3 非現実的問題提起のススメ
「自宅も地元も通ってる高校も人も、とにかく色々なものが少しずつおかしいの」
彼女が言うにはこうだ。
その日(正確に言うと昨日の夕方)帰宅途中の彼女は自宅近くを歩いていた。何の変哲もない見知った道を普段どおりに歩いていたそうだ。すると向こうの方から男が歩いてきた。そしていきなり目の前に立ちはだかったらしい。
怯む間もなくその男はまっすぐに彼女の目を見据え、しかし誰に言うでもなくこうつぶやいた。
「……●□×◇……だったのかっ………!!! 」
何かが大きく軋む音が聞こえた。
その途端彼女の目の前は一瞬暗くなり、再び明るくなった時そのまま同じ場所に立っていたそうだ。ただ大きく違うのは目の前の男はいつの間にか影も形も消えていて、夕方だったはずの景色がどう見ても真昼間になっていたこと。確かに帰路にいたはずなのに太陽はまだ高いところにある。スマホを見ると時間は14時。
「それからね、とりあえず家に帰ったの。何かの間違いか、もしくは疲れてるのかなと思って。そしたらさ、家がなかった。」
なんといきなり家がない、と来た。
このぶっ飛び方は他人事ながらとんでもなくショッキングな展開だ。
「生まれた時から住んでるのよ、間違うはずないじゃない。それなのになかった。随分前からそうだったような、少し古めのマンションになってた。よく見たらお向かいのおばさんは別人になってるし、でも乗ってる車やお庭なんかは全然変わってないしさ。記憶違い、勘違いというにはあまりに変だし、それでいて変わっていない部分いくつもあるの。何この感覚、すごい気持ち悪い」
彼女が嘘を言っているようには見えない。青ざめた頬も小刻みに震えた唇も涙で潤んだ瞳も、人を騙すための作り話にしてはあまりにも深刻であまりにも気の毒に見える。
「結局家には帰れないから学校に戻ったの。本来なら学校に行ってる時間だし、友達と会って話せば少しは状況が解るかもと思って。」
そこからの展開はまぁ案の定というか、今までの話を一気に聞かされた立場としては不思議と納得してしまうような結果だった。
学校も、なかったそうだ。
正確には『彼女の』学校は、なかったそうだ。
自宅から2駅離れたところにある自分の女子高は、名前は変わらないのになぜか共学になっていた。ブレザーだった制服はセーラー服になっていた。定期は使えた、駅名も電車も同じだった、なのに学校はまるっきり知らない校舎になっていた。あまりのショックに彼女は校内に入る勇気もなく、うなだれてもう一度地元に戻ったそうだ。似て非なる『そこ』を地元と呼べるのならば、だが。
ここまで聞いただけでも意味不明なりに充分にお気の毒なのだが彼女にとっての悲劇は更に続く。
「地元に戻って商店街歩いてたの、行くあてもどこにもないしもう本当に疲れちゃってさ。そしたらね、買い物中のお母さんを偶然見つけたの!いつもならもっと遅くに買い物にいくはずなのに。おかしなことばかりに振り回されてここまできたけれど、その時ばかりはこのおかしさに感謝したわ。お母さんとさえ会えれば少なくとも家に帰れるもの」
でもね、と彼女は続ける。その表情はこの後語る部分が一番ショックだったんだろうなと容易に想像させる重々しいものだった。
「お母さんね、私のことを知らないって言ったの。人違いじゃないかって。」
そこまで聞いて正樹は『ん?』と思った。どこかで、しかもつい最近聞いたような話である。だが理由や解決法も解らないのにその事実のみを口に出すのは少し躊躇われた。既にこんなにもうちのめされた表情をしているこの娘をこれ以上混乱させるのは本意ではない。
「お母さんはお母さんじゃないし、うちや学校はなくなってるし、お金だってそんなにあるわけじゃないし、行くところはないし、ネットは繋がるのにメールや電話はつながらないし、土管の中で一晩過ごすし。何これ。…もうやだよ……」
彼女はそう言うとまた下を向いて泣いてしまった。一連のトンデモ展開を正樹に話したことで現状を段階的に客観視し、その結果改めて絶望したように見えた。
「…あの、さ、」
慎重に言葉を選びながら正樹は口を開く。話を聞いた感じだと少なくとも現時点で状況を把握し味方になれそうな人間は正樹だけなのだ。そして多分彼女もそのことに気がついている。
出会い頭に比べ著しく軟化した彼女の態度が全身でSOSを出していた。消え入りそうに不安げな瞳で正樹を見上げる。
「……ん?」
「これは一番聞きたい部分なんだけど…。なんでさっきいきなり俺に殴りかかってきたの?」
答えの予想はついた。というよりここまで聞いたら可能性は一つしかないだろう。それを認めたくないような気がして、正樹はあえて彼女にそう聞く。
「………………それはっ…………………………………………………だって………話しかけてきたヤツと同じ顔してたから…………」




