第三節
第三節目
広島から大阪へは新幹線で3時間と一寸、週間少年ジャンプを読んで、スマホ弄ってる間にふわぁっと眠気がきて、はっと起きたらもう神戸だった。携帯の時刻見て驚く、ヤバいもう少し寝過ごすと通り過ぎてた。慌てて身支度してる間に、もう新幹線は大阪駅には着いてしまっていた。
昨日ブチギレていた鳴丘玉美が別れ際に、めっちゃ使えるからダウンロードしときと言われた「ヤフー乗換案内」のアプリを使う事で、梅田から心斎橋へは容易く行けた。テレビのニュースで大阪を紹介する時、いつも映る道頓堀周辺を少しだけ散策した。眩いばかりの街が俺を否応なく圧倒し、俺にはこんな凄え超大都会で、生活や仕事をやっていく事が出来るだろうかと思う不安な心持ちと、新たなるフィールドに対して高揚感のハイブリッド型感情に苛まれた。
広島の時と同様に、働く予定の難波千日前店に鍵とマンションの地図を受取りに行く。時間は15時半に合わせて行った。流川町店では15時から17時迄は客の入りがあまり見込めない為、意図的に営業を中止して、その時間は休憩扱いとしていた。そういった時間に行った方が、自己紹介もしやすいだろうと先読みして、その時間に合わせた新幹線の切符も計画的に購入していた。
でもその予想は全く外れ、この店は11時から翌朝1時まで休まず、所謂ぶっ通しの営業。時間合わせた意味なかったじゃん。営業時間ぐらいちゃんと調べておけよと自分の準備不足に少し腹立てながら、恐る恐る中に入る。当然の様に、スタッフが接客してこようとしてくるので、
「あ、すいません広島流川町店から異動で参りました望月と申します。店長様いらっしゃいますでしょうか?」
と聞くとそのスタッフさんの反対側の方からひょこっと頭を出して、
「望月君!聞いとる聞いとる。ナルタマがよろしゅう言いよったわー」
大体40代前半ぐらいの男性が、パッと駆けてきて、俺の新居になるマンションの鍵と住所のプリントを渡し、その場所を教えてくれようとする。前の鳴丘玉美の対応とは全く違い、俺は少し面白く思ったがその優しさには敢えて甘えず、住所は自分で調べますと丁重にお断りした。
「わしゃあれみたいに厳しくないけぇ、安心せえや」
とバツが悪そうにかつ、申し訳なさそうに笑う感じが、この方の人の良さを表してた。
「まぁ〜あの人には最初ん頃は、よくケツ蹴られましたね〜」
と俺は恥ずかしさから頭をかいて答える。
「ま〜だそんな事やりよんかアイツは。今のご時世的に見て、そういった事は辞めるよう言いよんじゃが」
困った様に嘆くこの人のネームに「澤北」と書いてあった。鳴丘店長がサワヤンと呼んでいたのはこの方とみて間違いないだろう。それに気付くと緊張がグッと解れたので、
「でも厳しいながらも色々丁寧に教えてくれたんで、今ではあの人の事、尊敬してるし、感謝もしてます」
「望月くんがアイツの良さが分かる器量の男で良かったわ。とりあえず今日明日は君休みやから。ゆっくり休んだり。そして明後日にまたおいで。最上級の地獄を準備しといたるさかい。うちがどういう店かは聞いて来とんやろ」
と澤北店長はにっこりと笑った。俺はそれにひきつった笑いで返すしかなかった。
マンションに入ると広島の時と比べ、築年数が古かったり、風呂がユニットバスになってたり、外の騒音が倍増してたり、正直前の時と比べて俺の新しい生活環境は地味に悪くなってた。その夜には引越業者が来て、
「今まで一番荷物が少なくて楽でしたわ〜」
などと言われる。余計なこと言うんじゃねえよと思いながら荷解きを適当に済ませ、その夜は繁華街に出る。
街の喧騒を見ながらタコ焼きをビールで流し込みながら、若者、サラリーマン、ガタイの良い白人にこれまたガタイの良い黒人、たまにガタイのいいおそらく日本人だろうと思われるアジア人。その通りを歩く人々のそれぞれを俺はずっと、ぼーっと見ていた。
楽しそうに話しながら歩くギャルもいれば、何かに怒ってる様に見える人もいる。でも基本的に歩く人々は、感情を表には出さず無表情だ。当たり前だけどね。皆どんな事考えて、どんな人生を歩んでいるんだろうと考えると、自分の人生や俺たちが賭けているラーメンと言うファーストフードの文化を含めてもの凄く小さな事の様に感じられ、心をかなりメランコリックな気持ちにさせられた。
ガタイも良くない上に、身長も大した事のない俺は、その店を後に家路に。業者に荷物が少ないって言われた事のダメージだろうか?
床につくと自分では気付かなかったが、思いの外疲れていたらしく、翌日の昼まで寝過ごした。広島で中古で買った安くて小さいアジア製のテレビで漫才の2時間番組を見て、その日は大人しく早めに寝た。
難波千日前店での初勤務に行くと、一昨日色々案内してくれた澤北店長は、休憩室で仮眠をとっていた。起こさないよう音を立てないよう気をつけてながら支度をしていると光の明暗の動きが、彼を起こしてしまったのか、
「あゝおはよう」
と言う彼の声に驚いて、思わずこっちが逆にビクッとなってしまう。
改ってちゃんと挨拶しようとする俺に、
「いらんいらん。店長の澤北じゃ」
「望月包太郎と申します。よろしくお願い致します!」
「うん宜しく。九州じゃあ聞いたが?」
「ハイ!鹿児島から来ました」
「ほぁ〜鹿児島かぁ、行った事ないのぉ。ワシが知っとるんは地元の岡山とココ大阪ぐらいなもんじゃ」
「あ、岡山のご出身なんすね。僕もここに来る間通って来たぐらいです」
「新幹線だと速すぎて風景もわからんじゃろ」
「…正直言うと寝てたんでよく覚えてないです」
「www.なんや寝とったんかいな。覚えるもなんも見てないんやったら意味無いやんけ」
「www.すんません。ココ忙しいって聞いて来たんですけど、やっぱ凄いんすか?」
「うーん。まぁ売上としては君がおった広島の流川の約2倍ってところかの。まぁでも当然じゃがその分人数は構えとるし、個人の負担はさほど変わらん思うけど。流川だって暇な訳では無かったやろ?」
「約2倍…それはヤバいな。すんません澤北店長、一つお伝えしないといけない事が」
「どしたんな」
「すんません。俺は広島ではホールだけやっていました。キッチンでやってたのは仕込みぐらいで…」
「営業時間は厨房入らへんかった言うことか?」
「そう…ですね」
「ほか。ほたら先ず、キッチンの回し覚えんとあかんな」
「すんません」
「気にせんでえーわい」
と言って、椅子に座り顎に手を当て少し考えて、
「教育係つけちゃる」
腰掛けていた椅子から飛び起きる様に立って、俺の方を見て悪戯っぽく、
「鬼にホールを教えられたんやったら、キッチン教えて貰うんは悪魔が最適じゃの」
と言うと澤ヤンは席を外して厨房へ入っていく。
悪魔?いや普通に厭ですけど?
