第二十五話:養子
十六年ほど前。
とある街で、一組の夫婦が、子供を失った。
両親と買い物に行く途中、飲酒運転の車が、歩いていたその家族に突っ込み、父と母は助かったが、当時一歳だった息子は車に轢かれ、それはそれは惨たらしい姿の死体となってしまったのだという。
そして……
その事故以来、両親は……
両親の心は、大きく歪んでしまった。
もともと、日本でもトップクラスの大学の医学部を首席で卒業したたその夫婦の目的は、この国の医術をさらに発展させることであった。
どんな病気も治せる万能薬。
どんな傷もすぐに治してしまう治療薬。
どんなウイルスにも効く特効薬。
そんなものを、開発しようとしていたらしい。
だが、息子の命を理不尽に奪われてからの二人は、全く別な研究に勤しむようになっていた。
それは……
『死んだ人間を、生き返らせる』。
同じ頃。
とある街で、一人の女性が命を落とした。
死亡原因は……自殺。
酒浸りの夫から、毎日の様に暴力を振るわれ、ついにそれに耐えられず、その当時暮らしていた安アパートの二階にある自室のベランダから飛び降り、全身を強く打って死亡。
ただ……
その母親が、胸の中に抱いていた、一歳の息子は……死なずに生き残った。
そして……
駆けつけた警察官に保護された息子は、孤児院に預けられた、アルコールで身体がボロボロになった父親には、とても息子を育てる事は出来なかったし、頼れる身内も、夫婦にはいなかった。
そうして、孤児院に預けられた息子は……
一人きりになった。
それから、一年ほどが経過した。
孤児院に預けられた、その夫婦の息子は、ようやく自分の母が死んでしまった事などを理解していた。
そして……
その子は、あまり周囲とは馴染めなかった。
母が、死んでしまった。
しかも、父のせいだ、という事実。
その事が、少年の心を……
まだ二歳であるはずの少年の心を、歪めてしまっていた。
だから少年は、周囲の大人にも、そして同年代の子供達に対しても心を閉ざしていた。どうせ……
どうせ自分は……
みんなとは、違うのだ、と。
そんなある日……
孤児院に、見慣れない大人が二人、訪れていた。
どちらも、若い男性と女性だった。
そして二人は……
二人は、ゆっくりと……
ゆっくりと、少年に近づいて来た。
そして……
「……君が……美雅君かな?」
男の方が、問いかけた。
美雅。
そう。
それが少年の……
少年の名前だ。
父と母が、それぞれ自分達の名前から一字ずつ取ってつけた、という名前。
その名前を口にする……
この二人は、一体……?
少年。
美雅は、顔を上げて二人を見る。
そして……
「私達は、君のお母さんの友達だよ」
男の方が言う。
「……」
本当の母に関しての記憶は、あまり無い。
だけど……こんな人達が友達だなんて、聞かされてはいない。
「これから……」
女の人が口を開く。
「私達と、一緒に暮らさない?」
「……え?」
美雅は、問いかける。
「私達と、一緒に暮らしましょう」
女の人がそう言って、手を伸ばして来る。
「……」
美雅は、きょとん、としながら……
その手を、見ていた。
一体……
一体、どういう事なのだろう?
