【13話】 血盟の絆
二日後、アイシス退院の日。
彼は病院のベッドで目を覚ました。
もう既に見慣れてしまった天井も、今日で見納めかと思うと少し寂しい。
この二日間、アイシスはずっと考えていた。
あの日脳裏に鳴り響いたのは間違いなく【血盟の絆】が発した音だ。
【血盟の絆】
それは血縁者が死亡した際に発動し、かけられた者が死亡したことを知らせる魔法。
クロウディア家の人間は皆、出生時にこの魔法がかけられる。
アイシスの生きている血縁は全部で三人。
二人の兄と、意識のはっきりしていない父。
死んだのは誰だろうか。
死に最も近いのは父だろうが。
兄弟のうちのどちらかが死んだとは考えにくい。
二人とも、かなりの実力者だ。
サロメは言うまでもないが、ランスロットもそこそこ大きなギルドで副ギルド長を任されるほどの強さを持っている。
もし死んだのが彼らなら、余程難しいダンジョンでモンスターに殺された、と考えるのが一番無難だろう。
「考えてても分かんないよな。とりあえず、家に戻ろう」
独り言を呟いて荷物をまとめ始める。
そのまま病院の出口まで、担当医に身体についていくつかの注意を受けながら歩く。
最後に「お大事に」とだけ言って、担当医は病院へと戻っていった。
空の青を確かめるように上を見上げ、大きく深呼吸。
住んだ空気が肺の中へと浸透した。
ここから家に戻るまで、だいたい一時間くらい。
アイシスは体の調整も含めて道中を駆ける。
目まぐるしく変わる景色、自然と息が上がっていく。
まるで、考えるのを拒絶するように、アイシスは一心不乱に走った。
疲れ果てて歩き始めた頃、ようやく家の門が見え始める。
ここに来る度、憂鬱な気持ちになってしまうのは、兄たちのせいだ。
だけど、その兄がもしかしたら。
はやる気持ちを抑え、もう一度深呼吸をして、家の扉を開ける。
緊張感で胸が痛い。
扉を開けたその先にいたのはサロメでもランスロットでもなく。
従者のエールだった。
「……アイシス様!」
エールはアイシスの顔を見るなり駆け寄って、彼の手を取り額に近づける。
大げさなその態度に、アイシスは面食らった。
「よくぞ、よくぞご無事で……」
感極まった様子の彼女に、アイシスは戸惑うことしかできない。
しばらく兄がいないか辺りを見回していたが。
サロメもランスロットもいない事が確認できると、安心と共に冷静さが戻ってきた。
彼女の肩に優しく手を置き、声をかける。
「えっと……ごめん、状況が読めない。少し落ち着いて、それから説明してもらえるかな?」
「あっ、もうしわけありませんっ!私としたことが、取り乱してしまいました。説明と言っても、私達もアイシス様がどこまで把握をしていらっしゃるのか分からないので……とりあえず、リビングでお待ちいただけますか? すぐに紅茶をお持ちします」
「わかった」
アイシスがうなづいて返事をすると、エールはキッチンの方へ駆けていった。
それを見届けたあと、アイシスもリビングへ向かう。
道中で会った従者達にもエールと似たような反応をされたので、リビングで話を聞くから全員を集めてくれと頼んでおいた。
程なくして、屋敷の全員がリビングに集められた。
静まり返る部屋。
エールの入れてくれた紅茶を一口啜って、アイシスは静かに落ち着いた声で質問を投げかける。
「それで、誰が死んだの?」
確信をついた質問に、従者全員の息を飲む音が聞こえた。
重苦しい空気の中、その質問に答えたのは従者の中で一番歴の長いシヴァだ。
「亡くなられたのは、サロメ様とランスロット様です。二日前、この屋敷へ御二方のご遺体が運ばれてきました。死因は他殺とのことです。
ランスロット様のギルド『黒羽の獅子隊』が何者かに襲われ、たまたま同行されていたサロメ様もその凄惨な事件に巻き込まれてしまい、亡くなったと。御二方のご遺体ですが、今は地下室で保存しております」
できるだけ淡々と話すシヴァの説明を、アイシスは黙って聞いていた。
全てを知った時、湧き上がってきた感情は悲しみでもなく喜びでも無い。
ただもやもやとした何かが、胸の中でつかえている。そんな感じだ。
二人からの束縛が無くなったことに対する解放感はあるが、それ以上に喪失感が大きかった。
戸惑うアイシスの胸の内を知ってか知らずか、シヴァは続けた。
「御二方の突然の訃報。それに加え、アイシス様が二週間も帰られていないと聞いた時には心臓が止まる思いでございましたが。本当に。本当に、よくご無事で戻ってくださいました……」
シヴァの目から、一筋の涙が零れる。
彼女はアイシスはもちろん、サロメやランスロットが生まれる前からこの屋敷に務めていた従者だ。
三人共の成長を見守ってきた彼女。
アイシスは詳しく知らないが、サロメやランスロットの仕事の手伝いもしていたようだ。
彼らが残虐で横暴に育ったとはいえ、彼女が自分の子供のように可愛がってきた二人が亡くなったのだ。色々と思うことがあるのだろう。
そして、その中でもアイシスは彼女にとって特別だった。