頼むから普通の奴にしてよって言えずにいる内に、30代ぐらいの、女みたいな長髪に猫背で出っ歯の、目玉がギョロッとしている奇妙な出立の男が、ノソッと厨房から出てきた。一眼でわかるぞ此奴が悪魔だ、間違いない。
コイツはなんかヤバい。
「澤ヤンから厨房教えるよう言われた『御子柴』言うモンです。モチヅキさんでしたっけ?社員さんなんすよね。まぁ自分此処で5年ぐらいバイトでいてますんで、わからん事あったら、自分に聞いてもらえると良いおもいます。あと自分バイトなんすけどこの世界、実力主義や思うとります。仕事に関しては結構キツい言い方する事ある思います。けんども基本は悪気は無いんで、恨みっこなしでどーぞ宜しゅう」
最初の見た目で俺は完全に圧倒されてしまった。だいぶ早口だったし、なんか危険な事も言ってたし、コイツに教わる俺大丈夫かよって滅茶苦茶不安になったのを覚えてる。
でもあれがミコシンとの最初の接触だったんだ。
御子柴了、生まれも育ちも大阪。関西人という曖昧な括りなんかじゃなくド大阪人。大阪のど真ん中とも言えるこの店から歩いて、5分程の所に実家のある、この一癖も二癖もあるこの男は家から近いという理由でだけで、この糞忙しい店で5年もバイトを続ける強者だ。店でもバイトリーダーを任されているが、厨房のみで接客はしたことも無い様子。だが厨房に入ると異様な風貌から想像もつかない程、凄まじい集中力を放つ。澤北店長からは殆ど厨房の総指揮を任せられてると言って過言でない。社員になるよう誘いが来ても、異動とか転勤とかは絶対嫌だとその話し自体を蹴るような、そんな濃ゆい主張を持つ男。
この男は仕事こそ凄く出来るのだが、口がまぁ悪い。暴力こそ無いが一緒に働き始めた頃、俺は罵詈雑言の海に沈没しそうになった程だ。
「何度言わせんねんあほんだら。麺は一食一食茹でんなやボケ。そのやり方でいちいちやりよったら、逆に茹で時間の管理が出来ひんくなるやろがい。ある程度オーダーを貯めてから一斉に茹でろや!そっちの方が効率がええねん!ちったぁあたま働かせぇよ、脳みそ捨てとんかカス」
…逆に捨ててる奴見たことあんのかよ…
「スープはたまに味見せぇ言うとるやろ。煮込みすぎる事で塩分濃度が変わることがあんねや。無双布武ラーメンの味は何処の店でも、同一である事に意義があんねん。会社の味変えてお客様を失望させるようなことあったら、グツグツ煮えとる鉛、喉から飲ますど」
…罪に対して罰の比重があってないって。アウトレイジの見過ぎだろお前…
「盛り付けがばっちーんじゃ。この写真見てみいや。この写真とおり作んねん、このラーメンなんやこれ。これじゃサルバトール•ダリの絵みたいになっとるやないか、普通に作れあほんだら」
…誰がダリだよ? 俺あんな変な髭してねえだろうが…
この男は悪口のパターンがなんというか多彩だ。そこの表現力が良くも悪くも秀でてる。喰らっている俺からすればその才能こそが、辛さの原因なのだが。
「お前ちょけとんか。一回脳みそ外して、一晩ドブかヘドロにでも漬け込んで、翌朝また水洗いしてまた再度装着するタイプの性癖の変態なんやろ?」
いやそれどういう性癖だよ?ってな感じで、謎の角度からの悪口がドンドン飛び出てくる。普通はムカつくところだが、この男の独自の表現のセンスと言葉の言い廻しが俺は少しだけ好きだった。ただ悪口の言われすぎで、この男は多分俺の事嫌いなんだろうなと少し距離を置いていたのだが。
「なぁ今夜、飲み行かへん?」
と急に俺達の間を埋めたのは、まさかのミコシンだった。でもあんな仕事中、罵詈雑言吐き続ける相手を飲みに誘う心情が、俺には理解出来なかった。がまあ俺は帰ってもどうせ独りだし、寂しいから仕方無しについていく。居酒屋に着いてビールと食べ物を3品程注文して、それらをつまんでいると、
「お前さ、モンストやってへんの?」
と聞いてくる。ここでいうモンストは君の知っているあのモンスターストライクであってるよ。説明要らんかったでしょ。
当時まだやってなかったんで、やって無いと答えると、人生損してるとばかりに必死にその面白さを訴えてくる。じゃあやってみようかなと答えると、
「そか、ほんだらワシの紹介で入ればえーやん。このIDでホイ」
そんときは初めてでわからなかったけど、初心者を紹介したら紹介者に特典があるの確認した時は、
「いかにもミコシンって感じだよな」
と思って、思わずなんか笑っちゃった。
絶対、要らないと思うけど、一応彼「ミコシン」の説明をしておこう。御子柴でミコシン。それは皆そう呼んでるから。俺がつけた訳じゃないし。貴方だってこういう場合は周りの人達と揃えるでしょ。ほら、すげー要らなかったwww .
