第六話:合流
――きゃああああ……!!
絹を裂くような女子の悲鳴。
その声と――そして……
さっきまで、ほんの数分前まで、グラウンドから響いていた運動部のかけ声が、全く聞こえ無くなっている事――
それに気づいた瞬間に、犬川美雅は、窓に向かって走り出していた。
机に座っていた犬鳴志穂も、立ち上がってバタバタと窓に駆け寄り――
そして――
ほとんど同時に、窓に飛びついた二人の目に飛び込んできたのは――
「な 何……あれ!?」
志穂が、愕然と呟く。
美雅は、黙ったまま、グラウンドを見ていた――
そこにいたのは――
土気色の肌で、気味の悪い呻き声を発しながら歩く――まるで……
まるで、ホラー映画のゾンビの様な――異形の怪物であった。
そして――
「美雅、あそこ――!!」
志穂が指差したのは、教室の真下の昇降口――
そこに、一人の女子生徒がいた――
尻餅をついた格好で、ガタガタと震えている――明らかに周りの『ゾンビ』達とは違う、生きている人間だと解った。
だが――
今まさに、そのうちの一体が、少女のか細い肩を掴んでいた――
そのままそいつが、大口を開け、少女に食らいつこうとしていた――
だけど――
たたっ、と――
微かな足音が響く――
いつの間にか、校門の方から、誰かがもの凄い速さでグラウンドを横切り、少女に食らいつこうとする『ゾンビ』の背後に迫っていた。
そのままそいつが、その『ゾンビ』の頭に向け、バットを振り下ろす――
鈍い音が響き、『ゾンビ』が倒れ、少女の身体が投げ出される。
そして――
その走って来た奴が、少女に声をかけるのを、美雅は――そして志穂は、はっきりと聞いた。
――大丈夫か!?
「っ!!」
その声に、美雅は息を呑んだ。
そいつが、別な『ゾンビ』をバットで殴打する。
そのままバットの先で、そいつの胸を押す、ドミノ倒しの要領で、何匹かの『ゾンビ』が折り重なって倒れて動けなくなったけど、それしきでは意味が無い。
そいつがさらに、背後の少女に向かって何かを言い、また別な『ゾンビ』を殴りつける。
そいつの背後にいた少女が、立ち上がって校舎の中に消えていくのが見えた――大方、校内に逃げ込め、とかなんとか言ったのだろう。そして彼女が逃げ切るまで、自分が食い止めるつもりなのだ、あの数を相手に、たったの一人で――おまけに――
そいつが、別な一体をまたバットで殴りつける、殴られたその一体は、その場に倒れて動かなくなったけれど、バットの先端も大きく曲がってしまった――
あんな物一本で、しかも一人だけで、あんな怪物と戦える訳が無いというのに……
美雅は、だっ、と走り出した。
「ちょ ちょっと!!」
志穂が声を上げるが、美雅はもう無視して、教室の隅のロッカーを開け、そこから着脱式のモップを一本取りだし、その柄の部分を取り外してしっかりと掴んだ。
「行かないと――」
美雅は、短く告げる。
「……っ」
「アイツは……あのままだったら……本当に、一人で戦い続ける」
息を呑んだ志穂の顔を、美雅はしっかりと見る。
「アイツは――そういう奴だ」
「……確かに、ね」
志穂は、頷く。
美雅は、しっかりとモップの柄を握り、そのまま走り出した。志穂もまた、すぐ後に続いて走り出す。
「アイツは、俺が助けるから――お前は……」
志穂は、美雅の言葉を聞かずに頷いた。
「あの子、でしょ?」
美雅は、その言葉に小さく微笑んで頷き、視線を正面に戻す。
廊下を走り、少し行った所にある階段を降りれば、昇降口までは少しの距離だ。
階段を駆け下り、すぐ一階の廊下に出る――美雅と志穂は、ほとんど同時に曲がり、誰もいない廊下をそのまま走り――
ややあって――
どすん、と――
走っていた美雅の胸に、誰かがぶつかって来る――
「ひっ!?」
甲高い少女の声が、美雅の耳に届く――
美雅は黙ったまま、ぶつかって来た少女を見る。
さっき、あの昇降口にいた少女だった――美雅を見て、悲鳴をあげそうになる。
