2 非日常的夏休みのススメ
所は変わってここはカネフクの部屋。
カネフクの話を要約するとこうだ。
正樹の言うとおり世界をつまらなく感じるのは自分達の感覚が変わったからであって、世界は相変わらずとてつもなく広くワクワクに満ちているに違いない。子供の時に感じたあの感覚をもう一度得るためには、自分の見ている世界があの頃と同じくらい大きくデカく果てのないものだと再認識する必要がある、と。
なるほど。昔から薄々感じてはいたが、こいつはたまに割と賢いことを言う奴だ。
「一理あるな。そして世界のデカさを再認識する方法とは?」
「まあ待て焦るな。あの頃の俺達の身長は約120センチ、対して現在の俺達は175センチ。約1,5倍ということになる」
ほう。数字を持ち出して論理的に攻めてくるところにもなかなか期待が持てる。
「つまり…?」
「まぁ、つまりだ。行動範囲を1.5倍に広げれば良いんじゃないかと」
やれやれカネフクよ、既にガバガバ論理だ。
「…なあカネフク。3kmの1.5倍は何kmだ。そして俺達の高校までは一体何kmだ」
「……」
「……」
ハッとした方とハッとさせられた方の目が合った。
「今の俺達には30km先の街だってそこまでの冒険じゃねーよ!」
昔から薄々感じてはいたが、こいつは基本的に割とアホなことを言う奴なのだ。
そんなこんなで結局のところこの話の結論は「この夏はやったことのないことをめいっぱいやってみよう」というフリーダムかつフワッとした目標に落ち着いたのだった。とはいえ、ただ漠然と「やったことのないこと」と言ったのでは去年の二の舞である。
カネフクと違って自分はアホではない。計画というのはおおまかなコンセプトの先に具体的なビジョンを持ってこそ『計画』と呼べるのだ。
やりたくないことをやらないというのも言ってみれば「やったことのない、やってみたいこと」で、そう考えるとやったことのないことはそれこそ果てしなくあるはずだ。アホのカネフクの言ったことは実は半分は割と的を射ていて、まだやってもいないことを想像するだけで確かにワクワクする。悪ガキ時代に到底及ばないものの、それでも世界がなんだか輝いて見えてくるのを感じた。
「そうは言っても如何せんありすぎるな。金銭的な問題も出てくるし、物理的時間的にもそれなりに制限がある。とりあえず、お互いにアイディアをリストアップしてから現実問題とすり合わせていこうぜ。」
といってもリストアップの段階で現実や常識は考慮するなよ、そういう制限を一切気にしないところにこそ輝く世界はひろがっているんだから。カネフクは新品のノートを一冊正樹に手渡しながらそう笑った。やれやれ、ウインクがキモい。
そんなこんな、思わぬところで夏休みに向けての宿題が出来てしまった。
カネフクの家からの帰り道、自転車を押しながら正樹はふと遠くに見える鉄橋に目をやる。夕日を逆光に浮かび上がる無機質で直線的なシルエットは景色を見慣れたようでいて新鮮な、なんとも妙な気分にさせた。世界を広く感じるということはこういう『些細な再認識』の連なりなのかもしれない。裸足で走り回っていた時期を過ぎ、自転車の乗り方を覚え、電車の車窓に風景が流れる速さを知るうちにいつの間にか自分の世界は無意識に狭くなっていたのだ。そしておそらく、この狭く退屈な高校生活すら20年後の自分はまぶしく思い出すに違いない。
気が付いていないだけできっと俺たちは今、とても貴重で輝く時間を過ごしている。日常に慣れきって不満を言いながら漫然と大人になってゆくのではあまりにもつまらなく勿体ない。そして、そんなつまらない高校2年の夏をキラキラと輝かせる魔法の鍵はきっと鞄に入っている一冊のノートだ。
去年とは違う。そして多分今までのどの夏休みとも違う夏になるだろう。これからの日々をずっとそういう風に過ごしていけるのなら、それはもう『つまらない日常』ではないはずだ。
