5 非現実的日常対策のススメ
そこからカネフクの家までの行程を正樹は良く覚えていない。
この一時間で得たにわかには信じがたい様々な情報は正樹の脳みその処理能力を著しく凌駕し、そして自身もまた現在進行形で巻き込まれつつあるのだという妙な確信が一層正樹を混乱させていた。
この娘は一体なんなんだ。正樹の母親をお母さんと呼び、正樹の親友を仲間内しか知らないあだ名で呼ぶ。正樹と同姓同名で、しかも正樹と同じ顔をした人物と因縁があるらしい。ここまで来ると正樹と彼女が無関係でないのは明白である。にも関わらず、母親もカネフクも勿論正樹自身にとっても一切の心当たりはなく、主張は彼女のみが一方的にしているものなのだ。そこがどうしても解せない。
彼女が全く嘘をついていないとするとこの現状の説明がつかず、仮に正樹を騙そうとして目の前に現れたのだとするとこれまたやはり理由が解らない。答えの出ない問題はどれだけ考えても正樹の頭の中をただぼんやりとしかしひたすらにグルグルと回るだけで、そんな事をしているうちに気がついた時にはカネフクの家の前に立っていた。
「もしかしたら知ってるのかも知れないけれど、ここが俺のうち」
普段からやたら勘の良いカネフクは早くもこの非日常に順応し始めているようだ。真咲も真咲で随分と落ち着きを取り戻している。やはり見知った顔がそばに居るということはそれだけで安心材料なのだろう。正樹と二人で居た時に比べると緊張が驚くほど感じられない。
正直にいうと、正樹は少しだけ妙な疎外感を感じていた。
3人の中で自分だけが知らない人間で(厳密に言うとカネフク→真咲は初対面なのだが)孤立無援の世界に飛ばされたのはむしろ自分のほうなんじゃないか、そんな居心地の悪ささえおぼえる。
具体的に何がどうこうしたわけでもされたわけでもないのだがとりあえずこいつが一番得している気がする、と恨めしくカネフクを見た。すかしたポーカーフェイスを装っているが、奴はきっと今『女子が部屋に来る』というラブコメ的展開に猛烈に舞い上がっている。舞い上がったうえであくまでも「紳士的で頼れるクールな知的キャラ」感を全身で演出しているに違いない。こいつは昔から演技過剰なやつだ。もっと言うと人の狼狽を確認したことにより自身の冷静さを保つ、実に小狡い嫌な男でもある。頭の回転は確かに速い、気が利くし気が合う。気を遣い合う堅苦しさはどこにも必要ない世界で一番の俺の大切な親友だ。しかしながらこのようにずる賢くチンケで、まぁ嫌な男なのである。
「へえ、こっちのカネフクの部屋も同じなのね」
カネフクの部屋に通された真咲が、変に感心したように呟いた。
「”も”ってことはやっぱ入ったことあんの?」
「カネフクの部屋なんてエロ本の隠し場所まで知ってるわよ」
当人にとって心中穏やかでは到底いられそうもないことを平然と言う。
真咲の世界でのカネフクとの関係性がかなり近いのかもしれない。自然、とにかく今までの彼女の中で一番自然体だ。
「ほう奇遇だな、実は俺もだ。同じ場所なのかどうか確かめようぜ」
いきなりの連携にカネフクが面食らう。初対面のJKにエロ本の隠し場所を言い当てられる、という羞恥プレイを奴が好物かどうかは―――――知らん。
「こっちのカネフクも年上系が好みなのかしら?あ、待って。多分そこの引き出し抜いた奥にもあるはずよ」
「それは初耳!どれどれ、いやぁ引き出しの裏は盲点だったな。他は?お互いのカネフクの情報交換しようぜ」
「おいお前ら、マジでいい加減にしろよ。あのね、エロ本てのはデリケートな案件なの。センシティブな部分なの。多感なオトコノコボーイの秘密の花園なの。てかなんなのお前たち、正樹が二人になったみたいでちょっとしんどいわー」
こんなに困った顔をするカネフクは珍しい。
「そりゃあ、ね」
「、な」
どちらともなく顔を見合わせていたずらっぽく笑う。目の前の少女と肩をすくめ笑いあううちに、先ほど感じた疎外感はたやすく霧消していた。初対面でありながら異性でありながら不思議と通じ合う。10年来の親友のような、双子のような息の合う不思議な感覚。正樹はさっきからなんとなく頭に浮かんでいた「ありえない可能性」をいつしか素直に受け入れていた。
