6 根本的考察のススメ
翌日はタイミングよく週末だった。
昨夜、夕飯の前に真咲を陽子に預けて帰宅した正樹は結局眠れないまま朝を迎えていた。
「非日常がー」なんて能天気に息巻いていたあの日が懐かしい。
あと一時間もすればもう約束の時間で、正樹は否が応でも「非日常」と対峙することになるからだ。
真咲はカネフクの家に夏休み中いられることになったらしい。詳しくは知らないが、陽子がうまくやったのだろう。今更ながら陽子の存在に感謝する正樹であった。
キッチンで少し遅い朝食を食べながらカネフクと陽子の家の方角に手を合わせ静かに拝む。
「…あんた…変な宗教やってんじゃないでしょうね…」
母親が直球で疑いをかけてきた。訝しげな目線がささる。
昨日の真咲の話を聞いてから、なんだか「帰る家があり、待つ家族がいる」という日常がとても尊いもののように思えてきた正樹である、せっかくなのでついでに母親も拝んでおこうか。
顔を上げた正樹は向き直り、生温かい瞳で母に微笑みかける。
「ああ我がグレートマザー…俺の母親でいてくれてありがとう…ヒューマン…」
手を合わせたまま再び頭を垂れ、語尾をちょっとアーメンぽく言ってみる。
「……ほんと、何なのよ…」
ますます引き気味のマイグレートマザーは、残念ながら息子をそこまで尊いものだとはどうやら思っていないらしい。
大して気の利いたリアクションもしないまま「早く食べちゃってよー」と言いながら居間に行ってしまった。
カネフクらとは昼過ぎにカネフクの家で落ち合うことになっている。
向こうの両親は共働きのうえ週末も仕事なので、この蒸し暑い最中どこか場所を探さなくていいのはラッキーだ。正樹は冷凍庫から棒アイスを一本取り、口にくわえながら家を出た。
天気は快晴、いよいよ景色は夏の様相で、鳴いているセミも心なしか気合が入っているように感じる。子供のころは何も感じなかったが、この強い日差しはアイスと共に正樹まで溶かしていくようだ。
「あっちー」
自転車の速度を上げたところで残念ながら全くの無力。
声に出したからといって涼しくなるわけもないのだが、それでも出してしまうのが人間の性というもの。いちいち口に出すな余計に暑くなる、と背中に蹴りを入れてくるカネフクもここにはいない。正樹は暑い暑いとぼやきながらひたすらカネフクの家を目指した。
「マサ遅ーい!もうみんな待ってるよ」
庭先で陽子が水を撒いていた。弧を描きながら散っていく水しぶきに虹がかかってキラキラと乱反射している。
「俺以外みんなずっとこの家にいたからだろ」
水をかけられないようにと早口で言い返しながら正樹は家の中へと逃げ込んだ。外界よりも少しだけ温度の低い玄関ホールが心地いい。
「よう、来たか」
カネフクが涼しげな顔で出てきた。
「おう、あの子は?」
正樹は靴を脱ぎながらカネフクを上目遣いに見る。
「ああ、サキなら部屋でマンガ読んでる」
「サキ」だと!?
「おいお前、いつの間に愛称呼びする仲になったんだよ。記憶では一晩しか経ってないよな。恋愛ゲリライベントでも起こったんかよ」
たった12時間で親友にあからさまな差をつけられ、いくら思慮深く高潔な正樹でもこればかりは心中穏やかではいられない。乱暴に靴をそろえると正樹はずずいと詰め寄った。バーカ、とそれをカネフクはあしらう。
「なわけないだろ。陽子が『マサとサキでちょうど良いじゃん』とか言ってそっから自然に」
「くぅ、あいつの提案か」
女帝の意向ならば文句は言えぬ。こいつがサキと呼ぶのは馴れ馴れしくてムカつくが正樹は仕方なく許してやることにした。
「あ、マサ君おはよー」
カネフクの言った通りサキはカネフクの部屋でマンガを読んでいた。昨夜と比べると異様なほどにリラックスしている。拍子抜けするほど気さくなその雰囲気は、きっと「本来の彼女」なのだろう。
「おはよう。昨日は眠れた?」
「おかげさまで!陽子と一緒に爆睡(笑)」
こうやって見ると、本当にただの女子高生だ。異世界?の住人で現在絶賛天涯孤独だとは思えない。
「あいつ歯ぎしりうるさいだろ、よく隣で眠れるよな」
「そうなの!こっちの陽子もおんなじで笑っちゃった」
サキの言う「こっちの陽子」に正樹は少しドキリとした。
しかし当の本人は全く気にしている様子がない。根本的解決には至っていないものの、昨日と比べてサキが救われた何よりの証拠だ。陽子がいてくれて本当に良かったと本日二度目、改めてそうおもう正樹なのだった。
「陽子も今上がってくるから」
程なくしてカネフクが麦茶を持ってくる。
お盆の上で汗をかいたグラスがカロカロと涼しげな音を立てた。
