第一節
俺が生まれた時、親父はまだ雇われで修行中の身。そんでその頃の母ちゃんは、大手の企業でOLをしていた。事務経理から営業まで全部自分でこなしちゃうような凄腕だった。っていう話を本人から聞いた事があるっていうだけで、実際に俺が見た訳じゃあない。まぁ当たり前だけどね。
だけど実際、ウチの経理関係は母ちゃんが一人で全部やっていた。親父はそういう事を全般的に母ちゃんに任せてるっていうような言い方をする。
でもそれはあくまで親父の個人的かつ主観的な意見で、一般の言葉に置き換えるなら完全なる丸投げ状態。そういう家って結構あるでしょ?
一寸話が飛んだねごめん。そうそうそう俺が生まれた時に、親父は独立しようと思ったみたい。
「これで俺も、一国の主人だ」
みたいな感じだろうかね?そんで人雇うぐらいなら一緒にやったほうがいいよねって母ちゃんに声をかけたら、快諾してくれたって様な言い方を親父はする。けどこれもまた、彼主観の都合の良い解釈。
実際の所、当人曰く
「いやいやいや、あの人独りでやったら、絶対潰れるでしょ。もう籍も入れてたし、家族で借金抱えるのだけは絶対に厭。そう思っただけよ」
だってさ。
ウチの親父は愛想が絶望的に無さすぎるんだよ。まぁその分なのかはわかんないけど、異常な程こだわりを見せる男でもあるのも事実。
遥か昔、中華大陸からこの国に伝承したと言われる、俺達日本人が愛してやまない、このラーメンという食べ物に。
それで母ちゃんの名前から取って、「みさきラーメン」ってつけたらしいんだけど、これまた比較的よくあるべタな話。んで街中の繁華街で修行してたのに親父はあえて、借金こさえて随分郊外の山奥に店を構える事にした。だからそこが俺の実家っていうことになる。
親父は此処に土地を買って、木造の二階建てをおっ建てた。1階は「みさきラーメン」の店舗、んで2階が居住区域。っていうかざっくり言って俺たちの住まいね。
貴方の街にも昔からこういう店あるでしょ?でもこういう店って最近どんどん少なくなってると思わない?俺ん家みたいに居住する家と飲食店が一緒になってるような店。俺はこういった経営スタイルを、絶滅危惧種型の飲食店って呼んでいるんだ。
郊外の山奥に建てたのは、親父の狙いがあったんだ。天然の湧き水でスープの仕込みをしたかったらしく、そういう環境を探してるうちに、今の場所になるべくしてなったらしい。
まぁそういう他の人が拘らないところまで拘っちゃう、ちょっとイカれた男なんだよ。まだ太陽も上がんないうちから湧き水を汲みにいって、その水で昼前まで毎日豚骨を炊き続けるんだから、俺の家は朝っぱらから一日中、豚骨ラーメンの匂いが充満してた。そのせいで衣類にまでに匂いが付着するもんで、学校じゃ揶揄われる事もあったけど、その親御さんも勿論同級生も、大概のヤツはウチのファンだったんで、本気で馬鹿にされるなんて事はなかったけどね。
座右の銘、かどうかなんて知らない。ただ親父は店に「旨い。は正義」ってえらい達筆な筆書で書かれた書き物を、額縁に入れて店のど真ん中に飾っている。前に聞いた話じゃ繁華街で修行してた頃、仕事終わりにバーで飲んでたら、東京から遊びに来てた有名な書道家の先生と出くわしたんだって。そんで飲んでいく内に、何故かその人と意気投合して夜明けまで飲んだらしいんだけど、最後に親父がコンビニでB3用紙と筆ペンを買ってきて、書いて貰ったって聞いた。その時は、へぇ-そうなんだって素直に思ったけど、今思うと普通に失礼だよね。
書道家捕まえて筆ペンて。あと文脈もなんか変だし。もし気性の荒い人だったら、
「こんなふざけた事書く訳ねえだろ。馬鹿野郎」
つって怒られるでしょ。
ほんで親父は毎週定休の火曜日は、他の有名なラーメン屋に調査に行ったりしていた。旨い店を見つけると、仕込みの所から隠れて覗いて、それが店の奴にバレて怒られたり、マジで追いかけられたりした事もあったらしい。これは大人になってから初めて知ったんだけど、繁華街じゃ変な奴って事でまぁまぁ有名だったって事、聞いた時の恥ずかしさっつたらもう無かったよ。
一回ガチギレした母ちゃんが親父に、
「アンタ、ちっとはラーメンから離れなさい!」
つって怒鳴る事も何回かはあったかな。でもそれはあまり意味を為さない。怒られてる最中もラーメンの事を考えてるのは、ガキの俺の目にも瞭然だったし。
その母ちゃんも、親父のせいで自らの名前を冠するラーメン屋で働く羽目になったんだけど、それでも一生懸命働いてたと思う。OLやってた方がずっと給料も良かっただろうに、割に合わんと思う事もあったと思うわ。俺もこの歳だから最近わかるんだけどね。
彼女の仕事は、食べ物の提供とオーダー伺い、食後の丼ぶりとかの引き下げと皿洗い、そのあとテーブル拭きとお客さんが帰る時の会計だった。でも人そのものが好きなのか、お客さんの名前を一度で覚えて、
「〇〇さん。今日もありがとう」
って声かけていた。お客さんもそれに呼応するように、
「大将、美咲ちゃん、また来るね」
返していた。
それは懐かしくも、美しい俺の思い出。母ちゃんはそんな中でも懸命に、家族に向き合いながら、直向きにこんな俺でも育ててくれた。よっぽどの事がない限り、毎朝こんな俺の為に味噌汁と飯の支度をしてくれていたんだ。
俺の名前は包太郎って言うんだけど、これには由来があってみさきラーメン開店当初の構想として、サブメニューで点心、所謂小籠包も出す案があったらしくその名残らしい。俺の名前に名残だけが残るってどういうことだよとは確かに思うけどね。
