【23話】 女同士の誓い
「おっ、今日もやってるなぁ」
修練場から聞こえる衝突音。
城の人間にとってこの音はもはや風物詩と化してきたこの音を聞きながら、コールザインがしみじみと呟いた。
「やってるなぁ、じゃなくて。君はちゃんと自分の稽古に集中してくださいね」
「わかってるけど、暑いんですよ師匠。俺も室内がいいです」
「じゃあ、姉弟子に場所を譲ってもらえるよう交渉しますか。ついでにザイン君にも稽古をつけてもらえないか聞いてきますね」
「いや、そこまでしなくていいです。すんませんした、暑くても我慢します」
「一度くらい姉弟子にぼこされた方が君の為なんですが、生憎と今は二人で手いっぱいだそうなので……」
「へぇ、そりゃ残念だぁ」
ちっとも残念そうじゃないコールザインの態度を見て、暇つぶしがてら二人の立ち合いを見学していたジークレインが意地悪な提案をする。
「コールザイン。君さえその気なら、私がスピカに掛け合ってみてもいいんだぞ。他でもない私の頼みだ。彼女も嫌とは言うまい。早速明日から参加できないか、あとで聞いておいてやろう」
「げっ、ジーク様! 勘弁してくださいよ! ちゃんと稽古しますから!」
焦ったコールザインは戦気を高め、シリウスとの立ち合いを再開した。
中庭は暑い日差しと青々とした葉で満ちている。
季節は夏。
一年で最も暑い季節だ。
アイシス達がスピカの弟子になって早二週間。
二人は音を上げることもなく、修練場に通い続けている。
相変わらず容赦のないスピカの稽古だが。
身体が徐々に慣れてきたのか、終わってから食事をして風呂に入るくらいの余裕はできた。
最初は風呂に入る事すらままならず、汗と血の匂いを纏いながら稽古をこなしていた。
その悪臭たるや、始まって四日目あたりで耐えかねたスピカが二人を王宮の温泉にぶち込んだくらいだ。
ちなみにその時は三人ともに裸だったが、痛みと疲れでそれどころでは無かった。
お湯の中ですっぽんぽんのまま気絶した二人は、スピカに服を着せてもらい更にベットまで運んで貰ったらしい。
至れり尽くせりというやつだ。
「よし、じゃあ今日の稽古はこれまで。いつも通り風呂に入って飯食って寝ろ」
「「ありがとうございました……」」
二人はうつ伏せのまま、お礼の言葉を述べた。
時刻は夜の七時。
沈みかけの太陽が、格子窓から明るく覗いている。
灼熱の中、自分の汗で張り付く服がやけに冷たく感じた。
「また、一発も当たらなかったね……」
「何なのよあいつ。いくら何でも強すぎるわよ……」
憤慨するネルだが、その表情は少し嬉しそうだ。
少しづつだが、強くなっている。
稽古を通してそれが実感できるのが、二人のやる気に繋がっていた。
流石は最強を名乗るだけのことはある。
スパルタではあるものの、彼女の指導は超一流だった。
「終わったみたいだね。二人とも、おつかれさま」
ひょこっと。
修練場の入り口から、ジークレインが顔を覗かせた。
彼女と目が合ったアイシスの顔がぱっと華やぐ。
「ジークさん! お疲れ様です! すみませんこんな格好で……」
「いや、いいんだよ。汗まみれの服は頑張った証じゃないか。君は本当によくやってる。推薦した私も誇らしいよ」
「え、えへへへ……」
「今日のご飯は私が作ったんだ。口に合うといいんだが……」
「わぁ、ジークさんが作ってくれたんですか? ありがとうございます! とっても楽しみです!」
わかりやすくデレデレするアイシスを見て、面白くなさそうな乙女が一人。
龍殺しと言われた彼女も、好きな人の前では年相応な女の子だ。
「ちょっとジーク! 私とアイシスはこれから作戦会議するのよ! 邪魔だから出て行って!」