サロメとランスロットとは比にならない程に、アイシスに忠義を抱いていたのだ。
酷な環境の中、自分を二の次に人を気遣う少年を、誰が嫌いになれようか。
もちろん、それは他の従者も同じだ。
アイシスの顔を見て皆一様に涙を浮かべている。
アイシスはそんなシヴァや他の従者たちの反応を見て、自分が本当に心配されていたことを意外に思った。
あんな仕打ちを受けてきたんだ。
この家の人間など、いくら憎んでも足りないだろうに。
むしろ自分たちは死んだ方がいいとさえ思われている、そう思っていた。
だけど、それは違った。
サロメやランスロットはそうかもしれないが、アイシスだけは違ったのだ。
アイシスはそんな彼女たちからの思いを嬉しく思う。
自分が彼女たちの支えになれていたことを、誇らしく思った。
それが、名前の分からない感情を少し押しとどめる。
平静を装うほどの冷静さが、アイシスに戻った。
「そうか、皆にも心配をかけたんだね。僕は兄さんたちと一緒にいたわけじゃないんだ。だからこうして無事だったんだけど。とりあえず兄さんたちの所へ案内してくれるかな。最後に顔を見ておきたいんだ」
「かしこまりました。こちらでございます」
涙を拭いたシヴァは、リビングを出たところにある地下室の階段へと案内を始めた。
飲みかけの紅茶は置きっぱなしで、アイシスはそれに続く。
薄暗い階段を、シヴァの持つ蝋燭の灯りが照らす。
ホコリと冷気が漂う階段を抜け、その奥にあった木製の扉を開く。
中を除くと、真っ黒な棺が二つ、並んで置かれていた。
恐らく、中に入っているのは二人の遺体。
部屋の中は海に似た匂いがした。
「お心の準備が整い次第、開けさせていただきます」
「いいよ、シヴァ。僕は大丈夫」
ほぼ被せるようにアイシスは言った。
その言葉にシヴァがうなづいて、右側の棺の蓋を開くと。
そこに居たのは、死装束に身を包む変わり果てた姿のランスロットだった。
真っ白な顔。
死んでいるのだから当然なのだが、身体は冷たく固い。
アイシスがそっとその頬に触れると、指先にまだしっとりとした肌の感触が張り付いた。
体温が吸い取られるような感覚が襲う。
人の死を目前にしたのは初めての事だ。
動揺が胸をグラグラと揺さぶる。
静かに目を閉じ、ざわつく心を落ち着けると。
アイシスはゆっくりと口を開いた。
「ランスロット兄さん。今まで、ありがとうございました」
彼がお礼を言うことは何一つ無い。そ
れは自分と血を分けた兄弟への、せめてもの手向けだ。
若くして死んだ、才あるもの。
もっと違う形で生まれたなら、彼とも仲良くあれたのかもしれない。
そんなことを考えながら彼の顔を見続けていると、また正体不明の感情が押し寄せてきた。
その感情のせいで顔が熱くなるのを避けるように、彼から目線を逸らす。
(まただ、またこの感情だ)
心の中が、窮屈になるほどの感情。
相変わらず、その正体は分からない。
アイシスはもう一つの棺に手をかける。
サロメの顔を見れば、その感情の正体がわかるかも知れないと思ったから。
だが、その手はシヴァによって止められた。
そっと優しく。だけど強引に腕を掴み、彼女はアイシスに顔を近づける。
「アイシス様。サロメ様のご遺体なのですが……凄惨な戦いの中で、死を迎えられたのでしょう。とても、人の死に方とは思えません。中を見れば、相当のショックを受けるかと思います。
もしかするとアイシス様の中で一生消えない記憶になってしまうかも知れない、そう思うほどに。それでも開けると仰るなら、どうか、その棺を私めに開けさせて下さい」
深刻な表情で言うシヴァだが、アイシスもその覚悟はとうに出来ている。
だが彼女が自分を思ってくれる、その意志を尊重するために彼は手を引いた。
「わかった。じゃあシヴァが開けて」
「ありがとうございます」
シヴァがサロメの棺に手をかける。
最後にちらとアイシスを見て、本当にいいのかと目で問いかけた。
アイシスはそれに無言で頷く。ゆっくりと棺の扉が開かれた。
「うっ……」
棺から漏れだした臭いに、アイシスは思わず鼻を手で覆った。
ランスロットの時とは違う異臭。これに似た臭いをアイシスは知っている。
これは、肉の焦げた臭いだ。
そして、その臭いの通り、棺の中から出てきたのは真っ黒に焼け焦げた人間の死体だった。
「これは、惨いな」
思わず口に出してしまうほど、惨たらしい死に方。
サロメと判別することが出来ぬほど原型を失った身体は、熱に焦がされもがいた後が伺える。
灼熱の中、苦しみながら死んでいったのだろう。
ボロボロになった皮膚にも、掻きむしったような跡が見えた。
あまりにも酷い惨状にもはや誰の死体かの判別もつかないが、身につけているペンダントや衣服の切れ端は確かにサロメのものだ。
恐らくこの死体を届けてくれた人も、クロウディア家の家紋が着いたペンダントを見てサロメだと判断したのだろう。
吐きたくなる気持ちを抑え、謎の感情の正体を探るために、死体をまじまじと見つめていると。
アイシスはある事に気がついた。
(心臓が……無い?)
