表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラーメン!  作者: B.B.ストラムナイト
5/5

第五節 

第五節目


   〜A side〜

 

 俺は一生涯のトラウマになるようなふられ方をしちまった。意味分からないってどういう男のふり方だよ、ふざけやがってあの女。まぁ別に良かったし、気にしてねえし、浮気したらナイフで脅すようなイカれ女、こっちから願い下げだし。


 帰ってきた地元の風景は、心の傷を癒やしてくれるかのようだ。そういえば俺が地元を離れ修行している間無双布武に入る前に会った、ドイツ人のパブロが親父の元で修行をしているのは言ってなかったよね。奴が俺が離れてる間、親父達の様子をラインで報告してくれてた。


 奴は俺と離れた間に関東に渡り、醤油ラーメンの超名門店で一年、その後札幌に渡り味噌の名店で有名らしい店で一年、それから塩を山陰の方面でまた一年。んで最後の一年に豚骨を九州で一年修行したいから良い所ないかと聞かれたんで、実家っつうか親父を紹介した。俺が兵庫で会った頃のアイツは日本語がてんで駄目だった癖に、今では普通に喋れてる。というか色々な所を転々し過ぎて、色んな所の訛りが混濁してるから再会した時には、既に面白い外人に変貌を遂げていた。


 パブロからの連絡で、親父も歳だからそろそろ引退させた方がいい、俺もそろそろドイツ帰ろうと思う。という知らせをラインで打ってきたのが、そろそろ帰らんとなと思うきっかけだった。パブロは色々な有名店で修行していたせいか、最初会った時と比べ、見た目も職人のような凄みのある風貌に変貌していた。日本語も片言どころじゃなく超流暢。なんだけど所々で鹿児島弁や島根弁、たまには急に江戸っ子みたいな事も言い出すので、良い意味でキャラがたってた。

 無双布武に入る前に3人でつるんでたアイルランドのショーンともテレビ電話で話した夜は、相当盛り上がった。騒ぎ過ぎて二人とも母ちゃんから、怒鳴られる程に。


 親父はパブロが相当お気に入りみたいで、自慢の一番弟子だと豪語し、逆に裏切り者の俺には冷たい。実際、全国の有名店で転々と修行してきたパブロの凄みは俺の目にも明らかだ。親父から学ぶ予定だったスープ造りも、俺はまさかこのゲルマン人から学ぶ事になるとは。パブロは常に勉強熱心でありとあらゆる事を吸収していた。彼の姿を見て俺は初心に戻らないとなって痛感させられる。俺が実家に帰って2週間が経とうとした頃、意外なラインの通知で驚かされた。



 「鹿児島中央駅なう」


 最初見た時意味がわからなくて、何かの間違いかなんだろうと思った。正直言って鳴丘玉美の文字は本能的に避けてたように思う。丁度豚骨を炊いてる大事な時間帯だったので、最初無視しようとした。けど「なう」ってなんだ?

 

 right nowの「なう」か?

 じゃあ今って事か?

 今鹿児島中央駅って事?

 もしかして迎えに来てくれって事?

 

 いやいやそんな訳無ーよ。あの女にはこないだしっかりとフラれた筈だぞ。あの傷掘り起こすのか?

 それでも曖昧にしててもしょうがねーし、一応確認の為電話をかける。クールにかつ冷徹に対応しなくては。


「どうしましたか?」

「鹿児島中央駅なう」

 久し振り聞く彼女の声は、少しか細く感じた。

「それはもう見ました。今いらっしゃるって事ですかね?」

「うん」

「会社の方は、どうされたんですか?」

「辞めた」

「なんでですか?」

「めっちゃ寒かってん」

 あの怖かった店長が、まるで子供みたいな事を言うので思わず笑い、俺も張り詰めた心が解れてしまった。


「もう玉ちゃん、子供じゃないんだから。そんで今何処ね?」

「スタバ」

「一階のとこ?」

「多分それであってると思う」

「迎えに行くけど、今から40分ぐらいかかっど」

「遅いわ」

「ウチ郊外なんだからしょうがないでしょ」


「親父車貸してー」

 電話を切って俺は親父とパブロが茶飲んでる部屋を開けた。親父は驚きながら鍵を渡してくれた。パブロに炊いてるスープを引き継いで貰って、慌てて車に乗り込む。車のエンジンかけながら一つの事が浮かんだ。しばらく地元を離れてたもんですっかり忘れてたけど、俺は高速道路という便利なものを完全に忘れていた。


 高速すっ飛ばして駅に着いたのはわずか15分後だった。駅構内の商業施設に入ってるスターバックスのテラス席にあの鬼のナルタマこと、鳴丘玉美は行き交う人を見ながら、優雅に珈琲を飲んでいた。

 近づいていくと俺の姿を見つけて、時計を見てあれ?という顔で俺をもう一度見る。

 そうすると思ってたぜ。


「え。はやない?」

「高速っていう便利なものをすっかり忘れてたわ」

「アンタが遅い言うたから、珈琲もう一杯頼んでもうたやん」

 俺はテラス席に座り、

「俺も一杯飲んでこっかね」

 と答える。

「結構栄えてんやね、もっと田舎や思うとった」

「よく言われるけど、それはこの辺りだけ。俺の地元はなかなかのもんだよさ」

「どういう意味?」

「行ってみりゃ解っど」

「帰りも高速で帰るん?」

とコーヒーを飲みながら尋ねる。

「うん、そのつもりだけど?」

「下道でええよ、街も見たいし」

「じゃあ、そうしよっか」


 駐車場に向かう時、俺は店の車だったのが恥ずかしかった。この車は親父が仕入れに使ったり、出前をやっていた時に、原付で持っていけない量の時に使用していた超豚骨ラーメン臭い車だからだ。車を見たら笑われるんじゃないかと少しだけ思っていた。恥ずかしさを誤魔化す為、親父の車で軽のバンだけどね、という紹介で鳴丘玉美に車を見せる。

「仕入れの車や?みさきラーメン言うんやね?ん〜まぁまぁ渋いやん」

 そして車に乗って、

「めっちゃ豚骨ラーメン臭いし」

とケラケラ笑った。

 






 ~Bside~


 パオは聞かない。何故あの日の告白をぼやかす感じで、帰ってしまったのかを。

 パオは怒らない。何故今更になって自分を訪ねるアタシの身勝手さを。

 でもあの件に関しては、正直言うとこっちも本当は言いたい事があってん。でもそれを話し出すことが出来ず、車内にどんよりとした静寂が流れ、アタシをなんとも言えない微妙な心持ちにさせた。


 初夏に入り初めて来た南国の地、既にチリチリと肌に突き刺す様な紫外線が、対策を怠ったアタシを無言で叱責する。

 同じく無言で、運転するパオの横顔は怒ってる様にも見えるし、上機嫌の様にも見えるけど、実際のところはなんにも考えてない様でよくわからない。   

そのタイミングを図るうちに、横にみさきラーメンのロゴを入れた軽の箱バンは街から遠ざかり、細くぐるぐる回る坂道をずっと登る道に入った。


 その山道に入ってから、次第に森や樹木といった自然の驚異が凄まじさを徐々に増して行った。それは時に暴力的、しかし穏やかな母を思わせるような、剥き出しの自然の猛威がアタシの網膜に映る。石垣には苔が生え、走っている道路までも緑に写り、それらに飲み込まれる様な錯覚にアタシは陥った。


 勿論アタシの地元大阪にだって緑ぐらいある。小さい時は緑地公園や万博記念公園に行ったりして、家族でサンドイッチを作って出かけたりした事は懐かしく良い記憶。ほんでもここ迄は無かった様な気がするで?品目も解らんよな凄くぶっとい樹木や、無作為に電信柱に絡まる蔦、なんかアタシは圧倒されてもうて、なんかジブリの世界にみたいやなぁと呟いた。

 それを聞いたパオが、

「俺の地元はもっと田舎だよ」

と少し笑ったので、無言で少し居心地悪くなっていた、車内の空気が少しだけ解けた気がした。


 細くうねる坂道を抜け、大きな4車線の広めの道路に出る。恐らく此処がメインの大通りで、つまりは今まではショートカット的な近道やったんやね。どおりでぐるぐる回る道やと思ってたわ。

 

 コンビニやスーパー、携帯電話会社なんかが羅列している坂道を登りながらパオは、

「この辺は吉野。俺の地元はも一つ上の吉田ね」

と説明してくれたが、よそ者のアタシには今が何処走ってるのかすら全然解らへん。ただ山道をずっと登ってるようで、その山頂に向かうにつれ自然というか、全体に対しての緑色が一層深くなった。アタシは更に、山に飲み込まれていくような奇妙な感覚を感じてしまう。


 それからもうすこし走り、山頂を越えるとテレビの映像で見た事あるような、日本の原風景のような所に到着した。私の前方に拡がる畑の風景。恐らくだが山の湧き水が、そのまま畑に流れるように作り込まれてる稲田があって、とても牧歌的な優しい風景やった。またその奥には、自然の驚異と言ってしまう程の荘厳なる森が存在していた。


「パオごめんな。アタシあの日、正直色々混乱しとってんね。パオの言ってる事マジで解らんくて。いやなんやろ、言ってる事はわかんねん。でもその言葉の中に存在する真理というか…、ファクトとして認識出来ひんと言うか……」


「うん。来てくれただけで十分。ありがとう」


「ちゃうねん。こっちとしてはファミレスでああ言う事言う感覚もわからへんねん。もっとあるやん?雰囲気作りとか、ディナーとか、綺麗な夜景とかさぁ」

「雰囲気…?そういったってあの時間は彼処しかやってなかったし。俺も仕事上がりで腹減ってたし…何?だったら、先に漁港で言った方が良かったよって事?」

「なんで漁港で言うねん!アホwww.もうええわ」


そういう問題ちゃうねんて。この人はホンマに天然やねんもんなぁ。


  ~Aside~


 ファクトってなんだよこいつ。正直ムカついたけど、俺は堪えて優しく接した。吉野の坂道を登り終え、道を下り、深い森に吸い込まれる様に車を走らせる。ふと時計を見ると、時刻は午前11時。もう店は開店してるし、急いで戻った方がいいだろうという時間帯だ。焦る気持ちを抑えながら少しスピードを上げようかと思った時、急に原付のスクーターが進路を妨害する様に前に出て減速、そして遂には停車した。そのまま走ると衝突するので、俺も同様に減速し停車する。


