第三十話:突破
「それじゃあ、行くか」
篤志が言って、だっ、と地面を蹴って走り出す。
他の二人も、それに合わせて走り出し、篤志を先頭に、二番目が美雅、しんがりを志穂が務める図式となった。
「あああああ……」
すぐに、近くにいた『ゾンビ』が反応してくる、よく見てみれば、それは生徒会の腕章を身につけた男子生徒だった、あの後、体育館にもあいつらが押し寄せて来たのだろうか?
まあ、今はどうでも良い事だ。
玉神を捕まえれば、彼らを救ってやることも出来るはずだ。
篤志は思いながら、どっ、と近くの『ゾンビ』を蹴り飛ばした。
吹き飛ばされた『ゾンビ』が、背後にいる奴に向かって倒れ込み、そのままドミノ倒しの様に倒れる。
そのまま篤志と美雅は、だっ、と走り出す。
だが……
「うあああ……」
倒れたままの姿勢で藻掻いていた一体の手が、篤志の踝の辺りを掴む。
無論、それは不幸な偶然でしか無い、だが……
「う うわっ……」
いきなり走っていた足を掴まれ、篤志は躓いて、そのまま転んでしまった。
「篤志!!」
背後で志穂が叫ぶ。
「くっ……」
篤志は呻いた、そのまま数体の『ゾンビ』が篤志に向かって行く。
「っ!! この……」
美雅が銃を構える、だがその『ゾンビ』の数はかなりの物だ、全弾を撃ち尽くしても、この『ゾンビ』達をどうにか出来るとは……
それでも……放ってはおけない。
美雅は、銃の引き金を引こうとした。
だけど……
ぱあんっ!!
「っ!?」
背後で、銃声が轟く。
二人は、同時に顔をそちらに向けた。
志穂だ。
手に持った銃を、空中に高々と掲げている、その銃口からは黒煙が立ち上っていた、空中に向けて銃を撃ったのだ。
『ゾンビ』達が、一斉にそちらを見る。
志穂は無言で、その『ゾンビ』達を睨み据えていた。
そして……
「……志っ」
起き上がった篤志が、志穂に呼びかけようとするが、横にいる美雅が、ばっ、とその口を塞いだ、折角、周囲の『ゾンビ』達が志穂に注目しているのを、声を出せばまた再び『ゾンビ』達が、篤志達に目を向けてしまう。
篤志はそれでも、美雅に目を向ける。
「……」
ぎりり、と歯ぎしりしながら、美雅に目だけで言う。
ダメだ、と。
あいつは……
あいつの持っている銃は……
そうだ。
志穂は自宅で、妹を、そして、『ゾンビ』と貸した両親を撃った。
美咲から渡されたこの銃には、六発しか弾は入っていない、だが志穂は既に三発を撃ち、今の一発で、残りは二発。
周囲にいる『ゾンビ』達の正確な数は解らない、だけど……
たった二発の弾丸で、戦えるわけが……
「……っ」
篤志は、志穂の顔を見た。
志穂もまた、篤志の顔を見ていた。
そして……
にっこり、と。
志穂が、篤志に笑いかける。
大丈夫よ。
そう、言うみたいに。
「……」
篤志は、ぎゅっと目を閉じた。
今の自分に……
志穂を、救う事は……
出来ない。
「っ」
篤志は、顔を上げる。
そして。
ばっ、と右手を挙げて、校舎の上の方、屋上を指差した。
必ず、あそこに来い。
そういうメッセージを込めて。
そして……
「……」
志穂は、にっこりと笑ったままで、頷いた。
篤志も、そんな志穂に頷いた後。
くるり、と背を向けて、走り出す。
美雅も、それに続いた。
二つの背中が、どんどんと遠ざかり、やがて校舎の中に入って消える。
『ゾンビ』達の中に、そちらに目を向ける奴が何匹かいた、けれど……
「アンタ達の相手はこっち!!」
志穂は、そいつらに向かって声を張り上げた。
「……ああ……ああああ……」
「うう……おおお……」
「おおおおお……」
呻き声が、それに応える様に大きくなってくる、『ゾンビ』達も、どんどんとこちらに近づいて来るのが解る。
「そうそう」
志穂は言いながら、背中に背負っていたバッグを、とん、とグラウンドの上に置いた。
「こんな良い女がいるんだから、こっちに注目しなさいよね?」