解らない。
だけど……
にっこりと……
にっこりと笑って、自分を見下ろすその女の人は……
何処か……
何処か、母に似ていた。
だから……
だから、美雅は手を伸ばし、その手を握っていた。
「……それが、お前か?」
篤志が問いかける。
「……ああ」
美雅は、頷いた。
三人は、『ゾンビ』達の呻き声が響く扉から離れ、階段を上ってロビーに戻っていた。
「……アンタ、それじゃあ……」
「ああ」
美雅は頷いた。
「俺の両親は、本当の両親じゃない」
その言葉に、二人は何も言わない。
美雅は、気にせずに続けた。
「小さい頃に、お袋は親父の暴力から逃れるために自殺を図った、俺は助かったけど、お袋は死んだ、親父は酒の飲み過ぎでボロボロになってて、俺の事を育てる事は出来なかった、だから……」
美雅は、目を閉じる。
「孤児院に預けられた、そして……それを引き取ってくれたのが、いまの『両親』だ」
「……」
誰も、何も言わない。
美雅の話は続いた。
「『両親』は、それから数年してから、ここに引っ越して来た、ここに新しく『研究所』を作って、そこの所長に就任する形でな……そして……」
美雅は、目を閉じる。
「そして『両親』は、何かの『研究』に没頭するようになった、俺の事なんか、完全に……」
そこで美雅の口元が歪む。
微かに……
寂しげに……
「完全に、放置して、ね……何を研究していたのかは、その時には解らなかったけれど……」
「……まさか……」
篤志が呟く。
美雅は、頷いた。
「死者を……生き返らせる、その為の研究……」
美雅は、ぼそぼそした声で告げる。
「……ち ちょっと待ってよ!!」
志穂が声をあげる。
「死者の復活、って、それが……何の為なのかは想像が出来る、けど……」
志穂が、美雅の顔を見る。その顔が、悲しげに歪んでいた。
篤志にも、志穂が言いたい事は解る。
死者の復活。
わざわざ、専用の『研究所』まで作って、美雅の『両親』が、そんな事を研究していた理由は解る。
どうしても、忘れられなかったのだ。
どうしても、取り戻したかったのだ。
どうしても、返って来て欲しかったのだ。
死んでしまった……
本当の、『息子』に……
だけど……
「だったら……何で……」
志穂が、辛そうに目を閉じる……
「何で、アンタを引き取ったの?」
「……『代わり』が、欲しかったんだろう?」
美雅が言う。
その表情は……
いつものように、無表情で……
だけど……
「……」
篤志には、解る。
美雅の心が……
泣いている。
「だけど……俺は……」
美雅は、目を閉じる。
「俺では……『両親』の本当の『息子』……つまりは……」
美雅は、目を開けて呟く。
「『兄貴』の『代わり』にはなれなかったのさ」
二人は、またしても言葉を失っていた。
そうだ。
自分は、『兄』の『代わり』にはなれなかった。
自分は、父と母の『研究』を手伝う為の勉強が、ほとんど出来なかったのだ、地元の小学校で、中学で、あるいは高校で、どんなに優秀な成績を修めても、父も母も、それをちっとも認めてくれない、褒めてくれない、父が出す『研究』の為の課題には、ほとんど正解出来なかったからだ。
父と母が……自分から次第に目を背けるようになって行くのが、美雅にははっきりと解った。
だから……父と母、『兄』を復活させようとした、そして……
「……でも……」
志穂が、口を開く。
「アンタの、『お兄さん』を生き返らせる為の『研究』が、なんで……」
そうだ。
何故それが、こんな事になった?
篤志は、胸の中で問いかける。
「それは……」
美雅は、顔を上げる。
篤志と志穂も、美雅が見ている方に目を向けた。
二階部分が、見える。
「『所長室』を、調べよう、そこに行けば解るはずだ」
美雅は、はっきりと告げる。
そして……
思い出す。
あの地下室で呻いていた『ゾンビ』達。
沢山の呻き声……だけど……
だけど、あの中には……
父の声は、無かった。
つまり……
父は……
父は、あの地下室にはいない。
そして……
そして……
あのメール。
アレは間違い無く、所長である父が送ったものだ。
そこから導き出される結論は……
もう……
もう、ただ一つしかない。
美雅は、歩き出す。
「……もし……」
声がする。
篤志だ。
美雅の横に立ち、そっと、囁く声で言う。
「……もし、本当に、お前の親父さんが、『ゾンビ』をこの街に放ったのなら……お前は……」
「……許さないさ」
美雅は告げる。
そうだ。
許さない。
許す訳にはいかない。
こんな事をした……父を……
絶対に……許さない。
「……」
その時は……
その時は……
美雅は、ポケットから取り出した銃を、ぎゅっ、と。
力強く、握りしめた。