「なんなん?ヤバいんちゃうん?」

 怯える玉ちゃんに大丈夫だからと言って、俺は車を降りた。スクーターに乗ってる奴がフルフェイスのメットを外した時に、俺は思わず叫んだ。


「稔君!」

「お前さぁ、帰って来たんだったら、電話しろよ」

 頭を丸めた以外には、稔君は何も変わってなかった。いつものリーバイス501にヴァンズのスエードチャッカに真っ白いTシャツ。

「何?彼女?」

 車の中で小さくお辞儀する玉美を見て会釈しながら言う。

「彼女っていうか〜、師匠っていうか」

 俺は少し照れて頭をかきながら答えた。

「もう4年になるもんな。お前もだいぶ色々あったみたいな。かくいう俺も相当色々変わっちまったからなぁ。うし。ちょっと今急いでるから、夜に店また寄るわ」

と言い残し、スクーターで颯爽と消えてった。


「なに今のスキンヘッド?ヤバい奴?」

 と玉ちゃんは少し怯えるような仕草を見せた。

「ヤバくないつったら、嘘になるかな」

って脅してみたが、よくよく考えたらコイツは広島ヤクザと激論して、打ち負かす程の気骨であった事も思い出し、思わず吹き出してしまった。

 よく言うぜ。


 家に帰った時は11時20分だった。もう客用の駐車場には4台も止まってた。俺はガキの頃から駐車場に何台止まっているかで、店がどれぐらい忙しいかが解る。4台は中の上といった所だと思う。店の中から熱気が伝わってくる。俺は営業に入らないといけないから、玉ちゃんは車の中で待っていて貰って、昼営業が終わったら紹介する段取りにして俺は店に戻る。

 

 

 ~Bside~


 そんな事されても、こっちは滅茶苦茶暇や。良く言えば牧歌風の長閑な景色も厳しく言えば、ただの田舎やし。それでも時間潰さな思って、車降りて畑を見たり、森を眺めたり、スマホを見たりしたところで、時間なんか上手い事過ぎるわけなんかあらへん。いや、エグいぐらいなんもないし。それでも大分頑張って結構経ったかな?思って時計見ても、経過した時間はたったの僅か1時間やった。パオの実家はこんな山の中なのにまぁまぁ繁盛しとるようで、駐車場の車は増え続け、もう今では満車になっとる。12時半か、多分今日一番のピーク帯。今行くと迷惑になるかな?アタシお腹空いてんねんけど。

 悩んでる間もさらに時間は経過し、今の時刻は13時。お昼営業時間が14時まで、あと1時間もあるやん。ちょっと暇だし、こっち来客なのに放っとかれ過ぎやし、もう知らんし、あんなド天然の言う事よう聞かんともう入ろう。


「いらっしゃいませ。空いてるお席にどうぞ!」

 爽やかに出迎えてくれたんは、謎の白人兄ちゃんやった。正直一瞬ビビったけど、気にせずアタシはツカツカ入って真正面の席に座る。厨房の奥の方からパオが段取りが違うぞという、無言のボディランゲージをしているけど知らんし。とりあえずそれを無視して、着席すると厳ついオッチャンが水を出してきた。コイツがボスやな、という事はパオの親父さんという事になるね。


「じゃあラーメンを」

「わかりました、ラーメンですね」

というとスッと振り返って、

「あい、ラーメン一丁〜」

の声に謎の白人とパオは、

「あいよぉ〜!」

と返した。 

 うん。良い声が出とるわ。美しいユニゾンや。


 何故かアタシは、最初に希望軒に行った日の事を思い出す。持論やけど本当の名店と言える店は、声出し、麺の湯切り、チャーシューを盛り付け方、全てにおいての所作が、もうスペシャルやねん。

 アタシの憧れた希望軒の大将は、まるで貴金属を扱うかの様にチャーシューを乗せ、まるで何年も磨いてきたダイアモンドを恋人にそっと手渡すかの様に、心を籠めて丼をお客さんに提供していた。

 アタシはその所作の美しさが大好きやってん。


 それはまぁ置いといて。とりあえず出された水を飲んでみる。びっくりするぐらい美味しい。ラーメン屋で出てくる水なんて殆ど水道水、カルキ臭くてアタシはあんまり好きじゃない。でもこの水は、思わず「美味しい」と無意識の内に発してしまう、それに逆に驚いた程やった。パオのお父さんらしき方はそれが嬉しかったのか、

「お好きなだけ飲んで頂いて良いですよー」

と水が一杯入ったピッチャーを私の前に出した。

いやそんな飲まへんわと思ったけど一応、

「ありがとうございます」

と一応返事する。


 確かにこの水は美味しい。多分鉱泉水やろうかと考察してるうち、小鉢にのった大根の漬物が出てきた。ラーメンに漬物がセットで付いてくる地域があるみたいな話を聞いた事あったけど、ココやったんやな。漬物は薄切りにした大根を軽く塩締めした程度で優しい味。なんか心が綻ぶような緩く優しいフィーリング。パオのお父さんらしき人はパッと見、厳ついけど優しい方に違いないんやろな。


 心が和らいだついでに、油断してふと目線を上げるたアタシは、飲みかけた水を吹き出しそうになった。

「旨い。は正義」

って太めの線でメッチャ達筆で書いた習字の掛け軸が飾ってある。多分パオのお父さんが名のある書道家に頼んだやろうな。って思うたら、書いてもらった掛け軸をウハウハ気分で飾るお父さんの映像が浮かび、アタシは少し笑ってまう。

 でもアタシ、九州の豚骨ラーメンって博多系チェーン店でしか食べた事ないんやけど、基本的に細麺なんよね。固。とかバリ固。とかよく言うよね。でもあのパオのお父さんは麺の硬さは聞かへんかったよね。うーんあれとはちょっとちゃうんかな?


 ラーメンはアタシの想定を外れ、中太麺の豚骨ラーメンやった。ほのかな乳白色の優しいルックス、食欲をそそるワイルドな旨味の香り。アタシは思わず、そのスープを飲んだ瞬間、豚骨ラーメンのスープってこんな美味しかったっけと思う程、透き通るような旨味がアタシの体と脳内をなんか凄い優しく包み込む。小麦の香りが高い麺を食べてみると中太の麺は喉越しをつるんとなって、食感はとってもモッチモッチ。思わず笑いが出るような美味しさ。夢中になって食べているうちに、


「お客様、お味の方はどうですか?」

と聞いてくるパオ。


「想像以上!滅茶苦茶美味しいわ!」

正直な意見がスッと出てくるのは、嘘やお世辞じゃないからやと思う。

パオはそれを聞いて恥ずかしそうに笑うと、

「父ちゃん、パブロ、紹介するわ。俺の師匠の鳴丘玉美さん」

とアタシの紹介を比較的に雑目にした。

でもそれぐらいで丁度いい。友達ぐらいの感じでええねん。


 当然状況が把握出来ず、厳ついオッチャンと見知らぬ白人はポカンとしとった。

「玉ちゃんごめん。あと30分で休憩なんよね。悪いけど食べ終わって一息ついたら厨房の片付け、手伝いお願い出来る?」

とパオは続けて言った。

「ええで♪」

アタシは袖を捲り、力瘤を作る様なジェスチャーをして返す。美味しいラーメンも食べたし、丁度ひと運動したかった所や。

 

「大阪府住吉区出身、鳴丘玉美です。宜しくお願いします」

と威勢良く入ったものの、初めてのキッチンは基本的に何していいか全く分からん。こういった時はとりあえず洗い場に入る。というか入る以外の選択肢が無いと言ったところやね。なめられたらアカンから一生懸命やろう。当たり前だけどみんな慣れとるね、手際が良いわ。特にこの白人の動きが一番ヤバい。一体コイツは何者やねん。

 呆気に取られてる間に、最後の客が帰り、パオが暖簾を下げる。そしたら厳ついオッチャンは居なくなって、代わりに絣のワンピースをお洒落に着た50代ぐらいの女性がささぁっと入ってきて。

「パブちゃん、包太郎お疲れ!忙しかったぁ?」

と二人に尋ねる。彼女が入ってきた事で、まるでモノクロームだった厨房が、急に天然色に変貌する様な錯覚をアタシは感じる。


「あーらー誰ねぇ。この可愛いお嬢さんは!」

 急にアタシを見て大声で話しかけられた。アタシは知らない人に声をかけられ、思わずアタフタしてしまう。

「母ちゃん紹介が遅れたわ。前の会社で俺の師匠の鳴丘玉美さん。まだなにも決まってないけど、俺この人と結婚したいと思ってる」


 え?

 一番ビックリしたのはアタシやった。思い切り振り切って、

「いやぁ。そないやもんとちゃうくて、友達みたいなもんなんです。アタシ一応、元上司でしたしねぇ、結婚とかはまだちょっと考えてはない感じかなぁ?みたいな。ハハハ」

と笑って誤魔化しながら、パオのお尻をグイッとつねる。

「美咲母ちゃんに兄弟子のパブロ君。ドイツ人だよぅ」

とそのお尻を撫でながら、パオは美咲さんと謎の白人を紹介した。


「あに言ってやんでえ。俺達は同期みてぇなもんよ!」

 するとそのパブロ君はパオと肩を組んで、ちょっと戯けて言った。え?聞き間違いやないよね?この白人は今「てやんでえ」って言った。江戸っ子名物「てやんでえ」を何でこのドイツ人から聞かなあかんねん?


 美咲さんは今は、レジ締めと経理だけをやってるみたい。アタシも売上金の数えを一緒にやろうって言われて、お手伝いさせて頂く。お札の数え方が凄く早いねぇとか褒めて下さるので、少し舞い上がってしまった。この人と一緒にいると緩やかで優しい気持ちが溢れてくる。まるで母さんや。せやな、パオにとっての母さんやもんなぁ。

 心が浄化されるような錯覚に陥るのは、多分アタシの心の隙間を埋めてくれるからなんやと思う。作業が終わった頃、パブロ君とパオが入ってきて、

「親父が今夜の営業休むって」


 美咲さんが何故かと聞くと、

「今後の話し合いをしないといけないって。あと母ちゃんは親父が話あるらしいよ。タマは俺とパブロとそれまで温泉でも行こうや」

「温泉?別にええけど、荷物車のままやん?