「オラすっげーワクワクしてきたぞ」
子供の頃ふざけてよく真似ていたアニメヒーローの口癖を正樹は無意識につぶやいていた。
家に帰ると母親は既にキッチンに立っていた。夕方の情報番組をおやつと共に見るのが日課の彼女にしては珍しい。15分前から『非日常』がマイブームとなっていた正樹にとってなんともタイムリーなエピソードである。
「ただいま。こんな時間に珍しいな、母ちゃん」
「おかえり。夕食はカレーよ」
残念です。献立はガッツリ日常的なものだった。
「そういえばね、今日少し変なことがあったのよ」
父親不在の早めな夕食の席で母親がこう言い出した。
今日母親は昼間町内会の集まりがあり、その足で早めに夕食の買い物に行ったのだという。
「商店街でね、いきなり腕をつかまれたの」
なんでも女子高生らしき女の子が半泣きになりながら訳の分からないことを言ってきたらしい。ちなみにうちに姉や妹はいない。
申し訳ないけど人違いじゃないかしら?大丈夫?、と母親が聞くとその子はハッと怯えたような顔をして走り去ってしまったそうだ。
「知らない制服だったけれど大丈夫だったかしら」
「人違いでもしたんじゃねえの?」
「そんな雰囲気でもなかったのよ。キャー人違いして恥ずかしい~とか言う感じじゃなくてさ、何より泣いてたのがちょっと気になるのよねぇ。追いかけて話、聞いてあげた方が良かったかしら」
「母ちゃん面倒見がいいのは良い事だが、くれぐれもオレオレ詐欺にはひっかかってくれるなよ」
「大丈夫よぉ、オレオレって息子を騙るやつでしょう?仮にあんたのことだとしたら別にそこまで気にならないもの。こーのバカ息子ー!!自分の尻は自分で拭け―!!でガチャンってなもんよ」
「…ここは安心しておくべきところなんだろうか」
「安心しておくべきところなんですよ」
薄情なのか頼もしいのか、時に母親とは往々にしてドライなものである。
結局、その妙な女の子のことはそれ以上話題に上ることもなく、雑談のテーマはオレオレ詐欺から議員のスキャンダルに移りつつその日の夕食は終わった。
そんな正樹の日常がとんでもなく大きく動くのは翌日のことである。
委員会の集まりがあるカネフクを置いて正樹は独り、駅へと歩いていた。
正樹とカネフクの通う高校は彼らの街の2駅先にある。2駅分だけ都会に近くそれなりに栄えた街だ。駅前には多様な制服が溢れ賑わっている。正樹はここで適当に時間を潰し、カネフクと落ち合う予定だった。
「なーにをすっかねぇ」
とりあえずあてもなく歩く、がとにかく暑い。梅雨が明けた途端にこれなのだから本当に嫌になる。避難場所は本屋、いや座りたいから漫画喫茶が良いか。ファストフード店も悪くはない選択肢だが独りで長時間はなんとなくだがいられない。
そうだ、カネフクとの例の宿題にでも手を出そうか。正樹は思い直し、公園へと向かった。こういうものは童心に返るほうがより豊かな発想につながるというものだ。
駅から少し歩いたところに中央公園がある。図書館も併設されているので暑さに殺されかけたらそこへ逃げ込むのも一つの手だ。なんなら最初から中に入っても良い。
気温のせいか時間帯のせいか、中央公園は思ったよりも静かだった。広場をぐるっと囲むように生えている広葉樹の根元に腰を下ろすと湿ったような緑の匂いがふわっと立ち、6月という時期は日陰に入るとまだそれなりに涼しいのだということを思い出す。
地面との距離が近い分、子供のころは今よりも夏を元気に過ごせたのかも知れないな。
幹にもたれてノートを広げる。そういえば小学生だった頃はこんな時あぐらをかいてランドセルを机代わりにした。ランドセルに比べると今の自分の鞄はあまりに薄く、到底机とは呼びがたい。仕方ないので膝を山折にし、その上に鞄を置いてみた。おお、これはこれで写生大会のようで懐かしい。確か小学校の頃は今居るような公園の風景を書いたっけな。あれ、ところでこれってめっちゃ童心に返ってる風味じゃ…