この店に来て痛感したのは、無双布武3大地獄店舗の異名は伊達じゃなく、マージーでとてつもなく忙しい。でも決して流川町が決して暇だった訳じゃない事も付け加えておこうかな。でも本当にそう思えてしまう程に本当に忙しいんだ。一日の時間の流れが異常に早く、ずっと全速力で走ってる間に、気がついたらもう終わっちゃってる感じ。
この店のピーク帯は開店直後の11時から14時まで、それから少ないまでも疎な時間が18時迄、でそこから再び25時の閉店までずっとピークが続くといった感じだ。俺は最初の1ヶ月間は体力的にも精神的にもほぼほぼ限界ぐらいの精神状態で仕事していた。一緒に飲みに行くまでは、ミコシンって基本的に何考えてるかもわかんないし、仕事も超キツいし、もう辞めて実家帰りたいと何度か考えた事もあった。
それを考えるとミコシンに飲みに誘って貰った事は、俺の大阪生活の分岐点となった事は間違いないな。彼と飲みに行くようになってから、それ以降少しずつだがスムーズに仕事が出来るようになった。売り上げの低い時間帯は彼と二人で厨房をまわすこともあったが、他のバイトの子が居ない方がやり易いんじゃないかと思える日もあった程に。
彼ミコシンはちょっと変わっていて、生粋の大阪人なのに、タコ焼きやお好み焼きといった、ご当地で愛されている所謂「粉もん」を嫌う。それには彼なりの持論があって、
「騙されたらアカンて!あんなもん炭水化物の塊や。炭水化物っていうのは実は『糖質』やねん。それが身体に本当はよくないねや。この辺の酒のアテはワシに聞けばええ。本場ってもん教えたるけ」
と言って連れて行くのが、狭いホルモン屋や、どて焼きで有名な比較的汚めの立ち飲み屋とか、角打ちとか言われる酒屋と居酒屋が合体した様な、比較的「色」が濃ゆいハードコアな居酒屋が多かった。
そんな味の濃ゆい飲み屋で味の濃いものと、ハイボール飲みながらずっと二人で携帯ゲームやってると、普通に飲んでいる時よりも更に酔いが回り、俺たちはいつもゲームどころじゃなくなった。
二軒目のバーに移ると、更に俺たちは飲みを重ねた。そこでミコシンがたまに悪酔いした時、
「おう、なんかおもろい事言えや」
と雑すぎる大喜利みたいな問答を振ってくることがあった。あの晩は俺も大分酔ってたんで、母ちゃんから止められてたあの「顔面鱗剥がされ龍」の話につい手を出してしまう。その話が終わる頃には何故か悪酔いしていた筈のミコシンが、何故かど素面に戻って、
「自分ホンマに頭おかしいんちゃうか?」
と真顔で真剣に馬鹿にされた。その上に冒頭に、面白くない上に頭がおかしいとしか思えないという、宣伝文句を付けられた状態で、他の客にも同じ話を強制的にさせられる
結果として、当然の様に連続的に滑り、俺も素面に戻るという辱めを受けた悲しい夜もあった。
二人ともベロンベロンになって騒いだ、あの不毛の様な戯れとでも言うのだろうか。今ではあの頃の夜を思い出すと愛おしく思える。ただあの頃のミコシンに一つだけ言う事が俺にあるとするならば、
「ホルモン焼きもどて焼きも確かに美味いと思う。酒のアテといっても申し分ないだろう。ただ野菜も同時に摂取出来るという観点において、お好み焼きの方がずっと健康的だと俺は思うぞ」
という事ぐらいだろうか?
ミコシンはずっとバンドをやってるという話を聞いた。それが理由で大阪というか、難波を離れたがらないらしい。広島流川町店の鳴丘店長と1年程コンビを組んでた時代があって、その時に「鬼のナルタマ、悪魔のミコシン」というネーミングがついたらしい。その頃は普通の新人バイトが2人についていけず、一日も保たず辞めてしまうヤバい時期があったが、それを機に人員不足というハンデを凌駕する程のスキルを二人とも身につけたらしい。二人の関係性が少し気になったが、まぁ仲は良く無いだろうなと俺は思い、ミコシンには彼女の事は特に尋ねなかったが、
「久しぶりー元気しとる?
なんかヤバい奴とつるんどるって聞いたでー」
という鳴丘玉美からのLINEで彼らの繋がりと、それがもたらす彼らの距離感をなんとなく確認してしまう。
彼女を少し懐しく感じたので、電話してみるとミコシンとばっか遊んでないで、折角関西住んでいるんだったら、有名な観光地に行くだとか、その流れで有名ラーメン店に行って勉強するとか、アパートでスープ作りをしてみるだとか、自分にとってプラスになる事をしないと駄目だと五月蝿い。有名店回るるんだったら、前にドイツとアイルランドの友人と3人で済ませたよと答える。すると、
「訳の分からん仕様もない嘘をつくな」
と一切聞き入れてくれない。嘘じゃないのにね。
わざわざ説明するのが面倒なので、彼女の言う通りにする事にして、テレビで何回か見た事のある有名な城を見に行った。その外観が視界に入った時は、テンション爆上がりしたが、いろいろ話聞くとではなんだかんだで外壁にしろ、内装にしろ時と共に劣化するので、建てた時のオリジナルの素材って、あんまり存在しないらしい。結局のところ木材だからしょうがないよねって、自分に言い聞かせたけど、なんかそれ聞いてちょっとだけ醒めちゃった。
結局レプリカじゃねえかって。
けどそんなひねくれもんの俺にも十円玉でお馴染みの「平等院鳳凰堂」は響いた。まず思ってたより建物がそこまで大きくなかった事が逆にリアルに感じられた。あと当時の柱を意識して、製作されたリメイク物の緑を主体としたビビットな絵画が、現代の技術を用いて記載されてるんだけど、そのリメイクの絵画がなんというか、程よくマットな質感だったんだ。
それまた結局はレプリカじゃんって話なんだけど、そのレプリカがマジでヤバいっていう逆のヤツ。その柄も発狂したあのジミヘンドリクスのアルバムジャケットみたいだなとその時は感じたけど、今スマホで見ると、やっぱあれともまた違うな。
ともあれこんなアートワークは他で見た事がない。これにはマジでヤバいと正直に思った。
そんな些細な感動を熱弁する俺に、
「んなモンどうでもええけ、モンストやろうや」
とミコシンは寂しそうにゲームに誘う。鬼と悪魔の引っ張り合いを上手く交わしながら、大阪に来てから丁度一年になる頃に澤北店長が、
「望月もそろそろ1人前なるん違うか?」
と褒めてくれた。そういえばここの所、ミコシンに仕事で怒られる事が、前に比べ随分少なくなってる事に気づく。気が付けば、俺は地元鹿児島を離れてから過ごす二回目の冬が来ていた。
今日もミコシンはいつも通りだ。
そういえばコイツバンドやってるとか言ってたよな?なんか本人に直接聞くのはなんか危険な香りがしたので、間接的に鳴丘店長にLINEで其れについて聞いてみると、
「ヤバいという言葉の権化」
としか返ってこない。ついでに、
「バンド活動よりも、ミコシン5年以上付き合ってる彼女おるから、転勤したないんと思うけど?」
と付け加えてきた。
ってかアイツ彼女居るの?
其れなのにずっと俺と連んでて大丈夫なの?
っていうかあの出っ歯の何処が良いの?
と色々なツッコミが俺の脳内で同時多発事故を引き起こす。
それから「ヤバいという言葉の権化」っていうフレーズがずっと頭にひっかかっていた。その次の日ミコシンになんとなく聞いてみると、そのバンドは相方がパナマに修行に行って一年になるので、その間は活動休止らしい。
なんでパナマ?運河好きなの?
相方?もし2人でやってるんだったら、コンビもしくはデュオじゃない?