そっち下ろす方からやらせて貰いたいんやけど?」

「オッケー!じゃあそれは3人でやろう。パブロも手伝ってよ」

そのパブロという白人はポーズをつけて、

「やらいでか!」

と変なポーズをつけて、威勢良く即答した。

このインチキ江戸っ子ゲルマン人、悪いやつじゃなさそうやんけ。


 温泉は車で山道を10分ぐらい走った所にあった。外から見るとさびれた旅館みたいな作りになっていて、横を美しい渓流が流れとって、マイナスイオンが凄い。釣堀もやっていて、家族が楽しそうに釣りに興じてた。相変わらず後ろに聳える森は圧倒的に荘厳やし。

 その美しい景観にアタシは此処が一発で気に入った。温泉は源泉で泉質は抜群に熱すぎんとええ感じ、だって体が喜んでるのがわかるもん。露天もあって風景見ながら、しばらく入ってたら頭がボーッとしてしまう。気がついたら1時間も経っとって時間ヤバいかなぁと焦ってあがったら、未だ誰も居らんとあがったのはまだアタシだけで、パブロ君とパオは更に一時間もチルってやがった。


 今夜のその話し合いというのは、パブロ•マルクス君がもうすぐドイツに帰るそうで、多分その話らしい。パブロ君はアタシでも知ってるような超有名店を何店も修行を重ねていた。相当苦労したんやろね。日本で最後に修行したみさきラーメンとパオのお父さんを絶賛している所も含めて、彼は凄く純粋で人間性が優れている感じ。実家はフランクフルトの郊外らしく、そこはアタシも知ってる通りソーセージで世界的に有名な街。そのせいもあってか、当然畜産業は相当盛んで、豚骨は比較的安値で入るらしいわ。


 そんな中、フランクフルトの街中に一軒のラーメン屋が開店された。当時家族で街に買い物に来てたパブロ君は未だ学生だった。そのついでに昼食も済ませておこうと家族で試しに入ったのがきっかけだったらしい。

 その店を経営しているのが、当時フランクフルトではあまり見慣れない日本人だった。でもサッカーで地元のチームに真面目でかつ、無骨な日本人選手がボランチをしていて、その彼には家族も好感を抱いてたこともあり、抵抗なくその店に家族で入り昼食をしたらしい。


 そこでパブロ君はラーメンという食べ物に衝撃を受けたそう。それからインターネットで情報を集め、面する道路が交通量の多い実家の倉庫を、ラーメン店に改造したら絶対売れるだろうと確信を抱き、日本語なんか一切話せないまま渡日したと、今となっては完全に吸収して流暢な日本語で巧みに説明してくれた。

 恐らくこの若いドイツ人は、絶対成功するだろうとアタシは確信した。ただの思いつきではない明確なビジョンに、達成するまで死んでも諦めない覚悟が彼の瞳に映っていたから。




 みさきラーメンはその日の夜営業を、休業扱いとし店舗上の居間で話し合いが行われる事となった。


謙一(父)「来月の末で、おいと美咲は引退しようち思っちょる。それと来週にゃパブロも地元に帰る言うちょる訳やしよ。ほいで此処で包太郎が嫁さん連れて帰って来たんじゃったら、丁度潮時だろうち-…」

~遮る様に~

玉美「ホンマすいません!まだ結婚するつもり…」

~またそれを遮る様に~

美咲「アンタそんなこと言ったら、玉ちゃん嫌になって大阪帰るでしょうが。ねえ、気にしなくて良いのよ最初は遊びで。気に入らんけりゃ辞めてもいいんだから」

玉美「辞めるとかそういうのとも違うくて…」

 口を噤む玉美の言葉により、少しの間緊張感を含んだ無音の重苦しさが流れた。


包太郎「うん。とりあえず引退するのはわかったよ。一応俺と玉ちゃんの二人体制でやっていけってだけの事でしょ?」

謙一「いんや、そいげな事じゃなか。みさきラーメンは来月で終わりっちゅう事じゃ。こいは母ちゃんの意見でもあるでね」

包太郎「なんでよ母ちゃん?」

美咲「個•人•情•報!なんで私居ないのにみさきラーメンなのよ。そのせいでずっと何処行ってもラーメンおばちゃんって言われてるんだからね。なんで山にあるのに、岬なんだよとか言われたところで私にゃ関係のない話でしょーが!

バカんよな、腹ん立つ」

包太郎「! 嫌だったんだ…。笑っちゃ駄目よ」

玉美「www.ごめんなさい。可愛いって思っちゃって、すいません」


パブロ「看板を変えるんであればよ、新しい店ん名前考えんといかんがや」

包太郎「めんどくせえから、たまみラーメンで良いよ」

玉美「個•人•情•報!ほんだらアタシまでラーメンおばちゃん言われるやんけ。そもそも結婚する気なんかあらへんし。入れるんやったら自分の名前入れればええんちゃうん?」

美咲「包ちゃんラーメンはどう?」

包太郎「ダサいって」

玉美「パオちゃんラーメン」

包太郎「ダセエの治ってねえ上に恥ずいって、あとパオって呼んでるの、お前とアキさんだけだし」

玉美「じゃあパオズラーメン」

包太郎「話聞いてる?」

パブロ「お!パオズラーメン良いがや〜」

美咲「お洒落な感じになったねー」

玉美「ウシ。決定やな」

包太郎「俺の意見はよ!」

玉美「したら他になんかあるんけ?」

包太郎「んんん…今んとこ出て来んけど…」

玉美「決定やな」

謙一「名前なんかなんでんよか!」

と粗く机を叩く。少し静まった部屋に来客者を知らせる呼鈴がなった。美咲が誰かしらと向かう、数秒の沈黙を割くように、彼女の明るい声が聞こえる。


美咲「稔君!!」

 包太郎が慌てて迎えに行き、流れで話し合いに混ざる形になる。

稔「どうも包太郎君の昔からの友人で、篤田稔という者です…」

パブロ「www.みんな知ってるよ。この人そこそこ有名人やから」

包太郎「稔君が有名?なんでよ?今実家継いで、坊さんやってるんでしょ?」

稔「まぁ〜大体そんな感じ…かな?」

親父「まぁ〜この町の出で稔を知らん人間はお前ぐらいなもんやど」

と包太郎を顎で指す。

稔「言い過ぎです親父さん。僕ん事は置いときましょう、そんな大したヤツではないんで。それよりも今、大事なお話してるって聞いたんで、僕は横でお聞きするだけで大丈夫なので…」


包太郎「なんで稔君の事みんな知ってるの?」

稔「くどいぞ包太郎。俺の話は後で聞けば良いだろう。それより彼女さんの名前の方が俺には大事だね。すみませんがお名前お聞きしても良いですか?」

玉美「あ、鳴丘玉美言います。どうぞよろしくです」

稔「そのイントネーションは関西方面だね。どの辺りに住んでたの?」

玉美「大阪っすね〜」

〜割って入る包太郎〜

包太郎「ちょちょちょっと。気になるって、なんで稔君は有名人になってるの?」


 稔は言いにくそうに頭をかきながら、

稔「ああ、もう面倒臭いな。前に俺アメリカ行ったでしょ。あの時の目的って言語習得、つまりよりネイティブな、発音で英語が発音出来るようになる為だったんだよね」

包太郎「うん。確かそんな感じだった」

稔「でね、それ以外の宗教も勿論あるんだけど、あそこの国は基本的にキリスト教な訳よ。その中でもカトリックとかルター派、カルバン派とか色々あるんだけど…」

包太郎「…?」


稔「とにかく俺の下宿先は敬虔なるクリスチャンのご家族だった。俺はそこでその家族に色んなことを教わったんだよ。正直キリスト教については、起源や歴史、思想、そういった表面上の勉強は大学でも当然勉強してた。実際に彼等と一緒に生活してみると、上っ面の知識だけじゃなく、俺の実体験に変わったんだ。それは座学では決して学べない本当に貴重な経験だったのよ」

包太郎「え?キリスト教に改宗したって話?」

稔「www.ちげーよ。俺は寺の跡取り息子だぞ。俺が改宗したら、親父が泣くだろうが」


包太郎「は?マジ意味わからん。どういう事?」

稔「だから。色んなもん省いて、目茶苦茶わかりやすく説明すると、俺はその家族と宗教をシェアしたんだよ。キリスト教の教えと、その信仰と生活を実体験させて貰う代わりに、俺は仏陀の思考理論哲学を説いた。そしたらよ、彼らも凄く感慨深いって感動してくれたんだよ。つってもさわりの部分だけね。空の思想とか、唯識の理論とかまで領域展開すると、もう皆訳わかんねーってなっちゃうから、最初はソフトな奴からね」

包太郎「何それ?ユイシキ?リョウイキ?」

稔「うん。包太郎にゃ、ムズいと思うわ」

包太郎「前に言ってたウパニシャッド哲学みたいな感じのヤツ?」

稔「似てる様で似てない。でもウパニシャッド哲学も仏教のルーツの一つであるのは間違い無いしなぁ…。までも一応ここでは分別する為、違うと言っておこう」

包太郎「…?どっちにしろ俺には無理だわ」


稔「ったく。お前と話すと論点がずれるから困るんだよ。何処まで話したっけ?そうそう、ステフの家に居候させてもらってた時の話な。彼女の家族と宗教をシェアした時、俺は閃いたんだよ。点と点で離れ離れになって、争いあっている宗教を繋いでひとつの輪にして行く為の活動に俺をひとつかけてみようと思った。包太郎!ガキの頃から言ってる俺の夢、知ってるよな」


包太郎「昔から言ってる稔くんの夢だったら、争いの無い世界にしたいって事だよね?」


稔「www.この星から人間が居る限り、争いが無くなる事だけはねえよ。あれから勉強重ねて、重ねれば重ねる程。その事がいかに難しい事、いかにあり得ねえ絵空事を言ってたのか、今となってはちょっと可笑しいぐらいだ。でも…それでも…そうだとしても! もししょうもない争い事の犠牲者の数を1パーセントでも、減らす事が出来るのであれば、それは俺の自身の人生の為さねばならねえ事なんじゃないかって思って、俺は今もまだ、懲りもせずアクションを続けてる」


美咲「それで英語でお釈迦様の教え…というかあれは、考え方や捉え方の概念よね。それを流し始めてもう1年と半になるの。ユーチューブでね、英語圏では結構有名らしいのよ。ホラ稔君カッコいいでしょ?だから女性ファンも多いの。凄く」

