第三十二話:再会
「……俺らが何をしにここに来たのか、もう、解ってるだろう?」
篤志は問いかけた。
無駄な会話を、するつもりは無い。
そういうニュアンスを、滲ませながら。
その言葉に、玉神は軽く笑う。
「……知っているよ、どうやら、君達は『余計』な事まで知ってしまったようだね、あのままここを抜け出して、そのまま何処かで『ゾンビ』達に喰われると思っていたのに」
言いながら、玉神は着ている上等なスーツの胸ポケットから、何かを取り出した。
試験管に入った、少量の水、無色透明の、どう見ても単なる水道水にしか見えない水、だけど……
「……それが……?」
美雅が問いかける。
「ああ、『夢の水』だよ、この国の未来を変える、実に素晴らしい、ね」
「……『悪魔の水』だろう? その水のせいで、一体何人が犠牲になったと思っている?」
篤志が言う。
だが玉神は、軽く笑うだけだ。
「犠牲? 君はバカだな、犬山君」
玉神は言いながら、水の入った試験管を左右に揺すって見せる。
「この水を、最初の『被検体』に飲ませたのは、いつだと思う?」
玉神は、二人に問いかける。
「……『被検体』」
美雅が呟く。
『被検体』。
それは……
それは、誰でも無い……
美雅の……
「昨夜の零時だ、そして今の時間は……」
玉神は、ちらりと壁に掛かっている時計を見た。
「……」
篤志も、そして美雅も、そちらを見る。
時刻は、ちょうど午後五時になろうとしていた。
「時刻は現在、十七時、十七時間だ、一日も経過していない」
玉神は、にやり、と笑って言う。
「その間に、今、この街はどうなった? 歩いているのは『ゾンビ』ばかり、ほとんどの人間が『ゾンビ』と化した」
「……」
そうだ。
この街は……
そのたった数時間の間に……
奴らに、蹂躙されてしまった。
「解るかね? 犬山君、犬川君」
玉神は、じっと二人を見つめる。
「たったそれだけの時間で、この街はもう滅んでしまった、まだかろうじて電気や水道は通っているけれど、それも直に停止するだろう、二十四時間を待たずに、一つの街を壊滅させられるほどの『兵器』を生み出せる水なのだよ、これは」
玉神は言いながら、またしても試験管を揺らした。
「まあ、まだまだ課題は沢山ある、例えば『ゾンビ』と化してしまった者達には、単純な行動しか出来ない事だ、ああ、そうそう、さっきこのグラウンドから見ていたが、君達二人の友人のあの少女は、無事に『群れ』を抜けて校内に入っていったよ」
「……っ」
篤志がその言葉に、肩を一瞬震わせる。
「簡単な罠にかかって、『ゾンビ』達が道を開けてしまったのが原因さ、あれではさすがにまだ、『兵器』としてはお粗末すぎる、どうにかして、人としての意志を保ったまま、『兵器』となる方法は無いものか、当面の課題の一つだ」
二人は何も言わない。
「その他にも、頭を潰すと死んでしまう事や、武器も何も使えないこと、研究するべき事は山ほどある、だが、いずれは私は……」
玉神は、そこで言葉を切り、軽く首を横に振る。
「いいや、『我々』は、そこも克服し、究極の『生物兵器』を生み出すつもりだ、そうすれば、この国の戦争の歴史は大きく変わる、ああ、安心してくれ、『我々』は別に『死の商人』になろうというつもりは無い、この水は……」
玉神は言いながら、またしても水を揺らした。
「この国の為にしか使わない、本当さ」
「……『我々』というのは、どういう意味だ?」
玉神の言葉に何も言わず、美雅が問いかける。
その言葉に、玉神は、小さく笑う。
「おいおい」
玉神は、笑いながら言う。
「君はまさか、この水の研究を行うのが、私一人だとでも思っていたのかい? 既に別な場所に、君のお父上の『研究所』よりも、よほど優れた人材と技術を備えた『研究所』を用意してあるよ、そこで……改めて『これ』を研究するつもりだ」
「……そんな施設なんか、とっくの昔に壊滅してるんじゃ無いのか?」
篤志が問いかける。
その言葉に、玉神はまた笑う。
「そうか……」
玉神が、小さい声で言い、頷いた。
「……?」
篤志は、怪訝な顔になる。
「君は、いいや、君達は、知らないのか? ふふ、残念ながら、その心配は杞憂だ」
「……どういう意味だよ?」
篤志は問いかける。
玉神は、それに何も言わず、ポケットから取り出したスマートフォンを操作し、篤志と美雅の足下に向かって、ずっ、と床を滑らせながら寄越した。
「……」
篤志が無言で、スマートフォンを拾い上げる。
「リアルタイムの映像だよ」
玉上が言う。
映っていたのは、動画サイトのニュースだった。
『……こちらが現場です』
男性レポーターの声、その姿は映像には映っておらず、代わりに映っているのは、『自衛隊』と白い字で書かれた、緑色の頑丈そうなバリケードだった、そのバリケードの側には、迷彩柄の服を纏った自衛隊員が、腰の後ろで腕を組んで直立している。
