表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鴉の騎士  作者: 詩から歌詞
1/43

【1話】 鴉と英雄

 

 少年が運命と出会ったのは、浅紅色の花を咲かせる大樹の下であった。

 ひらひらと紙吹雪のように舞い散る花の中に彼女を見たのだ。

 あまりの美しさにその場に張り付けられたように動けず、少年は彼女を見上げた。


 彼女もまたどこか寂しげに大樹を見上げている。

 腰まで伸びた白髪は風になびき隙間から整った顔が見えた。

 完璧ともとれる美しさの中にはまだあどけなさが残っている。

 年の頃は少年と同じ十代前半だろう。

 黒色の礼装に身を包んだ彼女はどこか近寄りがたく、一抹の寂しさを感じさせる。


「儚くも堂々とした美しさ。今日のような日にふさわしい花だ。なぁ、君もこの花を見に来たのか?」


 花を見上げたまま、彼女は語り掛けた。

 凛とした声。想像通りの美しい声だ。


「この花はサクラというそうです」


 その昔、父に教わったことだ。

 答えになっていない返答に、彼女は満足そうに頷いた。


「サクラか。うん、なかなかしっくりくる。いい名だ」


 彼女は地面に落ちた一葉を掬い上げ、陽に透かす。

 斜陽は花びらを映さず彼女のサファイアのような青い瞳を明るく照らした。


「君、名前は?」

「僕は……アイシス。アイシス・クロウディアです」

「アイシス、か。これまた良い名だね」


 何気ない彼女の一言に、アイシスは目を見開いた。

 生まれてこの方、名を名乗り驚かれることはあっても、褒められたのは初めてだったからだ。

 アイシスというのはもともとは女性が付ける名前だ。

 彼のなよなよした風貌にはぴったりだが、男にこの名は女々しすぎる。

 彼自身もこの名前があまり好きではなかった。


「良い名ですか?」

「ああ、私は好きだよ。良い響きをしている。何度も口に出して言いたくなるような、そんな名前だ」

「……いつも女々しい名前だとからかわれるので。褒められるのは新鮮です」

「ふふっ、そうか。じゃあ私もからかった方がよかったかな?」

「いっ、いえ! とても嬉しかったです! その、ありがとうございます」

「どういたしまして。さて、それじゃあ今度は私が名乗る番だね」


 そう言うと彼女は徐に振り返り、威風堂々とその名を告げた。


「ジークレイン、それが私の名だ。気軽にジークと呼んでくれ。どうかな、なかなかにぴったりな名前だろ?」


 ジークレイン。

 それはかつて魔神を倒した英雄の名だ。

 少年と同じ、性別に反した名前。

 そのあまりに毅然とした態度に、アイシスは確かにぴったりな名前だと感心した。

 それは決して侮蔑の意味ではなく、彼女がまさに『英雄』に見えたからだ。


「あの、とても相応しい名前だと思います!」

「ふふっ、それは褒めているのかい?」

「もちろん!」

「……ああ、ありがとう」


 食い気味で答えたアイシスの言葉に、ジークレインは涼やかに笑った。

 凛々しいという言葉がよく似合う人だ。


「あの、ジークさんはどうしてここへ?」

「さぼり、というか。息抜きというか。まぁそんな感じかな。家は息が詰まるからね」

「なるほど」


 家は息が詰まる。アイシスにはその気持ちが痛いほどよくわかる。


 『出来損ないの三男坊』


 それがアイシスの家での立場だ。

 何かにつけて優秀な兄たちに批難され、罵倒される。

 それが毎日ともなると家にいたくなくなるのも当然。

 心無い言葉や言動にアイシスの心の中は黒く染まっていく。

 そういう時、彼は決まってこの桜の木を見に来る。

 家から逃げるように、この木の下にやってくるのだ。


「君も何か嫌なことがあってここへ来たのだろう?」

「……なぜそれを」

「目を見ればわかるさ」


 まるで心の内を見透かすような彼女の鋭い目に、思わずドキッとしてしまう。


「人は失意に呑まれた時、美しいものを求める。それがなぜかわかるかい?」

「……感動が、心の穴を埋めてくれるからでしょうか」

「その通り。失意はそれを上回る感動でしか塗りつぶせない。だから私は今日、ここへサクラを見に来たんだよ」

