【2話】 適わぬ恋
「へぇー、ジークレインねぇ。それはまた難儀な恋をしたもんだ」
賑やかな午前中の冒険者ギルドの隅で、アイシスの友ダリスは意味深な笑みを浮かべていた。
テーブルに置かれたジョッキには残り少ないジュースが波打っている。
何か相談事があるとき、ダリスは決まってこの場所を指定してアイシスに対価としてオレンジジュースを奢らせるのだ。
「ダリスもしかして、ジークさんがどこの誰だか知ってるの!?」
机に身を乗り出し問い詰めるアイシスはいつになく楽しそうで。
恋は人を簡単に変えてしまう、そんな名言ダリスの脳内に浮かぶ。
「そりゃ知ってるさ。彼女、有名人だからな。むしろ知らないお前の方が異常なの」
「そ、そんなに有名?」
「うん、マジで有名」
はぁ、と肩を落として落胆のため息をつくアイシス。
「そりゃあんだけ綺麗なら有名にもなるよねぇ。あー、もう彼氏とかいるのかなー、いるんだろうなー」
「おいおい、別に彼女が有名なのは見た目が綺麗だからじゃないぞ」
「えっ、そうなの? じゃああれか、将来有望な剣士とか?」
「いや違う。もっと単純なことだ。まぁでも彼女のフルネームを聞けば鈍いお前でも一発でわかると思うぜ。だからこそ彼女はラストネームを明かさなかったんだろうし」
「ラストネーム?」
「ああ、そうだ。彼女のラストネーム、知りたくないか?」
「知りたいよ! 教えて!」
「じゃあわかるよな?」
ダリスは空になったジョッキを叩く。アイシスは即座に懐から財布を取り出して、店員にオレンジジュースを追加するよう頼んだ。
「……それで、彼女の本名って?」
「ジークレイン・アースディア。それが彼女の名前さ」
「アース、ディア……」
その名前が指す意味は一つ。
二千年の歴史を持つ我が国、帝国アースディアの皇族だけが名乗ることを許されたラストネーム。
つまるところ彼女は現国王の一人娘だった。
「そうか、それで近衛兵が……なるほどなぁ」
「な、難儀な恋だろ」
真実を知ったアイシスはただ愕然とうなだれた。
届かない恋。初めての恋は始まる前に終わってしまった。青春というものは常に非常だ。
友人のそんな姿を見て心底楽しそうなダリス。
新しくやってきたオレンジジュースを喉の奥へ落としながら、他人の恋路ほど面白いものはないと彼は改めて思った。
ゆえに彼はこの恋を焚きつける。
「まぁそう落ち込むなよ。諦めるのはまだ少し早い」
「何か策でも?」
「……まぁ、あれを見ろ」
ダリスはそう言うと、掲示板に張られた一枚の紙を指さす。
そこには大きな字で『ジークレイン・アースディア専属騎士選抜大会』と書かれていた。
「一年後。つまり彼女が成人する日、専属の騎士を選考する大会が開かれる。そこで優勝して彼女の騎士になるんだ。それがお前があの子に近づける、最も現実的な方法だと思うぜ」
策を聞いたアイシスはそうかその手があったかと一瞬目を輝かせたが、またすぐに暗い顔に戻ってしまう。
「大会で優勝するなんて僕には無理だよ。王騎士の選考なんてただでさえ倍率が高いのに。剣の才能のない僕が勝てるわけないって」
「なんだよ、そのぐらいで諦めるような恋なのか?」
「うん……元々無理な話だったんだよ。僕みたいな落ちこぼれが恋をするなんてさ」
がくんと肩を落としてうなだれるアイシス。
初恋を諦めるまでに一日とかからなかったなと呑気にダリスは思う。
「相変わらず低い自己評価だな。まぁこれは他の誰でもないお前の恋だから、たった一日で諦めようが俺の知ったことじゃない。でもなアイシス。そんなんじゃいつまでたっても弱いお前のままだぜ」
俯くアイシスの目を見て話すが、視線が合うことは無い。
ダリスの言葉は彼の耳に届いたが、心までは届かないようだ。
「そんなこと、ダリスに言われなくてもわかってるよ。でもどうしようもないんだ。僕は兄さんたちみたいに強くはなれないし。頭だって良くないから」
こういう話になるとアイシスはいつもこうだ。
うじうじと女々しく自分を卑下する。
ダリスは彼の家庭の事情をよく知っているので責めはしないが、内心ではかなりイライラしていた。