パブロ「マジで有名。俺の地元にもファンがいるぐらいだよ。英語圏じゃないのに」


包太郎「マジでか…。凄え…」

玉美「ホンマにすごい人やん。アタシ最初遭ったヤバいヤンキーかと思った。パブロ君にしろ此方の先輩にしろ、良い友達に囲まれてるパオはラッキーやな」

包太郎「…まあな」

玉美「いやいや!ちゃうんよ。彼らと対比としてみた時に、貴方が哀しいほどにショボいと言う現状に対して、これは皮肉なんですよ。ロドリゲス杉澤さん?」

包太郎「誰だよソイツ!むかつくからその知らない奴の名前最後に足してくるヤツ、もうやめて!」


稔「www.ほら、こーなるから俺の話は辞めたほうがいいって言ったの、やっぱ脱線したじゃん。で今どんな話してたの?」

美咲「店の名前を変えるのよ。ずっと私の個人名が入ってたからね。でも正直嫌だったから変えて貰おうと思って、ずっと父さんには前からお願いしてたの」

稔「マジすか。僕みさきラーメンって名前好きだったんですけど。美咲さん本人が変えたいと思うのであれば、しょうがないっすね。候補とかあったら教えて貰いたいんですけど」

玉美「今んとこ、パオズラーメン」

稔「パオズ?それはなんで?」

包太郎「コイツが俺の事をパオって呼ぶんだよ」

稔「ん?なんで?」

玉美「包むの字を中国風にパオって、同僚が呼んだんで」

稔「飲茶のパオな!包太郎の包むって字だろ?確か広東読みでパオだわ。俺、パオズラーメン悪くないと思う。響きが良いよな」

玉美「めっちゃ良いと思いません?アタシが考えたんですよ。本人がなんやごちゃごちゃ言うとるみたいですけど」

稔「なんで?」

と包太郎を見る。


包太郎「だって、俺ずっと包太郎で通ってきたのに、いきなり変なあだ名つけられてそれが店の名前?一生背負うんだよ。すっげえ微妙なんだけど」

玉美「嫌やったら、包ちゃんラーメンでもええで」

包太郎「それもヤダ。なんか他にいそうだし」

玉美「そーかー、それはしゃあないなぁ。ほたらもっちんラーメンは?」

包太郎「もっちんラーメン?何それ?」

玉美「望月からとって、もっちん」

包太郎「言われた事ないんだけど?」

玉美「言われそうやけどなぁ。じゃあ、間とって望月包太郎ラーメンってのは?」

包太郎「www.どこの間とったらそうなんの?自分の個人情報、鬼みたいにフルで掲載してんじゃん。俺どんだけ自分知って貰いたい奴なんだよ?」

と玉美と包太郎二人で笑い合う。


稔「お前ら仲良いな。じゃあ更に間とってよ、俺が包太郎の事パオって呼ぶからパオズラーメンにしようや」

包太郎「恥ずかしいよ。稔君に呼ばれると」

玉美「じゃあどうすんねん。望月包太郎ラーメンにするか?」

包太郎「それは…ちょっとオモロいけど辞めとくわ。なんか恥ずかしいし…もうわかったよ、そのパオズラーメンでいいわ」

と両の掌を見せ降参の素振りを見せる。

美咲「おし。お茶入れよっか玉ちゃん」

玉美「良いっすね」


~休憩を挟んで~


パブロ「僕と友達のショーン•マクワゴンって言うアイルランドのラーメン起業家から、一つ提案がある。まず、みさきラーメンは料理の値段が安過ぎる。今の日本の相場から比べても一杯600円はちょっと安過ぎだよね。今後サステナブルな運営を視野に入れ、此処で料金の引き上げをするべきだと思うよ」

玉美「確かにな。無双布武で一番安いラーメンでも、800円からやしな。ええんやない?アタシも賛成かな?」


謙一「ふざけるんじゃなか!ウチは今までどんだけ食材が高騰しても値上げせんかったのが『売り』やったたっが!大体今まで来てくれたお客さんに対しての顔向けが出来んど!」

稔「親父さん!確かに俺も600円は安過ぎると思ってた。値段を100や200円ぐらいあげても、俺は此処のラーメンは食いに来ますよ」

玉美「今後、小麦やガス代も高騰が懸念されてます。600円だと赤字になる時代だってそう遠く無いかも知れへんのですよ?」

謙一「そういう事じゃあ、無か!」

と再び激しく机を叩く。それに皆が驚き少しの間、静寂が流れる。謙一は少し落ち着きを取り戻して、静かにかつ熱い想いを内包するかの様に語り出す。


謙一「昭和の時代から、引き継がれてきた伝統ちゅうもんがあったっが。金持たん奴でも美味くて腹一杯になれるこのうんまかラーメンっちゅう食いもんに、おいは心を寄せて今まで人生を投じてきた。値段を上げる言う事は、その美学と信念と何より、お客さんに対する裏切り行為じゃ」

包太郎「親父…」

玉美「…今のはちょっと…ホンマにカッコええな…」

 

 謙一の発言は今までの彼の仕事に対する信念やプライドなどが包含されており、それに皆は心を打たれ誰も自分の意見が言えなくなってしまった。ただ共に歩み続けてたパートナーを省いてだが。


美咲「もう昭和じゃ無いのに?」

謙一「………時代とか、そう言う事じゃあなか」

 それを聞くやいなや、激しく机を叩く音がした。今度は叩いたのは美咲だった。


美咲「いやそういう時代なの!それどころかもう平成ももうすぐ終わるの。なのに未だに600円のラーメン作る為、まぁだ太陽も登らんうちから湧水汲みに行って、高いガス代叩いて、豚を何時間も炊いて、夜中まで営業して、稼ぎとしては全然割に合わない!最近ではこういう職場をブラック企業って言うんだよ!」

謙一「なんじゃ!わいは、俺の今までやってきた事がブラックやっちゅうか!」

包太郎「辞めてくれよ!親父も母ちゃんも。お客さんも来ちょる。恥ずかしいうえに申し訳がたたんて!」

謙一「……」

包太郎「親父。今後やってくのは俺や、いう訳よな。さっきの親父の言った今まで値上げせんかったプライドっちゅうんわ、凄えわかる。わかるしわっぜかっけえと思った。俺は馬鹿やっで知らんかったたっけど、今後色んな物の値段が高くなって、儲からんくなって首回らんくなって、もし赤字を重ねても、それでも営業するんやったら俺はどいげんして生活するとよ」

謙一「…」

包太郎「いけんして電気代を払えばええとよ?」

謙一「…」

美咲「父さん。きっとそういう時代の流れなのよ。私にもよくはわからんけどね」


パブロ「でもフランクフルトでランチする場合でも大体10ユーロが目安だよ。相場的にね、ヨーロッパ全体的にみても大体そんなもんだろうね。もっと安く済ませようと追ったら、当然下はあるけど。だとしても俺の見立てでは、みさきラーメンはランチとしてもディナーとしても、品質でみて日本円で一千円の価値はあると思う。かけてる食材もだし、まず調理の手間を考えたらね」

稔「俺も思うなぁ。住んでいたブルックリンに比べ、日本やアジア全体のランチは総体的にみても安過ぎるかなぁ。その内、問題視されるかも知れんと思えるぐらいっすよ。だから親父さん真面目過ぎなんすよ。なにより一番大事なのは家族の幸せ、じゃないですか?」

謙一「…それは…確かに…じゃったっけどなぁ…」

稔「俺も値上げには賛成です。今後更に食材費、ガス料金は高騰し続けると仮定しましょう親父さん。そしたら包太郎は今までの貴方達以上に、きつく辛い人生を送らないといけなくなるかもしれません。それは息子さんにとっての重荷になる可能性があるとは考えられないですか?」


美咲「稔君この人はね。今までずうっと太陽も登らん内に起きて、湧水汲みに行って、殺菌消毒の為に沸騰させて、粗熱取れたものを夏は冷やして、冬はお茶にして無料で提供しているの。ホントに真面目で純粋な人なのよ」


包太郎「んで汲んできた湧水で、豚骨を何時間も炊いてスープを作っている。だから親父のラーメンはやっぱり旨いんだよ」

玉美「そこアタシも感動しました。最初の水からラーメンまで完璧でした。今まで食べた豚骨ラーメンでは一番やったかも知れんです。美咲さんの今の話聞いて、そこまで裏で手を掛けてたとは思うてもおらへんかった。アタシの地元じゃそこまで手をかけた食べ物だったら、普通千円以上はするんじゃないかと思いますよ」

謙一「ラーメンが千円ちか?www.貴族の食いもんじゃなかど!」

包太郎「千円以上するラーメンは普通にあるよ。この世に間違いなく存在してる」

美咲「天文館にも昔からあるがね」

謙一「わかったわかった、もう好きにせ。でもこっちの要望は聞いて貰うでね」


包太郎「親父の要望?何?」

謙一「お前自身のラーメンを作れ。ウチで出してる豚骨ラーメンは俺が作った味や。それをベースにするのは構わんど。でもどう言う形であれ、お前のオリジナルを作れ、そいが店が継がす条件じゃ」

包太郎「え、本気?今のラーメン辞めたらお客さん離れるんじゃない?」

謙一「俺が作ったラーメンを残すのは構わんど。でもそれとは別のお前のオリジナルを作れ、じゃなきゃ店は譲らん!」

包太郎「えー。面倒臭えよぅ」

玉美「そこは黙ってやれや!」

と比較的強めに包太郎の後頭部を叩く。そのあまりのツッコミの激しさに、軽目にパブロがひくという現象がおきる。


玉美「あのう。アタシからもお願いというか希望というか?ご相談がありまして……」

美咲「なあに?玉ちゃんの言う事なら、おばちゃん何でも聞いちゃう」

玉美「表の看板見ました。定休日、火曜と木曜ってなってましたけど、その日のどちらかでもアタシに貸して貰えんでしょうか?」

美咲「なあに?スイーツでも焼いちゃう?」

玉美「いや、申し訳無いですけど、提供するのはラーメンです。この店の風貌で、平日一日だけベイクドクッキーと珈琲やっても、お客さん来ないですってwww .」

包太郎「ゴリッゴリッのラーメン屋の風貌で、店ん中も超ラーメンの匂いが染み付いてるしねwww.」


美咲「何?貴方もラーメンマンなの?違う違う!貴方は女の子。だから呼ぶとするなら、ラーメンちゃんって事になるのかしら?」

包太郎「……? 母ちゃん! 訳わかんねえ事言うなって。肩震わせてツボってるじゃん。この娘ゲラなんだから。ね、ラーメンちゃん」

玉美「あははは!2回擦らんでええやん。折角堪えてんのに。」

稔「この際、店名もラーメンちゃんにするか?」

玉美「店名にしてはダサいですって。パオズラーメンで決めたとこやし」

美咲「何がそんなに可笑しいかしら」

玉美はまた爆笑して、呼吸を必死に整えてから、本題に戻した。


玉美「アタシ、鳴丘通商って言う関西ではそこそこ有名な会社の一人娘っていう生まれでした。社長令嬢としてめっちゃお嬢様みたいに育てられ、いつもフリル付きのワンピースにエナメル素材のドレスシューズ履いてて、小さい頃はホンマ幸せでした。全てが煌びやかで光り輝いて見えよった。でも小学生の高学年の頃から、そういった物が鬱陶しく思える時期がありました。中学生の頃には大好きだった両親とも、よう口聞かんくなってしまって」

