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鴉の騎士  作者: 詩から歌詞
24/43

【24話】 戦気の暴走

 

 その日は雨が降っていた。

 修練場はとても蒸し暑く、汗が滝のように流れ出る。


 アイシスとネルがいつも通り、早朝五時から戦気を高める訓練をしていると。

 がらりと扉が開いて、スピカが現れた。


 二人は突然の訪問に驚きを隠せない表情で彼女を見る。

 稽古が始まって以来、彼女が午前中にここを訪れたことは一度としてなかった。

 二人を完全に信頼していたのもあるが、それ以上に彼女は忙しかったからだ。


「……どうしたのよ?」

「いや、そろそろかと思ってな。気にせず続けろ」


 よくわからない言葉を吐いて、スピカは二人の前で瞑想を始めた。

 二人もざわつく気持ちを抑え、戦気を高めることに集中する。

 彼女が言った言葉の意味を二人が理解したのは、その日の八時頃のことだった。


「あぁぁあああアアアアアアアアアアッ!」


 突如、慟哭にも似た悲鳴がアイシスの耳をつんざいた。

 耳鳴りがして、思わず目を開けてしまう。

 

 その悲鳴の主は、アイシスの隣で戦気を高めていたネルだった。


「ネル、どうしたの!?」」


 狂おしい奇声を発しながらのたうち回る彼女を見て、アイシスは異常を察した。

 彼女の身体から、凄まじい量の戦気を感じる。

 その量は普段の彼女とは比較にならないほどだが、彼女がそれを制御できているようには見えない。

 暴走、その言葉が頭をよぎる。


「……来たか」


 ずっと胡坐を組んで目を閉じていたスピカがそう呟き、苦しそうにもがくネルに近づく。

 するとそのまま彼女の背中に手を当て、助言の言葉を投げかけた。


「ネル、落ち着いて深呼吸をしろ。そしてゆっくり、ゆっくりでいい。戦気を体の中に抑え込め」

「うぅぅゥウウアアアアアアアアアアッ!」


 獣のような叫び声をあげるネルに、スピカの声は届いたのか。

 今、彼女を襲っているのは、体の内側から業火に燃やされるような激しい痛みだ。


 普段スピカにしごかれているときのような痛みとは違う、別次元の痛み。


 ネルは自分の胸を叩き、何とかしてこの痛みに抗おうとするが。

 熱は熱くなるばかりで、一向に収まる気配を見せない。


「……ダメか。仕方ない、一度気絶させるぞ」


 スピカはそう言うと、彼女のお腹に重たい一撃を叩き込む。

 短くえづいた後、彼女は気絶した。


 スピカは彼女の体を抱え、仰向けになるように寝かせる。

 一息ついたスピカに、訓練を中断しているアイシスが問いかけた。


「師匠……い、今のは?」

「戦気の暴走だ。

 以前説明した通り、人の戦気の限界は【10】程度だが、それを越えようとすると制御が効かなくなり、際限なく身体から戦気が出る状態になる」


 アイシスは、前回スピカが二人の戦気を確認した時を思い出す。

 アイシスの数値は【9】、ネルは【10】だったはずだ。


 目標に到達したネルがガッツポーズをして喜んでいたのが、つい昨日のこと。

 今朝スピカがそろそろと言ったのは、こうなることを見越していたからだろう。


「本来、人の身体はそうならないよう、制限をかけるように出来ているのだが。

 お前たちは戦律の欠片によって、その制限を破壊してしまった。

 結果、自らの身体から溢れ出る戦気を制御出来ず、今のような暴走が起こるという訳だ」


 スピカの話を聞いて、アイシスは胸元の刻印を見る。

 戦律の欠片。

 シャーレはこのことを知っていたのだろうか。


「戦気が暴走すると、どうなるんですか?」

「それを説明する前に、そもそもお前は戦気がどういうものか理解しているのか?」

「えと、人の内に眠る異能の力……ですかね」

「それは表面上の答えであって、俺の考える答えとは違う」


 まずはそこからだな、と。

 スピカは腰を据えて、話し始めた。

 

