歩、着実に前に進むんだ)
胸に手を当てて、アイシスは前を見つめた。
視線の先にいるのはジークレイン。
食事の後、『紅茶でも飲みませんか』というシリウスの一言で、全員が客間へと集められたのだ。
視線が合った彼女は、笑顔でこちらへやってきた。
「アイシス、シリウスから聞いたよ。戦律の解放に成功したそうじゃないか! しかもたった一度で! やはり君は天才だったんだな!」
「そんな、天才だなんて。シリウスさんの教え方が上手かっただけですよ……」
「いいや違うね。戦律の解放は本人のセンスによるところが大きいんだ。教え方ひとつで習得が早くなるわけじゃない。アイシス、これは君自身の力だ。
流石は私の騎士になる男。私も主人として誇らしいよ」
ジークはまるで自分の事のように喜んでくれる。
「……おいジーク。今、何と言った?」
ひそめた眉。
話を聞いていたスピカが、怒り心頭といった様子で問いかけたのだ。
「おや、聞こえなかったのかい? なら何度でも言ってあげよう。
アイシスを私の騎士にする。私はそう言ったんだよスピカ」
怒っているスピカに対して、ジークは挑発するような口調で返す。
それを聞いたスピカは椅子から立ち上がり、すたすたと彼女の前までやってきた。
「お前の騎士になるのはシリウスだ。こいつじゃない」
「いいや違うね。自分の騎士くらいは自分で決める。私の騎士は彼だよ。これは決定事項だ」
座っているジークと立っているスピカの視線がかち合う。
一触即発の雰囲気に挟まれたアイシスは、困ったようにシリウスに助けを求めた。
アイシスの視線を受けて、シリウスがスピカに提言するが……
「まぁまぁ姉弟子。私としては別にそれでも構わないんで─────」
「お前は黙ってろ」
「はい」
スピカの言う事には絶対服従の彼は、一瞬で看破されてしまった。
弟弟子を一言で黙らせたスピカは、ジークの肩を掴んで説得を試みる。
「いいかジーク。騎士というのは生涯をかけてお前の命を守る存在だ。
はっきり言うが、こんな小僧ではお前の命は守れない。
お前を守れるのは私と弟だけだ」
「……私はそうは思わない。アイシスは立派な騎士になるよ。いつかは君だって超えてみせる」
「だから、何の根拠があってそんな話を!」
「根拠はない! 私の勘と心がそう言ってるんだ」
まっすぐな視線。
二人はジークが生まれて以来の付き合いだ。
こういう時、頑固な彼女が一歩も引かないことはスピカが一番よく知っている。
「……どうしても、弟じゃだめか」
「違うよスピカ。どうしても、彼がいいんだ」
スピカは懇願するような視線を向けるが、それでもジークは折れない。
その目を見て無理だと悟ったのだろう。
最後に「わかった」と呟いて、彼女の肩から手を離した。
「アイシス」
「はい!」
突然名前を呼ばれ、アイシスは飛び上がった。
何を言われるのだろうか。
ドキドキしながら沙汰が下されるのを待つ。
「三か月後、ジークの騎士選抜大会がある。それに出場するんだな」
騎士選抜大会。
国の中でも優秀な剣士が集う大会だが、そこに戦律の欠片を持つ者はいない。
今のアイシスならば、優勝は容易いだろう。
何の障害もなく、ジークの騎士になれてしまうはずだ。
「……それだけで、いいのかい?」
疑心を隠さず、ジークはそう尋ねる。
この状況で彼女が、はいわかりましたと認めるはずがない。
そして案の定、スピカはこう続けた。
「ああ。ただし、大会にはシリウスも参加させる」
「それはつまり……」
おおよその察しはつきながらも、ジークは尋ねる。
「シリウスに勝ち、優勝して見せろ。それが俺の出す、お前がジークの騎士になる条件だ」
偉そうな仁王立ちの少女が出した条件は、不可能ともいえるものだった。
シリウスは強い。
神童、そう呼ばれるのも十分頷ける。本物の実力者だ。
彼曰くスピカには数段劣るようだが。
アイシスにとっては、どちらも雲の上の存在であることに変わりない。
無理に等しい、そんな条件を突き付けられたジークは怒りだすかと思いきや。
「面白い。その条件、受けて立つ」
自信満々、ニヒルな笑みを浮かべてそう言い放った。
「ええ! ちょっと、ジークさん!」
「心配するな、きっとうまくいくから。私を信じろ」
「で、ですが……」
「それとも何か? 君はやる前から無理だと諦めてしまうような、そんな小さな人間になるつもりかい?」
「うっ……」
今度は打って変わって挑発的な態度。
至近距離でそう言われてしまっては、黙らざるを得ない。
「負けるなよ」
「……仰せのままに」
胸をグーでどつかれたシリウスは苦笑いを浮かべ、そう返した。
スピカはそれだけ言うと、とっとと部屋を出て行ってしまう。
アイシスは慌てて彼女の後を追いかけた。
「師匠! 待ってください!」
「なんだ、交渉なら受け付けんぞ」
アイシスの引き留めに対し、彼女は突っぱねるようにそう言った。
「いえ、そういうわけではなくて……師匠に、お願いがあるんです」
「なんだ」
「試合まであと三か月、また僕に稽古をつけて─────」
「断る」
最後まで聞くことなく、彼女は歩き出してしまう。
「まだ最後まで言ってませんよ!」
「聞かなくてもわかる。じゃあな」
「待ってください!」
アイシスが彼女の服の裾を引っ張って引き留めると、彼女は心底嫌そうな顔をして振り返った。
「なぜ、俺がお前に稽古をつけてやる必要がある」
「僕は、本気で勝ちたいんです。でもシリウスさんに勝つためには、彼に教わったことだけじゃだめだ。もっと上の、最強である貴方の力を借りないと勝てない!」
それは至極まっとうな意見だった。
自分で自分を超える弟子を育てるというのは、奇跡でも起こらない限り難しい。
シリウスがいかに天才でも、
「誰の教えを乞う事もなく、強くなる奴もいる。あいつはたった一人でも、師匠を超えたぞ」
「あいつ……?」
「……昔の友人の話だ。とにかく、俺がお前に教えることは無い。これ以上引き留めるなら、気絶させるからな」
殺気を込めた視線で牽制されては、アイシスもこれ以上引き留めることはできない。
スピカは踵を返すと、さっさとどこかへ行ってしまった。
(師匠の友人か……)
思えば、アイシスは彼女の生まれや生い立ちについて何も知らない。
知っているのはシリウスと師が同じという事だけで、それ以上は聞いても教えてはくれなかった。
「あーあ、ダメだったか」
去っていくスピカの後姿を茫然と眺めていると、客間からジークがやってきた。
「ジークさん……僕はやっぱり、彼女に嫌われてるみたいですね」
自嘲気味な笑顔で、アイシスはうなだれる。
ジークはそんな彼の肩を笑顔で叩いた。
「……アイシス、一ついいことを教えてやろう」
「良いことですか?」
「ああ。彼女はああ見えて、意外と押しに弱い。
根気よくお願いすれば、案外オーケーしてくれるかもしれないぞ」
とてもそうは見えないが、ジークのいう事は素直に聞いているようにも見える。
押しが足りなかったのかもしれない。
「なるほど……僕、もう少し頑張ってみます」
「ああ、頑張れよ」




