第八話:放送
バタバタと、廊下の奥から走って来る二人の少年。
顔を見るまでも無く、誰なのか、犬鳴志穂にはすぐ解った。
一人は、ついさっきまで自分に補習授業をさせていた少年。
そして……
もう一人は……
ややあって……
二人の少年は、自分のすぐ側まで来た。
志穂は、二人の顔をじっと見る。彼女はあの『ゾンビ』達を、間近でじっくりと見た訳じゃない。けれど……
けれど……二人が、あいつらと同じになっていない事は、すぐに解った。
「……よお」
少年のうちの一人が、小さく笑って言う。
「お前も無事だったか? 悪運だけは強いな?」
「……お互い様でしょう?」
志穂も、小さく……
けれど、安堵の表情で笑う。
「そうだな」
少年が、微笑んだ。
「……まあ、無事で何よりだよ、志穂」
少年が言う。
「アンタもね……」
志穂は、じっと少年の顔を――
幼馴染みの……
そして……
自分の、初恋の相手の顔を、はっきりと。
はっきりと、見た。
そして。
少年の、名を呼ぶ。
「篤志」
犬山篤志は、全員を見回した。
犬川美雅、犬鳴志穂、そしてあと一人、さっき入り口のところで襲われていた少女だ。彼女もどうやら無事であったらしい。
「積もる話は、後にしませんか?」
言いながら、少女がゆらゆらと立ち上がる。
「今は、とりあえずここから離れるべきだと思います」
「……正論だな」
美雅が、少女の言葉に頷く。
「でも……」
志穂が、少しだけ不安そうに言う。
そうだ。
ここにずっと立っているわけにはいかない。
だけど……
「……ねえ」
志穂が、さっきの少女に向き直る。
「貴方さっき、『安全な場所を知ってる』って言わなかった?」
「……」
少女はその問いに、志穂の顔を見る。
「そこへ案内してよ、それとも……」
志穂が、一歩少女に歩み寄る。
少女が、後ずさる。
「さっきのは、もしかして……」
「……おい」
なんだか、少しだけ、志穂の様子がいつもとは違っている事に気づいて、篤志は思わず咎める様な声を出した。
「……それは……」
少女が口ごもる。
だが、その時……
ぴんぽん……
「っ!?」
響いたのは、篤志達のすぐ頭の上。
廊下に設置された、校内放送のスピーカーだった。
ざざ……と、ノイズ混じりの音が、スピーカーから響く。
『校内放送です……皆さん、聞こえますか?』
聞こえて来たのは、まだ年若い少年。多分この学校の男子生徒の声。
『今、校内……いえ……多分、街中に、怪物が溢れています』
「……」
篤志は、窓の外を見る。
そうだ。
家からここに来るまで、篤志は見てきた。
見てきたんだ……
篤志の心の声が聞こえるはずは、もちろん無いだろうが、スピーカーからの音声が、さらに続けた。
『校門を通って、どんどん、あの怪物達が入って来ています……じきに、学校は、怪物達の巣になるでしょう……』
それも、事実だ。篤志は――否、四人全員が、そう思った。
『生き残っている人達は、体育館に、避難して下さい、良いですか? 体育館です、生徒会と、この学校の校長が、保護してくれます……体育館に、急いで下さい』
「……体育館」
篤志は呟いた。
「そ そうです、体育館、体育館ですよ」
横ではあの少女が、妙に言い訳がましい口調で、志穂に言っていたけれど、篤志も美雅も無視していた。
『繰り返します、体育館です、体育館に向かって下さい……そして……』
しばしの沈黙。
その次の瞬間。
『ぐっ……ごほっ……』
スピーカーから聞こえたのは、苦しげに咳き込む声。
『あいつらは……音に敏感です、つまり……この放送が流れている限り、奴らは……スピーカーに群がっているはずです……』
「……」
そうだ。
篤志は頷く、あいつらは、あの少女の靴底が地面を擦る、僅かな音に反応して、彼女の方へと群がっていった。
『今ならば、静かに歩けば、大丈夫です……出来るだけ急いで、体育館に向かって下さい……良いですね、体育館です』
「……まさか……」
篤志は、小さく呟く。
この男子生徒は……その為に、わざわざ放送室へ行って……この放送をしているのか?
『そして……』
スピーカーからの声がする。
『体育館に避難している住民の中に、僕の……滝原高校、三年A組、放送委員長、渡部昌樹の両親がいたら、つ 伝えて、下さい……』
「この声の人って……まさか……」
志穂が呟く。彼女も気がついたのだろう。
『僕は、父さんと、母さんの子供に産まれて、凄く……幸せでした、と……うっ、ぐぼっ』
苦しげに、咳き込む声。
次いで……
びしゃり、と。
何か、液体がまき散らされる様な音。
「……あの人って、噛まれてますよね?」
篤志の横で、例の少女が言う。
「私、見たんです……」
少女の声が、震えていた。
「あいつらに、『噛まれた』人は……あいつらと、同じになるんです、血を吐いて、死んでしまってから、立ち上がって……」
そこから先は、聞く必要も無かった。
こぼり……と。
何かを吐き出すような声。
そして……
ブツッ、と。
放送が切れた、恐らく、吐き出された血が、機材にかかってしまい、何処かがいかれてしまったのだろう。
辺りには、再び静寂だけが訪れる。
「……行こう」
篤志は、顔を上げる。
無駄にしては、いけない。
絶対に。
そのまま、篤志は歩き出す。
他の三人も、無言で後に続いた。