見ていてムカつくのだ。
ダリスは彼の、アイシスのことが友として好きだった。
男だが可愛らしい顔立ちをしており、剣の腕も凡才ではあるが決して弱くはなく、勉強もそれなりにできる。
尊敬できる、良き友だと思っている。
だからこそ余計に彼の態度が許せないのだ。
もっと自分を誇って磨けばいくらでも輝けるはずなのに。
彼のことが好きだからこそ、そう思わずにはいられなかった。
「あー、やめやめ。もうこの話は終わりにしよう。どんどん沈んでいくお前を見ていると、オレンジジュースが不味くなる。もっと明るい話題はないのか? ほら、お前の好きな蒼の旅空団がまた功績を上げたそうじゃないか」
「あ、そうそう! 新しく見つけたS級ダンジョンをたった一か月で攻略したんだって! はぁー凄いなぁ。団長のゼノさん、一度でいいから会ってみたいよ」
「二十歳の若さで団長に登り詰めた天才剣士だっけか。えげつない強さらしいが。黒龍を一撃で屠ったなんて噂も出てるくらいだしな。本当なら英雄に匹敵する強さじゃないのか?」
「かもねー! はぁ、いつかこの町にも来てくれないかなぁ、蒼の旅空団……」
うっとりと物思いにふけるアイシス。彼は小さいころから英雄譚が大好きだった。
『蒼の旅空団』は優秀な冒険者たちを集め構成されたギルドの一つだ。
発足してまだ数年のギルドだがその勢いは凄まじく。最も難しいとされるS級ダンジョンを次々と攻略している。
天賦の才を持つ剣士ばかりが集っているが、その中でも団長のゼノ・フリードは群を抜いた強さなのだとか。
ちなみにギルドというのは冒険者を職とする者が集まり、地域に住まう魔物を狩ったり未開の地を探索したりする団体のことだ。
アイシス達のいるここも、そんな数あるギルドのうちの一つ。
『彗星の使者』といえば、数百あるアースディアのギルドの中でもかなりの高名だ。
A級ダンジョンの踏破者も数名おり、実績も申し分ない。
ここら一帯の冒険者志望の少年たちは、ここへ入るために剣の修行を積むのだ。
もちろんダリスとアイシスも例にもれず、いつかはここで輝かしい功績を残せるよう、剣の修行に励んでいた。
「何よあんたら、また蒼の旅空団の話してるの?」
盛り上がる二人に声をかけたのは、栗色の長髪がよく似合う強気な女の子。
背中には幼い体系に似合わぬ大剣を背負っており、彼女もまた剣士であることを示している。
キッと上がった凛々しいツリ目が威圧的だが、それを補って余りあるほどに端正な顔立ちをしている。
「やぁネル。ごきげんよう」
「ごきげんよう、じゃないわよクソダリス。相変わらずうざいくらいキザね。朝から鳥肌が立つじゃない。やめてよキモいから」
「はっはっは。相変わらず口が悪いな。さしもの俺も挨拶をしただけで罵詈雑言を浴びせられるとは思わなかったよ」
「ふんっ、私なりの挨拶ってやつよ。それにしてもあんた口臭いわね。オレンジジュース飲みすぎて口に青カビでも生えてるんじゃない?」
「頼むから冗談だと言ってくれ……」
半泣きになってしまったダリスを尻目に、ネルと呼ばれた少女はアイシスの横に陣取った。
嵐のようにやってきた彼女に若干怯えながらアイシスも挨拶を交わす。
「お、おはよう。ネル」
「……うん、おはよ」
打って変わってしおらしく挨拶を返すネル。
指をもじもじと動かしてどこか落ち着かず、その顔は耳まで紅く染まっている。
ダリスが心の内で(わかりやすいなぁ)と安易なツッコミを入れてしまうのも仕方がない。
そのあからさまな好意は残念ながら本人に届くことはなく、アイシスは罵詈雑言を浴びせられないことにそっと胸を撫で下ろしていた。
現実とは非情なものだ。
「それで、蒼の旅空団がどしたの?」
「そうだ、聞いてよネル! なんと彼らがまたS級ダンジョンを攻略したんだって! 凄いよねぇ、もう今年だけで三個目のS級だよ? 普通は一年かけて攻略するのに、たった一ヶ月で制覇しちゃうなんて。彼らこそ現代を生きる英雄そのものだよね!」