 玉美は下を向きながら滔々と語った。稔が包太郎の頭を掴んで言う。

「お前と一緒じゃねぇか」

包太郎も俯いたまま黙っていた。更に玉美は俯いたまま続けた。


「中学高校の頃は台風かいうぐらい荒れてました。自分の母親に対し、じゃかしいんじゃクソババァ言うた事だってあります。汚い言葉を吐き、服装も以前のアタシとは、比べ物にならない程に変わってしまっていった。アタシは多分その頃、何もかも見失ってしまってたように思えます。自分の大事な、根幹たる自己を自分で傷つけていた。でも心が荒れていた時に、近くの赤い暖簾の希望軒っていうラーメン屋に入ったんです。アタシはそこの大将にホンマに救われました。本当に素晴らしい方でカラカラと笑い、人の悩みを吹き飛ばしてくれる体も心もホンマに優しい人でした。アタシは其れから大将とそこの醤油ラーメンに、魅せられてしまいました」


 玉美は過去を振り返るように、丁寧に話した。自らの人生において、あまり過去を人に話すことはなかった為、口調こそ冷静だったが、彼女の心情は大きく揺れ動いていた。でもその現象が理解出来ていたのは、この時点では玉美だけだった。


「それからアタシは希望軒によく行くようになりました。ラーメンの味も勿論やったんですけど、優しく温かい大将の人柄にも惹かれましたのが、一番大きかったと思います。そこには多分両親に向けられない想いも、混じっとったんやないかと今では思います。私がこの世界に入ったのも、あの人みたいになりたいという思いがあったんです」

 

玉美の口調は丁寧だったが、話し続ける内に感情を含み、肩が少し震えてるのを包太郎は気づいてしまい、彼女の心臓の鼓動に呼応するかの様に激しくなり始める。


「此間母が亡くなりました。彼女はこないなアタシでも、許してくれました。それどころか死ぬ前、彼女はアタシの事を立派だって言うてくれました。そして憧れた希望軒の大将もアタシの知らん間に亡くなってはりました。それを聞いた時、自分のルーツを無くしたような、空洞のような哀しい感情に埋もれてしまいました。でも希望軒は潰れた訳じゃなく、凄く生真面目な方が継がれてはって、その方に希望軒のスープ作りのレシピを何故か頂きました。


 アタシも無双布武で働きながら、いつの日かは自分の店をと思って、醤油、味噌、豚骨、塩味のスープを模索しながら作っていたので、正直その大将のレシピはアタシの想定を超えるものでは無かった。それでも大将の心や味を継いでいきたいという気持ちはホンマにあるんです」

 いつの間に俯いていた、玉美は頭を上げ語っており。その瞳には熱い光が灯っていた。


「……ほいでその醤油ラーメンをいけんしたいっちゅう所よ」

 謙一が腕組みして威圧的に訊ねるが、玉美も負けずと返す。

「はい。この店火曜と木曜が定休日と表の看板に書いてあるのを見ました。1日でええんです。アタシに貸して貰いたいと思いまして」

 黙って聞いていた稔が、

「定休日じゃないと駄目なの?普通の営業日に二つの味のラーメンを出せば良いんじゃない?」

 と尋ねる。

「ガス代的に無理です。普段でも豚骨を大体8時間炊いていると聞いたので。それにプラスして、鶏ガラも炊くようになると月で20万は軽く超えちゃいます。美咲さん今失礼ですけど、お幾らぐらいでしょうか?」

と玉美は平然と返す。

美咲「そうね。毎月15万ぐらいかなぁ?」

謙一「じゅ、じゅ、15万ちな?」

今まで知りもしなかった驚愕の真実に、目玉を大きくしている謙一。

それに鬱陶しそうに美咲は、

「そんな事知ろうともせんかったでしょうが、アンタは」

と肘を突き、頭部を掌で支えながら、面倒臭そうに呟いた。


稔「IHに変えたらよ?俺の実家の寺は、改装時に全自動に変えたよ。排出ガスの低減は現代における人類の課題だからね」

玉美「確かにランニングコストも悪く無いらしいんすよね。でも導入費が結構するらしいんですよ。アタシ結構貯蓄あるんですけど、幾らか出しましょか?」

美咲「なぁんで玉ちゃんが出すのよ!こぉのポンコツが大学行くかもと思って、貯めてたお金を回せばなんとか出来ないかな?」

と言って包太郎を指差す。当の本人はバツが悪そうに下を向いている。

稔「それを言うんだったら、厨房も結構ガタきてますよ。これを機に建物ごと変えた方が良くないですか?大体千五百万ぐらいあったら足りるでしょ、それぐらいだったら俺が無金利で貸すぞ包太郎」


包太郎「!なんでそんなお金持ってるの稔君?」

美咲「だって売れっ子だもん。この町じゃ知らないのアンタぐらいよ」

包太郎「でも額がデカいって、無理よ。返せる自信が無いもん」


玉美「仕事キツい上に、あっちこっち引越させられる無双布武を辞めなかった理由は給料が良いからだったんです。自分の店を持とう思って7年間勤めて貯めたお金は500万ぐらいになりました。パオもまぁまぁ貯めてるやろ?」

包太郎「いや。貯めてない」

玉美「www.いや責めて100万ぐらい…」

包太郎「全部使った。もうすっからかんだって」

玉美「お前なんしてんねん!」

包太郎「違うんだって。ミコシンに毎日毎日飲みに誘われて、ホント大変だったんだから」

玉美「関係ないやん。お前が甲斐性無さすぎるだけや」

包太郎「はいはい、すいません」

稔「お前ら仲良いなぁ」

包太郎&玉美「何処がよ(やねん)?」


稔「ねぇパブロ君はどう思う?もうここで働いて大体一年になるよね?」

パブロ「確かにIHの方が炊くっていう調理法に関しては温度も安定すると思うんだけど。採用してる有名店もあるって話聞くがや。でも僕の地元もなんですが、この国は電気代がチョット高いのよね…」

稔「アメリカはもっと安いもんね…だとしても、やっぱIHは導入した方がいいと思う。直火じゃないと駄目なところがあるんだったら、そこだけカセットコンロ使えばいいじゃん」

玉美「良いっすね、その考え全然アリだと思います」

謙一「うおい!」

稔「なんすか?」

謙一「その…IHっちゅうんは何やっとよ?」


 

 色々あってタマや稔君の後押しが、凄すぎてその翌年の秋口に、店は立て直ししないといけない感じになっちゃった。まぁ確かにあの店をこれから更に使い込んでいくのは確かに無理があったかもしれないなぁ。稔君はそのあと、俺達に餞別だといって、自力で盾つけるタイプの太陽光発電ソーラー2枚を持ってきてくれた。これを貰った時点で、パオズラーメンはIH化から逃げられない形になってしまう。


 そうそう稔君をインターネットで調べてたら、マジで凄い事になってた。でもあの人は、中学生のスケートボード乗ってた頃からぶっ飛んでたからね。

 でもあの頃から言ってる事はずっと一緒。

~原始的な宗教という概念は、教えや哲学理論の事を指し、もし神が宿るとするならば、偶像の姿ではなく「教えのなか。もしくはそれに準じ、真理を追求する者の其の思考理論内」に宿るべきものである。

 同時に宗教とは、貧者及び社会的弱者への救いである共に、人生という長い旅に道筋を見失う、旅人への灯火である事を目的とする。ましてや自らの私服を満たす為に、信者を異常に獲得しようと取り組んだり、またその者から過剰に富を徴収したり、或いは権力者の覇権争いの種とされるなんて事は以ての他である~


 とか他にも色々言ってるんだけど、正直俺には難しいや。寺がボロかったから修繕費稼ぎに結局そう言った事をユーチューブで英語で説くのをやってたら、アメリカやヨーロッパの方で軽くbuzzったみたいでそれで一躍有名人になったって話。まぁ当然英語がわからない俺みたいな奴の為にも、字幕を付けてくれていたお陰で、見る事が出来たんだけどね。


 まぁ稔君は顔もカッコいいから、日本でも一時期はたまにニュースで少し取り上げられてた時期もあったらしいんだけど、それを良く思わん奴等から嫌がらせがあったらしい。プレイヤーヘイター型youtuberからネット上で喧嘩ふっかけられたり、マジでその筋の奴等から、直接脅されたりした事もあったらしい。もう今は、地元の吉野で通常の僧侶としてやって行きながら、たまに自分の思想をネット配信するライフスタイルが性に合ってる様で、取り敢えずはこのままかなだってさ。


 俺達はその年の秋には、一時的に店を畳む事にして改装に着工する事になった。その間、俺とタマは新作ラーメンの製作に。タマはレシピや今まで培った技術をみせ、たったの一日で希望軒醤油ラーメンの発展系と豪語するスープを作ってみせる。そんな簡単に出来る訳ねーだろと思って味見してみると、俺が今まで食った全ての醤油ラーメンのスープを遥かに凌駕する出来。まるで文句のひとつも出てこない。

 これにはマジで参ったもんだ。


 それとは対照的に俺の新作ラーメンは酷く難航する。親父の豚骨スープに白味噌を薄く伸ばしてみると、凄く旨いし良い感じ。でもどっかで他の店で食ったような味もして、なんかパクりっぽい感じも。

俺のオリジナル?そもそもオリジナルってどういう事?模索する為、オリジナルとはでググってみる。

「オリジナルー原型。原本。原図。原画。複写・複製・ダビングされたものに対していう」

 はい。知ってましたけど何か?