「ネル! そんな言い方、ご飯を用意してくれたジークさんに失礼だよ。それにこの修練場だって、ジークさんの好意で使わせてもらってるんだから……」
「でも、だって……!」
「私は別に構わんよ。ネル、邪魔をして悪かったね。じゃあまた!」
空気を読んだジークがさっさとこの場を立ち去り、アイシスがこれまたわかりやすくしょぼくれてしまった。
「何よ、まるで私が悪者みたいじゃない……」
自分で言ってから気づく。
悪者はどう考えても自分だ。
ジークレインとネルは特別仲が悪いわけではなかった。
むしろ、相性的にはいい部類に入る。
友達、そう呼べる関係にあるのは確かだ。
ただアイシスが絡むとネルの嫉妬心が燃え上がり、つい彼女に強く当たってしまうのだ。
ネル自身、大人げないとは思うのだが。
(こんなんじゃ、嫌われても文句言えないわね……)
まだ未熟な彼女は感情をコントロールすることが出来ず、その度に自己嫌悪に陥っている。
傍から見ていて、アイシスがジークに好意があるのは一目瞭然。
恋する男というのは、何故ああも分かりやすいのだろうか。
自分はずっと昔から好きだったのに。
ぽっと出の泥棒猫が、あっという間に彼の心を奪い去ってしまった。
しかもその子は自分よりも遥かに女の子らしく、性格も良い。
険悪な態度を取る自分に対しても怒らず、優しく接してくれる。
その上、彼女は未来の王女だという。
敵わない、素直にそう思った。
ネルにはそれがとても悔しくて。腹立たしくて。
そんな自分がみじめで嫌になる。
嫌な気持ちを態度に出せば、アイシスに嫌われてしまうだろう。
かと言って気持ちを抑えることは出来ない。
ならどうするか。
その日からネルは、ジークのことを意図的に避けるようになった。
そうすれば、少なくともみじめな思いをすることはなくなる。
そう思っていたのだが。
ある日の夜のこと。
「ネル、少し話がしたいんだ。一緒に夜風でも浴びないか?」
食事の後、ジークの方から声をかけてきた。
ネルは嫌そうな顔をしたものの断ることはせず。
夏虫の鳴く中庭のベンチに二人は腰掛けた。
「それで、話って何よ……」
さりげなく言ったつもりが、つっけんどんな言い方になってしまう。
だが彼女はそんなネルの態度にも嫌な顔一つせず、涼やかな顔で夜空を見上げていた。
「雲一つない夜空に、夏虫の声。加えて今日は満月だ。
こんなにも綺麗な夜を、誰かと共有できないのはもったいない気がしてね」
「……そうね」
ジークは季節を感じるのが好きなようだった。
些細な変化も敏感に感じ取り、それを慈しむ心を持っている。
がさつな自分とは大違いだ。
彼女は子供のような無邪気な笑顔をするときもあれば、今のように大人びた顔をするときもある。
星空を眺める彼女の横顔は、幾つも年上の人に見えた。
(そういうところが、アイシスがこの子を好きになった理由なんだろうな)
ネルが夜空を見上げ、感傷に浸っていると。
「君、アイシスの事が好きだろ」
唐突にジークレインがそう言った。
何を言われたのか分からず、しばし逡巡したあと。
ネルの素っ頓狂な声が夏の夜空に響く。
「へぇっ!?」
「……その反応、やはり図星のようだな」
彼女はにやりと口角を上げ、得意げに顔を近づける。
まるで心に内を見透かすような彼女の瞳に、ネルの顔が瞬く間に赤く染まった。
「ななっ、急に何言うのよ!」
「いやぁ、女子同士の会話といえばコイバナだろう? 恥ずかしながら私には同年代の友達がいなくてね。昔からこういう女の子らしい会話をするのが夢だったんだ。
それで、彼のどんなところが好きなんだい? ええ? お姉さんに教えてごらんよ」
目をキラキラとさせて面倒くさい絡み方をするジーク。