言いながら志穂は、バッグの口を開け、中から、タオルにくるまれた二本の包丁を取り出す、あの時、自宅から持ち出した物だ。
タオルを取り、二本の包丁を構える。
「ああああああ……」
呻き声が、すぐ近くで響く。
一匹の『ゾンビ』が、こちらに腕を伸ばしてきた。
「あら? 貴方……」
志穂は、目を見開いて言う。
土気色の肌。
落ちくぼんだ頬。
眼球の無い、白目だけの目。
もうすっかり、死体そのものの顔になってしまっている。
それでも……
それでも、その『ゾンビ』には見覚えがある、『生徒会』の腕章を付け、この滝原高校の女子の制服を着ている少女……
あの時、篤志達四人が『噛まれて』いないかを『検査』した、あの女子生徒だ。
「『検査』してた人が『噛まれる』なんて、随分と皮肉ね……」
志穂は、苦笑いと共に言う。
無論、彼女がそれに応えられるハズが無い。
「あうう……あああ……」
気味の悪い呻きと共に、そいつが伸ばして来た腕が、志穂のブラウスの胸ぐらを掴む。
「おっと」
志穂は言いながら、ばっ、とバックステップで回避した、掴まれたブラウスの胸ぐらが裂ける音が響いた。
「きゃっ……」
志穂は、思わず胸元を押さえていた。顔をあげ、正面の女子生徒を睨み付ける。
「もう……」
無論、相手が理解しているはずが無いだろう、『ウィルス』に操られた身体は、まだ目の前の新しい『獲物』が、『仲間』になっていない事にだけは気づいているらしく、手に持ったままのブラウスの胸元の部分を投げ捨てて、ゆっくりとこちらに近づいて来る。
「エッチなんだか、らっ!!」
言いながら志穂は、手にしていた包丁を、その女子の額に突きたてる。
ざく、とした手応え、そのまま少女の身体はぐらり、と傾いて、仰向けに倒れる、額からは血が噴き出し、おまけに、刃の部分が完全に頭にめり込んだ状態の包丁が、オブジェの様に額から生えていたけれど、引き抜く時間も余裕は無かった。
「あああ……」
「おおお……」
「うううううう……」
既に他の『ゾンビ』達が、腕をこちらに伸ばしてきていたからだ、志穂は、そのままバッグから二本目の包丁を取り出した。
「このっ……!!」
腕を伸ばして来た中年の男の『ゾンビ』の喉元に、包丁を突きたてる、そのままそいつがぐらり、と傾いて、倒れそうになる。
完全に倒れる前に、志穂は、さっきの篤志がやったのと同じ様に胸ぐらを蹴飛ばして、背後にいる『ゾンビ』達を巻き込んで倒させる。
逆側から腕を伸ばしてきたのは、この学校の制服を着た男子生徒だった、腕章は付けていない、生徒会の関係者では無いのか、自分の様に補習ででも来ていたのか……?
いずれにしても、今はどうでも良い事だ、志穂は、その伸びてくる手の甲に、包丁を突きたてた。
無論、それしきでこいつらは死なないし、痛みも感じない、だけど、手にいきなり異物を突きたてられた事くらいは解るのだろう、動きを止め、自分の手に刺さったものを掴もうとした。
志穂は、その瞬間に、そいつを蹴飛ばしていた、もんどり打って倒れるその『ゾンビ』に巻き込まれ、背後の奴らも倒れていく。
周囲を囲む『ゾンビ』達の群れが、どうにか僅かに開けた。
バッグの中から包丁を取り出す、数は後二本、両手にそれらを持ち、志穂はだっ、と走り出した。
校舎までの距離は、およそ八メートル程度、というところか? このまま走れば……
だが……
「ああああああ……」
横にいた『ゾンビ』が、志穂の手首を掴んだ。
「離しなさい!!」
志穂は叫びながら、そいつの額に、右手に持っていた包丁を突きたてる。
そのままそいつは倒れる、出来れば包丁を引き抜きたかったけれど、すぐにその後ろから別な奴が迫って来る。
「くっ……」
回収している余裕は無い、という事だ、志穂はそのまま走り出した、だけど……
「……あああ……」
正面に、別な『ゾンビ』が立ちはだかる、腹の突き出したサラリーマン風の中年だ。
