第3回
今回は「本格」という話になる。
ただあくまでも、繰り返しになるが私の主観だ。
そして残念なお知らせですが、今回もまだ本題ではありません。
本格かどうかというのは私にとって
「そのコンテンツに触れる人が、その知識や理解、趣味、嗜好によってどこまで奥行きを感じるのか」
という話だ。
だからアンパンマンに本格を感じる人がいてもいいし、そうじゃない人がいてもいい。
あくまでもコンテンツに対して『本格』を感じるかどうかは、極論を言えば『その人がそれまで触れたもの、歩んできた人生』に大きく左右される。
前回私が伝えた、無職転生を読んだ際に面白いと感じたエピソードのように。
そして、上の例えだって、前回を読んでない人には伝わらない。
だから「あの作品が本格かどうか」なんて論じるのは、私にいわせれば無駄な作業だ。
そう感じる人も肯定されるべきだし、そう感じない人も肯定されるべきだ。
それでも、中には多くの人に『これは本格だ』と感じさせる作品はある。
ダークソウルというゲームがある。
私の好きな作品だ。
日本製本格ファンタジーといえばこの作品、と感じる人も一定数いるのではないか、と思う。
私が特に好きだったのはダークソウル3で、たぶん4000時間くらいプレイしている。
少し自分語りになってしまうが、私が同シリーズに最初に触れたのは「ダークソウル2」だった。
当時の私は、ダークソウルシリーズが本格ファンタジーかどうかなんて知らなかった。
取っ掛かりは雑誌を見て
「死にゲーか。なんかグラフィックも凄いし、面白そうだ」
と感じてプレイを始めた。
想像以上の歯ごたえで、クリアするのに数十時間かかったが、とても面白かった。
ただ、クリアした時に残った感想は
「⋯⋯で、この話って結局なんだったの?」
だった。
途中の城で女性に話しかけたら、いきなり
「デュナシャンドラはあなたを殺すでしょう」
と言われ
「えぇ⋯⋯なんで? っていうかデュナシャンドラってそもそも誰?」
と、強烈に違和感を感じ、最後に主人公が椅子に座って終わった時も
「えっ? これで終わり? 何の説明も無し?」
と感じた。
当時の私に
「ダークソウル2って、本格ファンタジーだよね?」
と聞いたら
「いや、本格もクソも、そもそもなんで旅してたかも、どんな話かもわからん、けど凄いゲームだとは思う、グラフィックとか特に」
と答えただろう。
じゃあ、本格ファンタジーとしての要素を感じていないから、私が不満だったかというと
「ストーリーが良くわからんけど、ゲームは面白かったから、まあいいか」
だ。
美麗に描かれている世界で、主人公を動かしている事が楽しい。
ダークソウルというゲームにおいて、『本格ファンタジー要素』こそ醍醐味だと感じる人間からすれば、初歩も初歩だ。
だが、誰しもがそこから始まる。
恐らくプロデューサーの宮崎氏には、自分の考案した世界を見て欲しい、という気持ちはあったのだろう。
だが、それを最初の売りにしなかった。
最先端のゲームを、最先端の技術で開発。
世界観に、最後まで興味を持てない人間がプレイしても『面白い』と思えるゲームを目指した筈だ。
考察する楽しみをそっと忍ばせつつ、それに気付いた人間が、その世界の広大さに驚愕する様を想像しながら。
私も幾つか考察動画を見ただけの、ダークソウル考察ガチ勢から見れば、まだまだひよっこだ。
だが、その世界が紐解かれる度に、その緻密さに驚かされている。
しかし少なくともダークソウルを他人に勧める時に、『本格ファンタジー』だからやるべきだ、とは言わない。
動かしていて楽しいゲームだよ、と、まずは共感できそうな点を伝える。
つまり本格は、勘の良い人間なら入り口で雰囲気こそ感じ取る事はあるかもしれないが、入り口そのものには決してなれない。
本格を売りにして物を人に薦める行為は、すき焼きを食べたことはもちろん、知識も全く無い人間に
「すき焼きっていう、二日目にネギが旨くなる料理があるんだ」
と説明するようなものだ。
そしてその人は、もしかしたら歩んできた人生のせいで、ネギが嫌いかも知れない。
どちらにせよ、よっぽどのネギ好きでもなければ、そこに興味を惹かれる事はないだろう。
当たり前だが
「個人的に、肉を一番旨く食べるための料理があるんだけど⋯⋯聞きたい?」
と言った方が、すき焼きに興味を持つ人間は多いはずだ。
そして、その人がすき焼きを大好きになったら、二日目のネギの旨さを教えてあげればいい。
同意されるかもしれないし、その人にとってはイマイチかも知れないし、もしかしたら試しても貰えないかもしれない。
試してもらえなかったからと、その後、折に触れ勧める事はあっても、やらないからと相手を責めてはいけない。
本格とは結局その程度のもので、わかる人にわかる、それだけの存在だ。
そして最悪なのは、二日目のネギを食べて、そこまで旨いと感じなかったくせに
「いやー、やっぱり二日目ネギは旨いねー、すき焼きはこれを食べるための料理だねー」
と、魯山人を気取って、周りから『分かってる奴』と思われる為だけにそんな言葉を吐く人間になることだ。
私は二日目のネギなんかより、肉の方が好きだ。
残ってたら食べるかも知れないが、残ってない事に『残念』だとこれっぽっちも思わない。
浅いかも知れないが、嘘はつきたくない。
ダークソウル3だって、私に数千時間プレイさせたのは、アクションゲームとしての楽しさで、世界観ではない。
小説に当てはめるなら、それは世界観ではなく、あくまで物語としての面白さだろう。
第一回のエッセイを執筆した際、Twitterにあるリプが飛んできた。
「ロードス島戦記はD&Dテンプレ作品なので、あの文脈で使うのはおかしいと思います」
と。
私はその時に
「曖昧で定義できない、あなたの想定する本格ファンタジーと、読者が想定する本格ファンタジーが違う可能性が高い、という前置きが読めずにそこが引っかかる人は読まなくていい」
と返した。
そこで来た追撃に驚愕した。
「言ってる事はわかりますが、ロードス島戦記はD&Dテンプレ作品なので、テンプレ作品を例に出す必要はないと思います」
と返って来たのだ。
読まなくていい、と更に返して、先方からは「了解しました!」と返ってきたので、もう読んでない事を信じる。
会話を単純化しよう。
「ロードス島戦記はD&Dテンプレだから本格じゃないよ」
「あの、俺は、本格なんて人によるから定義できないっていってたと思うんですけど」
「うんうん、言ってる事わかるわかる、でもロードス島戦記が本格かどうか白黒付けようぜ?」
分かってたら、食い下がらないんだよなぁ⋯⋯。
もう彼は、ロードス島戦記が本格じゃない事を私に認めさせたくてたまらなかったわけだ。
では整理しよう。
『D&Dテンプレを採用した場合、その作品から本格性は失われる』
⋯⋯なんで?