とか色々なツッコミが俺の脳内で再度接触事故を、ふたたび同時多発的に起こし始めたので、めんどくさいと感じた俺は思考を意図的に頓挫させた。
彼女とは今も続いてるらしく、長すぎてもうなぁなぁになってもうてるわ。と少し寂しそうな影を見せたので、俺はそれ以上追求しなかった。
ミコシンのバンドやったらユーチューブで見れるんとちゃうと鳴丘玉美は言ったが、俺が調べたところどうやら現在は削除されているらしい。そのバンドの名前は「なにわドクコタツ」というらしい。意味はわかんないけど、語彙の破壊力となんとも言えないへこい感じの同居感が、如何にもミコシンといった感じだ。でもその動画は結局削除されているらしく、その日暇してた俺は、2時間ぐらいかけて色々探したが、閲覧は不可能だった。
その翌週の休日は特段する事もなかったので、梅田の方まで足を運ぶ。煌びやかな街中を闊歩するカップルやグループの若者、アジア系観光客らがごった返すなか、一人で来てる奴は俺だけの様に感じられた。色々見て回った上で、好きなスポーツブランドの防寒性の高そうなパーカーを購入して帰る。その際に、不思議と俺の心の中に空虚な小さな固まりが出来た。それは世間一般で孤独感と称されるヤツらしい。
その小さな固まりがとれればと思ったのかは定かではないが、俺はもう少し歩いて佇まいが妙に渋い立ち飲み屋に入った。ミコシンが好きそうな店だなと思った。そこで湯豆腐と刺身と久し振りに芋焼酎を頼んだ。俺は地元を離れてもう2年半以上にもなる。職場にも先輩同僚にも恵まれて良い期間であったが、急にとてつもなく孤独に苛まれる時がこの頃から増えてきた。
母ちゃんとはLINEで状況のやり取りはしているものの、親父とは「あの日」以来会話もしてない。稔君はニューヨークに一年程滞在した後、チベット、ミャンマー、ラオス、インドと渡り歩いているらしく、各地で有名な寺院や仏像等の写真を時たま送ってきていたが、無知な俺は其れの凄さと良さが全くわからず、只凄いねとから空返事を続けていた。その過去のやりとりを見てると、彼が凄い遠くに行ってしまった感覚と、それと比較して見る俺の現状があまりにもしょぼすぎる事に落ち込む。このまま此処で飲んでるとそのまま潰れてしまいそうな気がして、俺は仕方なしに電車で難波に戻る。
アパートに帰る前に店の前を通ると、思いっきりミコシンと目が合ってしまう。店に寄っていけというジェスチャーをしているのに、俺は会釈で逃げるようにその足でそのままアパートへ帰宅する。新しく機種変したスマートフォンで、昔レコード屋で働いてた頃、よく聴いてた音楽をかけそしてもう少しだけ酒を飲んで寝た。
店は珍しく暇そうだった。
次の日出勤するとミコシンは休みだった。平日だったので対して忙しくもならず、それなりに仕事をこなす。
その日ミコシンは職場に姿を現す事は無かったが、
「相方帰ってきたわ。パナマから」
という謎の倒置法文LINEがちょうど仕事が終わる頃に送られてきていた。
それからというもの、俺とミコシンとは職場でも疎遠になりがちになった。あんだけ大好きだったモンストの誘いも、
「すまん。最近忙しゅうて、それどころではないねんて」
と手刀を切る苦笑いで返され、俺は誘いをふられる事が多くなった。次第に俺は暇を持て余すようになり、更なる孤独を体感するハメに。
そんな中、広島のアキさんから電話があった。彼女は大学院を卒業すると、同時に無双布武ラーメンのアルバイトも辞めるらしい。だから世話になったといって電話をくれた。本当に世話になったのは俺なのにね。
「そしたら店長大変になりますね。流川大丈夫かな」
「それがな、本人から聞いたんやけど、もうすぐ異動があるかもみたいな話を、虎聞さんだっけ?上司の人に言われよるらしいんじゃ。まだ何処かは決まっとらんらしいんやけど。パオ太はなんも聞いとらんの?」
「いやそれは俺も初耳っスよ。何処、異動なんでしょーね?」
例えば澤北店長の様に、家庭や世帯を持っている人間は対象外だが、そうでない人間は基本的には県を跨ぐ様な広範囲の異動もこの会社では少なくない。正直俺もいつ来るかとヒヤヒヤしていたぐらいだ。
「そういや玉ちゃんな、パオ太がおらんようなってから淋しそうにしよったよ」
アキさんは仄めかすように話し出した。彼女は鳴丘玉美より年上な為、彼女の事をそう呼んでいる。
「ああ。店長とは今でもLINEでやりとりはしてますよ。まあ俺も最後に広島で食べた牡蠣を思い出す事ありますよ。楽しい夜だった、懐かしいなぁ」
「懐かしいよなぁ。食べられない言ってた筈のパオ太が一番食べてたのよう覚えてるわ」
「あの時、店長めっちゃキレてましたよね。面白ろかったぁ」
「あの人を馬鹿にすな」
「してないよ。尊敬はしてるもん」
「www.真面目じゃからねぇあの人。ずっと気はっとるじゃん。親御さんとも疎遠になっとるらしいし、多分独りぼっちなんじゃないかと思うんじゃが」
アキさんは店長の右腕というか、二人はうまいバランスでよく店を回していた。当時初心者丸出しとしか言えない俺に常に絶妙な指示を出してくれた。
「玉ちゃんな。大阪の頃彼氏居ったらしいんじゃけど、なんか浮気されたらしいんじゃ。付き合って半年も経たんのに」
「聞きましたよそれ。エアージョーダン切り裂いたヤツでしょ?」
「嘘!私はその男の頸動脈に刃先を当てたって聞いたけど?」
「マジで?あと3ミリで殺人犯じゃん。当てただけだよね?」
「当たり前じゃろ。それ以上やったらもう務所じゃ。多分冗談と本気で脅しただけじゃろ」
「やられた方は冗談じゃすまんでしょ…。アキさんこの話は店長から聞いたんですよね?」
「うん。本人から聞いた話で」
「マジで怖いんだけど…」
俺も本人からこの件は聞いた。つまりはこういう事、浮気の現場に遭遇した鳴丘玉美は、まず浮気した男の大事にしてるエアージョーダンを切り裂き、そのままの刃物の切っ先を男の頸動脈にあてて脅したという情景が立体的かつ浮き彫りになった。
これを被害者側の男目線に置き換えると、かなりのホラー映像になるだろう。俺も一瞬だけ置き換えようとしたが、一生涯悪夢として出てきそうなので、あまりの恐ろしさに俺は即座にその行為を中止した。
「まぁ言うてあの子も繊細な子やし、ああ見えて色々抱えとるけぇ。誰かの支えが必要やと思うんよ」
「でも実家めっちゃ金持ちなんすよね?」
「疎遠になっとるらしいで。絶縁状態らしいけ」
「なんかあったんすかねぇ?」
「そこはアタシもよう知らんのんよ。前にだいぶ飲んでる時に聞き出そうとしたら、忽ち泣き出してしもてな。それでもう辞めたんやけど、根っこは大分深いと思うわ…」
「泣きだす程深いんだ…」
「そういう事やろうね。センシティブな事あんま深堀して聞いてもな」
「うん…確かにそうですね」
俺達は互いに言葉が詰まっていった。
「こんなぁが支えてあげりゃええんじゃ」
急に、アキさんは無責任な発言を。