でも実際営業を始めた瞬間、親父はラーメンに思考の全てを全振りしちゃう。ほらもう完全にこだわり過ぎだから。昔はちゃんと案を固めてから、名付けてくれよって思ってたけど、俺自身最近はこの名前気に入ってるんだ。「アキさん」がつけてくれた
「パオ」ってあだ名も最初嫌だったけど、結局定着化しちゃったしな。あっごめんアキさんは後から出てくる人だから此処は一旦忘れて。んで失礼ついでに、もう一つ俺の好きな少年漫画のワンフレーズを引用させて貰うけど、
この話は、俺が最高のラーメン職人になるまでの話だ。
ガキの頃、俺はこの環境が大好きだった。親父の作るラーメンがマジで世界一だと思ってたし、店も繁盛していつも店はお客さんで賑やかだった、まるで毎日パーティーでもしてるのかってくらいね。でもこの仕事は、全て仕込みから自分で行うとなるとかなりの重労働。仕込みは太陽があがる前から始まり、午前11時に開店して、そっからぶっ続けで営業して午後9時に閉店。
そこから店の締め作業に入るんで、労働から解放されるのは大体午後10時以降だった。その頃は出前とかもやってたし、みさきラーメンとして一番売上を立ててた時期だと思う。
よく親父が仕事終わって食事中にビール飲みながら寝落ちすると、もう叩いても本気で起きないから、母ちゃんと二人で布団まで運ぶ事も少なくなかった。運ぶ時に二人でいっせーの。っていうデカめの掛け声で持ち上げるのに、それに親父が全然起きないのが可笑しくて、母ちゃんと二人でよく笑ったっけ。
その頃の俺は学校から帰ってから、家の仕事を手伝っていた。当時やっていた出前も近所で顔馴染みのお客さんには、俺が持っていく事も少なくなかった。よく包ちゃん偉いねって、お駄賃を貰う事もあって、よくその金でアイスだとか肉まんだとかを買って食ったモンさ。
閉店処理の皿洗いとかもその頃はよくやっていたな。その時に翌日営業分の仕込みも少しやらせて貰ってて、うちは精肉店から直で豚骨と豚肩ロースを仕入れてたから、それを明日使用するスープ用の豚骨を分量を翌朝すぐ炊ける様に仕分ける作業。
そのついでに俺は肩ロースを使ってチャーシューの仕込みもたまにはやらせて貰ってた。肉をタコ糸でキッチリ結び、だし醤油を水で薄めたやつを炊いてから、フライパンで焼き目をつけてから、またさっきの醤油をお玉で回しがけしながら、肉の内面がトロトロになるのを目指して作るというすごい熱いし、当時ガキの俺にはなかなかハードな仕事だった。
たまにドジしてチャーシューを焦がしてしまう事もあった。そうすると親父は静かに作り直せと言う。そうした場合は当然、必ず俺の失敗作が必ず夕飯に出てくる。俺が夕飯を食う時は、まだ店は営業してたので俺一人で食いながら、失敗した理由と次にどうやったら失敗しなくなるかを考えながら、そのチャーシューを一人で食べる夜もあった。
あの頃は家の事と店の事が俺の全てだった。雑念や曇りがなく澄んだ感覚。色々あったけど、今となりゃ他の家よりも幸せだったんじゃないかと思ってる。
だけどある日ね。あれは小4の時に同級生の小城って奴が、
「望月君も大変だよね。まぁだ小学生だって言うのに、お家の手伝いさせられてさ。ラーメン屋の息子に生まれただけで、子供の自由を取られちゃたまんないと思うわ。なぁみんなもそう思わない?」
って言ったんだ。これにはビックリしたよ。俺は幸せなつもりだった筈なのに、ソレを根底から否定されるなんて思ってもいなかった。
それから俺はしばらく幸せの基準っていうものが分からなくなっちゃったんだよね。
俺はそれから家の手伝いをするのが、正解なのか間違いなのかもわかんなくなっちゃった。昔からの友達は、
「そんな事ねーって、気にすんな!お前の父さんが作るラーメンすげえ旨いじゃん」
って言ってくれた。でもその頃の俺はそういった優しい言葉でも、侮辱を含んだ慰めという感じでしか受け止められなくなっていったんだ。
「そんな事言いながら、ウチの事馬鹿にしてんだろ。俺ん家の事、ダセーって言って陰で皆笑ってんだろ」
親友だった筈の奴に突っかかっていく度、友達も少なくなっていった。ガキな上に馬鹿だったから、俺は現状が見えず混乱を重ねた。それは更に俺を孤立化させる事に見事に直結する。あの心が一粒ずつ一粒ずつ日を追うごとに、失われていく感覚は今でもあまり思い出したくないな。
それと比例する様に、両親との確執も広がっていく。次第に俺は親の事を憎む気持ちと、愛する二つの気持ちに苛まれ、なんか変な気持ちの悪いもやもやとした感情に、常に精神を不安定な状態にさせられた。
でもそんな俺との確執のいっさいを無視するかの様に、勤勉にかつ粛々と、親父はラーメンに打ちこんでいく。毎朝豚骨を長時間炊く姿を、睨む様に見ていたのを今でも覚えてる。人を憎む事で心が歪んでいってたんだと思う、辛く哀しい時期だった。
中学校にあがる頃には、俺は店の手伝いどころか、家族とのコミュニケーションすら無くなっていた。親父は毅然と、お前なんか居ても居なくても一緒だというような態度を取り続けたが、それが俺を更にイラつかせた。本当は俺は手伝えと怒って欲しかったのかも知れない。そう当時の俺としてはもし大変なのであれば、頼って貰いたかったんだ。勝手だよね。
そんな感情で家には居たくなかったから、学校から帰ったら、俺は速攻で遊びに出かけて行く様になる。しかもクラスでも普通の生徒が、避けて通る様なガラの悪い連中に積極的に話しかけ、友達になって貰うように努めるダサい時期もあった。でも俺は自分で不良になろうと思った訳じゃない。彼らであれば俺の愚痴や、俺の親に対する不満等に賛同してくれる奴が居るんじゃないかと思っただけなんだ。