それは作品においてテンプレを使用した時に起こるのか、それとも、D&Dテンプレに限り、それは失われるのか?
要素を分解しても、イマイチピンと来ない。
でも、取りあえず続けよう。
ある少年が、ロードス島戦記を読んだ。
「あー面白かったー。普段読んでるなろう小説と違って、本格的なファンタジーだったなー!」
「ちょっと待ったアッ!」
「えっ、おじさん、誰?」
「おじさんはね、本格ファンタジーにとっても詳しいんだ! だから君にとっても良いことを教えてあげよう!」
「えっ? 何?」
「実は⋯⋯ロードス島戦記は本格ファンタジーなんかじゃないのさ」
「えっ、そうなの? なんでさ、なんでさ、おじさん! 僕が感じた気持ちは嘘だったの?」
「そうさ。君の感想は間違いだ、だって⋯⋯」
「だって?」
「ロードス島戦記は、D&Dテンプレ作品だからさ!」
「えっ! ロードス島戦記はD&Dテンプレ作品だったのか! ありがとうおじさん! 僕騙される所だったよ!」
「また君は一つ賢くなったね、じゃあおじさんはこれで」
「うん! ありがとうおじさん!」
いや、ならんやろ。
でもそういう事だ。
普通の人なら少年のようにはならない。
「うへぇ、本格ファンタジーとか言ったら変な奴がシュバってくる⋯⋯言うのやめよ⋯⋯」
だ。
自分の方が知ってる、と基準を押し付ける事は、そのジャンルにとって、時にネガティブキャンペーンなのだ。
知識とは、集めるだけでは別に偉くも何ともない。
集めた知識を、どうやりくりするか、だ。
私はそれが知性だと思う。
ただ知識を集めるだけでは、知性は身につかない。
そして自分の方が知識があるからと、それをひけらかし、他人の基準に口出しするのは、野暮な人間のやる事だ。
知性の欠片も無い行為だ。
基準を共有しようとして、相手の反応が芳しくなかったら、そこで引けばいいのだ。
だから私は最初に「そこが引っかかるならその先は読むな」と言った。
別に彼がどうしてもD&Dテンプレを採用した場合、本格とは認めないという価値観を守ろうが、私にとってはどうでも良いことだ。
知識金持ちが、知識の札束で人を殴って相手の価値観を変えさせてこようとしても、それに付き合う必要はない。
ロードス島戦記を本格と言ってる人間をまだまだだと思うなら
「あの作品が面白かったと感じるなら、次は『夜の写本師』でも読んでみないかい? おじさんが大好きな小説なんだ」
と、導くのが賢人のやり方だろう。
そして、第1回の内容で私があえてロードス島戦記で例えたのは、夜の写本師より、ロードス島戦記の方が知っている人が多そうだと思ったからだ。
ね? 俺分かってるでしょ感なんてあの文脈には不要だ。
そして本格とは、『○○だから本格じゃない』なんて浅い物ではない。
例えば支援BIS先生が、戯れに
『狼は眠らない~転移先で見つけたのは「始原の恩寵」と呼ばれるチートアイテムでした~』
とサブタイトルを付けた場合に
「はい、長文タイトルになったー! もう狼は眠らないは本格ファンタジーじゃなくなったー!」
などと愚痴愚痴言う奴は、付き合う価値の無い人間だ。
世の中の基準を、自分に置きすぎている。
小説を書いた所で読まれるはずもない。
本格の基準は、人に押し付けてはいけない。
自分より簡単な物でも満足している人を見かけたら、そっと次をオススメすればいい。
自分より詳しそうな人がいて、その先に興味があれば教えを乞えばいい。
ただ油断すれば、私だってそれをしがちだ。
人は好きを共有したがる。
好きが暴走すると、時に押し付けがましくなる。
だからあなたも私も気を付けなければならい。
二日目のネギこそ至高だという価値観を、人に押し付けて優越感に浸ってはいけない。