 策を模索し過ぎて完全に行き詰まった俺は、牛骨を買ってきてみて、圧力鍋でとろけるまで炊いてみるとこれが結構コラーゲンが凄くかなり旨い。これでいこうかと思ったが、ネットで調べてみると当然だけど、牛骨ラーメンはもう既に他にあった。少し遠い所だったので、タマを連れてドライブがてら行ってみる。すげえ繁盛店だったし、ラーメンそのものも相当高いレベル。でもこの店のパクりだよねって言われる予想が確定しかけた帰り道。当然のツッコミ所を、鬼のナルタマが逃す訳がない。


「謙一さんの豚骨は続けるんやんな?それにもましてあたしが鶏ガラ炊く言うてるのに、更に牛骨まで炊くん?ガスにするしろ電気でするにしろ、経費的に無理やろ?破綻してまうと思うけど?」

という、あまりにも芯をガツンと食ったツッコミをゴンって入れてくるので、もう俺は聞こえないふりをするしかなかった。

 一応新作ラーメンを作る場所として、稔君が寺を使えって言ってくれた優しい誘いを丁重に断る。

 

 俺達には策があったんだ。街中のゲストハウスを借りてキッチンを占拠すると言う手法をとる。此処には若いバッグパッカーの中国人やら、欧米人やら、もう何処人かもわからん様な、金を持たん若い旅行者が常に腹すかしている。なので俺達は永遠に試作品を作ってられる、永久機関とも言える調理場を確保した。しかも事もあろうに、俺達は一食300円の金を取って提供し続けた。これは恐らく刑法の何処かにひっかかるだろう。でもそこをツッコまれた時は、

「だって、知らなかったんだもん」

と言ってしらばっくれるのは必然の瞭然な。


 ゲストハウス宿泊3日目。どうしてもタマの醤油に勝てない。彼奴のラーメンは鶏ガラを70度ぐらいの温度で丁寧に出汁を取り、コイツの見つけてきたこの町特有の甘くて美味しい醤油を垂らす。あとはチャーシューと青葱をトッピングすると言った感じだ。元々はたまり醤油だったらしいが、醤油はその地域でテイストが違うから地域に合わせた方がいいと言う発想で考えたみたい。


 でも北欧系の方でヴィーガンって言うの?肉食わないとかそんな感じの人達って居るらしいね。まぁその人達に要らねーって断られた事があって、俺がそんな奴らはラーメン食わんけりゃいいじゃんねと言ったら、

「何言うてんねん!一つのことに囚われたら過ぎたらアカンって。考え方をもっと柔らかくせな、今後ヴィーガンラーメンの時代が来るかも知れへんやろ?」

とタマに凄え怒られた。そういえば実家にこないだ帰ったパブロも似たような事を言ってたかも。


 俺の新作ラーメンは、意外な所から生まれた。親父の豚骨スープにタマの鶏ガラのスープを合わせる。二つの旨味を内包するスープは、これだと思わせるモノがあったが、あと一つだけ何かが物足りないと感じた。だけどその時それがわからんくて一時的に保留した。

 2週間ぶりに吉田に帰る。俺の生まれ育ったみさきラーメンは姿を無くし、コンクリート製の三階建のベース部分が出来かけていた。衣食住が全然出来ない環境なので、元々提案してくれていた、稔君の寺に仮住まいさせて頂く。その間、親父達はずっと南薩の爺ちゃんの家に行っていた。


 俺の知らん間に稔君は結婚していた。ご相手はホームステイ先のお嬢さんはステファニーていうブロンドが美しいアメリカ人女性で、稔君はステフという愛称で呼んでいる。もうお子さんも、2人出来ていてハーフの男の子と女の子が、境内を子供がドタバタ駆け回っていた。稔くんの仕事部屋に入らさせて貰うともの凄い量の仏教の経典や、新約聖書や旧約聖書に加えコーランもあり、日々この部屋で研究しているらしくまるで教授の部屋みたいで、俺は息が詰まる。もっと面白い所教えてと言ったら、遊び部屋を教えてもらう。するとそこはスケボーからエレキギターやベースなんかが置いてある。壁にはキャバレロやMCAやジミヘン、フルシアンテのポスターがジャンルをガン無視で、ひっきりなしに貼られていた。休みの日は子供達と此処でよく遊んでいるらしく、俺もココは一瞬で好きになる。色んな要素がごった煮になった様な、ファンキーな寺生活を2週間程お世話になりながら、パオズラーメンの建物は完成していった。

 

 一階はカウンター客席が、コの字型に中央にある厨房を囲む作りにする事で、提供とバッシングが効率的に行える様になり、客席が以前の一列型に比べ4席多く作れた。正直言うとこれは一応タマの案。俺が恥ずかしいと言って、反対だったんだけど親父も稔君も絶対それが良いって事で、可決の方に流されてしまった。

 それと奥に4名席のテーブルを2つ作り、最大で23名席のオープンキッチン。二階は俺とタマの住居、んでスループをつけて三階は親父達の住居とした。そんでキッチンは稔君の進言通り、炊く調理用にIHコンロを2台配置。んで稔君はカセットコンロで良いって言ったけど、一応ガスも通して一台だけコンロを配置。勿論火が足りない時の為に、カセットコンロも購入しておいた。

 


 稔君から貰った太陽光発電パネルは俺が設置。

 やるまでは面倒くせー、なんで俺がこんな事を…なんて考えていたが、実際作業すると午前中はかかるかなと思ってた所が、ユーチューブで同じ商品の取付の動画見ながらやったら、ネジ止め数カ所するだけで1時間程度で楽勝で終わっちゃう。


 店の作りもほぼほぼ完璧に出来、引退するって言っていた癖に、親父も新しいキッチンや店にはやっぱり興奮するらしく、暑中厨房に入ってはIHコンロをつけてみたり、真新しい包丁や寸胴鍋を触っては、ずっと一人でなんかブツブツ喋ってる。

 その様子が俺には児島で新店厨房を見た時、虎聞さんに笑われた事が、デジャブ現象の様に映った。


「店が再オープンした後、体調さえ悪くなければ、厨房入る?」

と聞くと、

「うんにゃ。タマちゃんに悪かど。俺もじじいになったで、あんま出しゃばらん方がえーど」

と恥ずかしそうに応える。人は年齢を重ねると少し可愛くなるのだろうか?それはともあれ、たまには厨房にたたせてあげようと思う。


 あと未完成だった俺のラーメンは、意外な所で完成した。俺と親父は此の所、三陸産の干しアミをフライパンで炒った物に塩などの旨味を足して、瓶詰めして冷蔵保存していた。それを朝食の白飯のお供に納豆の上からふりかけて食すのに、その時一時的にハマっていたんだ。それを何なしに朝食っているとピンときた。その炒ったアミを胡麻油に漬け込んで瓶詰し冷蔵保存、俺はこの液体に「海老油」という比較的ダサめの名前をつけた。この風味高い調味油をかけると鶏なのか豚なのか、はたまた甲殻類なのかもよくわからない、旨味全部乗せスープが出来る。よくわかんないけど、直感でこれでいきたいと思った!

 でも実際混ぜてみると、個々の旨味が主張し過ぎて、若干の違和感を感じる。この主張を包み込む食材とはなんだろう?など考えながら麺の茹で汁を、謝って少量だけスープが入った丼に入れてしまう。うーわ。やっちゃったと思ったが、それが何故かハマったみたいで、全部旨味のせスープの角張ったテイストを小麦のグルテンが優しく包み込むクリーミーな味わいのスープのパオズラーメンがひょんな経緯で完成した。

 

 さてあと開店まであと一週間だ。

  
















   〜Bside~


 いやいやいや!ホンマに雨が多いて。

 この町というか、この辺りの地域はホンマに雨が多い。ただ多いだけじゃないねん。降水量が普通じゃない、エグい。よく美咲さんがバケツひっくり返したみたいに降るって言いはるけど、ほんまにそんな感じの日あるから。最近落ち着いたけど、来たばっかりの梅雨の頃は、ホンマに殺す気か言うぐらいに降ってた。そのせいか道路の横壁のコンクリートには苔生えまくってるし、だから溜池とか作らんくてええんかね?知らんけど。


 あとついでにやけど、虫がめっちゃデカいしキモい!特に夜歩く時、電燈に屯する蟲軍を発見した時、足がきしょ過ぎて足ガクガクなってもうてん。   

 

 外だけやったらまだいいんですよ。ある夜中、家でトイレに行こうと思ってドアを開けて電気付けた瞬間、カサカサ動く物体を見てまう。最悪!ゴキブリやんけと思ったら、そのゴキブリを軽く超越するなんか足が滅茶苦茶ある、気持ち悪過ぎる謎の昆虫に遭遇!そんなん見たらアタシは夜中の2時半でも、お構いなく超絶スクリーム!


 パオがドタバタと何事?って感じでと入ってきたが、

「なんだゲジゲジじゃん」

といって、窓からそっと優しく逃す。気が動転してたアタシは、

「なんで逃すねん。殺せよぉ!」

と都会のマンションやったら、通報されるぐらいの内容をフルボリュームで再びスクリーム&シャウトしてまう超失態を!

 それでも謙一さんと美咲さんは降りてこなかった。翌日その事を謝ったら、

「若いうちは、そういう事ぐらいあるよー」

と笑った。

いや、無いと思うけど?感覚がずれてるんやろか?まぁええか。

 しかしあのゲジゲジとかいう生き物は、ほんまにビックリした。パオが逃したのには理由があって、害虫を捕食してくれる良い虫だからって事らしい。ほたらもうちょっとアノ見た目なんとかしてよ。あとゲジゲジっても名前なんやねん、此間のアラカブみたいな地方名かと思ってググったら、正式名称ゲジ目ゲジ科ゲジ属ゲジっていうらしい。

 いやネーミングはもっとなんとかしたほうがいいと思うwww. でもあれはホンマに辛かった、大阪帰りたい思ってベッドで泣いたもん。


 あとそれからなんやけど。

 この男の呑気さにはホンマに呆れてものが言えへん。知り合いとはいえ借金したんやったら、年間で幾らずつ返して、いつ迄に返却しようとか、普通プランニングぐらいするやろ。あの男は天然でホンマにほわーっとしとるから、何にも行動しせえへんし、なんも考えてへん。

 

 アタシやったら、こう言う時は必ずアクションを起こす。起こす事に意義があると思うから。考えた策はメディアを能率的に活用するスタイル。この町で人気あるらしい土曜日夕方の女性向けの「クソナマイキボイス」とか言う情報番組に取りあげて貰う事に。こんな過激な名前の番組、ホンマに人気あるんだろうか?


『長閑な山奥に新しく開店する豚骨ラーメン。昔から吉田でお客様に愛されてきた「みさきラーメン」は世代交代して、新しいお店になりました。でも新しくなったのは店だけじゃなく、メニューも増やしたんです!