「うええ?マジで?俺がっすか」
「ほーじゃ。負けん気の強い玉ちゃんには、年下がえー前から思うてじゃ」
「だって…ほらアッチにも選択権ぐらいあるでしょう?俺も軽動脈に刃物当てられるのはちょっと怖いし」
「それは、浮気せんけりゃええだけの話じゃろ?」
「そういう問題じゃないような気がするけどな〜」
「いや、仲はよかったじゃろ?」
「うーん。気は合う方かな?……でも確かに最初会った時、ちょっと可愛いって思いましたけど、即座に超冷たくされて印象悪くなったからなぁ。えーどうしよう?だって浮気したら殺されるんでしょ?」
「パオ太は浮気する男なんか?」
「ちょっと何言ってるかわからんど…」
「パオ太は浮気するような男なんか?言ーて聞いとんじゃ!」
「わかったて。せんせん、せんど!おいはそいげな事すい男じゃなか!」
「パオ太パオ太!」
「今度はいけんしたとよ?」
「訛りでとるてwww.」
「……。知っちょう。馬鹿にせんで下さい」
その後、俺達は他愛もない事を20分程話してから電話を切った。アキさんはずっと付き合っていた大学院の教授の元に嫁ぐ事になるらしい。住まいは広島だから何時でも牡蠣食いのついでにでも、寄ってくれって言ってくれた。熱くまた優しい人に逢えた事が、嬉しい心持ちにさせてくれる優しい電話だった。
翌日出勤した時、暫く疎遠になっていたミコシンが、
「自分来週の日曜の夜、空いとるか?」
と聞いてくるので、仕事が無ければ空いてるよと当たり前の事を答えた、シフト見ればわかる事だろ。
「せやな。ワシか自分とどっちか在らな、現状キッチンが回らへんしな」
と口を丸めた手で、口元を隠すような素振りを暫く見せ、
「ちょっと考えるわ、とりあえず空けたってくれや」
と振り返り仕事に戻る。何故かはわかんないけど俺はなんとなく腑に落ちなかった。
翌日またミコシンは、
「おう。昨日話した来週の日曜なんやけど、他ん店からヘルプ借りれるらしいわ。ほんだら自分はこれ見に欲しいねんけど」
と一枚の紙を渡してきた。
それは彼等のライブの告知フライヤーだった。
「なにわドクコタツンビート1年ぶり、待ちに待ったライブ!」
と大きく記載されていた。
いや、待ってねえよ!
俺は反射的かつ素直にそう思った。そのフライヤーにはミコシンと、丸坊主のミコシンぐらいの背丈の男と共に写っていた。ミコシンより少し背の高いと思われるその丸坊主の男は胸に利き腕なのだろうか、その右の平手を当て表情はなんらかの悟りを開いたかのような優しい笑顔を浮かべていた。
その笑顔を見た時、確かに俺が知らないだけで、確かにこの街には彼らのライブを待っている人も居るかも知れないなと感じた。けれども彼らと違い俺は待ってた訳じゃない事を、ここで改めて強調させてもらうね。
それからと言うもの、相変わらずミコシンは忙しそうだった。毎夜仕事が終わると、誰とも話さず一目散に帰っていく。あまり相手してくれなさ過ぎて、俺は暇を持て余してしまう。このままじゃ俺の方がモンスト上手くなるんじゃないかと思った程に。その代わりになるミコシンと話が出来ない間、ホールのバイトの子と話す事が増えた。
思えば俺達は厨房に籠ってずっと駄弁ってばかりだった。その子らからすると、ミコシンはちょっと怖い存在で、近寄りがたいらしい。
当たり前だよね。
でも最悪なことついでに、俺も同様に怖い奴って思われてたらしい。
ウッソでしょ?
ミコシンはどんな状態でも、ホールへは出ないもんな。俺もこの店はそれで良いのかと思ってた。それを謝るとその子達はミコシンみたいに、俺が怖くなくてよかったと嬉しそうに会話が弾む。
あれ?俺は今まで凄く損をしている様な気がするんだが。
ライブ当日、始まる1時間前に俺は現場についていた。地元で中古レコード屋で働いていた時の事を思い出し、感慨深い気持ちを胸に余った時間を珈琲を飲んだりしてやり過ごした。始まる10分前に会場に向かうと、そんな俺を見つけたらしくミコシンは笑いながら駆けてきて、
「おおぅ来てくれたんやな。滅茶苦茶嬉しいわ」
と言って見て取れるように嬉しそう。ミコシンはいつものスリムの黒パンツに半纏ではなく、ダブルのライダースレザージャケットを着ていて、シルエットはイケてるパンクロッカーみたいだ。でも俺から見ると顔がミコシンだから、なんか笑っちゃう。
それから相方も紹介して貰う。写真で見た相方さんはスコットランド風のタータンチェックスカートに草履、奇抜なデザインの東南アジア風ジャケットに丸坊主という奇人丸出しの出立ちだった。彼はミコシンが彼を紹介している間、フライヤーの写真同様に胸に平手を当てモナリザの様な笑みを浮かべていた。
もう俺は彼とは無理して、コミュニケーションは図ろうとはしなかった。彼の事を理解するのは当日中には無理だと判断したからだ。ミコシンは彼の事を呼男君という名前の男だと言う事を、なぜか本人が居ない時に説明してきた。俺の個人的な主観に基づく話だが、なんか彼は霊的な変な生き物を呼びそうで怖いとも思える程、奇妙ななんらかのオーラを感じた。それがゆえにその名前を冠してるのかと思える程に。
やはりミコシンのバンドメンバーは二人だけの様だ。ミコシンと呼男君の「なにわドクコタツ」はその日のライブのトップバッターだった。ミコシンは赤いエレキギター一本に、呼男君の周りは楽器が色々と配置されていた。それはデジタルな機械から、アナログな打楽器を始め、見た事もない民族楽器など、挙げ句の果てにはトランペットまである。
それらの楽器を全て目視確認しても、彼らがどのジャンルの音楽をプレイするかは、全く予想が出来ない。観客こそ少なかったものの、その二人の立ち姿は今から何かが起こるような、期待を包含させる心持ちにさせるなんらかの気配があった。
ミコシンがライブ会場のSE担当なんらかの合図を送ると会場にピートシェリーのテレフォンオペレーターが鳴り響いた。人気のバラエティ番組に起用されてることでもよく知られてるこの曲だ。ミコシンの合図により、この曲のヴォリュームが沈むようにダウンされていくと、
「どうもー、僕たち私たちは『カップラーメンの食べ終わった容器をそのまま灰皿として使うヤツ』大嫌い芸人でーす」
とミコシンはボソりと発した。
どう言うこと?マジで意味わかんない。うーん。正直いうとあの拙僧のない挙動は俺だって好きじゃない。でもそういったことはコンビニの設置されてある灰皿突きながら、駄弁るようなレベルの話だし。言われたところでこっち知らないし。そもそもそのフレーズはあの番組の好きな事とか趣味を紹介する時の常套句だし。自分で処理してくださいよのヤツだし。
豆鉄砲を喰らった鳩の様な、俺たちの白い目を掻い潜るかのように、ミコシンは持っていた赤いエレキギターをコードを一鳴らしした。ぼんやりとした会場の空気が茹であがった饂飩の麺を氷水で締めるかのように観客はシャキッとなったのか、果たしてなってないのか?
