4 非現実的日常のススメ
よく小説なんかでショックを受けることを「眩暈がする」と表現するがそれは本当だった。
想像を超えてぶっ飛んだ展開ばかりを聞かされていたにも関わらず自分が当事者かも知れないという可能性を見た瞬間、心臓はいきなりドクンと大きな音を立て目の前の世界がユラリと歪むのを誇張ではなく感じたのだ。卒倒しそうだった、とも言える。
「服装や髪型は少し違うけど、絶対あなただったのよ。記憶力は良い方だし、何よりあなたの顔を見た瞬間、かすかだけどヤツが私に何かを言った時とおんなじような音がしたもの」
「音って『何かが軋むような』ってアレ?」
彼女はコクリとうなづく。
「でも記憶とか音とか具体的なそういうのじゃなく、全てひっくるめた感覚で瞬間に『この人だ!』って思ったの。だから迷うまでもなくて―。でもそれは結局人違いだったんだよね、なんかホント、ごめん」
最初の出逢いこそバイオレンスの極みだったが、本来素直で礼儀正しい娘のようだ。特に今はあまりに落胆しすぎているからか、余計にしおらしく見える。このまま「そっかぁ。んじゃ頑張ってね」なんて放流するなど論外なわけだが、そもそもどうやら正樹も無関係ではないらしい。心当たりはなく、何から何までが理解を越えた展開ではあるがそれでも目の前の女の子は存在し、窮地に孤立しているのは事実だ。
「…とりあえずさ、解らないなりに状況はわかったよ。何のヒントも解決策も思いつかないけど、それでも君の力になりたいと本心から思ってる。それに、多ければ良いってもんでもないけど仲間がいた方が心強いとも思う。一人心当たりがあるからそいつにも今の話をしたいんだ、いいだろうか」
心当たりというのは言うまでもなくカネフクのことだ。あいつはたまにアホだが基本的には賢い。何か良いアイディアを思いつくかも知れないし、それにこの現状を正樹独りが背負うのは心細くもあった。
普段平凡な日常にうんざりしたような顔をしていても、こうしていきなり目の前に非日常をポンと差し出されてはどうにも面食らってしまう。足手まといでないのならば道連れは多いほうが良い。
「俺の幼馴染でアホなんだけど、はっきり言って頼れるヤツだ。アホなりに誠実だし、アホなりに賢い。君の話を頭から否定するようなことはしないし、もっと言うと不利益になるような事は絶対しないと俺が保証する」
正樹は頼む、と言って頭を下げた。
「アホなりに賢い、って何よ。それに出逢ったばかりのあなたの保証なんてさ。何それ、美味しいの?」
少し彼女の声のトーンが上がった。いたずらっ子のような含みを帯びたその声につられるように彼女の顔を見る。クリッとした瞳と目が合った。
「ありがとう。なんかようやくホッとした。ホントにすっごくホッとした」
いまだ涙に濡れてはいるが、それでも赤みが差しつつある頬には笑みが浮かんでいた。
駅前の商店街につく頃には二人とも世間話のようなものが出来るほどの余裕は戻ってきていた。夕暮れの駅前は相変わらず沢山の学生で溢れ、しかしそれでも目の前の彼女と同じ制服はやはり一人として見当たらなかった。
「そういえば土管で寝たって言ってたけどあの公園の?」
「そう。お母さんから逃げてきちゃったから地元には居づらくてさ、ここまでならとりあえず定期あるし」
そこだけ聞くと完全に家出少女の台詞である。
「6月っていってもまだ夜は少し寒いし、それよりまぁ何もなくてホント良かったな。この街って結構大きいからどこで何があってもおかしくないぜ」
「私も夜中に来たことないからビックリしちゃった。まぁ公園の中は割と静かだったから良かったんだけどね」
静かだからこそ何かあったとき怖いんじゃないか。正樹はそう思ったが言うのはやめた。今更そう言っても脅かすだけだし、タイミングよく思い出したようにポケットのスマホが震えたからだ。カネフクだった。
