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理解がない大人 3

 今日は晴れる予定だったのに、空は群青色でいまいちすっきりしない。仕方がないから、昼休み私たちは空き教室に行ってセリフ合わせをしていた。


「あのね、私。転校するんだ」


 芝居に入っているときは、矢車さんの演技も自然になってきて、前よりも確実に滑舌はよくなってきている。

 教えたのは腹筋に早口言葉。ときどきふたりで発声練習もしている。矢車さんがだんだんと声が滑らかになっていくのは、こちらとしても指導し甲斐があって楽しい。

 蓮見さんは私たちが読み合わせをしている傍で、のんびりと衣装の用意をしてくれていた。量販店で買った服をそれっぽく。夏だから毎日着替えないと駄目だろうと、それぞれの服を平成初期の雰囲気に仕立て直してくれるのは、見ていても面白い。

 最後まで読み合わせが終わり、矢車さんは「ふう……」と息を吐いた。


「お疲れ様。すごくよかった」

「ありが、とう……でもすごいね、駒草さんは」


 いきなり褒められて、私はきょとんとした顔で矢車さんを見返した。矢車さんはおっとりとした雰囲気で言葉を続ける。


「演技指導が本当に完璧で……映画好きなんだね?」


 そう言われると、こちらも面食らう。映画が好きとか嫌いとかなんて、考えたこともなかった。

 ただ、私に張り付いている青田が邪魔で、さっさと成仏してもらおうと思っただけだったのに。青田は私の隣でニヤニヤ笑いながら『わかってもらえてよかったね』とのたまうものだから、私は空振りだとわかりつつも肘鉄を食らわせずにはいられなかった。『危ないよっ!』と言っているのを無視しながら、私は矢車さんに答える。


「それは考えたこともないかな」

「そうかー? お前さん演技指導のとき熱がすごいぞー?」


 蓮見さんはそう言いながら、チクチクとサマードレスに刺繍を加えていく。量販店で見る最近流行りのワンピースも、蓮見さんの手にかかるといい具合にタイムスリップしてくれる。


「まるで女優みたいだなと」

「あ、それは私も思いました。駒草さん、きびきびしていて姿勢もいいし、声の張り方も女優みたいだから」


 そうなんの気なしに言われて、私は喉を詰まらせる。

 ……女優だったことなんて、一度もない。女優になりたかった訳じゃないけれど、私はフレームの向こう側のことを未だに理解しちゃいない。

 一瞬顔を強ばらせたものの、青田は私の頬をぺちぺちと叩く。もちろん、彼の手は透けている。


『麻、麻。駄目だよ。ふたりとも困ってる』

「……うるさい」


 青田を一瞬睨んでから、顔を揉み込んで表情を整え直した。


「……そんなことないですよ」

「そうかあ? まあ別にかまわんが」

「つうかさあ」


 ふいに、空き教室の戸が無遠慮に開いた。湿気がむわりと広がるのに顔をしかめていたら、いつか校舎裏でたむろしていた金髪の男子と目が合った。

 ああ、今日は天気が悪いから、校舎の中でたむろしていたのかと納得する。


「お前偉そうだけどさ。お前が演技すればいいじゃん。そっちのじゃなくって」


 ちょいっと矢車さんを指差すと、矢車さんは顔を強ばらせて、蓮見さんの後ろに隠れてしまった。……いちいちこいつは勘に障る。こちらの空気ややる気をわざわざぶち壊しに来るんじゃない。