そんな時に、俺の話をよく話を聞いてくれる奴に出会った。篤田稔という奴で俺とは一個違い、彼の方が年上で先輩だけどね。稔君はなんて言えばいいのかわかんないけど、兎に角凄い人。ヤンキーって訳でもないし、スケーターだし、実家は寺だし、勉強はクソみたいに出来るし、その上で滅茶苦茶面白いし、なんか常人離れした万能感のあるヤバい人だった。彼にスケートボードを教えてもらったりして、俺は家のある山から下におりた隣町で、彼が創立したチームに入れて貰い、次第によくそこに通う事になる。
稔君は実家が寺だと言う事もあって、信仰心深く彼が敬愛を込めてブッダと呼ぶ、お釈迦様の教えや考え方を話を聞く時が好きだった。なんかキラキラしてたから。何故かそれはラーメン作ってる時の親父と、同じような目をしていたからかも知れない。彼もこれまただいぶ変わった人で、無地のスケートボードにサンスクリット文字を用いて、心経をペイントした事があった。其れはマジックで書き殴るとかじゃなくて、ちゃんとした塗料をホームセンターで買ってきて、下地から全て自分でデザインを構築してペイントしていた。そのボードはすげえカッコ良く、売り物としても成立するんじゃ無かろうかと言える程のクオリティだった。
まぁ経典書いてるスケボーに乗りたい奴が居るならの話だけどね。
稔君はベイビーフェイスというか、甘いルックスをしている。そのせいで隠れた女の子のファンが多かったんだけど、ちょっと人がしない事を平然とやってのけるようなマッドネスな振る舞いに、少し一線を置いてる子達が多いというか、それが殆どだったと思う。
でも此間この事話したら、神聖な経典をボードに描いて、コンクリートの上を滑らせるなんて言語道断。若気の至りで完全なる間違いだから、決して他言しないでくれって言われたのか、果たして言われてないのか、よくわかんない感じだ。
「なぁ包太郎、今度の期末テストどうする?対策しておくなら俺が教えるぞ」
テスト前になる度、彼は俺に勉強を教えてくれようしてくれていた。
「稔君。俺に勉強は無理、根が馬鹿だからさ。頑張ったところで意味はないよ。諦めるしかないんだよ」
でも俺はいつも断ろうとする。
「包太郎其れは違う。俺はこの人間に生まれつき、頭の良し悪しってのは俺は無いと思うんだ。大事なのは包太郎のマインド次第なんだよ。包太郎が人生を生きていく上で、知る事と学ぶ事が愉しむ事に出来たら、包太郎の人生が最上に豊かなものになる。だからそれを楽しめば良いだけなんだよ」
「勉強が楽しくなる訳無いじゃん。マインドとかの以前に、基本的に先生共は高圧的だし、嫌味でムカつく奴だらけだ」
「全員がそうって訳でもないだろ。受け手側のお前の精神状態にも左右されるだろうし」
「嫌いなんだよね。アイツらみたいに上からもの言ってくる奴ら」
「包太郎がそう思ってるだけで、いい先生は間違い無く居るって。俺の担任の先生とか楽しくて、俺は好きだけどな」
「稔君は秀才だから、可愛がられてるだけだって。
俺みたいな落第生はゴキブリ見るような目で、見てやがるんだ。差別しやがってアイツら」
「包太郎の方こそ差別してるんじゃないか?先生の事」
「俺は差別なんかしないよ。アイツらと違って心があるからね」
「もうそれが差別じゃん。あと聞いた話じゃ親父さんのあとを継いで、実家のラーメン屋を継ぐつもりだろ?」
「継ぐ訳無えじゃん。親とはずっと仲悪い」
「ガキの時は、よく手伝ってたって聞いたぞ」
「だから友達が出来ずに孤立した。結果として孤独で最悪な少年時代を過ごした」
「最悪かどうかは知らないけどさ。ツレだったら、今なら俺が居るだろ。孤独じゃあねえ筈だぞ」
「……ありがとう。それはホントに嬉しい」
「それから包太郎、もし家を継ぐから勉強しなくて良いんじゃないかと思っているのであれば、それは大きな間違いだぞ。個人経営っていうのが、一番難しいんだからな」
「継がねえっつってんじゃん、マジしつこいぞ!」
「わかったよ。今はしたく無くても、必ずいつかしたくなる日が来る。俺達サピエンスは死ぬまで間にどういう形であれ、学びという所作は続けるべきなんだ。それは包太郎の人生が豊かである為に、やるべき事でもある」
「こないだ稔君が語ってた人類の定義の続き?俺達まだ中学生で、まだガキなんだからもっと簡単な話をした方が良くない?お笑いとか、バンドとか、恋愛とか。そういった難しい話はおっさんとか学者にでもさせとけよ」
って俺が嘆くと稔君はいつも笑顔で、
「俺がしてるのは難しい話じゃなくて、趣深い話なんだよ」
「それがむずいんだって。俺には」
といつも優しく、そして厳しく、稔君に俺は諭されてしまう。
「でも包太郎は家のラーメン屋を継ぐのが、一番手っ取り早いだろ。お前の地元の友達は将来的には継ぐんじゃないかって皆言ってるぞ」
「……。未来の事はわかんねえよ」
「確かにそれは言えるけどな。たまには昔みたいに家の手伝いを…」
俺はその先を言われたくなく、かき消すかのように、
「お前なんか居なくても変わんねえって言ってんだよ。あの顔が、背中が、だからムカつくんだよ!大変だったら手伝ってくれって言やぁいいじゃん。でも言わねえんだよ。だから手伝わねえんだよ!」
と熱くなって大声で吠えてしまった。
「感情的に熱くなんなよ、包太郎。俺がしたいのは落ち着いた議論だ」
「五月蝿えんだよ、家族でもねえ癖に!」
「ちょっと待てよ包太郎!」
こういう話を振られると、恥ずかしくってもどかしくて、しどろもどろになっちまう。多分この頃は特に店の手伝いなんか一切してなくて、両親に対する気持ちが、ぐちゃぐちゃになっていたからなんだろうと思う。そういう隠してた気持ちも稔君は、頭いいから見抜いていたのかも知れないな。彼の言う、落ち着いた議論が出来る大人になれるのは、何時になったらなれるんだろうか?
