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見えない明日……でも 3

 図書館の予備室にテレビとディスクプレイヤーを持ち込んで、映画を流す。

 皆も脚本に目を通していたし、撮影現場にも立っていたから、画面に映っている人物の人となりも撮影裏情報も全部知っているはずだ。

 それでも。矢車さんは目尻に涙をいっぱい溜めて画面を凝視していた。最初はヘラヘラしてあっちこっちに視線を逸らしていた清水も、最後には画面をまじまじと眺めていた。顎をしゃくりながら、蓮見さんはにこにこと笑っていた。青野先生は最初から最後まで完全に観客で、「すごいわねえ……」と場面が切り替わるたびに、感嘆の声を漏らしていた。

 最後の夕日のシーンで映画が終わったとき、引き締まっていた空気が途端に緩む。


「す……ごっく、よかった……よかったよ……」

「ちょっと、矢車さん。泣かないで。そもそも主演はあなたでしょ」

「わ、私も……あの脚本がなかったら、あんな演技できなかったから……だから、あれは脚本がよくって、蓮見さんの服がよくって……」


 矢車さんと来たら、画面で透明感のある女の子をこれでもかと演じていたのが嘘かと思うほど、顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。待って、たしかにお別れの話なんだけど、そこまで泣く要素はなかったと思うんだけど。

 清水はというと、ガシガシと頭を掻いている。


「はあ……あんなんになるんだなあ……俺、ただ立ってただけだと思うんだけど」

「そうね。あんた、主演なのに演技最悪だったし。セリフ棒読みだし、いいところちっともなかった」

「はあ!? なら誘うなっての!」

「でもあんた、びっくりするくらいカメラ映えしたのよ。顔がいいっていうか、カメラ映りがいいっていうか」

「それ褒めてんのか貶めてんのかどっちだ!?」


 どっちもなんだけど。最初はこいつをスカウトするんじゃないかと後悔したけど、こんなにカメラ映えする奴を手放すのも惜しくて、どうにかセリフなしで撮る路線に変えたんじゃないか。何度セリフ削るたびに青田が悲しげな顔をしてこっちを見てくるのを無視したのか言ってやりたい。青田って誰、で終わりそうだけど。

 蓮見さんは顎をさすりながら、目を細める。


「すごいなあ……なんというか、こそばゆい」

「こそばゆいですか……?」


 そういえば、こんなの今の私じゃないと撮れないとは、梨本さんも言っていたような。それに蓮見さんだけでなく青野先生まで同意したように頷いてくる。

 蓮見さんはギチッと音を立てて椅子を座り直すと、しみじみとした口調で言ってくる。


「なんというか、成人したら恥ずかしくって落としてくるようなものを全部拾い集めたみたいで、こんなもの成人だったらまず撮れないだろうなあってそう思ったよ。手伝いしてた俺が言うのも難だけどなあ」

「そうねえ。なんというか、うちの学校の子たちにどうにか見せてあげたいなあと思ったわ」

「うちの学校のって、大袈裟じゃないですか?」

「せめてコンクールに出したほうがいいと思うけど。動画サイトだったら、いろいろ難しいかもしれないけど」


 意外な反応で、私がきょとんとしていると、青野先生は頬杖を突きながら頷く。


「うちの学校の子って全体的に諦め癖がついてるから。取りこぼされた子たちが集まってるからかもしれないし、社会が全体的に余裕がなくなっているせいで、子供でいられる期間がどんどん短くなっているから。なにもね、資格を取るなとか、勉強するなって言っている訳じゃないの。ただ、馬鹿なことができる時間、羽目を外せる時間を大切にしなさいって言っているだけで。一度社会に組み込まれてから、なにかの拍子にはみ出ちゃったとき、本当なら別に死ぬことはないの。でも、一度も取りこぼされたことがない子って、一度レールから外れたら死ぬしかないって思い詰めちゃう子が多いのよ。全然そんなことはないのに。だから、取りこぼしたものを拾い集めるっていうのは、大事だと思うわ」


 青野先生の言っていることはちんぷんかんぷんで、私にはいまいちピンと来なかった。ちらっと見てみると、矢車さんは膝に視線を落としてしまったし、清水は気まずい顔で視線をふいっと修理している本の山に向けてしまった。どうにもふたりには心当たりがあるらしい。

 蓮見さんは穏やかに笑う。


「わからないなら、まだわからんでいいよ。ただ、この映画をこのままにするのはもったいないって先生も言っているだけだから。そうでしょう?」

「ええ。本当にそう思っただけだから。そういえば、また新しく撮るの?」

「えっと」


 皆の視線が私に集中したので、私は少しだけ考えてから、頷く。


「私も、前は脚本があったから撮れたけど、今度は脚本を書くところからはじめないといけないから、時間がかかると思う。でも、撮りたい話があります」

「え……もう次回作、あるの……? つ、ぎは……私、脚本書きたいな……」


 そう言っておずおずと矢車さんが手を挙げる。本が好きイコール文が書ける、脚本が書けるわけじゃないけど、私の書きたいイメージを具現化してもらえる手伝いがしてもらえるならありがたい。