「戦気とは。人が進化の中で身につけた、()()()()を力に変える能力の事を言う。

 戦いたい、強くなりたいと願う人々の理想が、この能力を生み出したということだ」


 なるほどと納得するアイシスを見て、スピカはやはり知らなかったかとため息をついた。

 剣士なら誰しも知っているはずの基礎的な話だが、特殊な家庭で育ったアイシスにとっては初めて聞く情報だった。


 スピカはアイシスの無知さに呆れながらも話を続ける。


「戦気の暴走は、言わば()()()()()()()()()()()だけが先行し、理想を無理やり叶えようとしている状態だ。

 意思だけが先走れば、当然身体が追いつかず、激しい痛みに襲われる。

 それが今こいつの身に起きたことだ」

「そう、だったんですか……でも、これも強くなるためには必要なことなんですよね」

「当然だ。暴走する戦気をコントロールできるようになるまで、お前らにはこれを繰り返してもらう。制御の仕方を身に着けるのが早いか、痛みに耐えかねて発狂するのが早いか。戦律の欠片を手にした者にとって、ここが正念場というわけだ」


 その痛みがどれほどのものか、

 アイシスには想像がつかない。

 だがネルの苦しそうな表情を見るに、相当なものだったのだろう。


 訓練を続けていれば、自分もいずれは経験する痛みだ。

 ごくりと生唾を飲み込む音が、静かな修練場に響いた。


「午後は俺とお前の二人で稽古をする。それまでは今まで通り訓練をしていろ」


 スピカはそんなアイシスの心境を知ってか知らずか、ネルを抱えてどこかへ行ってしまった。

 結局、その日ネルが修練場へ訪れることは無く。

 アイシスの不安は大きくなるばかりだった。


 *


 その翌日。


「……おはよ」

「う、うん。おはよう」


 朝の六時頃、げっそりとした顔のネルがスピカと共に修練場を訪れた。

 ネルはそのままアイシスの隣に立ち、戦気を高め始める。


 戦気の暴走。

 ネルの顔を見て、昨日の出来事がフラッシュバックする。

 早朝からスピカが来ているという事は、それに備えてということだろう。

 彼女はまた、あの痛みと戦うのだ。


 ……だが、そんなアイシスの予想に反して、時刻が九時を回ってもネルが暴走することは無かった。

 それどころか、今日の彼女は戦気を高めることすらままならなかったのだ。

 戦気が不安定に揺れているのが、隣で訓練しているアイシスにもわかる。


 ネルは恐れていた。

 体の内から焼かれるような、激しい痛み。

 あまりの痛みで、気絶すらできなかったのだ。


 スピカの役目は精神が壊れる前に気絶させること。

 気絶できなかった場合、一体彼女はどうなってしまうのか。

 想像したくない。

 それほどに凄絶な体験をして、恐れるなというほうが無理な話だろう。


 時計の針が真上を指す頃。

 恐れと葛藤する彼女を見かねて、スピカが声をかけた。


「ネル、また暴走するのが怖いか?」

「……こ、怖くないわ!」

「ならもっと高めてみせろ。そんな事では、いつまで経っても強くなれんぞ」

「わ、わかったわよ……」


 震える拳を握って、ネルは戦気を限界まで高めた。

 すると……


「ああぁあああアアアアアアアアアアッ!!」


 暴走はすぐに始まった。

 激痛が全身を襲い、ネルは床に拳を打ち付ける。

 喉が張り裂けそうなほど叫んでも、痛みが和らぐことは無い。

 絶叫があたりに響き、彼女の身体からほとばしる戦気が空気を震わせた。


「……師匠ッ!」


 叫びすぎてネルが吐血した時、アイシスが早く気絶させてくれと懇願の視線を向けるが。


