第二十四話:命令
施設内は、しん、と静まり返り、人はほとんどいなかった。
志穂の家や、美雅の家とは違い、この中はあまり荒らされてはいないらしい、受付も綺麗な物だったし、所々のガラスも割られてはいなかった、廊下の端に置かれた観葉植物も、倒れてはいなかった。
「なあ、美雅」
篤志が問いかける。
「……ん?」
「この研究所では、一体、何を研究してるんだ?」
「ああ」
美雅は頷く。
「生憎だけど、俺もあまり良くは解ってない、ただ……」
美雅は、目を閉じる。
「……人の、『死』について研究していたらしい」
「『死』……?」
篤志は問いかける。
「ああ、『死』と、『生』についてって事さ」
美雅は目を閉じる。
「……人間は、どうすれば『死ぬ』と思う?」
「……どうすればって……」
「心臓が止まれば、死ぬんじゃ無いの?」
志穂が、横から問いかける。
「……そうだ」
美雅は頷く。
その通りだ。
心臓が止まり、血が全身に行き渡らなくなり、やがて脳の機能も止まって人は死ぬ。
ならば……
無理にでも、心臓を動かせれば……
「生き返らせられるって事? それって……」
志穂が口を開く。
そうだ。
それは……
それはまさしく……
「……行こう」
美雅は、それ以上は言わないで歩き出した、何処へ行く、とは言わなかった、そのまま歩き出し、近くのオフィスに入る。
オフィスの中は……静まり返り、誰の姿も勿論無かった。
だけど、あの『ゾンビ』達に荒らされた様子も無い室内は、やはりこの状況では妙な違和感があった。
そして……
デスクの上では、ぼう、と音をたてながら、パソコンが起動していた……
「……」
美雅は黙ったままで、ゆっくりとそのデスクに歩み寄る、誰の机なのかは解らないけれど、パソコンは壊れてはいない様だ。
そっと、スイッチを入れる、どうやらスリープモードになっていたらしい、あっさりと起動した。
「……」
画面をじっと見つめる。
どうやら、社内メールが送信されていたらしい、このパソコンを使っていた奴は、よほど慌て者だったのか、それとも単にずぼらなだけだったのか、届いたメールを開きっぱなしにしていたらしい。
そこに書かれていたのは……
『全所員、並びに全職員は、全ての仕事を中断して、地下室に集まること』
たったそれだけの、短い文章。
そして……
差出人は……
「おい……」
横からメールを覗き込んで来た篤志が、声をあげる。
そこに書かれていた、メールの差出人。
それは……
それは……
「……」
美雅も、その名前を見つめる。
犬鳴浩三。
そう。
この研究所の所長……
そして……
美雅の……
父の、名前だった。
「……行こう」
メールを閉じ、美雅は立ち上がる。
そのまま二人の返事も待たずに、ゆっくりと歩き出す。
目指す先は、この研究所の地下。
そこに……
そこに、全ての答えがある。
全ての……
地下室への階段は、すぐに見つかった、入り口ロビーの一番奥にある、かなり大きめの階段だった。
ゆっくりと、三人は階段を下りていき……そして……
「っ」
階段を下りきる直前に、美雅が息を呑んだ。
「……こ これって……」
志穂も、小さい声で呟く。
「……」
篤志は何も言わず、じっと……
じっ、と階段の先の廊下を見ていた。
階段を下りた先にある広い通路。
その先にある、かなり大きめの鉄製の扉……両開きで、大きいだけで無く分厚そうだ、何かあった時の為、シェルターも兼用しているのだろうか?
それは、篤志達には解らなかったし、どうでも良い事だ。
だが……
その分厚い扉越しにも、はっきりと聞こえて来るのは……
「あああああ……」
「うううう……」
「おお……おおおおお……」
これまで……
これまで、街の中で、志穂の家で、美雅の家で、そして篤志自身の家で……
散々、耳にしてきた、あの……
あの、気味の悪い呻き声。
そして……
ごん……!!
ごん……!!
と。
扉に……
分厚い、鉄製の扉に体当たりする音。
それも……一人や二人……
否。
『一体』や『二体』じゃない、百、或いは二百は超えているであろう数が……
あの、扉の向こうにひしめいているのが、例え見えなくてもはっきりと解った。
「何で……あいつらが……?」
志穂が、銃を構える。いざとなったら確実に撃てる姿勢だ。
「……」
美雅は、何も言わない。
黙ったまま、ゆっくりと階段を下り、扉に歩み寄っていく。
「お おい、美雅……!!」
篤志が声をかけるけれど、美雅は何も言わない。
黙って、そっと……
そっと、扉に歩み寄る。
そして……
ぴったりと、扉に耳を押し当てた。
まるで……
まるで、扉の向こうから聞こえる呻き声一つ一つに、耳を澄ませているみたいに。
「……」
美雅は、そのまま目を閉じた。
聞こえる声を、一つとて聞き逃すことがないように。
そんな風に……
そして……
ややあって。
美雅は、ゆっくりと扉から耳を離した。
「……やっぱり……」
美雅は、呟く。
「……この中には、『いない』」
美雅は、呟く。
「……いない、って、どういう意味?」
志穂の問いに、美雅は何も言わない。
黙って、扉から離れる。
そして。
美雅は、じっ、と。
じっ、と、二人を見た。
「……二人に、言わなきゃならない事がある」
美雅は、相変わらず感情の無い。
それでも、はっきりとした口調で告げる。
「……何だ?」
篤志が、問いかける。
「まだ、確証は無い、けれど……」
美雅は、目を閉じる。
そして。
しばしの沈黙の末、美雅は目を開け……
「この『ゾンビ』達を、街に解き放ったのは……」
「……」
二人は、何も言わない。
黙って、美雅の言葉を聞いていた。
「俺の、父親だと思う」