 以前からお客様に慕われた、人気メニュー「豚骨ラーメン」に加え、「醤油らーめん」「ハイブリッド」「肉不使用のヴィーガンの方専用ラーメン」と四種の絶品ラーメンを提供させて頂いてます。長閑な山奥に市内からドライブのついでにでも、お越し下さいませ』

という趣旨の広告を打ち出すという作戦。


 ヴィーガンの方専用のラーメンは、干し昆布と干し椎茸を一晩かけて水出し冷蔵保存。オーダーが入ったら、一定量を火にかけ煮立たす前に醤油とオリーブオイルで味を整え、スープに麺と薄切りした赤と黄のパプリカをバランスよく盛り付け、中央にサッと茹でた水菜を器中央部にソッとのせて出来上がり。


 当然インスタ映えも狙っとる。決して派手な事はしてへんけど、彩りとバランスが良く美しい皿。例えば難波でやるんであれば、器から飛び出す様なド派手な演出を求められると思うけど、こういった地方の地方ではそういった事は多分にして嫌がられると思う。提供する料理も立地に合わせなアカンという事やね。ホンマに勉強になるわ。


 けどあたしが一番やりたかった事って多分こういう事やってんな。誇張一切抜きでヴィーガン様ラーメンはホンマに美味しいから

 

 正直アタシの人生において最高傑作や。もし大将やお母さんが居たら食べさせてあげたいと思う。因みにパオと謙一さんがそんなモン旨い訳ないやろと反対派やったけど、まあそないに文句言わんと一度食べてみぃって食べさしたら、一口で文句は一切言わへんくなったしなwww.


「ヴィーガンじゃなくても、絶対食べたくなるヴィーガンラーメン」をその番組ではゴリ押しした事にはもうひとつ狙いがあってん。これは予想やけど、多分営業を再開しても、暫く営業は厳しいと思う。メインの商品を200円も値上げしてるから。でも謙一さんが作った豚骨も、希望軒の大将から引き継いだアタシの醤油も、絶対800円の価値は絶対にあるから、お客さんは必ず帰ってきてくれんねん。間違いない、あと2日で営業再開や。

















 〜Aside〜


 みさきラーメン改め、パオズラーメンの再開店日は土曜日だった。

 正直開店前には行列でも出来るんじゃないかという俺の浅はかな期待に、舐めた相手から腹部に痛烈なボディフックを喰らうボクサーが如く、昼の営業は来店者は、ほぼほぼ皆無で燦々たる結果となる。

 その結果に狼狽える俺に「想定の範囲内や」と玉美は軽く言った。その日は悪い流れのまま、夜の営業も結局泣かず飛ばずに終わる。

 俺は失意に駆られ、恩威ある大先輩に借金をしている現状を真剣に考えると、今後の事が急に不安になった。

 そんな俺の気持ちを顧みもせずアイツは、

「明日は期待出来るから!備えて早よ休もうや」

と笑ってさっさと床に就くと、まぁまぁのいびきをかき出す。

 そのタマのセリフは俺には一切響かず、今後の不安を拭えないまま床に着いても全然眠れない。どうせあの女なんも考えてないんだろうなと思うと、この店が流行んなきゃ俺なんか切り捨てて、大阪帰りゃ実家は金持ちだしな。とか考えてたらなんか次第にムカついてきて、更に俺は眠れなくなる負のループに突入してしまう。


 持病のネガティブ病が発症し、前の晩は寝付きが相当宜しくなかった。そこ言い訳にする訳じゃないけど、日曜は一時間程寝過ごしてしまう。

 タマはその寝過ごした事にブチ切れていて、無言激怒の重圧に怯えながら、俺も怯えて仕込みに入る。急に口を開いたと思ったら、声を荒げて開店後30分後には満席になるつもりで準備せえやってすげえ剣幕だし、五月蝿し、怖いし。

 悪夢の広島時代の再来だ。


 なる訳無いでしょ〜ぐらいの気持ちで、パオズラーメン開店2日目、だが俺のナメた気持ちに更に深めのボディーブローを入れるべく、開店から実質45分後には本当に若いカップルと、女性客でマジで満席に。しかも注文は、タマがここんところ力を入れているヴィーガンラーメンばかり。


 そのレシピを頭に全く入れてなかった俺が、完全に足を引っ張り、流石に店が回らなくなって店はパニックになる。親父にヘルプを頼もうかと思った時、気がつくと親父はもうキッチンに入ってた。

 多分店の外で俯瞰的に見てたんだずっと。実の親父に言う事では無いが悔しいし、なんか見張られてるみたいで少しだけキモいわ。

 

 ドタバタしたランチタイム終了の時、母ちゃんが降りてきて恐る恐る、

「なんか賑わってたみたいねえ」

と恐る恐る声を掛けてくれる。そう思ってんだったら、降りて来て手伝ってよって言いそうになったけど、

 タマの更にガチ切れしそうな空気感が凄いので辞めたというか出来なかった。その晩、俺は自分の不甲斐なさを痛感させられ相当落ちこんだ。


「どしたん?」

「別に」

「元気ないやん」

「……。」

この状況で浮かれてたらアホだろと思い、無視して寝返りをうつ。


「ちょっとどしたんて?」

「いや眠いんだって。昨日寝れてないし」

「あそ。ほたらおやすみな」

「…なんで今日忙しいって解ったの?」

「こないだ撮影したテレビの放送が土曜夕方やから、やと思うよ」

「ああ此間のクソナマイキボイス?」

「www.せやねん」

「どうしたの急に」

「いやタイトルwww.強烈やからwww.」

「クソナマイキボイスが?俺見ねえからなんかよくわからないけど、昔からある番組だよ。それがどうしたの?」

「美咲さんにOLが見てそうな情報番組で教えてもろうたんやけど、クソナマイキって語彙力凄いし、普通に失礼やし、普通に女性蔑視www.」

「何だよまたツボに入って。俺には何が面白いのかもわかんねーよ。だいたい俺もうそんな気分じゃねーから」

「そうなん?ほなおやすみなwww.」


「ねー、タマちゃん。こないだ収録した反響は凄かったって事だよね」

「www.せやね。だからあの番組見た人がご来店されたって事が比率として多かったみたいやね。実際」

「そうか…教えてくれれば良かったのに」

「教えとったら話聞いたん?」

「…わからん。でも言ってくれんとわからんからさぁ」

「テレビ番組出てヴィーガンラーメン推すって話した時から、アンタちょっと馬鹿にしとったやろ?売れる訳無いやろって思ってへんかった?」

「…ちょっと憶えてないかなー?」

「売れる訳ないやろ思うとったんは、コッチにも伝わって来とったで?せやからあの件はアタシだけで進めたんやけど」

「ん〜。…ちょっとだけ、思ってたかな?」


「…ほらな。…全員がそうって訳ではないけど。女子はな、そういう新しい事が純粋に好きやねん。自分の体を大事する健康的な意識を持ってる子達も、年々多なってるし」

「でもそういう人ってラーメン食べないでしょ。普通イタリアンとかに走るんじゃないの?」

「だからこそやねん。でもそういう人こそ、本当はラーメンも食べたい筈やねん。本当は食べたいのに、我慢してはんねん。

 そこに未開拓の需要というフィールドがあるとアタシは感じるんよ。

 わかる?そういう人達の為に、健康的なラーメンがあるんですよって、提案する内容の広告を供給する。インスタ映えとまではいかへんけど、野菜の盛り方見せ方からやかまし言うんは、器の見た目が今凄く大事な事なんよ。パオには悪いけどこういった細かい感覚は、こう…女子にしかわからへん事やねん」

「…!インスタ映えって言葉ぐらい俺だって知ってるわ。馬鹿にすんな……でも色々考えてくれてたんだね……それはありがとう」

「それはまぁ…パブロ君と稔さんに、頭下げられたからかな?」

「それはどういう…?」

「包太郎はほわ~んってしてる所あるから、誰かが支えて引っ張ってやらないとダメだって」

「俺ほわ~んってしてるの?」

「皆もれなく言うてるし、実際アタシの目から見ても相当ほわ〜んってしてるけど?」

「うぇ?誰ぐらい?」

「まぁようわからんけど、サザエさんのカツオに似てるよね〜て、前にアキさんとは話した事はあるかなぁ?」

「俺あんなアホみてえに野球ばっか行かねーよ」

「キャラ設定がって話や。だからアンタが好きな釣りとか好きに行けるぐらい支えてあげなな最近では思うててんって話やんけ」

「…え?」

「だから、しゃあなしや。暫くはみさきラーメン時代のお客さんは期待出来ひんのよ。メイン商材200円も値上げしとんのやから。常連さんであればある程面白くはないと思うわ、でもこれはアタシ等が生きぬく為の必須の作戦で、逆の立場やったとするなら、もしアタシであったとしても、好意的には受け止められへんと思う、感情の話やし。せやから最短でも半年間はしんどい闘いになると思う。だからこそ、その場を繋ぐ為のネタとして新メニュー、ヴィーガンラーメンで店を保たさなアカンよねっていうホンマにしんどい時期やねん。此処が正念場や、次の策からは二人で相談し合って考える事にしようか?」

「……お前ってやつは…マジでヤベえな…」

「うん。天才ですからwww.」

 

 平日の営業、昼は客は少なく暇だった。けど逆に夜が少し増えたような気がする。若いOLがタマに凄く話しかけていて、あの番組の効果を痛感させられる。タマがやったアレは、確かにラーメン屋に入らない様な客層へのアピールだった。あの料理は俺と親父じゃ絶対出てこない発想だもんな。

 そしてそれと比例する様右肩上がりに、客が増えていったんだ。秋の終わり頃には、鳴丘通商の社長さんと営業本部長さんがご来店された。つまりタマの弟とお父さんね。鬱陶しそうに悪態ついてたけど、あれは相当嬉しい時のリアクションだって事は、もう俺も最近になってからだけど、流石にわかるようになってきたわ。



 そして値上げしてから半年経過した頃、ポツポツとみさきラーメン時代の常連客が帰ってきだした。俺達はラーメンの食券機の横に、値上げに対する理由と謝罪を記載していた。それとは別で俺達の視野外で、別のアクションを起こしている奴が居た。

 それは無論、親父達。


 親父達は周辺の常連客や、そうなのかも定かでない周辺の家にアポ無し訪問して、

「倅が店を継ぐ事になりました。先代である私に似て不器用なヤツですので、何卒宜しくお願いします。誠に勝手ではございますが、今後の物価高騰も視野に入れた上で、メニューの値上げをさせて頂いております。そちらも含め何卒良しなにお願い申し上げます」

