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1話

消毒用アルコールの匂いが俺の鼻孔を刺激していた。俺がいるのは保健室……と見せかけて、実は病院の地下室だ。

 そして、俺は今心臓に異常がないか調べるときのような検査などを受診している。それもパッドは心臓付近だけではなく、ほぼ全身にだ。最初はMRIに始まり、レントゲン、血液検査ときて最後がこれだった。


 隣では元凶である天恵がパイプ椅子に座り、モニターを見ながら億劫そうに、「やっぱ私、病院って嫌いだわ」と吐き捨てた。


 こいつ、とんでもないことを口走りやがった。

 なぜ自他ともに健康過ぎる俺が、六月という季節外れの健康診断を行っているかというと、こいつが俺の脳に勝手に埋めた、他人の夢が見える謎の機械のせいだ。

 その機械を取り出すべく、俺らは天恵と協力関係のある病院地下室を借りて様々な検査を行っていた。


 ここは病院だから、多少の怪我を負わせても問題ないだろう。いつもなら口論で済ませるが、今回は本気で行こうと思う。

 なにせ貴重な休日の朝に来させられたのが、この病院なのだから。

 なぜさっきの暴言に対して言い返さなかったのかというと、喋ることを禁止されているからだ。この検査が終わったら色々言うつもりだ。


 「よし! 異常なし! 喋っても……痛っーー! いっつー……いきなりなにすんの!?

 せっかく人が検査して安全かどうか、休みの日を使ってまで確認してあげたのに! アイアンクローをかますなんてっ! これが恩人に対する仕打ち!? あーっ! あーーーー!」


 検査終了宣言と同時に、上半身裸のせいか普段よりも素早く動ける俺はベッドから飛び起き、天恵のこめかみを小さなビーチボールのような感覚で掴み、徐々に力を加えていく。


 「うるせーっ! 最初は一言言ってからの反応で決めようかと思ったけど、怒りの感情がパンクして先に手が出たんだよ」


 釣り上げたばかりの魚のようにジタバタと暴れ、俺の手から逃れようと両手で必死に抵抗するが、俺は絶対離すもんかと、余った左手一本で天恵の両手を掴み、右手の力を緩めない。