知らん。すると呼男君が、ドラムマシンで16ビートを刻み出す。そしてそのリズムをなんらかのマシーンにインプットすると、そのリズムがループして繰り返し繰り返し刻まれる事で、それは一つの音楽になった。
彼はトランペットや打楽器等で更に音を足し、またその場で録音したその音をループさせていく。更にその音は先程ループさせたリズムに乗り、グルーブに彩りが生まれた。気がついたら所謂一つの「打ち込み系」の音楽が成立していた。俺はこの時中々にカッコいい音楽が始まるかも知れない。この時はこれは事件だとすら思えたんだ。その時はね。
その期待を知ってたのか知らなかったのかどうかは知らないけど、ミコシンは呼男君のプレイを両手を腰にあてなんか偉そうに傍観していた。いやお前もなんかやれ。ミコシンは腰に当てていた両手を解き、またギターを一鳴らしした。それでも観客のレスポンスは良かった。2回しか鳴らしてないのに、こんだけウケれば上出来だろう。そんなギター弾きの世界は甘くないと思うぞ。だってたった2回コードを鳴らしただけだぜ?
だが俺の期待をよそに彼はギタースタンドにギターを置き、さらに踊りだした。それはなんとも奇妙な踊りだった。音楽のサウンドは呼男君が完全に作り上げてくれたし、正直音楽としては、ミコシン抜きでも十分成り立ってはいた。確かにでも俺は、友人の立場としてはミコシンが活躍する所が見たかったんだ。変なダンスを見たかった訳じゃない。そのわけのわかんない踊りをするぐらいだったら、せめて歌ぐらい歌ってくれればいいのに。
それが伝わったように、ミコシンは踊りながらマイクスタンドに近づいていく。お~とうとう満を辞して歌うのかと思えば、
「イエー」
と雑にシャウト。それには飽き足らず、
「カモン」とか「イエー」とか「ヒエー」
的な事を発しながら、ずっとクネクネと踊り続けるだけだった。
なんじゃこら。知り合いじゃなければ、余裕でもう家に帰ってるぞ。もしかしてこれをずっと見せるつもりか?
だがそんな俺の気持ちも裏腹に、呼男君は更にストリングス的なエフェクトをサウンドに加えた。それにより、その音楽は美しさと重厚感をさらに増した。ミコシンはそれに合わせ更に奇妙なダンスを踊る。更にヒートアップして、声にならないような叫びを入れ出した。結局その曲中ミコシンはそれ以上、ギターを弾く事もなく、唄う事もなかった。
一曲を終えたミコシンは、スタンドマイクを掴んで、息のあがった声で観客に向かい曲紹介をする。
「ありがとさん。一曲目はジェイムズブラウン物真似大会でした」
なにそれ?
曲名に「大会」って入る事ってあるの?
前衛的どころの騒ぎじゃない。これはシュール過ぎてもう意味わからん。色々と連立するツッコミどころの多さに、俺は呆気に取られていた。呼男君はともかくミコシンは酷い。こんなもん人前でやるな、やるんだったら家でやれと俺は心底感じていた。だが昔から彼等の活動を応援している方も居るらしく、その方々は暖かい声援を送っていた。間髪入れずに、次の曲に行こうとするミコシンを制しながら呼男君が、
「どうもありがとうございます。僕ら『なにわドクコタツ』言いまして、2人組で音楽演らせて貰うとります。一応我々のコンセプトがありまして、『本来自分の家でやるレベルの芸。にもかかわらずそれを敢えて人前で演るのである』という事を理念に活動させて貰うとります。なのでそんなもん家でやれと思うような方がいらっしゃった場合、実際に大声で叫んでください、家でやれと!それを励みに我々は活動してゆくのである!」
と胸に平手をあて雄弁と語った。
それに合わせて昔から観客たちは、
「家でやれー!」
という声援なのか、罵倒なのかも定かではない、エールなのか、ディスリスペクトなのかも、
判断しかねる罵倒のような声かけをしていた。
その罵声を浴びながら、呼男君は平手を胸に当てたまま天を仰ぎ、ふるふると立ち尽くしていた。
俺は自分自身と彼等とこの状況をどう形容すれば良いのか、至る術を知り得ない。もし敢えて形容するならば、多分現在今自分まで、存在を確認された事がないタイプの変態なんだろう。
長い人類史において。
その後も二人は本当に家でやれというレベルの音楽を数曲披露した。ライブ会場にも観客の、
「家でやれ」
という愛のある暖かい罵倒が響き渡った。怒り、呆れ、愛おしさ、等色々な感情が混濁して、気付けば俺も本気で叫んでいた。人生で最も無駄と感じられるような時間を過ごし、俺らは本当に奇妙な一体感に包まれていった。この馬鹿げたショーと俺たちは最後は全員笑顔になっていた。多分通常の音楽では感じ得る事の無いとても空虚でかつ、幸福な一体感だったと言えるだろう。
知らないけど。
打ち上げの居酒屋ではミコシンは大分酔っ払ってる様子だった。他の出演者の方々と揉みくちゃになりながら騒いでる。俺を見つけては奇声をあげながら駆けて来て抱きつく、この30半ばのオッサンが俺は愛おしくも思えた。ライブにはミコシンの彼女が来ていたが、女優かよオイっていうぐらいの美人だったんで俺はぶったまげた。
俺は羨ましさと悔しさで、感情が不安定になってしまい、そのまま店を後にしてそれからラーメン銀龍に行き激辛のキムチを投入して、それを悶絶しながら喰った。喉が焼けるぐらいの辛さに耐えながら、あんな綺麗な彼女が居るんだったら、ミコシンは普通に社員になって家庭を作った方が良いのに。そんなこと思いながら、汗だくになって激辛ラーメンを完食した。
数日後、丁度電話の来た鳴丘玉美に、ミコシンのライブの内容を教えてあげると、
「家でやれ」
のフレーズがツボにハマったらしく、声が聞こえないぐらいの爆笑していた。こっちは軽い結果報告のつもりで伝えたのだが。彼女にとって余程面白かったのか、ツボに入り過ぎてて此方が伝えたい内容が全く進まない。それが面倒臭くなって、俺は一旦電話を切る。
1時間ほど寝かせてからもう一度電話すると、彼女は一方的に切るのは酷いと少し怒っていた。無礼をしっかり詫び状況確認の為、
「家でやれ」
と言うと、笑いという奈落の崖に落ちる事のないよう、片手で必死に踏ん張ってるような様子で応対している。もう一度切ろうと思ったが、流石に可哀想なので本題のミコシンの彼女を知ってるかと聞くと、
「知っとるで。前はよく店にも来よったしな。メッチャ美人やろ?」
そういう良い人が居るんなら、社員になって家庭を持った方がいいんじゃないかと俺の意見をいうと、
「せやけど、それはミコシンが決める事なんちゃうん?アンタが気にする事とちゃうやろ」
と冷淡にあしらわれた。さっき迄、あんなツボってやがった癖に。
その時は不思議と腑に落ちなかったが、その原因は途中で俺が電話を切った事がそうさせたのかもなと気づいたのは、その日アパートに帰ってシャワー浴びてる時の事だった。
ミコシンはライブ終わった次の日から、呼男君が来る以前の振る舞いに戻った。次は高知に行くってまた出て行ったらしい。
また二人でモンストやら飲み行く機会は増えたのは良かったが、ミコシンの彼女は凄い美人だったので、言い寄る男も多いだろうと思うんだ。もし彼女に去られたら、こんな万年バイトの出っ歯誰が惚れるだろうか。
いや!俺も人の事言えた口じゃないのは知ってる。余計なお世話だろ、そもそも俺自身に彼女が居ないじゃないか。こんな状態で人の幸せを与える為に影で奔走する奴がいるだろうか。要領のいい奴っていうのは自分の幸せに対してピュアに忠実で、それでいて当たり前のように幸福を手に入れているように思うぞ?