「まだだ、もう少し様子を見る。お前は黙ってみていろ」

「ですが……もう彼女は限界です! 早く気絶させてあげないと!」

「黙っていろと言ったのが聞こえなかったか? これ以上邪魔をするようなら、破門にするぞ」


 スピカは至って冷静にそう言うと、腕を組んで苦しむネルを見下ろした。

 彼女は鬼だ。

 無表情の瞳には、とても人の心があるようには見えない。


 だが、彼女の冷徹な瞳を見てアイシスは理解した。

 強さとは、苦難や苦痛を乗り越えた先に得られるものなのだ。

 彼女が言っていた「優しさを捨てろ」とは、このことを指していたのかもしれない。


 アイシスは見るに堪えない彼女の姿に、我慢できず眼をそらしてしまった。

 彼女の痛烈な悲鳴が、それを責めるように耳朶を打つ。


「ここが限界か」


 痛みのあまり痙攣し始めたネルを見て、スピカは拳を振り降ろした。

 彼女は気絶し、その場に倒れこむ。

 アイシスは、疲れ果てたネルに駆け寄った。


「師匠……彼女は……」

「どけ。お前は自分の事だけに集中していればいい」

「……はい」


 しぼんだ声でアイシスは返事をする。

 優しい彼にとって、友達が苦しんでいる姿を見るのは辛いことだった。


 その日から、ネルはどんどんとやつれていった。

 食事ものどを通らず、

 毎日苦しそうな表情で修練場に来る彼女を見るのは辛いことだった。


 戦気の暴走を止めるには、本人の意思によって徐々に慣れるしか方法がない。

 ある日突然できるようになる、ということは無く。

 

 それでも、彼女が弱音を吐くことは無かった。

 毎日、毎日。戦気を暴走させては気絶するのを繰り返し、繰り返し。

 ある時は「もう嫌だ」と涙を流しながら。

 ある時は血が出るほど唇を噛み締めながら。

 彼女は戦い続けた。


 

 一週間。

 二週間。

 一か月。

 そして、二か月が経ったある日の事。


 ついにその時は訪れる。


「……これ、制御できたってことよね?」


 空気が震えるほどの戦気。

 値で表すなら【50】をゆうに超えるほどの戦気を纏っても、彼女は理性を保っている。

 身体を伝う熱は感じるが、痛みはほとんど感じなかった。

 

 ネルは打ち勝ったのだ。

 凄絶な痛みに耐える日々を抜け、彼女は覚醒した。


 茫然と自身の身体を見つめるネルに、スピカが声をかける。


「……ああ。随分と時間がかかったが、お前はやり遂げた。

 誇れ、ネル。お前は今日から一人前の剣士だ」


 初めて聞くスピカの誉め言葉。

 一人前の剣士という言葉を受けて、ネルの目に涙が浮かぶ。

 

「アイシス、私……やったわ。乗り越えた、乗り越えたのね……」

「うん、おめでとうネル。二か月間、本当によく頑張ったね!」

「あ、ああ、ありが……うわぁぁあああん!」


 お礼の途中で、ネルの涙腺は決壊してしまった。

 感極まってアイシスに抱き着き、あふれ出る喜びをこれでもかというほど噛み締めている。


 涙が枯れるほど泣いた後。

 腫れた目をこするネルに、スピカが剣を差し出した。


「強くなった自分の力、試してみるか?」

「……ええ、望むところよ!」


 久しぶりに見る、強気なネル。

 意気揚々と剣を抜く彼女は、いつになく嬉しそうだ。


「今日こそはぶった切ってやるわ! 覚悟しなさいよ!」

「百年早い……と言いたいところだが。そう来なくてはな。久々に面白い戦いが出来そうだ」


 二人は戦気を高める。

 ネルは自身の制御できる限界【50】まで。

 スピカもそれに合わせるように、同量の戦気を解放した。


「行くわよッ!」


 ネルの元気な声で、勝負は始まった。

 