『ロータリーに着いた』
ロータリーならここから5分もかからない。カネフクと落ち合った後はどうしたらいいだろうか。信じてはくれるだろうがアイツもきっと驚くだろうな。
カネフクの驚く顔を想像した正樹はようやく非現実から現実へと戻ってきたような安堵を覚えた。
自分以上に無様に動揺する人間がいれば、いくらかこちらの平常心も戻ってくるというものだ。
メールの通り、カネフクはロータリーで待っていた。
カネフクは見知らぬ女子高生を連れた正樹に驚いた様子ではあったが、予想に反してそれ以上に驚かされたのは正樹の方であった。
「ちょっ…!!!カネフクじゃないの!?」
彼女が魂を落とすほど大きな声を突然発したからだ。
「えっ?えっと何?お前ら、知り合い?ええっ?」
「えぇっ?え?カネフク?なんで?え?なんでっ?」
「え?…えっと…??誰だっけ?」
三者三様、それぞれがそれぞれなりに激しく混乱している。
「ちょっカネフク。お前この娘知ってんのか?」
「いや全く知らん」
カネフクの言葉に彼女が何かに気がついたように声量を落とした。勢いの変わった彼女と同時に正樹もハッとする。
「…あーー。……でも……やっぱり私のことは知ら…ないん……だね…?」
多分この状況は彼女が母親と出会ったときと全く同じなのである。おそらく彼女の中でカネフクは本来とてもよく見知った人物なのだろう。少なくとも彼のことを『カネフク』と呼ぶのは仲間内でも小学校からの親しい付き合いがある人間だけだからだ。それなのにカネフクは全く彼女を知らない。彼女の窮状を一通り理解したつもりではいたものの、こうしてあからさまな齟齬を目の当たりにすると改めて現状の異常さに愕然とする。
「あのなカネフク。ちょっと込み入った話なんだ。正直俺は良くわかってないし、この娘もわかってない。いきなりこんな風に言われてお前も当然意味不明だとは思うんだけど、とにかくおかしな話でさ。とりあえず今の感じだとお前も全くの部外者ではないかも知れん。話、聞いてくれるか?」
察しの良いこの男は目だけで静かにうなずく。
「ああ、それは別に良いけど…。ここではなんだな。どこか店に入るか、もしくは俺の家に行くか?お前んちだとおばさんいるだろ?俺んち夜まで両親いねーし」
ここで何も知らないカネフクが奇跡のファインプレーを見せた。そうだった。このままとりあえず二人をうちに連れて行こうと考えていたのだが確かに自宅には母親がいる。多分居間でテレビを見ている頃だろう。おそらく彼女と母親は昨日面識があるわけだからとりあえず会わせる訳にはいかない。
「そうだな、俺の家はちょっとまずい。よしカネフク、お前の家に行こう」
「まぁちょっと待て。年頃の女の子にとって初対面の男の家に行くというのは流石に抵抗があるだろう。ここは彼女の意見を一番に聞くべきだ。君、ええっと…名前は?」
存外アホで存外賢いカネフクは存外紳士でもあったようだ。そういえば正樹も彼女の名前を知らない。出会いのタイミングからの展開があまりに怒涛で衝撃的過ぎて互いの自己紹介すらしていないことに、正樹は今更ながら気がついた。
「私はカネフクの家でいいわよ。もし貴方が私の知っているカネフクと同じようなカネフクだとしたら心配するようなことは絶対何も起きないもの。それはそうと。そっか、あんなに話をしたのにまだ名前も教えていなかったのね。私は真咲。田中真咲って言うの。あなたは…カネフクよね?そしてあなたは?」
本日もう何度目か解らない衝撃が正樹の頭に勢いよくドカンと落ちてきて、今度こそ正樹はしゃがみこむ。
「マジかよ……」
崩れ落ちた正樹の頭上でカネフクから正樹のフルネームを聞いた真咲が同じように言葉を失い、小さく息を飲む音が聞こえた。