それでも何故か俺はあの不器用なロン毛の出っ歯に幸せになって貰いたいという気持ちが止められず、行動を起こしていたんだ。
たぶん俺も同じく不器用な人間なんだろう。
「まぁ自由な奴やけ、好きにさせてやりたい言う気持ちもあるんじゃが。でも確かに御子柴がここの店長やってくれるんやったら、それでこの店がぐっと纏まるかも知れへんなっていうような気も確かにせん訳でもないかなぁ」
無双布武超ハード店3大店舗「難波千日前店」を束ねる「澤ヤン」こと澤北将善店長は人徳者で有名。俺は此処で働きだしてもう2年程になるが、この人が怒ってるところを見た事がない。感情で怒らず、論と徳で導いてくれるといった感じで、人間的に大きい、一見地味に見えて実は本当に凄い人。なので彼を慕う人間も多く、ミコシンも勿論その一人だ。
「だって澤北店長には管理職への出世の話が来てるんですよね」
「せやねん。ワシの年齢的にも、この店の運営はちとハード過ぎんのんじゃ。ぶっちゃけ言うなら2年前から腰もいわしとるし、それを思うての会社からの提案やねん」
「よく休憩室でそのまま寝られてる事ありますもんね」
「ほんとは家帰りたいねんけど、終電回ってもうてたりすると、しんど過ぎてそんまま寝てまう事もあるわ」
「一寸働き過ぎじゃないですか?」
「しゃあないやんけ。お客さんが来てくれるんやけ、ありがたいことやないか。お客さんが来てくれへん心辛さに比べりゃ、ワシはこっちの方がええわ」
「でもそれでも体壊したら、仕様がないと思う…誰もフォロー出来ないし…」
「…やねんな。店で寝てもうたら、子供にも会われへんし。せやけど代わりがおらへんねん。何処の店長も此処はキツいから、ようせん言うとるらしいしわ。望月お前どうじゃ?一度此処で店長やってみんか」
「www.いや…ちょっと…僕には荷が重いっていうか、www.結局僕は実家のラーメン継がんといかんし。それ考えちゃうとちょっと無理かな〜みたいな。ねぇwww.」
「フワフワと逃げんなや望月www.」
「だからミコシンに彼女と籍入れさせて、そのまま店長継がさせるのが一番早いんですって!」
「うん。確かにせやねんけど。本人が乗り気とちゃうからさぁ」
「うん〜。でも店長的にはミコシンが継いでくれた方がいいんすよね。そしたら無理矢理にでもそっちの方に舵切るように進めた方がいいと思うんだけどなぁ」
「うーん…余計なお世話とちゃうか?確かにあいつが最初に入った頃は、全国何処でも異動OKじゃないと社員にはなれへんかった。けども最近では働き方改革とかあって会社も規制も緩なって、異動無しの店長っていう選択も出来るように最近変わったのは望月も知っとるやろ。もちろんその話は御子柴にもしとるで?」
「でも聞く耳持たない状態みたいな。多分意固地になってると思うんすよね。あの人らしいというか」
「アイツは不器用で馬鹿なんじゃ。今の自分の稼ぎじゃ食わせられへん。せやけ今の彼女ともわざと距離を置いとる」
「ライブの時来てましたよ。すっごい美人すよね」
「モデルん子やからな。元やけど」
「あの人モデルだったんすか?」
「ww. 君、なんで御子柴?って思っとる?」
「正直言うとムカついてるぐらいです」
「でもいいよったんはあの娘からやで。ミコシンってあだ名をつけたんもあの娘じゃ」
「へー、そなんだー」
滅茶苦茶羨ましい嫉みを胸に、俺は安っぽい相槌が打つだけで精一杯だった。ついでに足元にある何らかの鉄パイプを足先でこずくという地味な上に痛いしムカつく例のドジ挙動をしてしまった。
「でもミコシンもホールの仕事ってしないっすよね?」
「厨房から出ようともせえへんやろ。でもな昔はホールもやってた」
「マジですか?ミコシンが接客してるの想像しただけでちょっと面白いす」
「ペコペコ頭下げんのダサいわ言い出して、厨房に籠りだしてん。まぁそこで他に文句言わさんぐらいスキル上げたんは、流石といったところでもあるんじゃが。俺がこういった話し出すと、今んままでええですわ言うて聞かへんしな」
「意固地になってるだけでしょ?」
「おそらくはそうかもしれへんな」
「あの人結構面倒くさいトコありますもんね」
「一応お前よりも年上でかつ大先輩や。望月」
「すんません」
「店長。ミコシンのその一件、俺に任せて貰えないですか?」
「うん〜ええで。お前が1番仲ええもんな、今んとこ。なんか策でもあるんけ?」
「一個も無いっす」
「ないんかい、ある感じの言い方やったやんけ」
それから俺はどういうやり方で、あの強情っ張り出っ歯をなんとか幸せにする術を、無い知恵を絞って考えた。
仕事終わりに一杯やろうと誘って、深夜までやってる彼奴ん家の近くのチェーン系の居酒屋に。ホッケの塩焼きと鶏の軟骨唐揚とビールを二つ頼んで、色々話した。ミコシンが呼男君に電話してみようというので、電話をしてみる。すると鍛錬と精神集中の為、桂浜で座禅を組んでいるらしい。
今。真夜中だぜ?