 「ギブギブッ!! わかったっ! 悪かったからもう離してっ!!!」


 耐えきれなくて、ついに降伏を宣言した天恵の頭部からゆっくり手を離す。

 こいつの頭も壊すと、俺の頭の中も壊れる可能性があるので、最初からあまり長い時間はやるつもりはなかった。

 ただ、態度の酷さが俺の予想よりもちょっと右斜め上だったので、攻撃時間は当初の予定よりも長かったのは否めないが。


 「ってかアイアンクロウって……なんでそんな技を選んだの?」


 暴れたせいで、綺麗で清潔感のあった天恵の白衣が、紙を丸めたときにできるような(しわ)を無数に作っていた。


 「俺の脳に関するダメージを表現してみました」


 「なにちょっと芸術家みたいな受け答えしてんの!?」


 見事なツッコミだ。どうやら俺の絶妙で芸術的な力加減のおかげで、天恵の脳に異常はないらしい。

 ちなみに、さっき芸術家みたいな大層なことを述べたが、アイアンクロウを人生で初めて行ったのはこいつには秘密しておこう。


 「それよりも、本当に異常はないんだよな?」


 「ないない。心配ない。問題ない」


 よくよく考えればこいつ、医者じゃないんだよな……。俺が不信の眼差しを向けて茹でダコのように真っ赤な顔を近づけると、


 「信じてよ! ホラこの澄んだ瞳。この瞳が嘘をついてーー」


 「見える。思う」


 「まだ言い切ってないでしょっ! せめて、最後まで言わせなさいよっ!」


 などと、強く否定した。この件は本当に不安なので、そう簡単には譲れない。

 特に、あのおっさんの気持ち悪い妄想の夢が一度俺の脳内を通過して映像化してたと思うと、零下(れいか)レベルの寒気を引き起こしそうだ。


 「とりあえずはお前の言葉を信じよう。ただし、もし嘘だったらそのお遊戯会で使うような白衣のしわのように顔をしわくちゃにするぞ」


 「お遊戯会ってなによっ! お遊戯会って! いや、怒ってるんじゃなくて……」


 俺が怒りと疑いの混在した眼差しを続けていると、ナースコールのような音が俺らのいる部屋に響き渡る。

 ここは病院で電子音だったが、それは恐怖におののく牧之瀬天恵にとって救いの鐘の音に聞こえたのかもしれない。

 天恵はその音に嬉々として、対応した。悪運の強いやつだ。すっかり毒気を抜かれてしまった。


 そんなことは気にせず、天恵は早足でモニター画面に向かった。

 ここには誰も来ないと聞いたはずなのに、なぜ連絡が来るんだ? 今度こそ変な組織の奴らか。


 「……あれ~? もしかして、源太郎君ビビッてるんですか~? 今度こそヤバい組織が自分を攫いに来たとかいう妄想が現実になっちゃったんだと」


 モニターを操作しながら、笑いを堪えているような声でこちらの様子を確かめている。


 「はぁ~? べ、別にビビッてねーしっ! ただ、もしもの時のために心の準備はしておいたほうがいいとはいつも思ってるけど」


 俺は素早く上着を着て、荷物をまとめて出口から数歩下がりながら、天恵に反論した。念には念を。

 備えあれば(うれ)いなし等の慎重な諺が、ついさっき決まった俺の座右(ざゆう)(めい)なのだから当然の行動だ。


 相手の応答を待つ僅かな間に、わざわざ振り向き見下すようなニヤケ面を天恵はチラリとのぞかせたあと、モニターでなにやら誰かと話し始めた。

 どんな奴と話しているか確かめたいところだが、俺の顔を覚えられるのは面倒だから、画面に映らないように念のため身体を縮める。


 どうでもいいが、危険なことがないことがわかったのなら、早く帰らせてほしい。夢の録画もできなかったからな。

 なら、こいつと休日を過ごす道理はない。どうせこいつといてもいいことがあるわけではなく、厄介事に巻き込まれる可能性が上昇するだけだからな。


 さっさと帰って、こいつから借りたゲームを家でやるという予定もある。

 無関係な用事なら、俺がいなくなったあとゆっくりしてくれ。


 二、三言くらい電話越しで会話を交わすと、受話器を置かず送話口を塞ぎ、


 「あのさぁ……知り合い入れていい?」


 天恵が平身低頭の態度で願いを申し出ていた。なんて貴重なシーンだ。録画して永久保存したいくらいだ。

 まさかここに来て俺のアイアンクロウの弊害でも発生したか? ここまで申し訳なさそうに俺に尋ねてくることがあるとは。


 しかし、断腸の思いで申し出た願いだろうが、それは了承できないものだった。

 普通に考えて、答えはノーだ。秘密が漏洩する可能性があるので、部外者を入れるのは好ましくない。


 付け加えるなら、もう一つ理由がある。これは偏見といえるかもしれんが、こいつの知り合いがまともなわけがない。どうせ変人に決まってる。

 ぼっちであるこいつの知り合いというのは、かなりの好奇心を刺激され一目見たい気もするが、関わらないのがベターだ。

 ハラハラする体験はこの前のことで満たされているからな。


 「悪いが、状況が状況だけに、断ってくれないか?」


 「えーと……断りづらい相手なんだよね」


 「誰なんだよそいつは?」


 「ここの院長の娘」


 あー。と間の抜けた声を発しながら、天恵の立場を理解した。

 しかし、ここで引くわけにはいかない。俺も大事に巻き込まれる可能性はなるべく回避したい。


 「俺らの秘密がバレたらどうするんだ?」


 「友達だし、問題ないわ。流石に秘密を漏らす奴じゃないし、そもそもバレるわけがない」


 お前の友達……それを聞いて余計不安になったぞ。こいつの友達が絶対普通であるわけない。


 「とにかくだなーー」


 俺が待ったをかけているにも関わらず、


 「あっ。もう向かってるみたい」


 携帯の画面をヒラヒラさせながら、天恵はそう伝えた。


 「止めろよッ! オイッ!」


 「だってなんか今回めっちゃ押し強いんだもん!」


 決定だ。会う前からおかしいやつだなそいつは。断言できる。確かこの部屋までの到着時間は約二十秒弱だ。


 「口裏合わせるのとかどうするんだ?」


 「あんたが高血圧に悩まされる少年って設定でいきましょう。お金がなく、まともな治療を受けることができず、それを改善するためこの病院を借りて、心優しい私が無償で色々と手を施しているってことで」


 「ちょっ! 待てよ――」


 なんだその芸人が客にショートコントの題材を伝えるみたいなノリは!?

 まさかその設定でアドリブを利かせて、乗り切ろうってことじゃないよな。

 などと言う間もなく、かくも扉は開かれた。

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