遊びや娯楽に全てを費やした俺の中学時代が終わる頃、親父が出前帰りに体調を崩した。原因はギックリ腰だったんだけど、大事をとって店は2日営業を休んだ。その時に常連さんが見舞いに来てくれたんだ。俺は常連さんに愛される親父を尊敬する心とその反面、素直になれない自分のモヤモヤとした葛藤に苛まれ、随分と難儀な思いをした記憶がある。
中学生時代、ろくすっぽ真面目に勉強しなかったもんで、高校はそんなに頭が良いとはお世辞にも言えないような学校に合格した。稔君は坊さんになる為、東京にある大学を目指すってレベルの高い高校に入学した。結果俺達は疎遠になっちまった。俺が通う高校は山を降りた街中の都会にあったので、俺は毎日一時間以上バスにゆられて通学するハメに。
そこでは地元からの友達があまり居なくて、体力作りと友達が出来ればっていう思いで、バスケットボール部に入部した。中学生の時に体育の時間で、すっごい楽しかったのと、スケボーする機会が減ったから、代わりの楽しみを探してたって事を、入部した事の理由の一つに付け加えておこうかな。
バスケ部に入って思った事があるんだけど、一つのスポーツってのはやるんだったら、マジでガキの頃からやってた方がいいね。絶対小学生時代からやってる奴には勝てないよ。培ってきた基礎の量が違いすぎる。あの漫画の主人公みたいに身体能力が異常だったりとか、身長に恵まれてる奴じゃないとと正直厳しいと思うわ。
でも監督の粋な計らいで、3年生の頃には試合に出させて貰った。最初、滅茶苦茶緊張したけどスモールフォワードで17分出させて貰って、なんとか8点。だからレイアップ3本とジャンプシュートが一本、決める事が出来たんだ。あとディフェンスは、阿呆みたいに一生懸命に頑張った。相手のオフェンス一本止めても、2点の活躍だからね。あんまりしつこいもんだから、相手が完全に嫌がるのが楽しくなってくるんだよね。その時俺ってSっ気あるのかもと思ったりしたけど、そういう訳でもないみたい。兎にも角にも、バスケットボールは今でも俺が大好きなスポーツの一つだ。
試合の時は、親父と母ちゃんは店があるので当然応援には来ない。だけど常連さんにネットワークを張っていて、情報が仕入れられるようにしていたようだ。
最初「部活始めたから、帰り遅くなると思う」と言った時、「そうか」としか返してこなかったから、どうせ俺の事なんか興味ないんだろうな、このラーメン馬鹿はと思ってたんだ。でも母ちゃんは常に優しく俺の練習着やゼッケンユニフォームを洗ってくれて、そしてそれを常に綺麗に畳んで、毎朝忘れずに持っていく様に玄関に置いてくれていた。
勿論、俺は試合に出れてない事は言ってなかったし、「部活どう?」という母ちゃんの問いにも、俺は「普通」としか答えてはいなかった。でもずっと興味なさそうにしてた親父が、俺が初めて試合で点取った晩に急に呼び止めて、
「おう。わいは今日、試合で点を取ったらしいじゃねか」
と急に話しかけてきた。予想外過ぎる反応に、俺はどう返して良いのかわかんなくなって、脳が完全にバグる。その混乱した脳内からなんとか言葉を絞りだして、
「興味ねえ癖に」
と悪態ついてその場を後にして逃げる。親父はこの頃、俺に対してコミュニケーションを取ろうとしている時期があった。でも俺が拒んだんだ。
ある日、学校が午前中だけで部活の練習が急に無くなった日があって、いつもより5時間ぐらい早い夕方前に家に着くと、店が暗い。昼の4時は営業中の筈なのに、何があったんだろうと思って、家に入ると、親父も母ちゃんも横たわっている。俺はなんかあったのかと思い、慌てて起こす。
だが2人は仮眠をとっていただけだった。母ちゃんが、
「父さんがね、通しでやると体がしんどいから昼の3時からはお客さんも少ないし、7時まではちょっと休もうやって、3ヶ月前からそうしてるの」
と気怠そうに答えた。
「そうなの?親父どっか悪いの?」
と慌てて聞く俺に、
「どっこも悪い所なんか無か」
と面倒臭そうに親父は寝返りを打ちながら答えた。
無力な俺に出来ることは、
「あんま無理せんでね。こないだの事もあるし」
と小さい声をかける事ぐらいだった。
高校に入って嫌な奴に遭遇した、小城だ。以前俺の家族が不幸せに見えるとかぬかしやがったクソ野郎。何にも知らねえ癖に人の家族を馬鹿にしやがって、文句の一つでも言ってやろうって思ったんだ。
商業科だった俺と比べて、奴は頭の良い進学科だったんで、その存在に気付くまでに約半年時間がかかった。初めて遭遇したのは学食の食堂だった。俺はあいつの存在に気づき、怒りにまかせ、その背中を睨みつけていたら異様な点に気がついた。奴の一度背中にうっすらと汚れがついてたんだ。あれって思ってよく見ると、それは足跡の様にも視認できたんだ。
まさかと思うが、一応俺のバスケ部には進学科もいたんで、小城の状況を内密に探って貰う。結果は俺が望まない形に、彼を取り巻く環境に「虐め的現象」は無い訳では無いらしい。こう言う表現が適切かは判らんけど、小城が受けてる其れの規模はそこまで大きくはなく、3人ぐらいのグループから彼の容姿を揶揄されたりしているらしい。それを聞いて、俺の彼に対する怒りが方向性を見失う。
容姿を揶揄ってのは少しだけ違うと。確かにアイツ一寸だけ太ってたけどね。俺は学校での昼飯はパンとか弁当が殆どだったんだけど、それから学食にするようにして、毎日小城に話しかけるようにした。それから追撃策として、俺の知ってる友達全員に小城に話しかけるようにお願いした。今思うと、一寸ウザかったかも知れないね。
でも次第に小城は孤立しなくなり、虐めてた連中も手を引いたらしい。本当はそいつら許したくはなかったんだけど、進学科でそういう事やったら小城が可哀想だし、面倒臭い事になるのは目に見えてたからね。
学食で俺が「かき揚げご飯うどん」喰ってる時に…、って説明してなきゃ解らないよね。俺の高校の学食で在学中に当時流行ってたのが、かき揚げうどんか蕎麦を頼んで、白ごはんを単品で別に頼むのよ。そんでツユをしっかり染み込ませたかき揚げを、ご飯に乗せて、更に醤油をひと回しかけて七味をぱらり。でかき揚げを崩しながら、飯とかっ喰らう。そして其れ等が喉が詰まらない様に麺と汁を啜る。
確かこれで確か220円ぐらいだった、或いはもっと安かったかも。今思うとマジ暴力的に安いよね。俺の友達は安くて腹一杯になる上に、超旨いこれをみんな喰ってた。
あの頃はこれだけでも贅沢だったんだよなぁ。
