第三十六話:父子
「あああ……あああああ……」
犬川浩三が、ゆっくりとした足取りで美雅の方に近づいて来る。
美雅は銃を構える。
『ゾンビ』の動きは鈍い。銃を握りしめる手に力を込める。
本物の銃なんか、手にしたのはもちろん初めてだ。だけどどうすれば撃てるのかは、だいたい把握している。撃鉄を起こし、引き金に指をかける。
弾は入っている。問題無い。
美雅は、躊躇う事無く引き金を引いた。
ぱあんっ!!
乾いた銃声が轟く。
だけど……
放たれた弾丸は、見当違いな方向へと飛んで行き、校長室の奥の方にある窓を割り、ガラスの破砕音を響かせただけだ。
「……っ」
美雅は舌打ちしながら、すぐに銃の撃鉄をもう一度起こし、目の前の『ゾンビ』に向けて発砲する。
再び轟く銃声。
飛び出す弾丸。
だけど……
弾丸はやはり……
やはり……目の前の『ゾンビ』に掠りもしない。
「……あああああ……」
目の前の『ゾンビ』が、こちらにのろのろと近づいて来る。
美雅は、銃をもう一度構える。
早く……
早くこいつを……
この目の前の『ゾンビ』を倒して、玉神を追いかけないと……
篤志は、きっと今頃奴に追いついているだろう。
そのままきっと彼を捕らえ、今頃屋上に向かっているのに違い無い。
それに志穂だって、今頃きっとあの乾美咲と合流しているだろう。
そのまま二人で、屋上へ向かっているに違い無い。
そうだ。
自分が……
自分だけが、友人達に後れを取るわけにはいかないんだ。
だから……
だからこの……
この『ゾンビ』を……
美雅は、銃の引き金に指をかける。
だけど……
かた……
かた……
かた……と。
銃口が……震えている。
狙いが……定まらない。
こいつは……『ゾンビ』だ。
『ゾンビ』なんだ。
「……」
美雅は、自分に言い聞かせる。
だけど……
だけど……
「……ううう……」
そいつの口から漏れる呻き声。
それは……
それは紛れも無く……
父の……
犬川浩三の、声だった。
あの研究所で読んだ記録が、頭を過る。
父の願い……
そして……
どれだけ父が、自分の事を愛してくれていたか。
それを、知ってしまった。
「……」
そうだ。
どんな姿になろうとも……
今、目の前にいるのは『ゾンビ』じゃない。
「……父、さん……っ」
美雅は、呻いた。
目頭が熱くなる。
涙がにじむ。
撃てない。
撃てるわけが無い。
だけど……
やらなければ……
やらなければ、いけないんだ。
放っておけば、父はこのまま外に出てしまう。そしてそのまま街の外まで向かうかも知れない、そうなれば……
ダメだ。
美雅は、首を横に振る。
父が、このまま他の『ゾンビ』達と同じ様に、沢山の人を襲うなんて……
そんな姿は見たくない。
父に、そんな真似をさせるわけにはいかない。
だから……
「……ここで、止めないと……」
掠れた声で、自分に言い聞かせる。
いつの間にか俯かせていた顔を、美雅はゆっくりと上げた。
「……っ」
引き金に、力を込めようとした。
だけど……
「……あああああ……」
「っ」
呻き声が、すぐ近くで響く。
父が、いつの間にかすぐ目の前にいた。
慌てて銃を撃とうとする、だけど、涙で滲んだ視界のせいで、上手く狙いが定まらない。
そして……
がっ、と。
もうすっかり、生きている人間のものでは無い、冷たく硬い、死体そのものの手が、美雅の手首を掴んだ。
「くっ……」
美雅は呻いて、父を振りほどこうとした、だけど……
「あああああああ……」
父がそのまま、大きく口を開けて迫って来る。
美雅は咄嗟に身をよじった、だけど、間に合わない。
そして……
がりっ、と音がする。
「うぐっ……」
美雅は、呻いた。
ぶぢぃっ!! と、そのまま右手の手首と肘の間の肉が食いちぎられる。
「がっ……」
美雅は、呻いた。




