第三十五話:猛追
篤志は、ばっ、とテラスに飛び出した。非常階段はすぐ左横にある、そこを通れば玉神弘光を追いかける事が出来るはずだ。
そのまま篤志は階段の方に向き直り――
「っ」
そこで篤志は、愕然とした。
「……っ」
ぎりっ、と、思わず歯ぎしりをしていた。
「あいつ……」
思わず呟く。
テラスへと続く窓を開け、その後、この非常階段を、やけにうるさい足音と一緒に下りていった。
否。
その前から、既に……
既に奴は、『これ』を狙っていた、という事だろう。
校長室で、無駄に話をしていたのも。
そして……
あの犬川浩三が閉じ込められていた隣室。そこの鍵を、普通に鍵を外さず、わざわざ銃で破壊したのも……もちろん、扉を開けた拍子にうっかり噛まれてしまうのを防ぐ為、という理由もあったのだろう。だけど……
それ以外にも、こういう『目的』があったのだ。
そう……
「……」
篤志は、じっと非常階段の下の方を見る。
そこには……
そこには……
数十体を越える数の『ゾンビ』達が、押し合いへし合いしていた。
「……」
恐らくは、近くにいる奴らはほとんど、あの銃声やこいつの足音に反応して、この非常階段の下に集まっているだろう。狭い階段を、みんなで上ろうとして、お互いの身体が手すりの間に挟まり、動けなくなっている『ゾンビ』が二体。
その後ろにも、沢山の『ゾンビ』達が溢れていた、後ろにいる奴らが、ぐいぐいと前にいる奴らを押している、手すりに引っかかっている奴らが今はバリケード代わりになっているけれど、あいつらがもしも……
もしも、後ろの奴らに押し倒されでもすれば、その瞬間に奴らは階段を上がってくるだろう、倒れた仲間を踏みつけて、真っ直ぐに……
「……」
そうなれば、自分は逃げられない。
「……」
篤志は目を閉じる。
他に道は無い。
見れば、階段の下にはほとんどと言って良い程『ゾンビ』達の姿は無い、これなら玉神は、駐車場に行くまでの道中、一匹もあいつらに出会う事無く安全に進めるだろう、つまりは奴らを一カ所に集めたのは、それも理由の一つ、という事だ。
進める道は……
何処にも……
「……っ」
篤志は目を開ける。
否。
ある。
まだ……一カ所だけ。
奴を……
玉神を追いかける為、この非常階段を下りる道。階段を通らずとも……下りられる道が。
篤志は、ゆっくりと息を吐いた。
テラスの正面、白い、落下防止用のフェンスを、じっと見つめる。高さは篤志の胸くらい、篤志はそのフェンスの真ん中くらいに足をかけ、手すりの上を掴むと、そのまま身体を持ち上げてフェンスを跨いで、その向こうにある僅かなスペースに爪先をつけて立った。
びゅううう……
「……っ」
風が、下から吹き付けて来る。
篤志は、じっと下を見る。すぐ下は、花壇になっている、柔らかい土がそこにはある、あそこ『だった』ら……
「……」
高さは四メートル、というところか……
「……」
篤志は、ごくり、と唾を呑んだ。
足が竦む。
もしも失敗すれば……
だけど……
「……」
両親の顔を思い浮かべる。
志穂の家族の顔を思い浮かべる。
美雅の両親の顔を思い浮かべる。
これまで目にしてきた、『ゾンビ』と化してしまった人々の顔を……
思い浮かべる。
「……玉神……」
そうだ。
奴を……
奴を逃がせば……
「……」
犠牲者が、増えるんだ。
「っ」
篤志は、ばっ、と。
そのまま空中に身を躍らせた。
ふわり……
身体が宙に浮く感覚。
だけど……それも一瞬の事だ。
篤志の身体は、そのまま目に見えない巨大な手に引っ張られる様に、真っ直ぐに落下していった。
さっきまで遠かった地面が、あっという間に近づいて来る。
そして……
どしゃあっ!!
「っ!!」
思ったよりも大きな音はしなかった。
否。
あるいは既に、耳の感覚がおかしくなっていたのかも知れない。
全身を、上からも下からも押しつぶされる様な感覚、そして衝撃。
肋骨か、あるいは他の骨なのかは解らないが、ボキボキボキボギッ、と、何処かの骨が折れていく音。そして……
「がはっ!!」
喉の奥から、熱いものがこみ上げる感覚。
意識が、遠のきかける……
だけど……
「……玉神……」
篤志は呟いた。
玉神の顔を、両親の死に顔、志穂の家族の顔、美雅の父の顔、『ゾンビ』と化してしまった人々の顔を、何度も何度も頭に浮かべる。
「……っ」
ぎりっ、と歯ぎしりする。
ガクガクと震える全身を、力尽くで従わせて無理矢理立ち上がる。
「玉神……」
その名前を呟く。
そうだ。
奴を……
奴を、逃がす訳にはいかない。
奴を、許すわけにはいかない。
「玉神……玉神……」
呻きながら、篤志は足を一歩前に踏み出した。
その瞬間、足首が千切れんばかりの激痛が走る。
だけど……
篤志は、それでも走り出す。
意識はある。
身体も動く。
右手には、まだしっかりと銃も握られている。
ならば……
自分がする事は、ただ一つ。
「玉神いいいいいいいいいいいいいっ!!」
篤志は叫びながら、全身が焼け付く程の痛みの中、だっ、と走り出した。