さあ「作戦会議」の再開、だ。
「えー、改めまして『HTH』略して『非日常的展開対策本会議』を始めまーす」
「逆!カネフク逆!」
「うるさいわねーどっちでも良いでしょ。はいはいこんなとこからいきなりカロリー使わない」
「なあにHTHって」
「サキ…マンガ置きなさいよ。あんたのための会議なのよ」
「はい、静粛に。サキさん非常にいい質問ですね。『HTH』とは即ち…」
「そこ、要らないから!」
「ちょっと待って~あと数ページで良い区切りだからぁ」
「静粛に」
「数ページなら待ってやろうぜ、何読んでんの?」
「サザエさん」
「この子昨日から読んでるのよ」
「静粛に」
「ないよね?4コマなんだからちょうど良い区切りとかないよね?」
「きらら系ならあるじゃん」
「これサザエさんだから!」
「静粛に」
「わかったわかった、置くから」
「静粛に」
「晋、あんたちょっとうるさい」
「・・・・・・」
ひとしきり下らないやり取りをし尽くしたのち、結局本格的に話し合いが始まったのは正樹が到着してから30分は軽く過ぎたころからだった。
「改めて現在の状況とサキのこれからについて話そうと思う。」
偉そうに進行役を買って出ただけあって、カネフクは昨晩かなり色々なことを考えていたようだ。
「昨日も少し話したが、サキはやはり『別の世界』から来たのだと俺は考える。根拠は二つ。一つは『サキの認知と現実世界に一定以上の齟齬があること』そしてもう一つは『正樹との類似点の多さ』。この二つから考えて一つの仮説が立てられる。『サキはパラレルワールドの田中正樹なのではないか』という仮説だ。勿論常識的にはありえない。サキの精神疾患や記憶喪失、記憶の書き換えなども可能性としてなくはない。しかし陽子や俺、俺のエロ本の所在まで知っていたという状況を鑑みると『パラレル正樹説』の方が圧倒的に説得力があるように俺は思っている」
それはうっすらと正樹も考えていたことだ。現実離れした話であるが結局他の答えが見つからない。
「この子がパラレルワールドから来たことはとりあえず納得したわよ…。で、なんでそんなことになったわけ?」
陽子が当然の疑問をカネフクに投げかける。カネフクは人差し指で陽子を制し、話を続けた。
「サキがこっちに飛ばされた時、出会った人物がいるよな。正樹にそっくりの『謎の男』だ。当然正樹ではない。しかしそこからサキの『異変』が始まっているのだから何らかの因果関係があると考えられる」
「サキが異世界に飛ばされるトリガーが『謎の男との接触』だとすると、やはり正樹とそいつは別人だ。現に正樹とサキが出会っても何も起こっていないからな」
サキが神妙な顔でうなづいた。
「謎の男の時は本当に一瞬で景色が変わったの。マサ君の時は何にも起こらなかった」
でも、とサキは続ける。
「マサ君と最初に出会ったときも、かすかだけどあの『軋むような音』してたよ」
そうだ。
サキは正樹に殴りかかってきた理由を「同じ顔だから」の他に「同じ音がしたから」だと言っていた。あの「軋む音」が世界が切り替わる音なのだとしたら、なぜサキの世界はそのままなのだろうか。
「それについても一応仮説は立てている」
「サキが異世界に、いやここは並行世界と呼ぶべきか。並行世界に来てしまったトリガーの一つは「謎の男と会ったこと」で間違いないと思う。その男がサキを並行世界に飛ばす能力を持っている可能性も含めて、そこは恐らく確定だ。そして世界の移動が行われる際には『軋む音』がするのだろう。今までとは別の歯車とかみ合い動き出すように、そこには何か『大きな力』が働いているのだと思う。」
「しかし正樹と出会った際は、音がしたにも関わらず何も変化は起こらなかった。ここで重要になってくるのがサキが『かすかだけど』と言っている部分だ」
「つまり、世界移動が成功した場合『大きく軋む音がする』、そして今回はそれに…」
「失敗した。」
サキと正樹も同時につぶやく。
カネフクはこくりとうなづいた。
「正樹ではダメだった何か理由があるのだろうと俺は考えている。しかし『軋む音』がした以上、正樹にもその『権限』はあるんじゃないだろうか」
「結論を言うと」
カネフクは少しもったいぶるような仕草で続ける。
「世界移動のトリガーが作動する条件は最低でも『もう一つ』必要なのかもしれないと俺は考えている」
さっきまであれだけうるさかった4人が誰も口を開こうとしない。
窓の向こうのセミの声だけがやけにけたたましく聞こえる。
喉がカラカラだ。
正樹はどこか祈りにも似たような心持で、カネフクの次の言葉を待っていた。