ごめんなんの話だったっけ?かき揚げご飯じゃなくて小城の話だわ。横でかき揚げ喰ってる俺に、あいつは小さな声で話しかけてくる。
「俺の知らない色んな奴が、滅茶苦茶話しかけてくるんだけど、あれって望月の差し金?」
「え?分かんなぁい」
俺は通りとかその辺で屯するギャルみたいに返す。
「バスケ部とか吉野の方でスケボー乗ってる奴らとかばっかじゃん。お前の絡みとしか考えられないんだけど」
「え? マージ知らなぁい」
と返しながらも俺の事を知ってくれてた小城に、惚けながらも俺の心は内心グッときていた。そんな俺に小城は言葉の一つ一つを噛み締めるかの様に、あの日の言葉に注釈を付け加えた。
「望月、前にお前に言ったことあっただろ。家のラーメン屋の手伝いばっかさせられて、可哀想みたいに言った事」
俺は心臓の鼓動が、早くなるのを感じながらも無言で何も語らずにいた。
「あの頃、俺お前が羨ましかったんだよ。俺んち母さんと父さんがその頃仲良くなくて、家じゃ毎日喧嘩ばっか。もう離婚しちまったから、今じゃあんま気にもしてねぇけど」
その話は知らなかった。そんな事も知らずに此奴の事をクソ野郎と決めつけて、善悪の吟味を辞めてしまっていた。自分の愚かさをまざまざと目の当たりにさせられ、更に言葉を失ってしまう俺に対して小城の奴は続けた。
「こないだラーメン食いにいったんだよお前んち。俺さお前の父さんに両親の離婚と小学生の頃、お前に言った事を話したんだ。もしかしたら包太郎君が変わってしまったのって、僕のせいなのかも知れないんですって言ったら、そんな事どうでも良いから、ラーメン食ってけって優しく言ってくれて。俺さぁその時、お前の父ちゃん凄えカッコいいなって思ったんだよ」
知ってるよ。直向きなところ、目標を異常な所に設定して自分を追い込むところ。それを人生の全てをかけて全力で追い続ける親父がカッコいい事は俺が一番理解している。その憧れから俺は逃げてただけなんだよ、君のせいにして。
そして俺は一つだけ尋ねる。
「ラーメン旨かった?」
「滅茶苦茶旨かったよ」
という小城の瞳には謝罪と感謝の混濁した感情が、美しく反映されていた。
それは良かったじゃんと俺は席を後にする。小城の哀しみと親父の寛大さ、そしてそんな事も梅雨知らず責任転嫁して彼を責める事で、自分の在り方に対する吟味を辞めてしまった自分の愚かさ。其れ等の事を考えると、心が少しだけざわついたので、平穏を取り戻そうとトイレの個室に隠れ、静かに呼吸をして心臓のこの鼓動。
そのスピードを遅くする事に暫く専念した。
バスケは結局3年のインターハイで卒業だった。
結局のところ俺は3年間の間、スモールフォワードという点取屋みたいなポジション志望で、レギュラーの座は獲得出来なかった。
正レギュラーには小学からバスケを続けてる小湊って奴が居て、正直言うと俺の目から見ても、小湊の方が良いプレーヤーであるのは俺の目にも瞭然だった。だからジェラシー的な感情は産まれなかったよ。でも監督に望月ずっと頑張ってるから、試合出させてやってくれって、小湊が進言してくれてた事を知った時の方がずっとしんどかったわ。最後のインターハイは、結局県のベスト8にも届かなかったけど最後の試合の後、みんなで写真を撮った。それは今でもスマホやPCに写真を転送して、何時でも見れるようにしてある。
これも俺の永遠に忘れられない美しい思い出だ。
部活が終わり夏休みに入った時、稔君から連絡がある。年がひとつ上な彼はもう、東京の聖職者に進む大学に通っていた。今は夏休みで帰って来てるらしい。車の免許取ったから、海までドライブしようぜって話だった。リーバイスをゆったりと履いて、黒いヴァンズのチャッカスウェードに真っ白いTシャツのスタイルはスケーター時代から普遍でかつ、かっこいい。
丁度暇してた俺は誘いに乗り、二人で笠沙恵比寿という海が綺麗で有名な港町まで、稔君が俺を乗せて車を走らせてくれた。ずっと続く遠浅のビーチを、海パン一丁で歩きながら、俺達は話した。好きな女優、お互いにイケてると思ってるバンド、また昔みたいにスケボーやりたいよねとか、いつも通り下らない話を沢山した。そして最後に小城の話もした。その話を稔君は黙って聞いてた。俺の話を一旦全部聞いた上で、稔君は暫く考えているように、口数が少し減っていった。
俺は長年の間に両親の手伝いを辞めて、遊びという甘美な誘惑を知ってしまった。今の状態からガキの頃のように、もう一度戻れと言われると、それを跳ね除ける信念のようなモノも、その時は正直無かった。
彼が俺の高校卒業後どうするのかを気にしてるのが、俺には手に取るように感じ取れたが故、敢えて無視して、
「稔君大学に行って大人って感じになったね。坊さんになる大学って、どんな事勉強するの?」
とそっちの方へ会話が行かないように、やんわりと会話の舵を取る。稔君はその意図を察したかのように軽く舌打ちして、
「大学では宗教学と哲学と世界史を専攻してるよ。後は休みの日を使って、天文学や人文学みたいなリベラルアーツを中心に勉強してる」
「休みの日まで勉強してんの?稔君大丈夫?」
「まぁ、好きでやってる事だから。趣味みたいなもんだよ」
「勉強が趣味?稔君大丈夫?東京行って頭おかしくなった?」
「www.おかしくはなってなってねぇよ。俺は元々自分が知らない事とか、未知なるものを探求する事そのものが、本質的にかつ本能的に好きなんだよ。つい此間まで勉強してた、ウパニシャッド哲学とか超面白かったしな」
「ん、なんそれ?ユタノチャールストン?」
「ウパニシャッド哲学」
「ユタのチャールストン叔父さん?」
「www.覚える気ないだろお前」
「うし。わかった。ユタ州御在住のチャールストン伯父さんのほっこり湯豆腐専門店でしょ?」
「ふざけるなって包太郎。ユタ州みたいな、超アメリカみたいな街で湯豆腐専門店が売れるわけねーだろ。あとウパニシャッド哲学だから」
「うん確かに。そのウパニなんとか確かに凄いわ。
…名前が」
「ったく。名前かよ?」
俺達は気がつくと、昔の間柄に戻ってた。
家に送り届けてくれる頃には、もうすっかり夜になってた。みさきラーメンはピーク帯を超え営業しながら、店の締めの作業を営業と同時進行で進めていく時間帯だ。稔君は別れ際になんか一回言おうとしてやめた。そして、
「応援してるから。頑張れ」
と俺の右肩を優しくパンチして、アクセル踏んで帰って行った。俺はみさきラーメンを営業している両親を見ながら、稔君と話して高揚した心を沈めてから家路についた。
因みに後の休日に、ウパニシャッド哲学を満喫で調べてみる。でもアーリマンだとブラフマンだとか
