第二十八話:真実
次のページは、日本語で書かれた、報告書、というよりは日記の様なものだった。
「……」
美雅は、じっとそれを見つめる。
「この記録が……」
声に出して、読み上げる。
二人からは、言葉は無い。
美雅は、朗々たる声で、それを読み上げた。
「この記録が、心ある者の目に触れる事を、願っている」
そういう書き出しで、その『日記』は始まっていた。
「結論から言えば、我々の『研究』は完全なる失敗だ、件の『ウィルス』を使って死者を生き返らせたとして、それは『ウィルス』に操られる哀れな『ゾンビ』を生み出すものでしか無い」
確かに、その通りだ、あの報告書を見ても、そして街に溢れる『ゾンビ』達を見ても、あの『ウィルス』が、『死者を復活させる』などという、そんな素晴らしいアイテムになり得るとは思えない。
「すぐに『研究』は中止、この『研究所』は閉鎖するべきだろう、『ウィルス』も処分してしまおう、我々のチームは、そう結論づけた」
「……それなら……」
篤志は呟く。
それなら何故、件の『ウィルス』は街にばらまかれた?
何故、『ゾンビ』達は姿を現した。
その理由は、次の行で明らかになった。
「……だが……」
美雅が、読み上げる。
「だが、その決定に、異議を唱える者がいた」
「……」
篤志も、志穂も、何も言わない。
美雅は、更に文章を読んだ。
「この『ウィルス』は、『死者の復活』には使えない、だけど……理性の無い、意志もない、『怪物』を造り出す『兵器』としての価値は十分にある、これを公表し、然るべき機関できちんと研究、解析すれば、この国は何処の国よりも優れた『武力』を手に入れられる」
「……そんな……!!」
志穂が呟く。
「一人の研究員が、そう主張した、そして……」
美雅は、文章をスクロールさせた。
「そしてその人物は、私の名前を使い、この施設の職員達を地下に集めて、『ウィルス』を溶かした水を飲ませた、どうにかそれらは地下に閉じ込められたが、その際に、私の妻が噛まれてしまった」
「……そ それって……」
篤志の言葉に、美雅は頷いた。
つまり……
つまりその人物は……
「俺の……母親だ」
美雅は、呟く。
「妻は、ほんの数分後に命を落とし、そして『ゾンビ』化してしまった、そのまま街に出ようとする妻を止めようとはしたが……その時に、私自身も噛まれてしまった……」
美雅は目を閉じる。
机の上を見る。
綺麗に見えた机の上に、赤黒い、小さいシミの様なものが見えた、まさか……これは……
「妻はそのまま、街へ出て行ってしまった、あのまま多分……何処かで人を襲うだろう、現在の時刻は午前零時だが……日の昇る頃には、この街は多分地獄と化しているだろう……」
午前零時。
昨夜の事か。確かに、美雅は思い出す、昨夜両親は、自分が寝るまで帰って来なかった、つまりはその時、もう既に……
「私自身も、正直なところ、意識が朦朧としている、この記録を、いつまでまともに書けるかどうか解らない……だが、後にこれを読みに来る者に、少しでも『真実』を伝える事が出来るのならば、最後まで書くつもりだ」
美雅は、じっと文章を見る。
既に、この時点で父は、『ゾンビ』化がかなり深刻な状態になっていたのだろう、『私自身』の『自身』が、『地震』になっていたり、『これを読みに来る者』のところが『これを黄泉にくる物』となっていたり、誤字がかなり目立っていた。
次に進めば、もうまともに変換すらも出来ていない。
「どうか、この記録を読んだ貴方に、もしも少しでも良心があるのならば、彼を止めて欲しい、彼はこの『ウィルス』を溶かした水を持ち去り、この街での『ゾンビ』達の活動を記録し、それを国に売り込むつもりだ、そんな事になれば、世界に、あの『怪物』達が溢れてしまう」
美雅は、さらに文章を読み進める。