理屈では信じ難いことだが彼女は多分正樹と同一人物なのだろう。いつの間にか正樹は魂に近いような部分でそのことをポジティブに受け入れることが出来ていた。性別は違えど根幹は同じなのだ。そして、詳細を知らないはずのカネフクも本能的にそれを感じている。
少し話が横道に逸れたものの、正樹は今日この場所に来た理由を思い出した。
30分後。
「なるほどねぇ…」
神妙な顔をしてカネフクは何か考え込んでいる。仕方のないことだ。有り得ないような展開が降って湧いて、しかもそれをどうにかしなければならないのだ。当事者である以上、あら不思議で済むわけがない。カネフクの性格上、信じて受け入れてくれたに違いない。ということは次に来るのは多分建設的な意見と冷静な分析のはずだ。
正樹と真咲はカネフクが口を開くのをじっと待っていた。
「――とりあえず今の話を整理する。もし齟齬があればその都度言ってくれ」
「わかった」
二人同時にゴクリと唾を飲み込む。
「まず、君の名前は田中真咲。字は違うがそこの正樹と同姓同名、歳も同じだ。それだけじゃない。その他にも共通項はいくつかある。今解っている範囲で言うと
1.母親の顔、名前、歳、趣味等がほぼ同じ(父親に関しては未確認)
2.幼馴染、つまり俺なわけだがその名前も一致。ついでに言うと顔、部屋、不本意ながらエロ本の隠し場所まで一致している
3.向かいの庭、車が一致(住人はまったくの別人)
4.通う高校の名前、場所が一致(しかしここでは共学になっており、制服は別物)
5.定期は使える。スマホに関してはネットは出来るが通話はできない
6.帰宅途中、謎の男と会話した途端この世界?に立っていた(時間帯は変動していた)
7.謎の男は正樹と同じ顔。顔を見た瞬間、何かが軋むような音と共に状況が変化した
8.学校の最寄り駅近くの公園で偶然正樹と出会い、今に至る
ざっとまとめるとこんな感じで良いかな?」
「…そんな感じ」
真咲が神妙な顔でコクとうなずく。
「一通り全てが事実だとして、俺的には『パラレルワールドに飛ばされた』というのがやっぱり一番しっくりくる。おそらく君たち二人は限りなく同一に近い存在なんだろう。根拠には直感的なものも含めて多分間違いないと考えてる。ただ、あくまでも「似て非なる存在」だ。違う世界の違う人生、違うコミュニティで生きてきたはずだ。」
理由や解決策についてはもう少し深く考えさせてくれ。謎の男と出会ったことがトリガーとなりこの世界に飛ばされたというところは間違いないと思う。でもそれが『何故』なのか、『どうすれば』良いのかは今のところ見当がつかない、とカネフクは最後に付け加えた。
薄々そうではないかと予感していたことだったものの、やはり言いしれない不安感に正樹は言葉を失った。隣にいる真咲もおそらく同じで、なんとも言えない表情をしている。
そんなまんじりともしない空気を区切るようにカネフクが言う。
「まぁ一晩じっくり考えてみるから、この話の続きは明日にしよう。それよりも、もうすぐ夜が来る。年頃の女の子が独り、二日連続土管で野宿というわけにも行かないだろう。とりあえず今はそっちの問題をどうにかするべきだ」
そうだった。すっかり忘れていたが真咲は宿無しなのだ。だからといって確かに土管でなんて寝かせられない。
「というわけで、ちょっと待ってて」
カネフクがおもむろに立ち上がり部屋を出て行く。
数分後。
「ちょっっ!!マジ??え、彼女?てかどっちの?まぁどっちだとしても有り得ないんですけど」
重かった空気を吹き飛ばすような朗らかな声を連れてカネフクが戻ってきた。後ろにはカネフクの双子の姉、陽子がいる。相変わらずのやかましい女だ。
「こういう事は同性がいた方が何かと良いと思う。というわけで、じゃん!ここからは陽子を仲間にいれようと思います」
「晋、いきなり部屋に連れてきて仲間とかちょっと意味わかんない。マサも神妙な顔しちゃってどしたの?」
マサは正樹のことで晋というのはカネフクの本名だ。
「詳しくは今から説明する。嘘は何一つ言わないのでお前もそのつもりで真剣に聞いてほしい」
弟のいつにない神妙な面持ちに何かを感じ取ったのか、陽子を揶揄いの表情を引っ込め「わかった」とうなづいた。
カネフクは先ほどと同じような総括を陽子に聞かせ、対して陽子は戸惑いながらも一通り理解したようだった。
「ちょっと信じられないけど…でもホントなのよね?」
陽子は人差し指を曲げ、顎の上のくぼみにそっと当てる。何か考え事をする時のその癖はカネフクと同じだ。