 私は「よろしく、女優も」と言うと、矢車さんは顔を真っ赤にして首を横に振ってしまった。


「つ、次は、駒草さんが女優をやったほうが……!」

「この間、知り合いに言われたの。私は撮られるほうよりも撮るほうが向いてるって」

「え、誰だよ。それ」

「知り合い」


 いくらテレビやドラマを見なくっても、名前くらい聞いたことがある俳優の名前を出したらひっくり返ってしまうだろうから、梨本さんの名前を出すのは控えておいた。

 新しい映画を撮るんだったら、次はいったいどんな場所で撮ろう。時期は。場所は。そんなことを話し合いながら、休み時間は終了したのだ。


****


 もう鈴虫の鳴き声が聞こえているのにも関わらず、未だにクーラーは現役のままだった。空調のブオンという音が、ときどき私の机の上に散らばったプリントを吹き飛ばそうとするので、重りとしてスマホを上に乗せていた。

 私はパソコンで検索をかけ、気になった項目はプリントして、それらをまとめてホッチキスで留めている。脚本を書いてくれる矢車さんに、資料として渡そうと思ったんだ。

 荒唐無稽が過ぎる話だから、せめて説得力があるように書きたいと、あれこれと資料をかき集めている最中。梨本さんに話を聞けたらそれが一番いいんだろうけれど、引退されている方にそう何度も何度もご足労かけるのも忍びなかった。

 部屋のドアが鳴った。


「なに?」

「お母さんだけど。麻、少し話があるんだけど」


 今度はいったいなにを言うつもりなんだろう。鉛を飲み込んだ気分になりながら、私はリビングへと出て行った。

 お母さんは私が子役をクビになってから、すっかりと老け込んでしまった。一時期は本当にギラついていて、私以上に他の子役の子を憎々しげに見ていたのを、私は悲しく思っていた。

 友達にはなれなかったけれど、一緒にレッスンを受けて、一緒にオーディションを受けた相手だ。それをそんな目で見て欲しくはなかった。

 今はあれだけ髪の色に気をつけて、栗色の髪をキープしていたお母さんの髪は、すっかりと白くなってしまった。アッシュグレイといえば聞こえはいいけど、それよりももっと白髪がピンピンと混ざっている。


「なに?」

「麻。あんた、大学はどうするつもり?」


 それに私はなんとも言えなくなる。

 青野先生が言っていた言葉を思い出す。子供でいられる時間が短くなっているっていう。今は大学に行ったら行ったですぐに就職活動だと言うし、普通の高校でもすぐに大学受験を視野に入れた人生設計を強要されている。

 そのほうが賢いから。一度失敗したらやり直しが利かないから。そう何度も何度も刷り込まれて、追い詰められていく。

 私は少しだけ考えてから、口を開いた。


「行きたい」

「そう……なら、そろそろ予備校に行くことを考えないと。だってこのままだったら高卒資格しか取れないでしょう?」

「予備校には行かない。でも大学受験はする」

「なんでそんなことを言うの」

「……お母さん」


 もしこれらをずっと見ていた青田は、なんと言うのかを考えた。青田の生きていた時代は、まだバブル崩壊もしていなかったし、もっといろんなものが安かった時代だと思うけど。今ほど閉塞感はなかったんじゃないかな。

 私は。


「お母さん、私はお母さんじゃないよ」

「……なに言ってるの。麻がお母さんな訳ないでしょ」

「そうだけど、そうじゃなくって。私は、お母さんじゃないから、お母さんのやりたいことを全部はできないよ」


 そうだ。それが一番言いたかったことだ。

 私を生かしてくれている。私を単位制高校に入れてくれたこと。そこは感謝している。でも私はお母さんがいいと思ったレールにそのまま乗って生きられるとは思えない。


「私、女優にはなれないと思うし向いてなかったと思う。でも、撮るほうは好きだよ。学校に入って、撮るほうをもっと勉強したいと思ってる」

「……なに言ってるの。それで食べていけると思ってるの?」

「私、ただ生かされているのは嫌だよ。それ、死んでいるのとなにが違うの。私、生きてたいよ。お母さん。私を生きてる人間にしてよ」


 私は、お母さんの人生の代替品じゃないよ。失敗してリセットしてリライトすれば、いつかお母さんの思い通りに生きられる人間になれるわけじゃないんだよ。

 そう思った言葉は、喉の奥に押し留めて吐き出すことはしなかった。

 お母さんは一瞬喉を詰まらせてこちらを睨んだあと、深く息を吐いた。


「……お母さん、麻をそんな風に育てる気はなかったのに。もう好きにしなさい」


 それが、「もう好き勝手にしていい」という意味なのか、「もう好きに生きていい」って意味なのかが、わからなかった。

 お母さんがそのまま去って行くのを見ながら、私は息を整えた。

 バイトをして、少しでもいいから貯金して、ここを出て行こう。ただ生きているだけの人間だったら、きっと春先までの私みたいに、ただ性格が悪いだけのいい加減な人間になるところだった。

 今だったら、まだ間に合うから。

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