良い感じに正樹が童心に返りつつあったその瞬間、ノスタルジーとはどう考えても無縁のとんでもない衝撃が二の腕に走り正樹は押し倒された。続けて何者かが正樹に馬乗りになり、首を絞めつつそのまま頭をグラグラと揺らす。
「ようやく見つけたっ!!!!ちょっとどういう事よこれ!! 早 く 元 に も ど し な さ い よっ!!!!!」
平衡感覚と平常心を奪われながらも正樹は目の前の人物や状況をなんとか把握しようとした。なるほど、ファーストアタックは蹴りか。声は女の子だ。顔は…まぁ揺られ過ぎて見えんな。鎖骨当たりまで伸びた髪がサラサラと揺れるたびにほのかに良い香りはするものの、やれやれ振られすぎて若干気持ちが悪くなってきた。
とまぁラノベよろしく冷静なわけもなく、正樹は反射的に首もとに喰らいついた両手首を掴み引き剥がす。うわ、女の子の手首、驚くほど細い。
「ちょっと!痛いじゃないの!」
今の今まで正樹に奇襲攻撃をかましていた謎の人物はこちらが感心するほど速やかかつ露骨に全面的被害者感を出してきた。そんな事言われたら無意識に力を緩めてしまう。うーん、女の子ってほんとあざといっ。
「ごめん、なんかいきなり首絞められたからつい…」
「ついじゃないわよ!あんたのせいでこっちがどれだけ混乱してるか…昨日なんて公園の土管で寝たのよ!女子高生がよ!家出したのび太じゃないっつーの!!」
いやはやどうにもご立腹である。
「…いや…それは知らんし。とりあえず今は俺が混乱してるんだけど。てか君、誰?」
「誰っ…誰って!!!それはこっちの台詞よっ!あんた誰なのよ!?何なのよ!?あんたのせいでこっちはすごく迷惑してるの!困ってんの!元に戻して ほ し い の !!!」
後半はなんだか半泣きになっていた。恐るべきテンションに気圧されよく分からないがこの娘はとにかく困っていて、とにかく正樹に怒っているようだ。そうは言っても面識も心当たりもない以上正樹に出来ることは多分何もない。
「あーあー泣くな怒るな殴りかかるな。なんかよく解らないけど困ってんのね?そいで俺に怒ってんのね?オッケー、そこまではとりあえずわかった。でもさ、悪いんだけど俺は本当に君の事知らないんだ。名前どころか顔も知らない。勿論なんで君がそんなに怒って困っているのかも俺には1mmも心当たりが、ない」
自分に言い聞かせるついでに相手にも冷静になって欲しくて出来るだけゆっくり、出来るだけ優しく言った。
「………そんな……………」
正樹のトーンに引っ張られとりあえず彼女は冷静になってはくれたが、それと同時に正樹は理由のない罪悪感を感じずにはいられなかった。さっきまでものすごい剣幕だったのに今は全身から絶望オーラが半端なく出ている。半泣きだった表情はただただ泣き顔と形容するにふさわしくなり、赤くなる目とは対照的に上気していた両頬と唇は青ざめていく。心当たりがないとはいえ、女の子をここまで落胆させたとなるとなんだか本当に悪いことをしたような気になってくるものだ。
「さっきも言ったとおり誓って君に心当たりはないんだけど、もう少し具体的に話を聞かせてくれるかな?少なくとも今の時点では君が何をどう困って誰に何で怒ってるのか皆目見当がつかない。力になる、なんて軽々しく約束はできないけれど出来るだけ問題解決に協力してやりたいという気持ちは、ある」
夕方の公園で見知らぬ女子高生と取っ組み合いになり、その後泣かせるなんて非日常もいいところだ。「非日常」がマイブームとは言え、程度ってもんがある。
しかし、だからといって打ち捨てていくことなんて出来ない。非日常であろうがなかろうが、泣いている女の子を独り放り出すなんて漢のすることじゃあないではないか。
「……世界がね、なんだかおかしいの」
呼吸を整えるように少し間をおいて彼女がそう口を開いた。