本気で意味不明。とにかく訳わかんな過ぎて5分で辞めて、俺はユーチューブで昔のアニメに切り替えた。訳わかんねーことばっか言いやがって。ブラフマンはバンドだろうが。
稔君には永遠に内緒にしておこう。
インターハイが終わると急にする事がなくなる。俺達は商業科だったので、周りに大学受験の準備をしている奴もほぼ居なかった。ほとんどの奴が誕生日が来たら運転免許を取りに行く事と、就職活動でドタバタしてたな。周りはどんな車に乗りたいとか、ディーラーから貰ってきた車のパンフレットを、授業中だってのに、読み漁ったりしている奴が殆どだった。俺も免許は取りに行ったけど、車は親父がずっと店の軽バンの営業車に乗ってるもんで、それ以上の車に乗るのは気が引けたし、乗る事をカッコいいとも俺は思わなかった。
高校卒業した俺は、街中に安いアパートを借りて一人暮らしをしていた。仕事は自動車の板金工場が丁度人が足らないらしく、空いた穴を埋める形でバスケ部の同級生のツテで働かせてもらう事に。
働き手が足りない理由は、初日から痛感させられた。この仕事はマジでキツい。夏場はクソ暑いし、油まみれになる事もあるし、マジで社長は鬼みたいに怖え。だからなのか知らんけど、給料はまぁまぁ悪くなかった。だから決めたんだけどさ。
高卒初任給で総支給25万は結構悪くはねえだろ。休みは週一だったけど、結構頑張ったと思うんだけどな。一生懸命働いたけど丁度一年頃経った頃、社長とケチな事で言い合いになっちまって、俺は辞めちまった。
まだガキだったんだろうな。
当時、金の使い方をよく知らなかったもんで、結構貯金っていうか、ただシンプルに手を出してないだけの金が50万ぐらいあったから、それで暫くの間やりくりしながら遊んで暮らした。すると凄まじいスピードで貯蓄は消耗した。1ヶ月も経たない内に俺は慌てて就活を再開する事になった。なんも目的も持たない俺の二回目の就活は、アパートから近いという馬鹿げた条件を最優先に行なわれた。
さまざまな所を面接で落ちながら、奇跡的にレコード屋の店員に受かった。っていっても最初はバイトだったし、給料も月で13万そこそこ。それじゃ生活していける訳ないんで、其処の仕事が終わった後に、如何わしい店のキャッチとか深夜の工事現場で雑用とかして、なんとかやりくりしながらジリ貧で生活する日々が続く。そんな中、母ちゃんが常にメールでどの辺に住んでるのか?どういう仕事をしているのかとか、矢継ぎ早に質問をかけてきたが、俺はのらりくらりと受け答えを微妙に避けたり、たまには本当の事を答えたりと、なんとも言えないクズ対応を続けた。
そこで働いてた頃に、スケーターだった頃の友達とか、バスケ部の同級生が来てくれる事が稀にあった。その連中は大学に通ってたり、最初の就職先で頑張ってる奴が多く、当時の俺みたいにふわふわした感じで生きてはいなかった。そういった奴らは俺の状態を見るなり、ちゃんとしろという当然の怒りを向けたが、当時の俺にはそれが鬱陶しかったんだ。気がついたらもう俺は20歳になっていた。
正直言うと、俺はレコード屋の仕事が性に合ってたんだ。ゆったりと起き仕事場に行って珈琲を淹れて、古いロックンロールやソウルにレゲエ、初期のパンクロックから80年台のアメリカンハードコアのレコードを小遣いで集め、優雅に生きていた。
ただし金が続くまではね。
20歳になった玄担ぎだと、レコード屋の店長の誘いで、彼の友人のライブを見にいく事に。ヤニ臭いクラブから、耳をつん裂くようなヘヴィメタリックロックが轟音と共に俺の聴覚を蹂躙し、俺にとっては拷問としか思えないような時間が過ぎる。
それに耐えきれず俺は、店長に具合が悪いと嘘をつき、帰ろうとした。だが、
「まてや望月。こいでん飲んで気持ちをあげていかんか〜」
とビールを奢ってくれやがる。煩い音楽でだだ下がりになった気分を改善したく、帰宅したいと言ったつもりなんだが、理解して貰えないようだ。流石に本当の理由は言えないので、店長の機嫌を伺いながらそのビールを無理して流し込む。こりゃまるでサラリーマンだなと思いながら。
この頃の俺はまだ酒を飲むという行為に対して、あまり良くないイメージを持っていた。成人式の時に高校時代の友達グループで行ったら、誰が酒に強いのかという、人生において全く意味を為さない謎の競争に巻き込まれ、その代償として永遠に終わりの見えない夜中のカラオケボックスのトイレから出られない嘔吐地獄という、最悪なトラウマの思い出があったからだ。
その後も店長からライブに、付き合わせられる事例は数回続いた。でも実際の所、付き合いというよりかは、彼の仕事の加勢で物販でレコード売らさせられる事が狙いだった様。おまけに給料無しの上にこれが欲しかったんだろといった感じで、一回嫌いって言った筈の生ビールを毎度のように奢ってくれやがる。
終いには、俺の方が味覚えちまったよ。
物販の売上は頑張って、CDアルバムやTシャツなんかを、最低でも一万円以上は売るように言われてたけど、メタルとハードロックが全く興味が持てなかった当時の俺は、その目標すら泣かず飛ばずの結果だった。それが数回続く内に、店長はもうライブ物販事業から撤退しちゃった。だから俺はずっと悪い事したなと思ってた。今だから分かるんだけど、そういったイベントに出店するのもタダじゃないから。
そのまま俺にぐだぐだとまとわりつく月日が流れ、気がついたら俺は21歳になっていた。初夏の始まりで、町中が全面塗装されたみたいに新緑が勃興する青臭い季節。そんな時に最も望まない着信があった。俺の携帯画面はそれをかけて来た相手を篤田稔と表示している。おそらくにして東京から帰ってきて、電話をかけてきているに違いない。俺の現状を彼に見られるのは凄く良くないんだよ。これには困った。
3回程着信を無視した後で、ビクビク構えながら仕事していると、彼はあっという間に俺の仕事場を抑え、直でおしかけてきた。
「包太郎。3回も電話したぞ」
声のトーンからして、其処まで怒ってないかなぁとケチな予測を立てながら、
「ごめん、忙しくて返せんかった」
理由にならない嘘の返事を返す俺に、
「じゃ仕事終わったら、電話頂戴」
今日棚卸だから一寸遅くなるかもという、俺の嘘言い訳を薙ぎ払うかの様に、
「何時迄でも待つ」
と言う彼の静かなトーンに、俺に対しての怒りの感情が見受けられた。
「わかったよ」
と言うしかない俺の右肩に優しくパンチして、
「久しぶりな」