と記載したプリントを配って回ってくれていた。

 

 皆は流石に気づくだろうけど、発案者とこの文章を書いたのは勿論母ちゃんね。俺は何も知らなかったんだけど初めて親父時代の常連さんに、

「気張らんか二代目!」

と言ってもらってこの配布したプリントを見せられた時、情けない気持ちと此処まで周りに支えられている環境に感謝し、トイレに隠れて泣いたの憶えてる。俺は周りに恵まれ過ぎていたという事を痛感させられてしまったから。


 寒い冬を超え、また若葉の季節になるとタマは梅雨の季節にビビりだす。此処は雨が怖いぐらい降るんだって。あと夏になると色んな虫達が勃興するから、それが嫌でしょうがないみたい。来たばっかりの時にトイレにゲジゲジ居ただけで、ヒッチコックのサイコに出てた女ばりに、激烈シャウトしてたからね。あれはマジで面白かったわ。


 丁度その頃、めっちゃ懐かしい来客があったんだ。ミコシンと呼男君を虎聞さんが連れて来てくれたんだ。俺は思わず嬉しくなって、彼等の名前を大きな声で叫んだ。

 すると仏のように穏やかな笑顔の呼男君が、急に鬼のような顔に変わって、

「オドレが変なあだ名つけるから、皆呼男言うやんけ。わしん名前は佐々木翔じゃ!」

とミコシンの頭に頭突きをお見舞いした。店内にゴツという鈍い音が響き、喰らったミコシンは、

「あぐぅん」

って言って、蛙みたいに地べたにぺちゃんと潰れた。


 普通であれば心配しないといけない場面だった。いきなり暴力だし。穏やかでそんな事するタイプじゃないと思ってたのに。

でもそんなの蹴散らすぐらいのその無様な、

「絵面とリズムの面白さ」

に完全に俺の腹筋は完全崩壊を喫してしてしまう。


 流石にもと先輩だし。笑ったらヤバいと思って、仕込みがあるとその場を後にし、裏に隠れてこっそり爆笑してる俺の背中に鈍痛が走る。

「聞こえとんじゃ、ボケ。普通先輩がどつかれたら、介抱するもんちゃうんけ?」

振り向くと頭部の痛みを手でおさえたミコシンが怒って立っていた。

「だってもう俺会社辞めたもん。もう部下じゃなくて、今は経営者だもんね」

「どうせやっとんのはナルタマやろ。お前にゃ無理じゃ」

「え、酷くない?難波じゃ結構頑張ってたと思うんだけどなぁ。……まあ彼奴は確かに凄いよ。頭があがんない。マジで天才だと思う」

「そうなんかいな?まぁ昔からやり手で有名やったけぇの。お客さんを記憶する機能が人の倍ついてるって、澤ヤンが昔言うてたような気がするわ」

「なんか勝てる気がしないんだよね。商売人気質っていうか、ヤバいバイタリティっていうか?アイデアも凄いし、行動力も凄いし」

「www.なんや自分落ち込んどんの?」


「そーじゃないけど。此処んところ忙しくて、それどころじゃないの。毎日スープの仕込みで、クソ早起きだし。毎日仕込むのマジでしんどいんだよ。正直本当に大変で、これずっとやってきた親父はマジで凄えって思うもん」

「そんなん言うやったら、なんかワシもじゃ。最近ずっと忙しゅうて、ゆっくりする暇もあらへんねや。なんでやねん思うて考えてみたら、お前が居らんなったせいで、ワシに負担が来とるんやないけ?」

「んふ!おまけに澤北さんも抜けちゃったしね。それはマジでごめん」

「まあしかし、ホンマにどえらい田舎じゃ。ただの山中やんけ」

「こー見えて慣れると良い所なんだよ。ミコシンも住んだらわかるって」

「まぁ、ワシは生粋の都会っ子やしの」

「それは十分わかったって。折角来てくれたんだから、ウチのラーメン食ってってよ」

「まぁ待てや。お前には色々話あんねん」

「何?」

「ありがとな」

「はぁ?」

「俺結婚する事になったわ」

「そっか……ミコシン…おめでとう!」

「おおきにのwww.」

 店に入った俺達を待ち受けたのは、虎聞さんと熱く語り合うタマと、それとは別の世界の様にBSのワールドニュースを腕組みしてみる、佐々木翔の姿という異様過ぎる光景があった。


 俺たちの結婚式から半年が経ち、タマは産休に入った。その間俺一人じゃ営業は無理だろって、アルバイトを雇用した。店の売上はずっと好調だったんだ。タマが一時的なものと言った若いOLやカップルの客層が少なくなりだすとほぼほぼ同時期に、親父の時代からのお客さんが戻って来てくれた。彼等は俺とタマの考えたラーメンを、親父のその域には到底及ばないと、厳しくまた愛の溢れる叱咤激励をくれるが、もう値上げの事は言われる事は無かった。

 

 それから俺一人体制に代わってから、一つ変えた事がある。俺の名前に起因する蒸物を新たにメニューに採用した。所謂小籠包、これをやろうと思ったのは、お客さんが少ない時にバイトにやらせる仕事がないよなって思って始めたんだけど、思いの外これが売れ過ぎるので、上に住んでいる赤ちゃん見てるタマや親父やお袋も、今じゃ家族総出で仕込んでいる。逆にやる事が出来て良かったかもしれないね。

 小籠包持ち帰りのお客さんも増え、売上もみさきラーメン時代の絶頂期を遥かに超え、我がパオズラーメンの経営は盤石の基盤が作られた。


 そう親父の代から粛々と掲げる「旨い。は正義」のスローガンのもとに。




   













 

  ~終&始~


 の筈だったんだよ。


 そうそう、2019年まではね。

 それを最初聞いた時なんだそれ、太陽光かなんかだろの事ぐらいに思ってた。なんかあの国でなんかドワーって増えた頃は、俺は別の世界の出来事ぐらいに軽く思って悠長に構えてたんだけど、ゆっくりの様に見えて、かなりのスピードで、コロナウィルスはこの国に侵入してきていたんだ。

 

 俺の大好きだったコメディアンと、大女優を結構な短期間で失う事になった頃、そこで俺は現状の異常性に気付いたんだよ。俺はあの二人が大好きだったんだ。でもあの辺から、俺達は日常の生活基盤までも、変更しないといけない状態まで発展してしまった。


 あの福岡の有名店でも無いのに、席にはプラスチック製の敷居を作り、隣席とのコミュニティを遮断し、店頭にアルコールを配置しないと、衛星管理面で問題有りの飲食店という風に、見られる時代になってしまった。その内、外での外食自体が問題視される様になり、お客さんもだいぶ減っちまった。その結果、俺の友達の店ももうやってけんって言って数店か、閉めちまった。


 俺達は飲食業の諸葛孔明と化した、玉美様の状況判断に全てを委ね、指示を完全に実行に移す。非常事態宣言の前から、

「小籠包の持ち帰りサービス」

の広告を打ち、人流が薄い山里に構えた店なので、感染の恐れが少ない事を、必死でアピールしながら営業を続けた。

 飲食業界における氷河期とも言える時期を傷だらけになりながらも、なんとか…なんとか乗り越える事が出来た。


 そういった中、岡山県児島の瀧本さんから贈り物が届く。ご主人の職場で織ったデニム生地を反物の状態で郵送されてきたので、

「いや昔話か!」

 と一応ツッコむ。ライトオンスの軽い生地だったので、俺達はパオズラーメンの作務衣を作る為に仕立て屋に。二人で行くとタマが、裏地をTシャツ生地の赤のタータンチャックにしろだの、足元はリブをつけろとか色々注文をしていた。その結果もあり、俺達は渋くまた着心地と実用性を兼ねた、オリジナル作務衣を入手する事に成功した。


 その後政府から給付金貰ったり、小籠包の持ち帰りや、今流行りの出前サービスをフルに活用して、パオズラーメンはなんとか潰れずに今年2021年を乗り越えようとしている。この年は前半は去年と変わらずの氷河期だったが、秋ぐらいから景気が少しずつ良くなって、冬にはまた絶頂期の状態まで回復する事が出来た。でも年末にはあのコロナが新型のウィルスに変化を遂げ、各国で猛威を震い、再び俺達の方へじわりじわりと、牛歩の如く近づいて来ているのが凄く怖い。


 俺達は店が暇になった分、良かれ悪かれ皆で色んな事を話す事が多くなった。こないだなんかも稔君が来てくれて、小籠包の仕込みを皆でしながらダベるのがまったり出来て、結構俺は気に入ってる。勿論手洗いとマスクをしながらね。


 タマは楓太(ふうた)と名付けた俺達の息子にべったりだ。でも引退した訳じゃなく、駐車場に停まる車の数、一階から聞こえる騒がしさで、その日の営業がどんなだったかがわかるみたい。それと気温や天気と曜日とコロナの感染状況を含め、周辺の状況を鑑みると、どれぐらい忙しくなるかの予測ぐらい出来るやろって言われるけど、その辺は正直の所、俺にはさっぱりなんだよね。年が明けても、コロナウィルスのニュースでひっきりなしだ。世界中で多過ぎる程の犠牲者を出しながら、この疫病に俺達は生活の基礎基盤から変更させられた。

でも俺達は必ずこの事態を乗り越えることが出来ると信じてる。いつの日かペストとかスペイン風邪に比べりゃ、大した事の無い疫病だったって史実に残るぐらいの事なんだよ。だからもう少しだけ頑張ろう。大丈夫。俺たちはあんなチャチなウィルスなんかに負けたりしない。


 俺が言うのも何だけどさ。最初に俺ん家みたいな飲食店の事を、絶滅危惧種型っていう言い方をしたんだけど、貴方の街にもまだこういった店がまだあるなら、守っていってあげて欲しいと思うんだ。それは別にラーメン店に限らねえだと思う。


 うどんに蕎麦、ピザにタコス、スルロンタン、ハンバーガー、ピロシキ、なんだってその地元に愛されてる食べ物だったらなんだって構わない。

 昔から地元の人達に愛されてる飲食店は、その土地のた確固たる食文化そのものなんだよ。それは地元の人達が守って、脈々と受け継いで行かないといけない、大事な大事な食の文化なんだと俺は今思ってる。


 だから「ソウルフード」って言うんでしょ?

おろそかにしてはいけないんだよ。貴方の魂と同じようにね。

 

  そう思わないか? 世界よ。

 

               ~FIN~



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