志穂は、たっ、と地面を蹴り、その男に迫る、
そのまま、そいつの左の耳に包丁を突きたてた。
ざくっ、と音がして、そいつの耳の中に、包丁が柄まで刺さる、そのまま倒れるその男の身体から、包丁を引き抜こうとするけれど……
「あああ……」
背後からの声。
そして……
両肩を、がっ、と掴まれる。
「くっ……」
志穂は呻いた。
ポケットに忍ばせた銃に手が伸びる、弾はあと二発、無駄に撃つわけにはいかない、それは解る、だけど……
今、ここを切り抜けられなければ、意味が無い、美咲を救う事も、篤志達と一緒に、屋上で再会することも出来ないのだ。
志穂は、ポケットから銃を取り出そうとした。だけど……
「……?」
その手が、別の何かに触れる。
「……これって……」
志穂は呟いた。
ポケットに入っていたのは、木工用のハンマーだった。忘れもしない、妹、果穂が、両脚を砕くのに使ったあのハンマーだ。
これで、この『ゾンビ』の腕を砕けば……だが、それだけではダメだ、こうしている間にも、自分の周囲に沢山の『ゾンビ』達が群がっている、こいつをそれで振りほどいたとしても、別な奴に掴まって、今度こそ『噛まれる』だけだ。
何とか……
何とか、こいつらを遠くへ……
遠くへ、引き離せれば……
「っ!?」
志穂は、はっ、と息を呑んだ。
ついさっき、自分自身が、篤志達から『ゾンビ』を引き離す為にやった事を思い出す。
そして……
今……
自分の手の中にある『これ』を使えば……
咄嗟に、志穂はそのハンマーをぶんっ、と投げつけた。
くるくると弧を描きながら、ハンマーが飛んで行く、何処でも良い、とにかく……
とにかく、遠くの方へ……
そして……
とさっ……
落ちたのは……グラウンドの真ん中の辺り、『ゾンビ』達の群れの外の位置だ。
そして……
ざっ、と。
一斉に、『ゾンビ』達が、そちらの方を振り返る。
「ああ……ううう……」
「おおお……」
「ああああああああ……」
気味の悪い呻き声と共に、一体、また一体と、『ゾンビ』達がそちらに向かって行く、離れたところにいて、音が聞こえなかった連中も、仲間達の呻き声に反応しているのだろう、そちらに新たな『獲物』がいるに違い無いと思ったのか、一斉にその後を追って歩いて行く。
やがて……
志穂の肩を掴み、今にも噛みつこうとしていた奴も、志穂の肩から手を離し、ふらふらと歩き出した。
「……」
顔を上げる。
周囲の『ゾンビ』は、もう……
もう、一体もいない……
志穂は、ゆっくりと立ち上がり、そのまま走り出した、その足音に、何匹かが反応するが、グラウンドの真ん中に向かっていく他の奴の行進に押され、志穂を追いかける事は出来ない様子だった。
そのまま志穂は、全力で走り抜けて校舎の中に飛び込んだ。
「はあ……はあ……はあ……」
そのまま、昇降口の脇の壁に背中を預け、ゆっくりと呼吸を整える、どうやらこの近くには『ゾンビ』達はいないらしい、篤志と美雅の姿も、既に無かった、きっと校長を探しに行ったのだろう。
アタシも……
志穂は、心の中で呟く。
『親友』を、探さなきゃね。
そうだ。
『彼女』は……自分の『親友』。
ならば……
自分が、探してやるのが道理だろう。
志穂は、壁から背中を離した。
歩き出す前に、そっ、と昇降口の扉越しにグラウンドを見る。
グラウンドの中央には、まだ無数の『ゾンビ』達が群がっていた、無論、そこには誰もいない、直に奴らもそれに気づいて動き出すだろう、校舎の中に入って来る奴らもいるかも知れない。
そうなる前に、美咲を探さないと。
「……」
志穂は頷いた。
そして。
無言で、『ゾンビ』達が群がるグラウンドの中央に向けて目を閉じ、短い黙祷を捧げた。
あのハンマーが無ければ、きっと自分は奴らに『噛まれて』いただろう……
志穂は、そう思った。
……最後の最後まで、迷惑かけっぱなしのお姉ちゃんで済まなかったわね、果穂。