と昔から見覚えのある一点の曇りもないような、あの笑顔を見せる。それを見ると篤田稔というこの男は、本当に俺の事を心配してくれていたのが手に取る様に理解できた。俺みたいなダメな中途半端な奴に、ここまで入れ込んでくれるのは多分この人ぐらいなもんだろう。そして、そういう人には隠し事をしてはいけない。そう思った途端、俺は不思議と気持ちがすうと楽になったんだ。
仕事帰りに電話し、街中の喫茶店で待ち合わせた。俺が入った少し後に稔君は入ってきた。表情が憤怒であっても、安堵であったとしても、そのどちらでなかったとしても、直視する勇気を持ち合わせおらず、俺はただ俯いていた。彼よりも早く此処に来れたのが、運が良かったのかも知れないと思える程に。
「レコード屋の仕事って、結構遅いんだね」
声のトーンから、稔君のフラットな精神状態が伺える。
「始まりが遅いからね。前やってた板金の仕事は8時出社だったけど、彼処は10時からだもん。それにも増して今日は棚卸だったし、それしてからの閉店作業ってなれば、これぐらいの時間にはなっちゃうかな」
此処で俺は一つ嘘をついている。棚卸は一昨日で、俺は1時間程、時間調整してからこの店来ている。現在時刻は23時をまわっていた。そんな事も気にかけず、稔君は俺の目をじっと見ると、
「月で幾らぐらい貰ってるの?」
と割と普通の事を尋ねてきた。
「最近ちょっと上げて貰って、手取りで15から良い時で16って感じっすかね」
当然俺も聞かれた事を、ただただ答える。
「それで生活は出来てるの?」
「ヤバイす。www,ほんっと、ギリギリです」
「だろうと思うわ。独り暮らししてるって聞いたけど、家賃とかライフラインとか食費とかも含めてどうしてるの?」
「…うん。だからさっき言った通りヤバいっすよ。ガチの時は深夜の現場とか、客引きみたいな事やってなんとかかんとか生きてます」
俺は聞かれた事を、ただ淡々と答えた。
その返答に寄り沿うように、稔君は静かだった。代わりに彼の近況を語り教えてくれた。5日前に東京の大学を卒業して帰ってきたらしい。それはつまり僧侶になる資格を、取得して帰ってきたという事を意味する。その日の彼は俺の知っていた以前の稔君と比べ、随分と変わってしまったように俺には見えた。
静かな彼の中に、俺に対する優しい怒りをずっと感じていた。彼にちゃんと話さなくてはいけない事が俺にはある。
「こないだ海に行ったじゃん、笠沙だったっけ?」
と言うと稔君は嬉しそうに、
「懐かしいね、吹上の先の方な。彼処の海、凄え綺麗だったよな」
とこの話に対して、凄い良いリアクションをしてくれた。俺は此処しか無いと思い、あの夜の真相を打ち明ける。
「稔君、正直に話する」
というまぁまぁ古典的な語り口で俺は話だした。
「あの日。って言うかその前から、俺はずっとずっと俺は人生をどうするべきか考えてた。ほんとうに自分にとってやるべき事を、俺なりに一生懸命考えた。色々考えたけども、どうせ働くんだったらやっぱ親父みたいにラーメン職人の道が良いと思えたんだ。それは純粋な気持ちでね。そして稔君とと海に行ったあの夜、家の手伝いをまた始めたんだよ、俺なりにね。そしたら親父が、急に『お前何してんだ』っていきなりキレ出してさ」
気持ちが昂って、上手く話せない俺を誘導する様な優しいオーラを、稔君から一瞬だけど感じる事ができた。それに導かれる様に、俺は思いのままを、話す。
「親父が言うわけよ。小学の頃から、ずっと店の手伝いをしてきていて、それでそのまま店の跡継がさせて欲しい。これはわかる、筋も通っとる。でもお前はやれ、中学入ったらスケートボードに手ェ出したり、やれ高校入ったらバスケットボールに手ェ出したり。遊び呆け。ほいでそれが終わったら、就職はしたくねえ、進学もしたくなか。挙げ句ん果てには、俺に跡次いでやろうかときっさまえやがる。わいは俺と母さんの闘いの日々を馬鹿にしちょっとや。それともこん仕事を舐めよっとかって」
俺は語りながら、自分の言葉が熱を帯びそして、震えてるのを明確に感じていた。稔君は腕組みして俯いたまま静かに、そして真剣に俺の言葉を、噛み締めるように聞いてくれていた。
「本当に継がせて貰いたい言う気持ちがあるんやったら、他の店行って修行積んで帰って来るぐらいの事はせえや。それが最低限の譲歩じゃ。って言われちゃってさ…」
窓から外を見る稔君の横顔の頬骨の強張りから、心情がうかがえるような、全然見えないような、俺にはよくわからない感じだ。
「でもスケボーやってなけりゃ、俺との出会いもなかったもんな」
ちいさい声でいう彼にも決してポジティブな話なんかでは無い。暫く俺達には無言の時間が続いた。俺は言葉を失い俯いていた。俺たちの間を無言の重圧がおしかかり、俺は思わず、『むぎゅう』と言ってしまいそうだった。言ってはないけどね。
「おっしゃ。そしたらラーメンでも食いにいっかぁ」
あっけらかんと、蓄積された空気の重圧を撃ち祓うかの様に稔君は立ち上がって言った。
それを聞いた時、俺の心は否応なしに高鳴ってしまった。実は俺は親父に怒鳴られて以来、ラーメンそのものを避けてたんだ。というかそもそも俺は自分の家以外のラーメン店には、入った事もなかったんだ。
もう夜中だったので開いてる店も少ないから、稔君が東京でよく食べてた「無双布武ラーメン」だったらまだやってるかもねって事で、俺達は其所に足を向けた。俺的にはそんな頭のバグった暴走族みたいな名前のラーメン屋、本当に美味いのかと半信半疑だった筈だったのだが。
正直入って驚いた。まず店内が明るくてすごく清潔なこと。みさきラーメンが汚いって訳じゃないよ。でも其処はなんというかコンビニに入ったような真っ白い清潔さがあったんだ。当時はまだチェーン系のラーメン屋自体珍しかったから、そういった文化に不慣れだったな俺は、店内は明るいPOP等や掲示されているタレントの宣伝ポスターなんかに、なんか不思議とワクワクする気持ちにさせられた。
食券で購入するシステムも、俺的には画期的だった。たまに母ちゃんが金が合わんって頭を抱えて事があったんだよなぁ。俺はまるでいきなり都会に連れてこられたその文化を知らない異国人みたいに、あんまり俺がキョロキョロしながら店内を見回すもんで、稔君に笑いを堪えながら恥ずかしいから辞めてくれと言われる事で、正気に戻り俺は席に着く。
勿論ラーメンも驚異的だった。こってりとあっさりと選べるスープでどっちも美味いけど、こってりの方が主流らしい。ラーメンが俺達のテーブルに来た時、凄い驚いたのはスープがなんかドロドロしていた事。レンゲで掬ってそれを飲むと、兎に角凄え旨い!