「確かに、私の友人ってことにした方が何かと都合は良さそう。協力できそうなことは勿論任せて」
同い年のくせに姉御肌な陽子をウザい、いや若干面倒だなと思ったことも過去何十回もあったが今はこんなにも頼もしい。
「とりあえずしばらくはうちに泊まると良いよ。親にはうまく理由つけてあげるからさ。勿論コイツらに変なことされないようにちゃんと見張っててあげるから気兼ねなく普通にくつろいじゃって」
「おい」
「少しでも変な動きしたらメッタンメッタンのギッタンギッタンてなもんよ」
「おい」
「ありがとう。本当になんてお礼言っていいか…」
「いいのいいの。まぁコイツらヘタレだから心配するまでもないけどさ」
「おい」
「アタシに出来ることってこれくらいだし、でもこれくらいならいつでも協力できるし。親には家族が急用で夏休み中ずっと田舎に帰ってるとかなんとか言って話通しておくからとりあえずまずは何も気にしないで泊まってって!」
有能な新しい仲間はあっという間に目下の問題を片付けてしまった。幸いもうすぐ夏休みだ。陽子の友人としてここでしばらく生活出来るのならば一応安全な場所の確保は出来たと考えていいだろう。
ところでさ、と陽子は続ける。
「そっちの世界ではアタシってどうなってんの?てか、いる?」
確かに少し気になっていた。基本構造は限りなく似ている世界のようだかちょいちょい齟齬がある。全ての確認をして周るわけにはいかないものの、目についたもの、気が付いたことに関しては出来る限り把握しておいた方が良いように思う。向こうの世界で陽子の存在はどうなっているのだろうか。
「うん、いるよ」
少し意外だった。カネフクの時と違って真咲のリアクションがあまりに大人しいため、真咲の世界に陽子は存在しないんじゃないかと何となく考えていたのだ。
「ここの世界でカネフクと正樹くんが親友なように、私と陽子は――…親友同士だったから…」
やはり類似していた。正樹にはカネフクがいるように、真咲には陽子という幼馴染の親友がいるらしい。
真咲は最後の方ちょっと声に詰まりながら答えた。孤立無援の心細い状況下において親友と同じ顔の人間に初対面の振る舞いをされることはやはり改めてショックなことなのだろう。
再び部屋が重い雰囲気にかたむいたその時―――
「あーーーー」
沈黙を破るように後頭部に手を当てながら陽子が呻いた。
「そうだった!!!」
能天気な声が止まっていた空気を震わせる。
「私たちは親友だ!そうだそうだ、そうだった!ごめんねー。変だな、アタシ何故だかちょっと忘れちゃってるみたいだから今日からまた真咲のこと、もう一度色々教えてよね」
勢いに押され真咲は驚いたように目を丸くして陽子を見る。陽子は返すようにニカっと笑った。
「心配いらないよ、そばにアタシがいるんだから」
見開いた真咲の両目の光が一瞬小さく揺れ、次の瞬間堰を切ったようにぱたぱたぱたっと涙がこぼれる。
「ぁぁぁぁああああああああああああああああ!!!!!!!!」
誰かがここまで感情をむき出しにするのを見るのはきっと初めてだ。
内側にあるもの全てが一斉に逆流したかのような感情の爆発。
おそらくこれは悲しみではない。何も解決はしていないけれど、それでも何かが大きく前進したような感覚を正樹は感じていた。それはきっと真咲も同じなのだろう。崩れるように陽子に抱きつき、そのどうしようもないくらいの激情を全身で爆発させていた。カネフクと正樹のことなどすっかり頭から消え去っているのかもしれない。それくらいに夢中できつく陽子にしがみつき、真咲は子供のように声を上げて泣いている。
「陽子は私のことをサキって呼ぶぅ」
「そっかそっか、大丈夫だよサキぃ。大丈夫だよー」
陽子はそんな真咲を同じだけの強さで抱きしめ返し、よーしよーしと優しく背中をさすっている。初対面なはずの二人はどこをどう見ても心の通い合った親友同士だった。
『救い』というものはこんなにも安らかで尊いものなのか、と貰い泣きしそうな自分に気づき慌てて取り繕うようにカネフクを見た。カネフクはなんとも言えないような優しい表情で二人を見つめている。きっと正樹も同じような顔をしていることだろう。
いつまでもやまない真咲のすすり泣きと共に、安堵と慈愛に満ちた空間が確かにそこにはあったのだ。