もじもじとさせて、こう言った。
「や、優しいところ……かな」
「あはは、なるほど。確かに、彼は私の従者たちの間でも優しいと評判だからな。今や彼女たちの中でも一番の人気株だよ」
「そうなの?」
「ああ、特にもともと彼の屋敷にいたエールって子は間違いなく彼にほの字だね。私の感がそう言っている」
ジークは恋愛を見抜く目には自信があるんだ、と得意げにそう言った。
ちなみに彼女の言葉の通り、シヴァとエールの二人は今はジークレインのお付きとして働いている。
エールだけに限らず、彼の屋敷にいた従者たちは皆別の勤め先に変わっていた。
というのもクロウディア家の資産の多くは、サロメしか知らない場所に隠されていたのだが。
彼が死んだ後、従者たちが屋敷の中を探してはみたものの結局見つかることは無く、屋敷は金欠に陥った。
従者の数は全部で十五人。
全員分の給金を払うとなると、とてもじゃないがアイシスの払える金額ではない。
お金に困ったアイシスがジークレインに相談したところ、彼女は王宮の伝手を利用して新しい勤め先を紹介してくれたというわけだ。
「彼とは知り合ってどれぐらいなんだい?」
「そうね……かれこれもう十年になるかしら」
「幼馴染というやつか。なんとも羨ましい限りだな」
小さいころから王城暮らしで、友達の少なかった彼女にとって。
幼馴染という言葉は憧れの一つだ。
「昔ね。私とアイシスとダリスっていう友達と、三人でよく遊んでいたの。それでね……」
遠い目をしたネルが、ぽつりぽつりと昔話を始める。
ある日、三人は翼を怪我して飛べなくなった鴉の赤ちゃんを拾った。
怪我を治すための薬草が欲しくて街に買いに行ったのだが、3人のお小遣いでは少し足りず。
ダリスの話によると森に行けば薬草は簡単に取れるらしいのだが。
今は魔物が活発になっているらしく、冒険者以外は立ち入り禁止になっているらしい。
『森くらいなら大丈夫よ。いざとなったら、私が剣で戦うから!』
そんなネルの一声で、三人は危険な森へ薬草を取りに行くことになった。
森は広く、三人は手分けして薬草を探していたのだが。
運悪く、ネルだけが凶暴な魔物に遭遇してしまった。
「あの時は流石に死んだと思ったわ。自分の力を過信して、危険な場所に突っ込んで。どう考えても自業自得だけどね」
長い爪を振り上げ、襲い来る魔物。
剣を持って間もない少女は、ただ震えることしか出来なかった。
どうしようもない状況を前に、死を覚悟したネルだったが。
「でも、私は死ななかった。
近くに居たアイシスが、悲鳴を聞いてかけつけてくれたから」
剣を持たない彼は魔物とネルの間に立ち、手を広げて立ちはだかった。
まだ六歳だった年下の少年は、自分を守るために死を覚悟で魔物に立ち向かったのだ。
「自分だって怖いはずなのに。そんなことおくびにもださず、アイシスは身を呈して守ってくれたわ。
あの時の彼の顔、私きっと一生忘れない。本当にかっこよかったんだから」
結局魔物は通りすがりの冒険者が倒し、事なきを得た(魔物より冒険者が怖いと思うほど怒られはしたが)。
ネルが彼を意識するようになったのは、その時からだ。
強いだけではなく。他人の為に自分を犠牲にできる優しさを持った彼に、次第に惹かれていった。
「その気持ちは今でも変わらないわ。
ジークの言う通り。私、アイシスの事が好きよ。
かっこよくて誰よりも優しい。
たった一人の、私の英雄だもの」
純粋な笑み。
それだけで彼女が本気で彼を好きなことが分かってしまう。
「……何とも素敵な話じゃないか。その思いを伝える気はないのかい?」
「そんな勇気があれば、とっくに告白してるわよ。私、こう見えて結構臆病だから。それに、今のアイシスが好きなのは多分……」