「もしかして、ジークさんも……」

「はは、なんてね。お互い詮索は無しにしよう。思い出しても辛いだけだ」


 そう言った彼女の横顔はとても寂しそうで。

 どう言葉をかければいいのかわからない。

 代わりにポケットから一枚のコインを取り出した。


「このコイン、よく見ててくださいね」


 アイシスはコインををわかりやすく右手に握った。

 そして両手を前に出す。


「さぁ、どっちに入っているでしょう」

「こっちだ」


 ジークレインは素直に右手を指さすが。


「残念」


 アイシスが両手を開くとコインは左手に移動していた。

 アイシスが幼いころ、よく父がやってくれた手品だ。

 ジークレインはまるでありえないものを見たかのように、口をあんぐりと開けて固まってしまっている。ここまで反応がいいと練習した甲斐があるというものだ。


「すごいな君! 一瞬で移動したけど、もしかして魔法でも使ったのかい?」

「いえ、もっと単純なことで……もう一度やってみますね」


 アイシスはもう一度コインを右手に握りこんだ。

 同じように両手を握りこみ、前に出す。


「ジークさん、間に手を入れてもらえますか?」

「こうかな?」


 するとパチッと音がして、ジークレインの手にコインがぶつかった。

 コインが地面に落ちる。


「とまぁ、こんな感じで。コインを親指ではじいて飛ばすんです。もちろん視認できないくらい高速でやる必要がありますが」

「はぇ~、案外力業なんだな。原理さえわかれば、私にもできそうだ」

「僕も初めて見た時そう思いました。でもやってみると案外難しくて。やってみますか?」


 アイシスがコインを手渡し、ジークレインは早速やってみる。

 コインはゆっくりと飛び、右手にあたって落ちた。


「おー、本当だ。全然うまくいかない」

「練習すればきっとできるようになりますよ。僕もできるまでに一年ぐらいかかりましたから」

「へぇ、一年も! 君は努力家なんだな」

「いえ、そんな……」

「私なら三日で諦める自信がある。どんなことでも努力するのはいいことだよ。それは君の才能だ」


 率直に褒められ、アイシスは頬を熱くした。

 ここ最近、誰かに褒められることが無かったので、それだけで嬉しくなってしまう。


「気休め程度のつもりだったのけれど、やはり来てよかった。サクラは綺麗だし、手品も見れたし。何より新しい友達ができたからね」

「友達ですか?」

「……私と友達は嫌か?」

「いえ、嬉しいです! とても!」


 思わず前のめりで肯定する。

 友達、その言葉が胸に染みる。


「ありがとうアイシス。君のおかげで有意義な時間になった」


 曇っていた彼女の顔が晴れ、アイシスにも嬉しさがこみ上げた。

 彼女に何があったのか、アイシスが知るよしもないが。

 少しでも彼女のために慣れたなら。


「僕も……」


 楽しかったです─────


 勇気を振り絞りそんな言葉をかけようとしたその時、サクラの向こうからガチャガチャと音を立てて人が走ってきた。


「あー、お迎えが来てしまったかな」


 近づいてきたのは近衛兵の正装に身を包んだ男。たらりと頬を伝う汗が彼がどれだけ焦って来たかを物語っている。

 乱れた息を整えて、近衛兵は静かに口を開いた。


「ジークレイン様、勝手な行動は困ります!」

「悪い悪い、もう戻るから安心してくれ。それじゃ、私はもう行くよ」

「あ、はい……」


 突然の別れ。

 アイシスは引き留めることも出来ず、ただ茫然と去り行く彼女の背中を見つめていた。


「あ、そうだ。最後にこれだけ」


 サクラ舞う丘陵。

 花びらの向こうの彼女は振り返る。


「明日は明日の風が吹く。アイシス、前を向いていこう!」


 先ほどと同じ、無邪気な笑みを浮かべた彼女の顔はサクラより美しくて。

 失意に呑まれた心は、いつの間にか桜色に塗り替えられていた。


(ああ、これが恋なんだ)


 生まれて初めて知る、暖かな感情の正体。

 アイシスは英雄と同じ彼女の名を、忘れぬよう強く心に刻んだのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