第五話:救援
悲鳴が、聞こえた。
甲高い――多分、女子の悲鳴。
校門前に立っていた犬山篤志は、その声に、思わず身を震わせていた。
――まさか?
篤志の胸の中に、嫌な予感が膨れ上がった――
あの後――
自宅を後にした篤志は、学校へとやって来ていた。今日は、成績の悪い友人の補習に、成績トップの友人が付き添っているはずだ――二人ももう既に、『ゾンビ』達に襲われているかも知れない。
そう思いながら、篤志は自宅から学校までの道を走り――見慣れた校門の前にたどり着いた。武器は既に準備してある、ここへ来る途中、道ばたに落ちていた金属製のバットを一本失敬して来た。
そして……校門の前で立ち止まった直後、悲鳴が――明らかに女子のそれと思われる悲鳴が聞こえてきたのだ。篤志は、バットを握りしめていた。
グラウンドに目を向ける。
既にそこにも、沢山の『ゾンビ』達が群がっていた、ここに来るまでにも何匹も見てきたが、このグラウンドにはかなりの数が徘徊しているようだ――
そして……
そのほとんどが、校舎入り口の方、恐らくは、あの悲鳴をあげた女子のいる方に向かっていた。どうやらあの『ゾンビ』達は、音を聞く事で、生きている人間の居所を把握しているらしい。
篤志は、校舎入り口の方へと目を向けた。
『ゾンビ』共が群がっているせいで、悲鳴をあげた女子の姿は見えない――まだ生きているのかどうかも、ここからでは解らない。だけど……
だけど……このままでは確実に、その女子は――
そう思った直後、篤志は走り出していた。
嫌な臭いと共に、『ゾンビ』が口を開け、迫って来る――
乾美咲は、もはや悲鳴すらもあげられなくなっていた――
この『ゾンビ』に噛みつかれたら、きっと……
きっと、自分も……あの男子生徒の様に――
美咲は、ぎゅっと目を閉じた。せめて……
せめてこの怪物の顔を、見ない様にして死ねれば――そう思った。
だけど――
その直後――
がつっ!!
「っ!?」
鈍い音――次いで、身体がふわり、と投げ出される気配。
だが、それも一瞬の事――
次の瞬間、美咲はその場にどさり、と尻餅をついていた。
「……っ」
目を開け、正面を見る――その時、美咲の目に飛び込んできたのは――
美咲の通う高校の、男子の制服を着た後ろ姿――
目を上げれば、そいつが――
一人の少年が、肩越しに振り返って美咲を見下ろしていた。
「大丈夫か!?」
その少年が、美咲に問いかける。
「……は はい……」
美咲は、弱々しく頷いた。
とにかく――今……
今、自分は――
この男子生徒に、助けられたのだ――
「ぐああ……」
口を大きく開けて、一匹の『ゾンビ』が迫って来る――
「このっ!!」
篤志は声を上げながら、そいつの頭に向けて金属バットを振り下ろした。
ごすっ、と鈍い音が響き、そいつの頭が大きくへこむ――
これだけは、生きていた時と変わらない赤い血が、そいつのへこんだ頭から噴き出し、その身体がぐらり、と傾いた。
篤志は、その傾いた身体の胸ぐらを、バットの先でとんっ、と強く押す――
もんどり打って倒れたその『ゾンビ』の身体が、そのまま背後にいた別な『ゾンビ』の身体にのしかかり、傾いたその『ゾンビ』に巻き込まれて、さらに後ろの奴が、まるでドミノ倒しのように倒れる――
「うう……ううう……」
「ああ……あああ……」
倒れ込んだ二体は、五体満足ではあるけれど、身体が折り重なっているせいで起き上がれず、地面に横たわって呻くだけだ――
「おおおおおおお……」
だが、そんな風にして三体を行動不能にしても、所詮は一時しのぎにしかならない――
横から、別な一体が、土気色の手を伸ばして来る。篤志は躊躇いもせず、バットを横にスイングさせ、そいつの顔を左側から殴り飛ばした。
その身体が吹き飛ばされ、くるりと回転してグラウンドの上に倒れる――こんな非日常的な存在ではあるけれど、どうやら頭さえ潰せば動けなくなるらしい――
篤志は、じっと正面の『ゾンビ』達を見る。
まだ、かなりの数が、しかもどうやら、自分が他の『ゾンビ』達を殴り飛ばした時の音に反応し、ゆっくりと――
ゆっくりと、こちらに迫ってきていた。
篤志は、背後にいる少女を振り返る。
少女はまだ、恐怖を顔にへばりつかせたまま、その場に尻餅をついてへたり込んでいた。
その顔には見覚えが無い、補習に来ていた友人では無い――彼女が何処にいるのかは解らないけど、きっと無事でいてくれるだろう……
篤志は、視線を正面の『ゾンビ』達に戻した。
「……おい、君」
油断なく『ゾンビ』達を見ながら、篤志は早口で少女に言う。
「ここにいたら危険だ、校内に入れ――」
「で でも……」
少女が何か言いかけるが、篤志は振り返らない。
「この数じゃ、正直、守り切る自信が無い――」
「――っ」
その言葉に、少女が微かに息を呑む。
「だから、君は校内へ避難しろ――まだ生徒がいるはずだ、そいつらと合流して、なんとか逃げるんだ」
篤志はそれだけを言い、近くの『ゾンビ』を、再びバットで殴打した。
その一発で、バットは先端が大きくひしゃげた、直に使い物にならなくなるだろう。そうなれば、もう戦う手段は無い――そうなる前に……
そうなる前に、せめて――
せめて、彼女だけでも――
「行け――!!」
篤志の叫びに、背後で少女がふらふらと立ち上がる気配。
そして――
たっ、と――足音が走り出す――
篤志は、それを聞きながら――
曲がったバットを、再び握りしめた――