第九話:確認
静まり返った校舎の中とは違い、体育館は、大勢の人間で溢れかえっていた。
あの『ゾンビ』達を近づけないようにする為だろう、沢山の人がいるのにも関わらず、みんながみんな、ひそひそと囁き合う様な小声で話していたのが、少々不気味ではあったけれど、どうやら、噛まれていない人間達を見て、一同は、ようやく安堵のため息を漏らした。
体育館に近づこうとすると、足音を忍ばせながら、一人の男子生徒が駆け寄って来た。右腕に生徒会の腕章をつけている。篤志は見た事が無かったけれど、どうやらこの学校の生徒会の役員らしい。
「避難されて来た方ですね?」
その男子生徒が、小さい声で言う。
「……ああ」
篤志が、全員を代表して頷いた。
「では、あちらの方で……」
その男子生徒が指差したのは、出入り口横にあるプレハブ小屋だ。どうやら急遽建てられたものらしい。何人かが、その中に入って行くのが見えた。
「『確認』を、して貰って下さい」
「……『確認』って、一体何の?」
篤志は問いかける。
生徒会の役員はその言葉に、固い表情で言う。
「『噛まれていないか』ですよ」
噛まれていないか。
その『確認』は、二つ建てられたプレハブの中で、男女に分かれて行われる。
篤志と美雅の二人は、既に右側の小屋の中へと消えて行った。
志穂もまた、例の少女と一緒に、プレハブ小屋の中へと入る。
小さいプレハブ小屋の中には、教室にあったのを運んで来た、というような机と椅子が置かれ、そこに一人の女子生徒が座っていた、もちろん彼女も、生徒会の腕章をつけている、つまりは彼女が、噛まれているかいないのかを確認する係、というわけだ。
噛まれている。
即ち、あの『ゾンビ』共と同じになっていた場合……
一体、彼女達がどうするのか、という事には興味があったけれど、今はそんな事を考えるよりも先に、しなければいけない事がある。
「……さっさと済ませて頂戴」
志穂は、ややぶっきらぼうに言う。
「では、お願いします」
生徒会の女子生徒が言う、どうやって確認するのか、という事は聞かなかった。どうせ男女別れてプレハブ小屋の中に入って『確認する』という時点で、想像はついていたからだ。
志穂は、素早くブレザーを脱ぎ捨てると、そのままブラウスも一気に脱ぎ捨てる。
スカートも素早く脱ぎ捨てた。
「……何なら下着も脱ぎましょうか?」
「結構です」
生徒会の女子生徒は、表情一つ変えない。そんな場合じゃない、と思っているからだろう、それでも、簡単に下着姿になった志穂に、やや驚いた様な顔はしていたけれど……
「大胆ですねえ」
隣に立つ例の少女が、のんびりとした口調で言う。
「当然よ、さっさと済ませて、あいつらと合流して、色々と話さなきゃいけない事があるんだもの」
志穂は、ぶっきらぼうに言う。
「話さなきゃいけない事、ですか?」
少女は、小さく笑う。
「……ええ」
志穂は、頷いた。
「よっぽど好きなんですねえ、あんな冴えない雰囲気の男なんか、何処が良いんですか? 私の方がよっぽど、貴方を幸せに出来ますよ?」
「……アンタ、さっきから何言ってるわけ?」
少女の言葉に、志穂は吐き捨てる様に言う。
「だーかーらー」
少女が、ゆっくりとにじり寄ってくる。
「私と一緒に、あんな男達は見捨てて、さっさと逃げましょう、って言ってるんですよ」
さすがに生徒会の少女に聞かれる訳にはいかないと思ったのか、少しだけその声は小声になっていたが、少女の声は、まるで滑り込む様に、志穂の耳に入ってきた。
「アタシは、あいつらを裏切って自分だけ生き残る様な事はしないわ」
志穂は、はっきりと告げる。
「……例えアンタが、どんなに安全な場所まで、アタシを連れていけるとしても、ね」
そのまま。
そう言い捨てて……
志穂は、少女の身体を、軽く突き飛ばした。
そのまま、脱ぎ捨てた服を黙々と着始める。
「……フラれちゃったわね」
服を着て、さっさと出て行った少女の背中を見送りながら、乾美咲はのんびりとした口調で呟いた。
「まあ、まだ時間はありそうだし、じっくりと落とすとするわ、じっくりと、ね」
美咲はそれだけを言い、服を脱ぎ始める……
目の前にいる、生徒会の役員らしい少女が、こちらをじっと見ていた。
美咲はその顔に、艶然と笑いかける。
役員の少女の顔が、ほのかな赤みを帯びるのを、美咲は見逃さなかった。
「ちょっと、聞きたい事があるんだけど?」
美咲は、少女に優しく問いかける。こんな状況で、もしかしたら噛まれているかもしれない相手と、狭い部屋の中で二人きりになるかも知れない、という恐怖と、恐らく今まで必死に戦って来たのだろう。
だから……
だから、そういう『相手』は『落とし』安い。
美咲は、微笑みながら少女に近づいて行く。
プレハブ小屋から外に出ると、既に篤志と美雅の二人は、外で待っていた。
「……お待たせ」
志穂は、少しだけ不機嫌に告げた。理由は無論、あの少女だが、それを口には出さない。
「ああ……で、あの子は?」
篤志の問いに、志穂は軽く首を横に振る。
「知らないわよ、そのうち来るんじゃ無い?」
不機嫌になっている場合じゃ無い。それは解っているが、彼女の事を考えると、どうしてもそういう表情になってしまう。
あの子は……
あの子は、一体……
一体、何がしたいんだろう?
そんな事を考えていた時だった。
がちゃ……
プレハブ小屋の扉が、ゆっくりと開く。
あの少女が、のんびりとした足取りでプレハブ小屋から出てくるところだった。
「お待たせしました」
あの少女だ。どことなく楽しそうな口調で、その表情も朗らかだ。
「それじゃあ、行きましょうか?」
そのまま少女は、軽やかな足取りで歩き出す。その視線が一瞬、志穂に向けられた事に、篤志は気がついたけど、それ以上は何も言わず、黙って少女の後に続いた。
体育館の入り口には、数人の生徒会の役員が立っていた。
まるで見張りの兵士の様に、じっとこちらを見る姿は、軍人のように物々しい、おまけに……
「なあ……あれって……」
美雅が、篤志に小さい声で囁く。
「……」
篤志は、何も言わない。
二人の生徒会の男子生徒の手を見る。
その手には……
陽光を受けて、ぎらり、と輝く……
拳銃が、握られていた。