サロメのあまりに惨たらしい死に方故、死装束が着せられなかったのだろう。
剥き出しになった胸には、大きな穴が空いていたのだ。
そういえば、シヴァはギルドにいたところを襲われたと言っていた。
もし、それが本当なら、間違いなく例の事件が関係している。
(もしかして、ランスロット兄さんも?)
アイシスは無礼を承知で、ランスロットの死装束を脱がせた。
すると、予想通り。
ランスロットの心臓も、何者かに抜き取られていたのだ。
アイシスは確信した。二人を殺したのは、あの事件の犯人だ。
復讐。その二文字が脳裏に浮かんだが、すぐに消える。
兄たちより弱い自分に何ができようか。それにこの事件は神童が追っている事件だ。
誰よりも優秀な彼が、きっと今に犯人を捕まえてくれるだろう。
下手に手を出すよりは、彼らに任せた方がいい。
「……シヴァ、もういい。閉じて」
「かしこまりました」
死に様を想像すると吐き気がしてきたので、シヴァに頼み二人の棺を閉じさせる。
結局、サロメの死体を見ても感情の正体は分からなかった。
そのまま悪臭から逃げるように部屋を後にする。
外に出て、扉を閉めたところでアイシスは深く深呼吸をした。
目前にした二人の死は思ったよりも生々しく、シヴァの言ったように記憶にこびりついて離れない。
そして得体の知れない感情は相変わらず胸につかえたまま。
情報量の多さに、少し目眩がした。
「アイシス様、大丈夫ですか?」
「……うん、なんとか」
シヴァは一瞬、触れていいものか躊躇ったが、アイシスの背中にそっと触れる。
優しくさすられ、だんだんと気持ち悪さが抜けていった。
「ごめん、もう大丈夫。ありがとね」
「いえ、お礼など」
首を横に振って謙遜する彼女に、アイシスは優しく微笑んだ。
「ごめんねシヴァ。少し、考えたいんだ。一人にしてくれると助かる」
「かしこまりました。それでは、私は仕事に戻らせていただきます。何かあればいつでもお呼びください」
淡々とした態度とは裏腹に、アイシスを心配そうに見つめるシヴァ。
彼女を後目に彼は自室へと向かった。ふかふかのベッドに仰向けになって考える。
兄たちの死は、あまりにも唐突すぎた。
とはいえ、それはずっと望んでいたもののはず。
自分の生を恨むほどに、彼らを憎んでいたはずだ。
それなのに、この胸を熱くさせる感情はなんだ。
まるで彼らが死んだことで、何かを失ったような。
目頭が熱くなるような。泣きたくなるようなこの思いの正体は。
「これから、だったのにな」
ジークレインと出会ったことで、アイシスは変わった。
仲間のおかげで前を向くことができた。
目標に向かって突き進む覚悟ができた。
そう、すべてはこれからだったのだ。
窓から見える星空を見て。
兄の死に直面した時の胸につかえるようなあの感情の正体が、今になってようやくわかった。
いつかはサロメやランスロットを自分の力で認めさせたかった。
強くなったな─────
一言、そう言ってほしかったのに。
「もう叶わないのか」
いつか兄に勝って、自分の力を認めさせる。
永遠にかなわなくなった目標に。
アイシスは悔し涙を流し、彼らの死を偲ぶのだった。