 私はいらっとしながら、男子のほうを睨む。


「用がないなら出てって。前もあんたが邪魔しなかったら撮影は滞りなく終わったんだから」

「へえへえ。でもしゃべない女優としゃべれる女優だったら、しゃべれる女優選ぶだろ、普通」

「あんたは黙ってて。矢車さんはいい演技するの、あんたがいなかったら」

「俺がいたらできなくって、それで女優が務まるのかよ」


 こいつは……。ますます肩を苛立たせていたら、蓮見さんは「んー……」と男子のほうをまじまじと見る。


「お前さん、さっきからこの子たちの練習聞いてたのかい?」

「聞いてたんじゃねえよ、聞こえてたんだよ。すっごいうっせえ。全然昼寝もできやしねえし」

「今日は天気が悪いから、外で寝れないんだなあ……じゃあ聞いててどう思ったんだい?」

「どう思ったって……おっさんは俺にどんな意見期待してる訳?」


 私は蓮見さんの横顔を眺める。この人はいかつい雰囲気の割には、人に対してずいぶんと情が深く、下手に手を挙げない。思慮深い人なんだ。

 蓮見さんは穏やかに笑う。


「いやなあ、俳優がひとり足りないから、もしお前さんがやってくれるんだったらいいなあと思って。どうだい? 麻ちゃんも百合ちゃんも」

「……はあ?」


 矢車さんはすっかりと固まってしまい、動かない。

 私は思わず青田を見る。青田がもし『イメージじゃない』と言ったらなんとしてでも断ったかと思うけど、こいつときたら、ぽんと手を打っただけだ。


『ああ、その発想はなかったね』


 そうこっちの気が抜けるようなことを言うので、私は小声で突っ込みを入れる。


「ねえ、こいつでいいの? なんか脚本だったらこんなイメージじゃないんだけど」

『役者に当て書きすることだってできるよ。君だったらそういうの得意じゃないの?』

「私、あんたみたいに脚本なんて書けない」

『矢車さんにフォーカスを当てるんだから、彼の金髪はきっと光を受けて逆光になる。いったいどんな絵が撮れるだろうね?』


 青田の言葉で、私は少し黙り込んだ。

 この男子は、明らかに外国人の血が入っている。金髪だって、染めたと一発でわかるようなテカテカした色ではなくって、産毛まで全部金髪なんだからそうなんだろう。

 脚本に書かれていたのは、転校のせいで簡単に離ればなれになってしまうふたり。

 見た目が違う。住んでいる場所が違う。そんなふたりが出会って別れるというのは、仲睦まじい光景を撮ったあと、余計に鮮烈に印象に残るんじゃないか。

 私は黙って脚本の男の子の部分を読み直した。

 男子はというと「おい?」と怪訝な顔をしていたものの、こちらも気にしている場合じゃない。私はスカートのポケットから付箋を取り出すと、今まで貼っていた付箋を取っ払って、更にその付箋に書き込みを入れて貼り直していった。

 だんだんとイメージが浮かび上がってくる。

 青空の似合う女の子と、夕日の似合う男の子。青空と夕日が交わるのは、日が落ちる一瞬だけ。このふたりが出会って別れるのもまた、その一瞬だけ。

 今まで撮ってきた鮮烈な青空のイメージから、徐々に夕日のシーンを増やしていけば……いける。すごくいい絵が撮れる。

 青田はそれを目を細めて笑って眺めていた。私がはじめた突然の奇行に、矢車さんも男子もびっくりしていたけど、蓮見さんだけは「すごいもんだなあ」と感心した声を上げてくれた。

 私はキッと男子を睨んだ。


「あんた、今まで部活経験は?」

「はあ……? 中学は部活全員入部だったから、生物部の幽霊部員だったけど……」

「わかった。あんた突っ立てるだけでいいから、やりなさい」

「はあ……!? おま、俺に撮影ごっこに参加しろっていう訳!?」

「あんた被写体としては文句ないから、カメラに映させなさい! うちの女優の演技をさんざん邪魔してきたんだから、これくらいはしてくれていいでしょう!?」

「なんだよ……! 俺からしてみりゃ、人がたむろしてるところで邪魔だったから……!」


 男子はたじろいだ顔をしていた。でもこいつ、わざわざこっちの質問に答えるくらいだから、口は悪いけど、性格がそこまで悪くはないのかもしれない、と私は勝手に分析する。

 矢車さんはというと、まだおろおろした感じで、蓮見さんを壁にしたままだ。私は蓮見さん越しに矢車さんに声をかける。


「大丈夫? 矢車さん。私が勝手に配役を決めちゃったけど」


 男子が苦手だと自己申告しているんだから、本当だったら彼女ひとりだけで演技を撮ってもいいんだけど。どうしてもふたりでたむろしている絵は必要だ。

 ふたりが小旅行して、別れるまでの話なんだから。

 矢車さんは「えっと……わた、しは……」とまたもどもった声を上げる。


「ほん、とうに……脚本が素敵だったから……あの、脚本のとおりになるんだ、ったら……かまいませ、ん」


 彼女がたどたどしく答えるのに、私は頷いた。

 蓮見さんは背後にいる矢車さんの頭をポンと叩くと、ぐりぐりと撫でる。


「そうだな、いい絵が撮れそうだ、こりゃ」

「い、いっつも。服。ありがとうございま……」

「気にすんな。そもそも俺のせいで、お前さんをさんざん脅えさせたようなもんだしなあ」


 そう言ってガハハハハと熊のように笑い出した蓮見さんを背景に、私は男子に「で」と告げる。


「こっちは問題ないってことになったけど、結局どうすんの。あんたは」

「俺は……」


 この男子はあっちこっちと視線をさまよわせている。もっと「やだ、面倒臭い」と言ってくるダウナーだと想定していたのに、そうでもないらしい。突っ張っているのかと思ったらそうでもないし、こいつもこの学校にいる訳ありなんだろうと頭の片隅に留めておく。


「……あそこでの撮影、全部終わったらもうしないんだよな?」

「そうだね」

「なら、さっさと終わらそう。でも、俺馬鹿だから、丸暗記なんて全然できないんだけど」

「歌の歌詞も覚えられないの? 耳コピで」


 一応聞いておくと、こいつは「あー……」とガリガリと頭を引っ掻く。別に歌の歌詞が覚えられるんだったら、単純にやる気がないだけで、覚えようと思えば覚えられるんだろう。そう納得してから、私はもう一度矢車さんのほうを見る。


「……矢車さん、セリフ合わせ、こいつとできそう?」


 矢車さんは蓮見さんの後ろから恐る恐る顔を覗かせる。男子と目が合うと、彼女は不安げに視線をさまよわせてから、私のほうに頷いた。

 ……こっちはこっちで重傷だ。でも正直、俳優のほうは手詰まりで、こいつ以上によさそうなものは捕まえられそうもない。私は「名前は?」とようやく聞いた。


「今更かよ」


 男子が「けっ」と言ったので、こいつは真面目なのか不真面目なのか、すれてるのかたるんでるのかさっぱりわからないなと、こいつのキャラ付けを決めるのを放棄することにした。

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