そこだけは、意識を無理につなぎ止めて書いたのだろう、きちんとした文章になっていた。
「そして……この記録を読んだら、この街の、滝原高校二年A組に在籍する男子高校生、犬川美雅に伝えて欲しい」
美雅は、じっとその次の文章を見る。
「私は、お前を他人の子だと思ったことは一度も無い、研究一筋で、お前に構ってやれなかったけれど、私も、妻も、お前の事を本当に、心から愛していた」
美雅は、そこで目を閉じる。
眦に、涙が光る。
「だけど……」
篤志が、美雅の横から、じっと画面を覘き込んで、その先を読み上げる。
「お前と、今は亡き長男、秀治が、二人仲良く一緒に過ごしてくれる、そんな、叶いもしない夢を見たばかりに、こんな結果を招き、街を混乱させ、多くの人を苦しめてしまった」
篤志は、画面をスクロールさせた。
「どうか、バカな親を、許してほしい、そして……お前は、決して死なないで欲しい、最愛の息子へ」
そこで、文章は終わり。
末尾には、書いた人物の署名があった。
「犬川浩三」
篤志が、それを読んだ。
そして……
「……美雅……」
篤志は、隣の友人を振り返る。
「……っ」
美雅は、俯いたまま、眦を光らせていた。その目から、涙の滴が落ちる、身体が微かに震えていた。
「……何してんだよ?」
篤志は、美雅の肩に腕を回し、そっと抱き寄せた。
「……お前は、今、泣いて良いんだ」
「……っ」
篤志の言葉に、美雅は息を呑む。
「お前は今、ガキみたいに泣いても良いんだよ、パパとママの事を想ってさあ」
その言葉に……
美雅は、ぎゅっ、と篤志の服の胸元を掴む。
「何を言ってる……!?」
美雅が、低く、そして……
掠れた声で言う。
「お前じゃあるまいし、『パパ』、『ママ』なんて言う訳が無いだろう?」
ボロボロと……
美雅の目から、大粒の涙が落ちる。
「父さん……!!」
美雅が言う。
「母さん……!!」
喉の奥から、嗚咽が漏れる。
「う うう……うううう……」
美雅の声が、どんどん大きくなる。
そして……
「うわあああああああああああ……!!」
慟哭が、静まり返った所長室の中に響いた。
そして。
この『記録』には、画像ファイルが一つ添付されていた。
この『ウィルス』を溶かした水を持ち去った職員のものだろう、ファイルには所員の名簿をそのまま撮影したと思われる画像が添付されていた。
その名前を、三人は見た。
はっきりと、見た。
「……これって……」
志穂が、呟いた。
「……ああ、あいつだ」
篤志が頷く。
「……なるほどな」
美雅も頷いた。その目はまだ涙で真っ赤だったけれど、それでもその表情は、いつもの冷静さを取り戻している様子だった。
「道理で、『あそこ』にはあんなに銃や食い物があったはずだ、既に、入念に『準備』を済ませていたって訳だ」
美雅が言う。
「あの『兵士』達も、既に?」
篤志が問いかける。
「ああ、予め、ある程度の事情を聞いていたんだろう、だからこそ、躊躇いなく銃も扱えたし、人も殺せた」
美雅は頷いて言う。
「そして『あそこ』は、奴が『ウィルス』をばらまいた後の、この国そのものの『縮図』だったって訳さ、『力』のある人間だけが集まり、それをさらなる『力』で支配して、自分が王者として君臨する、そういう世の中の為の、な」
美雅は、告げた。
「……アタシには、そんなのどうでも良い」
志穂が、ぽつりと呟く。
「『こいつ』が黒幕なんだとしたら……『あそこ』に行った『あの子』は……」
「ああ」
美雅が、頷いた。
「危険かも知れない、急いで戻るべきだろうね」
美雅の言葉に、三人は頷く。
書かれていた名前。
それは……
それは……
『玉神弘光』
篤志が、志穂が、美雅が通っていた……
そして……
あの、乾美咲が、みんなと別れてから戻って行った……
滝原高校の、校長だった。