「……別に、凄くないわ。たかだかS級を三個制覇したくらいで、いい気になってんじゃないわよ。私の作るギルドなら、きっと一年で二桁は行くわ!」
ドヤ顔で胸を張る大きなネズミ、もといネル。
彼女のビックマウスは今に始まったことでは無い。
常に変わらないスタンス。だがそれにはある程度の実力が伴っていた。
彼女は同年代の中でもかなり優秀な剣士だと言えるだろう。
女というハンデをものともせず、数々の大会を制してきた猛者。
いつの間にかついた通り名は『龍殺しのネル』
不遜な態度と龍をも恐れぬ豪胆な剣さばきが、剣士達にそう名付けさせた。その実力は、アイシスもダリスも認めている。
「うん、ネルならきっと出来るよ。応援してるからね!」
英雄になれる可能性を秘めた彼女のファンであるアイシス。
それは本心からでた言葉だったが、ネルは意外にもその言葉に不満そうな顔をした。
「何他人事みたいに言ってんのよ。アイシスも私のギルドの一員に決まってるじゃない! 異論は認め無いわ、二人で世界最強ギルドを作るんだから!」
「え……でも、僕は……僕なんかが入っていいの?」
「その、アイシスが、嫌じゃなければだけど……」
「ううん、嫌なわけないよ!ネルの作るギルドならきっと世界で一番強いギルドになる。そんなギルドに入れてもらえるなんて、すっごく嬉しい!」
ネルの手を取って熱弁するアイシス。ネルは手から伝わる恋の熱でオーバーヒートしそうになっていた。動揺が見て取れる。
普段の彼女しか知らない人が見たら、そのギャップに面食らうだろう。こう見えて彼女はピュアなのだ。
「そ、そそ、そうかしら……?」
「そうに決まってる。ネルは誰よりも強くて、かっこいいんだから!」
ボンッと音を立ててネズミは爆発した。
キラキラとした瞳が乙女のハートを射抜いてしまったのだ。
恐るべし天然の女たらし。
「あの、俺は? 俺は入れてくれないの?」
二人だけの世界を作り出すアイシスとネルに、置いてきぼりを食らったダリスが恐る恐る尋ねる。
ネルは案の定、眉間に皺を寄せた。
「えぇ……あんたも入るの?」
「そんなあからさまに嫌な顔しないで! ほら、俺も結構役に立つから! ちゃんと役に立つからぁっ! アイシスも、黙ってないで何とか言ってくれよ!」
「ネル、ダリスも入れてあげてよ。意地悪しないでさ」
「あ、アイシスがそう言うなら……特別にダリスも私のギルドに入れてあげる。ギルド内の雑巾がけくらいならやらせてあげるわ」
「……あ、ありがとう?」
疑問を抱きながらも深くは突っ込まない。
ダリスもネルと知り合ってもう長い。彼女との付き合い方は熟知していた。
それにしても、本当に難儀な恋だなと。ダリスはネルを見て思うのだ。
いっそくっついてしまえばどんなに楽だろうか。
でもそれを言うのはお節介だと幼いながらに理解している。
ダリスは聡明だった。
「それじゃ、私は稽古があるからそろそろ行くね」
「うん。頑張ってね、ネル!」
「あ、ありがと……」
真っ赤になった顔を見られないよう後ろを向いたまま、彼女はギルドの入口へと歩き始める。
そこへダリスの要らぬ一言。
「頑張ってね、ネル!(裏声)」
「死ねッ!」
今日一の冷徹な視線と呪詛の言葉を残して、嵐のような少女はギルドを去っていった。
「同じセリフで何故こうも反応が違うんだ」
「照れ隠しってやつじゃないの?ほら、僕よりダリスの方が付き合い長いから」
「絶対違う、あれは俺に恨みを持ってる目だ……てか、お前の鈍感さも筋金入りだよな」
「ん、何のこと?」
「何でもねーよ。っと、俺もそろそろ用事あるんだった。悪いなアイシス。オレンジジュースご馳走様!」
「はーい。じゃーねダリス」
「ネルの時みたく頑張ってとは言わないのな……ま、いいけど」
ぼそっと独り言を呟いて、ダリスも帰っていく。
ギルドは相変わらず煩いままだ、なのに独りになった瞬間、世界が止まったように虚しくなる。残された空のジョッキを見つめて、アイシスは暗い顔で俯いた。
そろそろ午後になる。家に帰らないと。
そうは思うものの、足は動かない。
アイシスにとって、家は帰るべき場所ではなく深い深い闇そのものだから。