第三十七話:親友
「うううう……」
地の底から響く様な呻き声が、乾美咲の口から漏れる。
志穂は、銃を構えて数歩後ずさった。
そして……
椅子から立ち上がった美咲が、両腕を伸ばしてゆっくりと……
ゆっくりと、こちらに近づいて来る。
「美咲……ちゃん」
志穂は、小さい声で呟く。
「……うう……うううう……」
美咲の口から、再び呻き声が漏れる。
じっ、と、志穂は美咲を見る。
左の頸動脈辺りが、何かに食いちぎられた様になっていた、多分あそこを噛まれたのだろう。
「……」
志穂は、美咲をもう一度見る。
美咲。
乾美咲だ。間違い無く。こんな狂った世界でも、自分に正直に生きた少女。それは決して、良い事ばかりでは無かった。彼女の行動は、結果としては自分達の為にはなったけれど……代わりに何人もの人を巻き添えにしてしまった。
「……」
そうだ。
それでも……彼女の行動は変わらない。
そして、その目的も変わらない。
彼女の目的は……ただ一つ。
「……アタシ一人を……」
そうだ。
彼女はさかんに、自分を惑わすような言動をして来た。自分と一緒に逃げよう、篤志や美雅を、見捨ててしまえ、とも。
そんな事を、自分に言い続けた理由、それは……
それは……
「……アタシが、そんなに気に入った?」
志穂は、問いかける。
無論、それには、目の前の『ゾンビ』は何も言わない。
言うはずが、無い。
だけど……
『さあ?』
「……」
志穂の耳には、はっきりと。
はっきりと、『親友』が、小さく笑いながら言うのが聞こえた。
『どうでしょうね?』
『親友』の言葉に、志穂は軽く笑う。
「違うわよね?」
志穂は言う。
「アンタは、アタシをあいつらから引き離して、そして……二人で一緒にいたい、そう言った、それは……」
志穂は、小さく笑う。
「……両親の事、妹の事、この『ゾンビ』が発生した元凶……どれもこれも、きっと単なる高校生に過ぎないアタシには……受け入れられない事に違い無い」
志穂は言う。
「だから貴方は、敢えて『悪い人間』になったとしても、アタシを遠ざけたかった、この『戦い』から、そして……アタシを守りたかった、って訳ね」
志穂が言う。
「……うううう……」
呻き声が、『ゾンビ』の。
否。
『親友』の口から漏れる。
「……アタシは、そんなに『弱く』無い」
志穂は言う。
だけど……
『嘘ですね』
『親友』が、言う。
その言葉に……
志穂は、小さく苦笑いした。
「……そう、ね」
そうだ。
自分は、『弱い』。
両親と妹の死を目の当たりにして、あの時、もしも……自分一人だけだったら?
この『ゾンビ』達との戦いが始まった時、もしも……篤志や美雅、美咲と出会う事が出来なかったら?
自分は……
自分は……正気を保っていられただろうか?
そして……
自分は、ここまで生き残る事が……出来ただろうか?
出来なかっただろう。
結局、自分は『弱い』のだ。
誰かに……守られなければ……
誰かが、側にいてくれなければ……
何も、出来ない。
「……だから貴方は、アタシを守りたかった、アタシなんかの何がそんなに気に入ったか知らないけど、そう思ってくれたのはすっごく嬉しいし、それに……」
志穂は、じっと『親友』の顔を見る。
そうだ。
『親友』だ。
この子は……『ゾンビ』じゃない。
自分の……
自分の……『親友』なのだ。
「……今もこうやって、アタシや、あいつらが帰ってくる場所で、ずっと待っててくれたのは、凄くありがたいって思う」
志穂は言う。
だけど……
志穂は、ぎり、と歯ぎしりした。
「……だけど、その為に、貴方自身が『そんな風』になってちゃ意味が無いでしょう?」
『確かに、そうですよね?』
美咲の……
『親友』の声が、する。
『でも、とりあえずは満足ですよ? 私』
美咲が言う。
「……何でよ?」
志穂は問いかける。
『最後に、一番好きな人に会えました』
「……」
その言葉に……
その言葉に……志穂は……
志穂は、目をぎゅっと閉じる。
「……こんな姿で、会いたくなかったわよ」
志穂は言う。
『すみません』
美咲の声が言う。
『最後に……お願いします』
美咲が言う。
そして……
「ううううううう……」
美咲が。
否。
『ゾンビ』が、ゆっくりと……
ゆっくりと、こちらに手を伸ばして来る。
「……」
志穂は、目頭が熱くなるのを感じながら――
手にした銃を、その額に押し当てた。
そして、ゆっくりと……
ゆっくりと、引き金に指をかけた。