相変わらず天然なのか、ボケてるのかの境目がよくわからない人だ。ハイボールに移行するミコシンに対し、酔い過ぎると良くないなと俺は慌てて本題に移行する。
「ミコシンあのさ、これからどうしていこうみたいな気持ちとかってあるのかなぁ〜みたいな事、此間のライブの時に思ったんだけど」
「なんでよ?ワシは今からもこんままじゃ」
という返しに俺は気にし過ぎなのかも知れないけど、若干俺達の間を流れる空気がピリついたように感じた。
「いやあのね。こないだライブん時、彼女さんきてたじゃん。すっごい綺麗だねぇあの人って思って」
「なんや麗のことかいな。彼奴がどうしたんか?」
「ミコシンもそろそろいい年だし、嫁に貰っとかないとあんだけ美人だったら、何処ぞのすけこましに持ってかれるかもしんないよ」
「そんなもんお前に関係あらへんやないか。確かに麗はええ女や。モテる事ぐらい知っとる。せやけどアレはワシに惚れとんねん。ワシもバンドとか色々あるし、色々忙しかったりするしの」
悪いけどあれはバンドじゃねえよ。音楽は呼男君任せで、お前奇声発しながらクネクネ踊ってただけじゃねーか?と言いたいのを堪えて堪えて言葉を選んで、店長をするように薦めると、
「澤ヤンに言え、言われたんか?」
そう言う彼の瞳孔の奥に仄かな怒りと、微かな怯えを俺は確認した。それに応じるように俺の中にミコシンを導いてやらなくてはと想いが再浮上する。
「店長は関係ないよ。俺の考え」
「あ。ほうか」
と体の向きをずらし、またスマホを弄りだした。これじゃ埒があかない、
「ミコシンはどうしたいの?」
「さっきも言うたやろ。暫くはこんままや」
「それは彼女さんも同じ意見?」
それを聞いた途端、ミコシンは俺の方に体を向け舌打ちして、
「おどれに関係あらへんやないか!」
と今度は明確に声に怒りが混じっているのが、確認出来るトーンと音量。ついでに机も叩いたんで、思いの外だいぶ大きな音がした。ミコシンも思ってたより、大きな音がしたみたいで、ほんの一瞬だけその音に微かに怯む表情を確認した。
隣の席のカップルが俺らを見て、なんらかの話をしだす、まあ当然こうなるわな。俺達に集まってしまった視線を分散させる為、会釈を含む謝罪を周囲の客にふりまく事でピリついた空気が、若干緩和された様に俺には感じとれた。俺は空気を静かに吸って、言葉を選んで、丁寧に伝える様努める。
「確かに俺には関係ないのかも知れないけど、俺はただミコシンに幸せになって貰いたいだけなんよ。澤北店長もミコシンがあの店の店長やってくれるんだったら助かるし、任せられるのもミコシンぐらいしか居ないって言ってるんだし…」
「せん。ワシやらへん言うとんじゃ」
ミコシンは静かにまた外方を向いた。
「だから目の前の俺がやれって言ってんの」
「け。年下のペーぺーが少し厨房まわし覚えたぐらいで、先輩の人生にどうこういうようになるとはの。おどれの教育の仕方、何処で間違えてもうてしまったんかいの。お前もうええわ。そんな人の事気にしとる暇あんねやったら、通り出てナンパでもせーや。彼女もおらん癖によ」
一番痛い所を突かれて、感情的になる気持ちを必死に宥めながら、俺は彼の人生が良くなるように進言を続けた。それでもこの男はゆるりふわりと其れを避け続ける、もう拉致があかん。致し方なく最後のカードを切ろう。
「でもさ。呼男君と何年やっても、音楽で飯は食える様にはならんと思うよ」
「うん。それは解っとる」
ミコシンは間髪入れずとに即答した。
「解っとったんかいオイ!」
思わず、俺は年上に全力ツッコミを入れてしまった。
とまぁそんなこんなでミコシンは難波千日前店の店長になった。本人はホールの仕事や内務は出来るって言いやがったが、このおっさんは物の見事にその全てを忘却してやがった。だから俺が教育係となり、全てを再教育する事になったんだが、メモは取らない、言った事はすぐ忘れる。教えるのには、正直相当往生した。
でもそこで気がついたのが、俺は鳴丘玉美やこのミコシンとは違うタイプの人間らしい。磁石にプラスとマイナスがある様に、人間も二つのタイプがある様に思える。彼等がプラスであるとするならば、俺はマイナスの人間なのかも。人を叱るときに相手の感情を鑑み過ぎて、上手くというか悪く言えば無慈悲に律する事が出来ない。人間っていうのは生きれば生きる程、そのやり方が難しくなるような気がするのは俺だけだろうか?
ミコシンがホールの仕事や経理関係の仕事が、だいたい一人前になったかなと思えるようになった頃、懐かしい声から電話がかかって来た。
虎聞さんは相変わらず山陽地区方面の担当をされてるらしく、あの優しい口調は相変わらずだった。もう何処でもやれるレベルになったと澤北店長から聞いてるらしい。それを踏まえた上で、俺に新店立ち上げの異動通知が来た。店名は児島店という名前だった。
俺の新しいミッションは、先ずはこれから開店する新しい店舗の基盤を作る事。それが出来るまでの間のみ、サポーターとして猛者を送りこむという内容の通知だった。
その日の夕方その猛者から、
「店長就任おめでとー。ちょっとの間やけど、アタシも応援に行くらしいでー」
という懐かしく、また嬉しいLINEがあった。
もう鹿児島を離れてそろそろ3年になるが、その間俺は一度も帰郷出来てない。地元や家族の事を考えると、こういった生活は何時迄も続けられんかも知れないなと思うと少し不安に感じた。大阪を離れる前日の勤務、ミコシンとゆっくり話したい気持ちとは反対に、店は驚く程の大盛況だった。だいぶ経った後に、御子柴店長から聞いた情報では、開店から歴代3番目の売上を叩き出した日だったらしい。その日のミコシンは俺と澤北店長が居なくなる事と、店舗を任される責任に対する不安で心が押し潰されそうだったらしい。それは後日談ではあるのだが、意外と可愛いとこあるんだよねミコシンって。彼女さんの気持ちも少し分かるわ。
店の締めが完全に終わって最後の荷造りがあるので、足早に帰ろうとする俺にミコシンはスッと手を差し出した。ミコシンの目を見ると彼の色々な感情が伺えた。あえて握手はせず、互いの拳を重ねて俺達は別れた。
〜第三節目 fin~