『未知の『ウィルス』が蔓延しているという街の境は、完全に封鎖されています、しかし政府は、その『ウィルス』が何であるのか、一体、街の人達がどうなったのかを、具体的には発表していません、一体、あのバリケードの向こうでは何が行われているのか、バリケード付近には、街に帰宅する人達が集まり、説明や、街へ帰る事を求めて抗議する声が……』
篤志は、最後まで見ること無く、視線を玉神に戻す。
「それしきの事を、私が予想していないと思ったのかい? 私には、政治家達とのコネクションも沢山あってね、街の外へと通じる主要な道路は全て封鎖済みさ、この国の自衛隊は優秀だ、奴らは一匹たりとも、街の外に出てはいない、そう断言出来るよ」
「……」
篤志も、美雅も何も言わない。
全てが……
全てが、この男のシナリオ通りに進んでいるのだ。
後は……
後は……
「後は、この水と、量産の為に必要な資料、そして実際に『動かした』時のデーターを纏めた書類を持って、ここを離れるだけだ、本来ならば、あの『研究所』の者達で、その『データー』は欲しかったんだけど、それは『誰かさん』のせいで失敗に終わってしまったのでね……」
「っ」
篤志は息を呑む。
「だから……」
美雅は呟いた。
「だから、体育館に人を集めたのか? そして……あの人達にも……」
篤志が問いかける。
玉神は、頷いた。
「そういう事さ、おかげで、折角の貴重な『サンプル』が大分減ってしまったが、まあ、そうなったらまた『現地』に飛んで調達すれば良い、というわけさ」
『現地』、つまりは例の島だろう。
そしてこいつは、またしても誰かにあの水を飲ませる。
そして……
そしてまた、『データー』を得る為に、水を飲んだ者を、無軌道に暴れさせるに違い無い、そうなったら……
そうなったら……
「……」
篤志は、無言で銃を構える。
こいつは。
この男は、ここで……
ここで、止めなければいけない人間だ。
否。
ここで……
「ここで……アンタは……」
篤志は呟く。
「殺す」
その言葉に、玉神はまたしても……
またしても、にやり、と不敵に笑った。
「校長先生に対して、そういう言葉は良くないな、犬山君」
そして。
がしゃ、と。
篤志達の手にした銃の撃鉄を起こすのと、全く同じ金属音が響く。
銃、だ。
玉神の手に、いつの間にか銃が握られていた。
「……」
篤志も、美雅も銃を構える。
「生きてここまでたどり着いた君達ならば、私に協力してくれるかも知れない、と期待したのだけれど、どうやらそれは無駄のようだ」
「……当たり前だ」
篤志は吐き捨てる。
「ならば、君達には死んで貰うとしよう」
言いながら、玉神はばっ、と、銃を……
銃を、自分の右側に向ける。
「っ!?」
篤志が息を呑む、そちらには……
そちらに、自分も美雅もいない。
一体……
一体、こいつは、何を……
何を、狙っている?
そして……
ぱあんっ!!
乾いた銃声が、室内に轟く。
篤志と美雅は、思わず顔をしかめていた。
だけど……
がしゃんっ、と。
何かが、床に落ちる音。
そして……
ぎぎぎぎぎ……と。
扉が軋む音。
隣の部屋へと通じる扉だ、一体そこに何があるのか、校長室にあまり入った事が無い篤志達は知らなかったけれど、そこの扉が、ゆっくりと……
ゆっくりと、開き始めていた。
「……まさか……」
美雅が呟く。
篤志も、その扉の向こうを、じっと見つめていた。
鍵が、ドアノブごと破壊された扉の向こうから、誰かが……
否。
何かが、ゆっくりと……
ゆっくりと、歩き出して来る。
そして……
「ううううううう……」
声が、響く。
「っ」
美雅が、それを聞いて息を呑んだ。
「……ふふ」
玉神が笑う。
「『あの部屋』で、何やらパソコンに向かって一生懸命に書いていたのを見つけたのでね、縛りあげて、ここへ連れて来たのさ」
「……っ」
美雅が、息を荒げる。
目の前で起きている光景を、受け入れられないみたいに……
『パソコンで何かを書いていた』。
その言葉で……篤志も、誰の事を言っているのか理解した、つまり……
つまり……
「……貴様……っ!!」
篤志は、玉神を睨み付ける。
「おやおや? 何を怒っているんだ?」
玉神が言う。
その顔には、下卑た笑みが浮かんでいる。
「せっかく『再会』出来たんじゃないか? もっと喜びたまえ、なあ? 犬川君?」
その玉神の軽口にさえ、美雅は何も言えなかった。
「おおおお……おおおおおお……」
「……」
美雅は、じっと。
じっ、とその声を聞いていた。
そして……
隣の部屋から、ゆっくりと……
ゆっくりと、一体の『ゾンビ』が歩き出して来る。
白衣を着た、中年の男性。体つきはほっそりとしており、荒事は得意では無さそうだ。
そして……
他の『ゾンビ』達と、もう全く同じ顔になっていたけれど……
それでも……
それでも……
見間違うはずが無かった。
「父、さん……」