何で出汁を取ってるのかもわからないような、ドロドロの激旨スープに、小麦の風味が強い太麺がなんとも言えないぐらいにマッチしている。気がついたら俺はスープまで完全に完食していた。満足と驚きの多い一皿だった。
そしてスープを飲み干したどんぶりの底には、
「ありがとう、と思います!」
と比較的大きめに記載されていた。俺は、
「普通そこは、ありがとうございますじゃないの?」
って純然たる気持ちで疑問に思った。
まぁ何はともあれ、俺は一夜にしてこのラーメンのファンになった。なんというか親近感を感じたんだ。ラーメンの器がみさきラーメンと似ていたから。器にあの「顔面鱗剥がされ龍」が居たから。
【顔面鱗剥がされ龍の物語】
【龍の身体の色は基本的に緑。でもあれは皮膚の色じゃなく、鱗の色なんだ。そのせいもあって赤く描かれる西洋文化とは違い、中華の文化を色濃く影響を受けている東アジア区域では、ボディの部分を緑色に描かれる傾向が高い。
でも魚と一緒で鱗は当然剥がれるし、塩素漂白を施す事で表面上の汚れに加え生臭さも取れる。その工程の後に、紙やすりやコンパウンドで研磨作業を重ねる事で、強度性に優れた淡いグリーンのダイアモンドの様な輝きを持つ、ギターピックの様な形状の美しい物質になる。貴金属買取店に持っていったら、1枚で大体7千円ぐらいで買い取ってくれるっていうこれは俺が作った仮想現実の話ね。
そこの世界に昔勇者って言う奴が、龍を見つけて鱗剥いでソレを売っては、その鱗の剥いだ後の龍を要らねーつって、路地裏にポイ捨てして悪どい稼ぎを重ねていた。そいつが後輩連れて、
「オイ、飲み行くぞ。今日は俺の奢りだ」
って息巻く土曜の夜に惨事は起こる。
繁華街の端に、稼ぎの低い労働者階級の龍が仕事終わりに、
「寒ぅ、今日もしんどかった。疲れたわ…」
って感じで家路に着く途中に、その勇者に見つかっちゃったから困ったもんだ。そいつは無慈悲にも、その龍の顔の部分だけ鱗を添いで、非加工のまま貴金属屋に持って行って、割安で換金化してその金握りしめて大笑いしながら、後輩を連れて繁華街へ消えていく。
その龍は顔の鱗剥がされた箇所が、ピンク色に腫れあがってしまって
「痛いよう。痛いよう」
と泣きながら、薬局行ってニベア買って顔に塗って痛みを耐え凌いだが、二度と鱗が生えてくる事はなかった。その後なんかいい感じに、ラーメンの器に張り付いたって言う、俺が幼少期に作った凄く可哀想な龍の創作話】
因みにこの話、人前でしたら変な目で見られる様にあるから絶対すんなって、母ちゃんから怒られたような怒られてないような、よくわからない感じだ。
だいぶ話飛び過ぎたようだ、俺の悪い癖。当時は、まだ今ほどネットがそれ程近い存在じゃなくて、そういう時は漫画喫茶に行ってネット検索していた。その時もいつもと変わらず漫画喫茶で「無双布武ラーメン」で検索する。
俺が知らなかっただけで、全国に進出しているマジで凄い企業だった。あの謎のドロドロスープのベースを検索すると、鶏ガラをベースに野菜を煮込んで作るらしい。どうやって作ってるんだろう。あのドロドロした成分は何なんだろう?どうやったら全国に出店して、全ての店で同じ味が提供できるんだろう。俺の脳内は無双布武ラーメンで一色になってしまう。
「そんなに気になるんだったら、行ってみればいいじゃん。修行」
稔君はそんな俺の気持ちも顧みず、サラッと半笑いで言う。ホームページには採用募集のページがあり、中途の採用もしていた。面接試験は本社がある兵庫県西宮市というところにあるらしいが、マジでビビるぐらい遠い。
それでも俺の心に産まれた「いっちょやってみっか」という恐怖心と高揚感のハイブリッド型心情を胸に、その日のうちにレコード屋の店長に事情を話し、その日の限りで辞めさして貰う。彼とはライブのイベントを任されたり、結構信頼して仕事させて貰える優しい方だったので、俺も随分と辛かった。
翌日アパートを引き払い、所有物の売れるものを全て換金化して貯金と合わせ、俺の所有金は10万ポッチだった。それじゃ足らんだろつって、稔君が無金利で10万を更に貸してくれた。
「稔君ありがとう。これから坊さんになる大事な時期だってのに、こんな貴重な金」
「大した事ねぇよ。俺大学時代ずっとバイトして貯金があるから。それにちょいとやる事あるから、すぐには家は継がない。もう少し親父も現役でいるつもりだし、二、三年は好きな事やらせて貰うっての約束もあるしね」
「え、何するの?」
「言ってなかったっけ?ニューヨーク行くんだよ俺。実は切符もう買ってるんだ。英語を覚えようと思ってさ。大学時代ずっと英会話教室は通ってたんだよ。でもネイティブの言葉で慣らしたいっていうのがあってな」
「ニューヨーク?」
「うん。ガキの頃からの夢なんだよ」
「それは知ってるよ。ビースティとかラモーンズとかよく聴いてたもんね。ニューヨークかぁ、遠いねぇ。とりあえず家賃めちゃくちゃ高そうだけど破産しない?」
「いやマジで、それなんだよ!ネットで調べたけど、俺の想像を遥かに超えたわ。だからバックパッカー向けのシェアハウスにマンスリーで借りることにした。それでもバカみたいに高いんだ。だからあっちに行ったら、本気速攻で仕事探さんと俺マジで餓死する可能性あるね」
こんなこと笑いながら話す稔君は、常に俺の範疇に収まらない男だ。この時も勿論、今も現在進行形で俺のずっと先の方にいる感じなんだよね。
最後に稔君は噛み締めるように、希望を託す。
「だからこそ包太郎が飛び立つ姿が見えたのは、俺には嬉しいんだよ」
彼が居なければ俺はもっと長い間、燻ってたんだろう。多分今の生活は無かったかも知れない。
「親父さんには、俺から包太郎が飛立った事は言っとくから」
「え?」
それを聞いた時、俺は本当に「え?」ってなった。もう聞いたよね、ごめん。
でも本当の所、俺はこの時すっげえ動揺しまくってて、脳がまともに稼働してなかったんだと思う。ウチの親父と稔君が繋がってるっていう現象への流れの推測が全く出来ない。
「www.だよね説明せんとわからんよね。あの人が説明する訳ないし。あの後お前の家つまり「みさきラーメン」に行って親父さんに会いに行ったんだわ。包太郎君がスケボーやってた時、一緒に遊んで貰ってた者です。包太郎は僕が責任持って、良い店で修業する様に彼を先導しますってさwww.」
「〜マジでか!俺ですら随分家に帰って無かったのに?」
「うん。だから気にしないで、旅と修行を楽しんでこい!」
篤田稔という男は昔から、人間のスケールが壮大というか未知数というか、それらがよくわからない感じだったんだよ。俺は彼の掌で踊ってただけかも知れない、でも稔君の掌だったら一生踊っててもいいかもね。
〜第一節目 fin〜