チラ、と。ネルは視線をジークに送る。
アイシスがジークを好きなことは傍から見れば明確だが。
それを本人に言っていいものか、悩んでいるようだ。
だがそんな彼女の懸念も虚しく、ジークはアイシスの好意などとうの昔に気づいていた。
仮にも王女になろうという女だ。
あれほどわかりやすく好意を向けられて、気付かない彼女ではない。
(本当は少しだけ意地悪をするつもりだったのだけれど。そんな話をされては、する気も失せたな)
ジークレインは自嘲気味に笑い、今度は彼女が話し始めた。
「ネル、お礼と言ってはなんだが。一つ、私の秘密を教えてあげよう」
「秘密?」
「ああ、これを見てくれ」
ジークレインは自身の服をめくり、胸元をはだけさせる。
するとそこには、ネルと同じ六芒星の刻印があった。
「これは戦律の核と言ってな。君の持つ欠片とよく似ているけど、本質的に全く別のものだよ」
言われてみると、似ているが少し違う。
ネルやアイシスの刻印はくすんだ灰色をしているが、彼女のは眩しいほどの白色だった。
戦気や効果の違いまではよく分からないが、何か大きな力を持っていることは確かだ。
「私がアイシスを気に入っているのには理由があってね。彼を初めて見た時、私の刻印が強く熱を持ったんだ。
スピカの時ですらこんなに強くは反応しなかった。
その時私は確信したのさ。この子は最強の剣士になる、とね」
胸元の刻印を抑え、ジークはアイシスに初めて会った時のことを思い出す。
それがどんな意味を持つのか、ネルは知らない。
「彼を私の騎士にすべきだ、と。この刻印が執拗に訴えてくるんだよ。
彼はきっと将来、スピカに並ぶほどの剣士になる。
だから私は彼が欲しいのさ」
はっきりと言われ、ネルは泣きそうな顔になる。
両想いなら、お邪魔虫の入る余地はない。
だが、そんな思いは彼女の次の言葉によって否定された。
「けれど私が欲しいのは、あくまで忠義に厚い騎士であって、恋人ではないんだよ。私も一国の王女になろうという身。今は恋愛にうつつを抜かしている余裕など無くてね。
彼の私に対する恋愛感情ははっきり言って邪魔だ。そこでネル、君にお願いしたいことがある」
わざと強めの表現を使ったのは、彼女なりの配慮だったのだろう。
アイシスが聞けば泣いてしまいそうな言葉を並べ、ジークはネルの情に訴えかける。
「君がアイシスの恋人になって、二人で私を守ってくれないか?」
それはネルにとって、願ってもない申し出だった。
「……いいの?」
「良いも何も、別にアイシスは私のものではないからね。それにネル、奪うのだって恋愛だよ」
年上の彼女の言葉を受けて、ネルはやっぱり適わないなと思った。
だが、ライバルでないなら話は別だ。
まだ彼女にも勝機はある。
恋愛という勝負における勝機が。
「そういう事なら。その願い、確かに聞き入れたわ!」
「ああ、女同士の誓いだ」
夏の香りがする空の下、指切りを交わす。
ネルとジーク。二人の間に奇妙な絆が生まれた瞬間だった。
「それにしても、アイシスの好意に気付いていて思わせぶりな態度をとるなんて。そんな器用なこと、よくできるわね」
「命を守る騎士に嫌われてしまっては元も子もないからね。恋愛をする気はないけど、それなりに私を好きでいてくれなくては困る、なんて。ふふっ、私は我儘な女かな?」
ジークは可愛らしく笑みを浮かべて、そう零した。
「ちょっとだけ。でも、大丈夫よ。
だって、女は我儘な生き物だもの」
誰よりも我儘に生きる彼女がそう言ったのだ。
それが何ともおかしくて、ジークレインは笑った。
ネルもそれに釣られるように笑う。
二人の笑い声が、中庭に響く。
少し暑い、夏の夜の事だった。




