第二十七話:報告
「……」
美雅は、ふらふらと立ち上がった。
父の行方の手がかりになりそうな物……
それは……
それは、一つしか無い。
所長室の奥にある、細長い木製の机、仕事で使うものだろう、そこに、最新式のパソコンが置かれていた。
「……」
美雅は、ゆっくりと室内を歩き、パソコンの前の椅子に腰を下ろす。
ふかふかとした、何とも座り心地の良い椅子だ。だがそれに背中を預けている余裕は無い、美雅は手を伸ばして、パソコンの電源を入れた。
やはりこれも、スリープモードになっていたらしい。
ボタンを押すだけで、画面に何かが映り始める。
三人は、黙ってそれを見ていた。
画面に最初に映し出されたのは……長い文章だった。
「何これ……?」
志穂が呟く。
書かれていたのは、全部英語で書かれた長い文章だった、何と書いてあるのかは、全然見当も付かない……
「……」
美雅は、じっとそれを見る。
英語ならば、得意だ。
「……これは……」
美雅が、小さい声で呟く。
「……なんて書いてあるか、読めるの?」
志穂が問いかける。
「……ああ」
「それで、なんて書いてあるんだよ?」
篤志が問いかける。
「……二十年前」
美雅は、静かな口調で読み始める。
二十年ほど前。
とある南国の、まだ未開の島に、小さい隕石が落下した。
島の外れ、そこに暮らす原住民族達の飲料水となっている川の畔に落ちたその隕石には、この地球上に存在しない新種のウィルスが付着していたという。
そのウィルスは、そのままその川に流れ込んで、原住民達の口に入った。
そこから、この島の人々にとっては、『死』は、恐れるものでは無くなった。
例え島の凶暴な獣に喉笛を噛み切られようが、島に生えている毒草を口にしようが、水を飲んだ彼らは死ななくなったのだ。
だけど……
その代わりとして……
彼らは、まるで……
まるでホラー映画の『ゾンビ』の様に、同じ村の住民達を襲い、その肉を喰らうようになったのだという。
生き残った住民達は、水を口にした者達を、何処かの洞窟に閉じ込め、そして島を後にし、その消息は不明だそうだ。
「……そんな事が……?」
篤志は、小さく呟く。
二十年前、自分達がまだ生まれる前だ、そんな事件が起きた事も知らない。
「だけどどうやら、この話は、あまり信用されなかったらしい」
美雅が言う。
「……確かに、映画みたいな話だもんね」
志穂が言う。
人間を死なない身体にしてしまう未知の『ウィルス』。
そして、それを口に含んだ……つまりは体内に取り入れた人間が、『ゾンビ』の様に人を襲うという話。
よくある『ゾンビパニック』映画のプロローグとしてはありがちだけれど……
現実に、そんな事があるはずが無い。
篤志達も、そう一笑に付していただろう。
少なくとも……
この街で、あの『ゾンビ』達を見るまでは……
「……それで、続きはなんて書いてあるんだよ?」
篤志は、美雅は促した。
「ああ……」
美雅は頷く。
二ページ目を読む。
二ページ目は、どうやら件の『ウィルス』が溶け込んでいるという水の、化学分析の結果らしかった。
分析が行われた日付は……今からおよそ十年前。
つまりは、その島に隕石が落下してから十年が経過した頃の事。
「……十年前」
美雅は、小さく呟く。
そして……
その分析を主導した科学者の名前は……
犬鳴浩三。
美雅の、父親だ。
美雅は、目を閉じる。
だけど、すぐに目を開けて、分析結果を睨み付けるように見る。
現地から採取した『水』についての調査報告書。
結論から言えば、それは『ただの水』だ。
少なくとも、成分的には、ごく普通の川の水だ。
だが……
水の中には、やはり何か、ウィルスの様な細菌の反応が検知されている。
それが一体、どのような細菌であるのか……
それを調べる事が出来れば、『研究』は上手く行くかも知れない。
そんな感想で、そのレポートは締めくくられていた。
「……やっぱり……」
美雅は呟く。
犬鳴浩三は、この水を、現地に行って採取してきたのだ。
理由は……解っている。
息子を……
生き返らせようとしていた……
「……」
美雅は何も言わず、三ページ目を開いた。
今度は、『ウィルス』そのものの調査報告書だ。
どうやら、現地にいた『ゾンビ』達から採取してきたらしい、動いている個体は、かつて暮らしていた原住民によって何処かに閉じ込められているはずだが……どうやら、動きを止めていた個体、つまりはその原住民達によって、既に倒された個体から採取したのだろう。
調査の結果、驚くべき事が解った。
この『ウィルス』は、どうやら人体に入り込むと、すぐに心臓や脳などの主要な器官に入り込むらしい。
そして……たちまちのうちにそれらの器官を活動させる。
残念ながら、生きている時と全く同じに、というほどでは無い、言うなれば、ウィルス達によって、それらの器官を『ドーピング』して無理矢理動かしている、という感覚だ。
そして……
無理矢理動かされた『器官』により、このウィルスに感染した人間は、ある程度の生命活動が可能となるが、実際には『ウィルス』によって『操られている』に過ぎない。
『ウィルス』は数を増殖させる為、他の人間に寄生するべく、『操っている』人間の身体を利用し、歯で噛みつくことで感染を広げようとする。
「……それが……?」
「ああ」
美雅は、篤志の問いに頷いた。
「あの『ゾンビ』達の正体だ」
「それじゃあ、生き返った事になんかならないじゃない……単なる……」
志穂が呟く。
「そうだな」
美雅は頷いた。
父、犬鳴浩三も、レポートの最後に、そう纏めていた。
これでは、単なる『怪物』を生み出すだけだ、所詮は、『死者の復活』などは幻想に過ぎないのかも知れない……
ここ最近、息子の夢をよく見る……実の息子の夢だ、とても優しい笑顔の息子の夢……
あの息子の笑顔を、取り戻したい。
その為に、この研究を始めた。
だが……
息子の笑顔が、まるで……
まるで、『諦めてくれ』と、言っているみたいだ。
「……」
美雅は、黙ってその文章を見ていた。
パソコンに表示されている文章は、後……
あと、一ページ。
きっと。
きっと、ここに……
父が、残した『真実』が書かれているはずだ。
美雅は、目をぎゅっ、と閉じる。
見るのが、怖くなってくる。
だけど……
父が、本当は……
何を、するつもりだったのか。
それを……
それを……
自分は、見届けねばならない。
「……ふう……」
美雅は、息を吐いた。
そして。
マウスを、クリックする。