「落ち着け!!」
美雅は、はっきりとした口調で告げる。
その言葉に、少女は慌てて両手で口を塞いだ。
美雅はそれを見ながら、背後を振り返る。
「志穂、この子を――」
「解ってるわ」
志穂が頷いて、少女にゆっくりと歩み寄る。
少女が志穂を見、次いで美雅を見、やがて二人とも生きている人間だと認識したのか、ふらふらと志穂の方に歩み寄っていく――美雅はそれを見て、もう一度頷いた。
「俺は……アイツを連れに行ってくる」
そのまま、美雅は走り出す――
「……はあ……はあ……」
犬山篤志は、荒い息をつきながら、曲がったバットを握りしめていた。
周囲には、すでに数体の『ゾンビ』が倒れている――だが……
周りにいる『ゾンビ』達は、数を減らすどころか、ますます増えている様子だった、自分がここで『ゾンビ』を仕留めるたび、その音を聞きつけて集まっているのだろう。このままでは……
「あああ……」
呻き声と共に、別な『ゾンビ』が、ゆっくりと近づいて、手を伸ばして来る。篤志はそいつに向けてバットを振り上げ――
だが、それよりも早く――
「うううう……」
別な声――それも……
それも、横から――篤志はそちらを見ようとしたけれど、それよりも早く――
振り上げたバットが、がしっ、と掴まれる。
「くっ……!!」
篤志は呻いたが、バットをぐいっ、と引っ張られ――
そのまま、手からするり、とバットが抜ける――
「くっ、この……っ!!」
篤志は、そいつに殴りかかろうとしたけれど――
それよりも早く――
「あああああ……」
別な呻き声、先ほど殴ろうとした奴だ、と気がつくよりも早く――肩を掴まれる。
そのまま、そいつが口を開け、ゆっくりと篤志に迫って来る――
――ダメだ。
――食われるっ!!
篤志は、思わず目を閉じた――
だが――
どすっ!!
「っ!?」
鈍い音に、篤志は思わず目を開けていた。
「……何をしてるんだよ、お前は」
呆れた様な声。
「女の子助けようとして、自分が殺されかけてりゃ世話無いぞ?」
篤志は、見た――
自分に、大きく口を開けて噛みつこうとしていた『ゾンビ』の口内に――モップの柄が突き刺さっていた。
そのまま、そのモップをさらにずっ、と押し込む。
その『ゾンビ』の身体から、力が抜けるのが、篤志にも解った。背後から、モップの柄を『ゾンビ』の口内に突き入れたそいつにも、それが解ったのだろう、足を伸ばして『ゾンビ』の胸を蹴り、モップの柄を引き抜く。
どさり、とその『ゾンビ』が倒れる――
そこで篤志は、ようやく背後を振り向いた。
見知った顔の男子生徒が、そこに立っていた――
「……何だ、お前か」
篤志は、軽くため息をついた。
「おいおい――」
男子生徒が、小さく笑う。
「一応、今の俺はお前の命の恩人だぞ? 何か一言あっても良いんじゃ無いか?」
「そうだね――」
篤志はにやりと笑い、その男子生徒に向き直る。
「どうも、ありがとう」
「お前……全然感謝してないだろ?」
そいつもまた、にやりと笑って言う。
「そんな事は無いさ――ただ、お前に借りを作るくらいなら、いっそあのまま噛まれてても良かったかな? と思ってね――」
篤志が言うと、そいつはふん、と鼻で笑った。
「だったら、次に噛まれそうになったら、遠慮無く見放してやるよ」
「……良く言うよ、『親友』を見捨てる事なんて、出来ない質のくせに」
篤志も鼻で笑い――そして……
そして――
少しだけ――照れた様に――
「……お互いに、さ」
そう、付け加えた――
その言葉に、そいつは――
「……」
篤志は、そこでようやく、『そいつ』の顔を――
『親友』の顔を見た。
「……無事で何よりだったよ――美雅」
「ああ――お前も、生きてるみたいで良かった」
『親友』――
犬川美雅もまた、篤志の顔を見ていた。
そして……
ぱんっ!!
二人の少年は――
互いの無事を喜び合うみたいに――
お互いの掌を、合わせた――