 一閃。

 踏み込んだ足元。

 地面は深く沈み、ネルは人間ではありえない速度で前に出る。


 交わる刃。

 コールザインとシャーレが戦った時と同じ。

 凄まじい衝撃が起こった。


「凄い! これが、()()()()()!」


 二人の剣戟を見ていたアイシスが、興奮気味に声を上げた。


 【戦律の解放】とは。

 戦律の欠片を取り込み、戦気の暴走を制御できた者だけが扱える技術の名称である。

 暴走する戦気を完全にコントロールし、自身の体に纏わせる。

 爆発的な戦気は使用者の全能力を高め、戦いを次の次元へと誘う。


 ネルとスピカの戦いは、まさに別次元。

 地道に磨いてきた技術に、力が追い付いたのだ。

思い通りに動く身体を手に入れたネルの剣がスピカに迫る。


(行ける! これなら!)


 一秒に五回は剣を振るう、ハイスピードな戦闘の中で。

 ネルは確かな手ごたえを感じていた。


(今、しかないッ!)


 まさに絶好のタイミング。

 ネルはここぞという瞬間に、秘策に打って出た。


 剣が交わる一瞬、彼女の手から流れるように剣が離れる。

 空中に浮いた剣。

 スピカの意識はまだそこにある。


 刃をすり抜けた拳はそのまま、無防備なスピカの顔面へと迫った。

  

 これが彼女の秘策。

 剣を囮にし、拳で一撃を食らわせる。

 正攻法ではどうあがいても適わないと思った彼女が編み出した奇襲の一手。

 

 限界を迎えた体を引きずって、ネルはこの練習を毎日欠かさず行った。

 どうしてもスピカに一撃を食らわせたいという彼女の熱意がそうさせたのだろう。

 食事が終わった後、練習に付き合わされていたアイシスだけがそれを知っていた。

 

(考えたな、だが……)

 

 彼女の努力の全てを乗せた拳が。

 スピカの頬に届こうとした、その刹那。


 ふっと彼女の顔が消えた。


「なっ!?」


 まずいと思った時にはもう、ネルは宙を舞っていた。

 下から突き上げられたスピカの拳によって。


 そこに小細工は存在しない。

 スピカの圧倒的なまでの瞬発力と機動力が、ネルの秘策を上回ったのだ。


 どさっと音がして、ネルの身体が地面に落ちる。

 ……秘策は失敗に終わった。

 その事実を受け止めるまで、しばらく呆然としていた彼女だが。

 上半身だけ勢いよく起き上がると、スピカに向かって吠えた。

 

「強すぎるわよッ!!」

「ふっ、まだまだひよっこだな。だが、策はなかなかよかったぞ。

 あのタイミングなら確実に当たっていただろう……俺以外ならな」


 平然とそう言ってのける彼女は、自分の強さに絶対の自信を持っている。

 ネルもアイシスも、彼女の本当の強さを知らない。

 いつかは彼女の本気を引き出したい。

 そう思うものの、恐らくそれは何十年も先のことになるだろう。

 

「惜しかったね、ネル。折角練習したのに、残念だ……」


 アイシスは倒れている彼女に手を差し伸ばす。

 彼女の努力を間近で見ていただけに、その結果が残念でならない。


「そうね……でも、少しだけ近づけた気がするわ」


 手を取ったネルは意外にも満足そうな顔をしていた。

 彼女なりに納得したのなら、アイシスが言うことは無い。


「アイシス、次は貴方の番よ。頑張りなさい!」

「……うん、ありがとう。僕もネルみたいに強くなれるよう、頑張るよ」


 返した言葉に、不安が大きくなる。

 彼とネルの間には強さという明確な溝ができてしまった。

 それを埋めるためには、努力するしかない。

 アイシスも彼女と同じ試練に耐え、強くなる他ないのだ。


 アイシスは待った。

 彼の戦気が限界を超え、暴走が始まるのを。

 訓練に訓練を重ね、彼も必死に努力した。


 ……だが、それから二か月の月日が流れても。


 彼の戦気が暴走することは、ただの一度も無かった。


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